「…どうしようかしら。」
引退を表明して翌日、トレセンに登校してある程度の時間を過ごした私は、これからの事を考えていた。いずれ引退しよう、その時の為に何か新しい目標だったりを設定しよう、と選手時代に考えてはいた。けれど、いざこうなってみると迷う。レースとは関係ない職に就くか、レース関係の職に就くか。とは言え、私は今までレース一直線だったので、レース関係の職に進路を進めるのが妥当かしら。…でもまぁ、まだ時間はある訳だし、ゆっくり考えていけばいいかしら。
中央のトレセンは少し変わった制度を採用しており、一部の特待生は一般の生徒より必修の科目が少なく、定期試験で一定ライン以上の点数を取れば、有給のように授業に出席しなくてもよいとされている。理事長曰く、「特例ッ!特に頭脳が秀でている者は、レースや今後の進路の方に重きを置いても良いだろう!」との事。私も入学する際、この制度を利用して入学した。一応、今でもその制度の恩恵を受け続けている訳だが。
この制度を受けれそうなウマ娘として、とあるウマ娘が挙げられる。みんな知っての有名人。しかし、生徒会と学業、そしてレースの並立が非常に大変な事も相まって、その制度を受けるラインに到達しきれていないらしい。この情報は噂からのものなので、真偽は分からないけれど。因みに条件とは、半分以上の教科で満点を取る事である。
「タナトス!」
おや、噂をしていたら何とやら。話題沸騰中の彼女が、妙に大きな声で私を呼びながらやってきた。
シンボリルドルフ。私と同級生であり、七冠ウマ娘と呼ばれている。前回のドリームトロフィーにも出場しており、勝利を収めたマルゼンスキーと接戦を繰り広げた。今朝のニュースでそのシーンを見たが、アレは確かに観客も沸き立つ訳だ。
「昨日のアレはどういう事なんだ!?どうして引退だなんて……!」
などと考えを巡らせていると、私を呼んだ時と変わりない口調で私に話しかけてくる。…いやいや、ドリームトロフィーで走るウマ娘が引退するだなんて、珍しい事でもないでしょう。大体、その手の話ならルドルフなんて「遺憾千万、しかし、選手である以上は引退は避けて通れない。当人のこれからの人生が良いものである事を祈るばかりだよ。」くらい言ってのけると思うのだけれど。それこそ、今私の前にいるウマ娘のようなセリフなど、解釈違いに他ならないのではないか。
「随分らしくないわね。…というか、廊下よ?ココ。せめて場所を変えてから声を荒げてくれないかしら。目立って仕方ないわ。」
親しい間柄にすら言っていないのだけれど、私は人の目に晒される事が好きではない。ルドルフのように、カリスマを以て自身に対する忌避の目を自身に浴びせないような空気を作る事はおろか、シービーやマルゼンスキーのようにそもそも悪評を割り切って流す事も出来ず仕舞い。沢山の人目があれば、自身に向けられるマイナスなモノはすぐ分かってしまうし、それを受け流すような心の強さも、終ぞ育つ事は無かった。…きっと、私は弱いままなのだろう。
……兎も角、私は極力注目を浴びたくない。ましてや、知り合いの多いこの学園内では。何を噂されるか分かったものではないから。
──────────
「…それで?私の引退について聞きたいの?と言うか、引退なんて選手からしたら日常茶飯事でしょうに。」
「…そういって割り切れる話じゃあないんだ。特に、君の事となるとね。」
あら、珍しい。基本的にルドルフは話をする時、言葉を言い淀む事が少ない。そういう性格であるのと同時に、自分の言葉にある程度の自信があるからこその言い切りの良さでもあるような気もする。そんなルドルフが言い淀む場面と言えば、バレたら都合の悪い嘘を吐いている時や相手を傷つけないか思考している時、或いは心の中がグチャグチャになっている(言葉が纏まらない)時くらいだろう。
私の事になるとと言っている辺り、恐らく最後の場合と考えられる。私としては、どうしてルドルフの心の中がグチャグチャになっているのかが分からないのだけれど。
「…正直、君の引退はまだ先の話だと思っていた。『もう一度勝利するまでは、選手を降りれません。』と言うとばかり思っていたんだ。君は負けず嫌いだからね。」
成る程、ルドルフにとっての時期尚早な引退宣言が原因だったのね。それだけが理由とは思えないのが現状だけど、理由の一端が分かっただけでも収穫ね。…ただ、そこまで負けず嫌いを通しきれる程の芯の強さは、生憎持ち合わせていない。記者や他選手からも、私が生粋の負けず嫌いであると口にしていたが、言う程である。と言うより、周りの子達の方が負けず嫌いでしょうに。
「あれだけ沢山の負けと、それを帳消しにする程の小さな勝利を味わえたのだもの。私は満足したのよ。」
ちょっとの皮肉を添え、解答を端的に伝えた。私の口から満足という言葉が聞けたからなのか、ルドルフは「そうか。」と独り言の様な声量で呟く。その言葉とは裏腹に、「未だ納得がいかない。」と言わんばかりの表情を浮かべるルドルフに対し、また言及し始めるのではないかとの猜疑心が生じる。気のせいか、身体が強張っているように思う。
「……それなら、私から四の五の言う訳にはいかないね。冷静さを欠いてしまった。」
少し恥ずかしそうにそう言うルドルフは、まぁまぁ新鮮だった。
……それと、もう一つ。その後は「態々呼び止めてすまなかった。」とルドルフが謝った後に互いに別れて解散、という流れだったのだが。去り際にルドルフが背中を向けて言い放った一言が、どうも変で仕方なかった。
──君というライバルを失ったのは、非常に惜しいな。
まるで、ルドルフが私をライバルと認めているような言い回し。不思議で仕方ない。だって。
──ルドルフは、私をライバルだなんて思ってるはずがないというのに。
──────────
「…承認!しかし、もう一度戻りたいと思った時に備えて、復帰する為に必要な書類等はこちらで保管させてもらうぞ!」
「そんな日が来るとは、ちょっと思えないですよ。」
一切の皮肉を交えず、思った事ままを口に出してしまう私と、まるで私の引退を惜しんでいるかのような反応と表情を見せる理事長。理事長とはいえ、年は少女そのもの。世間一般が想像する理事長とは、色んな意味でかけ離れている。
そんな事を考えている最中、理事長の横で立っていたたづなさんが口を開いた。
「タナトスさん、これからどうなさりますか?選手を引退した以上、他の進路を考える必要がありますが……。」
…正直な所、全く決まってない訳ではない。しっかりと目標を据えて、そこまでの計画が立っているかまでの段階ではないけれど。
一番有力候補なのは、トレーナー。ウマ娘である以上、この職業は外せない。この学園で色んな経験を積めるから、就職に有利になれるという打算的な動機も、全く無い訳では無い。しかし、トレーナーが近くにいたので、トレーナーという職業に興味が湧いたのも、また事実。
「まだ考える時間があった方がいいですか?」
要らないです、と即決した。本当は、時間をかけて誰かと相談しながら決める予定だった。しかし、私は優柔不断になる場面がある。特に、こういう重要な場面に。こうした所は治したいけれど、中々治ってくれない。
そんな事もあり、ここは即決すべきと判断した結果、すぐにでも始めるべきだと結論付けた。それに、早くから着手すれば、その分だけ多くの知識に巡り会えるから。
……決して、知識を取り込みたいという理由が大半を占めている訳ではない。うん。
「では、トレーナー研修等の知らせは追って伝えますね。授業等は今まで通りでお願いします。」
「分かりました。態々、ありがとうございます。」
……今度、何かお礼でもしようかな。
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「こうして図書館に脚を運ぶのも、久しぶりだねぇ。」
「…ずっとあの場所に籠ってるからでしょう」
「随分辛辣だねぇ!」
長い昼休み。昼食を済ませた後に、タキオンさんから頼まれて図書館に来たは良いものの……この人、図書館でも煩いとは。静かにすべきでしょうと一言告げると、また小言を言われた。
……まぁ、私も何か読む物がないかと考えていたので、のった訳ですが。…それにしても、この人が自分から外に出ようとするなんて。これも、タキオンさんのトレーナーさんの影響でしょうか。
「…おや?あれは……」
ふと、誰かが視界に入ったらしく、タキオンさんがそう声を上げた。その声につられて私もその方へ視線を向ける。
「……タナトス先輩、ですね。」
色々な方面で現在有名な先輩。先日引退表明してから、トレセン学園では持ち切りな話題の張本人。トレセン学園にいると耳にしない日は無い上、過半数を軽く超えるウマ娘が先輩の話題を話している。謂わば、時の人だ。
トレセン学園にいると、度々こうした現象が見られる。他所でどうなのかは分からないけれど、名バが誕生する機会が多いトレセンで学園では、学生が時の人になる事はそこまで珍しくない。クラシック三冠を達成したウマ娘や、親子でGⅠ連覇したり……内容は多々あれど、偉業を果たすウマ娘はトレセン学園では誕生しやすい。それはひとえに、トレセン学園がどれほど高水準な施設であるのかを物語っているようである。
それはそうとして。その弊害と言えば良いのか、然るべくしてそうなったと言えば良いのか。先輩に対して良い感情を向ける人もいれば、そうでない感情──猜疑や痛快等々──を向ける人もいる。その中には、先輩のライバルや同期でもあるシンボリルドルフさんやミスターシービーさん、挙句の果てにはマルゼンスキーさんまでもが。とは言え、先ほど挙げたようなじめっとした感情ではなく、「何故?」といった困惑だったり、ライバルが急にいなくなる事への焦燥だったりではある。今日の昼頃、タナトス先輩に対して大声を上げて問いただすシンボリルドルフさんが目撃されたらしい。
「…正直、惜しいとは思ってるんだがねぇ。」
「貴女の場合、実験なりに協力してくれたら…なんて理由からでしょう。」
「エスパーにでもなったのかい!カフェ!」
そんな訳ないでしょう、という言葉は飲み込んでおく事にした。
……それよりも。
今まで無視してきたが、『お友達』の様子がおかしい。トレーナーさんと一緒にいる時も、時々おかしくはなるものの、ここまでではない。強いて言うなら、威嚇や防衛本能が近いのだろうか。『お友達』とは長い付き合いではあるものの、このような反応を示した事は今までに一度と無かった。
反応が面白い人に対する悪戯、自身を感じ取れる者へのコンタクト。それらとは別の、ナニか。まるで、「アイツはヤバい」と本能が反応しているような。特にG1レースによくあるソレと、似たような反応。
──何で、あんなのが生きている?
『お友達』のその言葉が、しばらく頭の中から離れなかった。