Under the Same Sky   作:moco(もこ)

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Operation-7

 

 ──雨の降る音が耳につき、ふと目が覚める。

 

 曖昧な意識のまま身を起こすと、その拍子にばささ、と紙が落ちた。

 

 薄暗い部屋の中、薄ぼんやりと光るディスプレイに、どうやら報告書をまとめているうちに力尽きてしまったらしいことに思い当たった。あとは提出ボタンを押すだけ、というところで意識が落ちてしまったらしい。あくびを噛み殺しながらボタンを押してデータベース上にアップロードし、ついでに印刷も済ませる。パソコンとにらめっこし続けるよりかはなんぼかマシ、というドクターのためだ。

 

 いつの間にかすっかりと日が落ちていたようで、電気をつけて伸びをする。在籍人数の関係で、基本的にオペレーターは自室を二人でひとつとシェアする形になっている。双子だからと有無を言わさずハイビスと同じ部屋にされてから、思えば長い月日が経ったものだ。

 

 天災関係の研究を進めるうちに電子では保存されていない古い資料が増え続け、見るに見かねたハイビスが自分の個室を資料室として明け渡して久しいこの部屋に、天井まで伸びる大きな本棚が静かに鎮座する。そこも今ではもうパンパンで、今度本の陰干しをする際に整理するか、とぼんやりと頭を巡らせた。

 

 ケオベあたりに手伝ってもらおうか。武器の扱いを見てわかるように、物を存外丁寧に扱うあいつにはこういった作業を手伝ってもらうことが多かった。はちみつクッキーでも作ってやれば二つ返事で来てくれることだろう。

 

 床に散乱したメモを拾い上げてまとめて机に置き、印刷機が音を立てて吐き出す報告書を手に取り時計を見る。

 

「……姉ちゃんが帰ってくる前に起きられたのは、僥倖(ぎょうこう)だったな」

 

 最近はそれこそ三日三晩寝食を忘れて研究に没頭でもしない限りは邪魔をしなくなった姉が帰ってくるのは、確か今日の夜だったはずだ。

 

 まだ時間があるな。これを提出して、ついでに回らない頭をすっきりさせにいくか。報告書を片手に自室を後にしながら、今日の自主訓練内容を頭の中で組み立てるのだった。

 

 

 自室を妹の研究室として明け渡してから、二人でシェアしている寝室の小さな勉強机で細々とした書類仕事をするようになって久しい。

 

 病室の改装計画に必要な物資をリストアップし、予算と照らし合わせているとコンコンと寝室のドアがノックされた。

 

「もう戻ってるか?」

「あ、うん。入っていいよ、ラヴァちゃん」

 

 ラヴァちゃんが一人になりたいときは研究室にこもるのと同じように、一応私のプライベートにも気を使ってくれているらしい彼女は、寝室に入る際には必ずノックをする。ロドスに入った頃が今では懐かしい。あの頃は隙あらば口喧嘩していたものだけど、ラヴァちゃんが仲直りしようと大真面目な顔で話し合いを持ちかけたときから(あのときは喧嘩しているつもりもなかったので、その言葉に首を傾げてしまい、そこでもひと悶着あった)、徐々に徐々に私達の関係性というものも変わってきているのかもしれない。

 

 自主訓練の帰りなのか、どこかでもうシャワーを済ませてきたようで、こざっぱりとした様子で肩にかけていたボストンバッグを床に置く。そしてその途中で私の机に広がる書類が目に留まったのか、不思議そうに声をかけてきた。

 

「まだ仕事してんのか? 帰ってきたばっかりだろ?」

「うーん、そうなんだけど……帰ってきたばっかりだからこそ、この計画を早めに進めないとなって思ったから」

「……姉ちゃん」

「え?」

 

 最近はよくお姉ちゃんと呼ばれるな、と思いながら書類から顔を上げると、いつの間にか傍に立っていたラヴァちゃんの手がすっと伸びてきた。

 なんだろうと思いながら見上げていると、頬に触れた指先がすり、と優しくなでていった。少しくすぐったくて身じろぎしつつ、彼女から触れてくるのは今でも珍しい方なのできょとんと見上げると、ラヴァちゃんがぼそりと呟いた。

 

「くまできてるぞ」

「え?」

「最後に寝たの、いつだ?」

「えーと」

 

『──絶対に許さないからな!』

 

 外勤任務中にとある大きな思惑に巻き込まれ、結果的に鉱石病を悪化させてしまったときだ。目の前であんなに取り乱した彼女は初めてで、まして涙を見たのなんていつぶりだっただろうか。以来、少しだけ過保護気味というか、なんというか。

 

「いつだ」

「……えっと」

「……」

「こ、これ終わったら寝るから、ね? ほ、ほら、明日は休みだし」

 

 実は二日ほど横になって寝ていなかったのだけど、そんなことを正直に話せば有無を言わさずにベットに放り投げられ、寝るまで監視されることが目に見えていたので誤魔化すと、ますます不信感が強くなったようで、しまいにはじとっとした目線でもって無言で責められた。

 

 なんだか最近立場が逆転しているようなと思いつつ、そろーりと視線を逸らせば盛大なため息が室内に響いた。

 

「お前がそうしたいならそうすればいい」

「あ、ありが……」

「アタシも勝手にするから」

 

 少しばかり刺のある言葉に、怒らせてしまっただろうかと内心冷や冷やしていると、ラヴァちゃんはバタンと荒く扉を開いて寝室を出ていってしまった。

 ちょっと強情だっただろうかと反省しつつ、しかしながらあと少しでキリのいいところまで終わるのも事実で、さっさと終わらせようと机に向かうと、また扉がノックされた。

 

「ラ、ラヴァちゃん?」

「開けてくれ」

「わ、な、なに、それ?」

「今回の任務で取ったデータと照らし合わせるための資料」

 

 資料室から大量の資料とノートパソコンを運び、私とは背を向けるように置かれている自分の小さな勉強机にそれを広げると、せっせと自分の論文のためのデータ整理かなにかを始めてしまった。

 

「あ、あの~」

「夜更かししている奴に責められる(いわ)れはないよな」

「うっ」

 

 ぴしゃりと会話を打ち切ると、ラヴァちゃんは片耳だけにイヤホンをはめ、せっせと自分の世界に入ってしまった。

 片耳だけなのは、きっと私が声をかけたらわかるように。おそらく私が寝るまで起きているつもりなのだろう、こうなると梃子でも動かない。諦めて早めに切り上げようと自分も机に向かう。とりあえずリストアップだけして予算は後で考えよう、他のみんなの意見も取り入れてから考えた方が早いだろうし。

 

 ペンが紙を滑る音、キーボードを叩く音、イヤホンから微かに漏れ聞こえる音楽。部屋に響くのは微かな雑音だけ。その音がどうしてか私を急かすように聞こえるのは、後ろから伝わってくる彼女の態度がそうさせるのだろうか。しばらくして集中力が完全に途切れてしまい、小さくため息をついて書類を整理した。こんな空気でやるよりも寝て起きてやった方がいい。

 

 キャスター付きの椅子を回して声をかけようとして、ふと止めた。

 

 机に乱雑に広げられている資料は、あれでいて自分なりに整理できているらしく、勝手に片づければそれこそ昔は二日ほど口をきいてくれなかった。

 

 全く怒らなくなったのはいつからだったろうか。あれほど嫌がっていた私の健康食を、文句を言わずに食べ、寝なさいと注意すれば大人しく従う。まるで人が変わったみたい。だからこうやって、その根っこには私を心配しているという優しさがあるのだとしても、私に対して反抗する態度を見せたのは久々だった。

 

 音楽に耳を傾けているらしく、リズムを取るように体が揺れている。こんな穏やかな様子の彼女を見るのはいつぶりだろう。

 

『──姉ちゃん!』

 

 初めて目の前で泣かれたのは、あの日、あのとき。

 

 初めて人を傷つけた日。

 初めて忌み嫌っていたこの力に手を伸ばした日。

 初めてこの子の目の前で倒れた日。

 

 あの日、私達は。

 

「……ラヴァちゃん」

 

 そっと声をかけても、やっぱり気づかない。私の呼びかけに、さらさらとノートを滑る左手が止まることはなかった。

 思えば、生まれたときから一番近くて一番遠い存在だった。鏡合わせのように利き手は違うし。双子はお互いのことを手に取るようにわかるって言うけれど、ずっとずっとわからないままでいたし。

 

「ラヴァちゃん」

 

 気づかないことを知っていながら、そっと名前を呼んだ。まだ名前を呼べることを、そこに彼女がいるという事実を噛みしめながら。

 

 あと、何回名前を呼べるのだろうと思いながら。

 

 ロドスに来てから、思えば長い月日が経った。時が経てば変わってしまうものばかり。変わらないのはドクターの執務室くらい。

 

 私達は万能でもないし、不老不死なんてものでもでもない。

 命はいつか(つい)える。神々からしたら瞬きの間に消えてなくなるほどにか弱い存在。それでも、そんな人達に手を差し伸べることが間違っているなんて思ったことはない。でも、だからこそ。

 

 ──いつか、みんな。誰だって、この子だって消えてしまうんだという事実を。誰よりも、わかっていた。

 

 静かに席を立ち、なるべく驚かせないようにゆっくりと肩を叩く。

 

「ラヴァちゃん」

「うわっ!」

「ごめんね、終わったよ」

「あ、ああ…………じゃあ、アタシもこの辺にするか」

 

 ノートパソコンを閉じるまで、しばらく間があった。不承不承であることは明らかで、それでも私を優先してくれる。元々優しい子であることは知っていたけれど、それでも最近のラヴァちゃんは昔よりも雰囲気が柔らかくなったとみんな言ってる。

 

『──やめろよ!』

 

 それはきっと、この世界が優しくはないということ(サルカズに対する無条件の差別)を知ったから。

 それはきっと、もう二度と取り戻すことのできない時を知ったから。

 

 誰かが傷つかないように前に出ることを知っている。

 私が戦うことを選択したことを悔いていることも。

 

 私達はきっと、お互いに傷つきすぎたんだと思う。だから自然に喧嘩をしなくなったんだろう。もう仲裁してくれるあの子はいないことを知っているから。そして、この不確かな世界で、血の繋がりという確かな絆があって、サルカズだからという偏見もお互いになくて。その苦しさも、この世界の無常さも、同じ境遇で、ずっと傍にいたからこそ誰よりもよく知っているから。

 

 寝巻に着替え、デスクランプを消すとすぐさま闇の帳が落ちた。後に残るのは窓からひそやかに落ちる月光と、陸上艦の微かな唸り声とお互いの息遣い。

 

 久々に横になったのもあり、中々寝つけないで寝返りを打つと、ラヴァちゃんが静かに声をかけてきた。

 

「……眠れないのか」

 

 その言葉に、寝返りをうって彼女の方を向く。こちらには背を向けていたので、おそらく気配だけで察したのだろう。

 

「ちょっと、目が冴えちゃって」

「ふん」

 

 軽く息をつく音が聞こえた。こっちには背を向けたまま、

 

「……今日の任務は、どうだった」

 

 なんてたわいのないことを聞いてくる。私が眠れないのを察して少しつき合ってくれているのだろう。そのぶっきらぼうな優しさに救われていることを、きっとラヴァちゃんは知らないんだろうけど。

 

 とりとめのない話をした。とある地域の感染者隔離区域のお話を。公衆衛生の改善案と住民の意識改革が必要だった。それをわかってもらうのには対話が必要で、いつものように、私がサルカズであるから起こるトラブルも多かった。

 

 ──どうして人の心から差別はなくならないんだろう。

 

 サルカズという存在をよく知らないから。よく知っているからこその恐怖。サルカズの歴史を知り、能力を知り、同胞を知り。そんな人達ばかりではないことを知っている。それでも恐れられるほどのことをしてきた種族であることも、それに嫌悪感を示してしまうのも、その人達の立場になって考えればわかってしまうのだ。私にも、その血が流れていることを、否応にもなく知ってしまったから。

 

 それでも。憎悪に憎悪を返したところで、負の連鎖は終わらないことを知っていても。疲れないわけではない。悲しくないわけではない。

 

「……せめて、患者さんには。こわがられたく、ないんだけどなぁ」

 

 少し疲れていたんだと思う。普段なら絶対に言わない弱音が、震える口からついて出てしまったから。そしてそれを口にすることで、ようやっと心の傷を自覚した。

 

 ガバッと乱暴に毛布をはねのける音。

 

 寝返りを打って彼女に背を向けていたものだから、その音にびっくりして首を回すと、ベットから飛び降りたラヴァちゃんがずんずんとこちらに近づいてきていた。

 

「え? な、なに、ラヴァちゃ──」

「詰めろ」

 

 べり、とこちらの毛布を剥がしてむすりと端的に言い放つ。意味がわからなくてポカンとしていると、さらに不機嫌になる。

 

「早くしろ」

「……あ、うん」

 

 言われるがままに詰めると、どざ、と乱暴にベッドに寝転がったラヴァちゃんの背が自分の背に当たった。シーツの擦れる音がやけに耳に響く。そしてその音がようやく落ち着き、静寂が寝室に広がる頃にようやく、なぜかはわからないけれども、どうやら一緒に寝てくれるらしいということに思い当たった。

 

 お互い、初めて部屋を与えられた頃よりも成長した。今の二人には少しだけ手狭なベッドで身じろぎしつつ、声をかけた。

 

「……ラヴァちゃん」

「うるさい、次話しかけたら明日から口聞かないからな」

「理不尽……」

 

 わかりきっていたことだけど、にべもない。これ以上追及したら拗ねられること間違いなしなので、大人しくすることにした。

 同じベッドで寝るなんて、子供の頃以来じゃないだろうか。思えば、物心つく前はあまり喧嘩をしなかったような気がする。どうしてだったっけな、と考えていると、ふと幼い頃のやりとりを思い出した。

 

 あれは、体調が悪いのに我慢していたときだったっけ。幼心に両親に心配をかけてはいけないと我慢していたら、なぜかぽんと頭をなでられた。びっくりして見上げれば、心配そうな顔をしていたっけ。

 

 思えば、私がつらいときはいつだってラヴァちゃんが気づいた。それと同じで、ラヴァちゃんがつらいときは私も気づいた。

 生まれたときから、双子なのにお互いに正反対で、なにを考えているのかわからないことばかりだった。それでも、お互いの痛みにだけは敏感だった。隠していたっていつだってバレてしまう、今みたいに。

 

 そっと寝返りをうって彼女の背にコツンと額をあてた。ピクリと体が揺れたけど、ラヴァちゃんは何も言わず、なすがままにされていた。

 

『──やめろよ!』

 

 この背中に何度も守られた。前に飛び出すこの子にハラハラして、ついついきつく言ってしまうのはきっと私が弱いから。でも、誰だって血を分けた姉妹や兄弟が死んでしまうのなんて、耐えられないでしょう? 

 

『──絶対に許さないからな!』

 

 そう思っているのは私だけだと思っていた。仲直りをしたけれど、それでもラヴァちゃんにとっては口うるさいお姉ちゃんだっただろうから。だから私はどうなってもいいという気持ちを見透かされ、泣かれて。これじゃあダメなのかな、ってちょっと考え直したんだよ。

 

 私達は、ほとんどのことはわかりあえないけれど、お互いの痛みにだけは敏感だ。だから喧嘩ばっかりだったんだ。二人とも、自分の事なんて棚に上げてお互いのことばかり心配していたんだから。

 

 しばらくして、規則正しい寝息が聞こえてきた。お互い同じ部屋で寝ていれば大体のことはわかる。だからいつもよりも早く寝てしまった彼女を珍しいな、と思いながら、祈りにも近い気持ちで目をつむった。

 

 ああどうか。

 いつか来る終わりがあるのだとしても。どうか、どうか私達の時間が一秒でも長く続いていきますように、と。

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