有馬記念
2005年 12月25日
中山 芝2500メートル
秋古馬三冠に、リーチをかけた。
体調も万全だし、いつも通りを心がければ勝てるはず。
そう、いつも通りのレースをすれば。
観客は私とディープインパクトという後輩の二強対決だと思ってるらしい。
ディープインパクト……どんな馬なんだろう。
とてもすごい馬らしいけど。
ロブロイさん、タップダンスさん、ブルースくん、コスモバルクくん……強い馬ばかりで流石年末のグランプリといったところか。
「はじめまして!」
「わっ、びっくりした……。はじめまして、坊や。」
「僕ディープインパクトって言います!ベルサフィールさんと走るの楽しみにしてたんです!」
「あらそうなの?いいレースにしましょうね」
「はい!」
牡馬にしては少し小柄な鹿毛の馬。
だが確かに他の馬とは別格だ。
そういうオーラが出ている。
なるほど、これが……。
追い込みを得意とするんだっけ。私とは逆ね。
まさかこんな無邪気な少年のような馬だとは思わなかったけど。
ディープが楽しそうに他馬のところにも話しかけている。フレンドリーだな。
すると、ハーツが話しかけてきた。
「ベル」
「ハーツ……?」
いつもとは雰囲気の違う彼。
一皮剥けた。
そんな感じがする。
今までの彼とは違う。絶対違う。
これは、どこかで感じたことのある……。
「今日、勝たせて貰う」
強い意思を宿す黒い瞳に見つめられた。
「勝つのは、私よ。」
私は、負けられないから。
ターフの女王として、ここに君臨すると決めたのだ。
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『全馬ゲートインしました。一番人気は無敗の三冠馬ディープインパクト、二番人気は無敵の女王ベルサフィール。二強対決、制すのはどちらか。それとも、刺客が現れるのか。……今スタートしました!』
『先頭にたったのはやはり逃げの天才ベルサフィールです!ベルサフィール逃げている!二番手にはタップダンスシチーがいて……三番手はなんとハーツクライ!ハーツクライが先行!』
……え!?
思わず振り返ろうとするくらい衝撃的だ。
明らかに……ハーツは先行している。
今まで彼はスイープちゃん同様後方からの追い込みが主流だった。
脚質というものはそう簡単に変えられるものではない。
その馬の気性なども関係しているから。
どうして……?どうして、先行に……。
困惑したまま私はいつも通り逃げ続ける。
これが最適解だ。
余計なことはしなくていい。
ディープインパクトがいつ外から襲いかかるかわからないし。
『ディープインパクトは後方にいます。ペースは少しハイペースといったところでしょうか。オースミハルカ、オペラシチーも先団に続きます。』
落ち着け。
慌ててもいいことはないわよ。
大丈夫、私にとってこのペースはハイペースでもなんでもない。
ただ自分のペースで、直線で最高の脚が出せるように走ってるだけだもの。
『さあコーナーを曲がって最後の直線!コスモバルク二番手!やはりベルサフィールが突き放す!圧倒!これが逃げの女王!現役最強牝馬です!四馬身のリード!』
ここで……溜めてた脚を解放する!
リードはあればあるほどいい。特に強い追い込み馬がいる場合にはね!
かなりリードしてるからこのまま保って、粘れば……
ゾクッ
悪寒がした。
ナイフを首にぴたりと押し付けられたような、そんな感覚。
これは覚えがある。
私はこの恐怖を知っている。
捕らえられる……、この感覚は……カメハメハくんのときと同じ……!!!
ディープインパクトではない。
彼も怪物だ。
だが違う。
これは……
「ハーツ!!!!!」
「ようやく、捕らえた……!!!」
『ハーツクライだ!ハーツクライが捕らえた!だが外からディープ!ディープインパクト!ベルサフィール粘る!』
「くっ……!まだ、負けるものか……!負けてはいけないの……!」
追い付けるはずがない。カメハメハくん以外に。
負けられない。カメハメハくん以外に。
だって、だって、私は……
《俺の変わりにターフで女王として君臨してくれ》
「あああああああ!!!」
「お前を玉座から引き摺り下ろす!!」
『ハーツクライだ!ハーツクライ交わした交わした!ディープインパクトは来てるが届かない!なんてことだ!勝ったのは、ハーツクライ!!!』
タイム 2分29秒9
一着 ハーツクライ
二着 ベルサフィール(1/2馬身)
三着 ディープインパクト(半馬身差)
「はあ、はあ……僕が負けた……?そんな……皆があれだけ期待してくれたのに、僕は……」
「はあっ……ふうっ……私、私……ごめんなさい、カメハメハくん……」
ぜえぜえと息を切らすディープと私。
プレッシャーなんて感じたことのなさそうなくらい楽しそうだったディープも、思い詰めていたのだろうか。
一瞬の静寂が晴れ、大歓声に包まれた中山競馬場。
観客たちはハーツを祝福する声と、困惑している声に分かれていた。
「ディープだのベルだのうるせぇな……ディープインパクトとベルサフィールが負けたんじゃなくて、俺が勝ったんだ」
「ハーツ……あなた……」
「ディープインパクトはお前と同じくらい難儀なやつだな。まだ三歳なのにこれだけのものを背負って。……まあ、あいつも明日からは無敗の英雄じゃない。このハーツクライに負けたんだからな」
「そう、そうね。楽になったでしょうね」
本当にそう思う。無敗というのは、楽ではない。期待は時には重りとなる。
「俺が言ってるのはお前のことでもあるぞ、ベル。お前はもう無敵のターフの女王なんかじゃない。なにせ、俺に負けたんだからな。」
「そうね……」
約束を破ってしまった。
私は彼の代わりに女王になると決めたのに。
期待も嫉妬も全て請け負うと決めたのに。
「俺は、お前のことをよく知ってる。流石にカメハメハよりは知ってないがな」
「え?」
「お前は体が弱い。全力で走ると熱が出るし脚も弱い。歩行に違和感があることはよくあること。」
なんで、知ってるの……?
「そのぶん、走ることに何よりも喜びを見出だす……本当に、楽しそうに走る女だった」
まるで見てきたかのように話すハーツ。
確かに、私にとって芝で目一杯走ることは人生の歓びであった。
カメハメハくんと二頭で競いあったものだ。
「お前は誰よりも速いが、そんな顔をして走るような奴じゃない。誰かのために走って、苦しむようなお前は見たくない。」
「俺が惚れたのは、誰よりも速く無邪気に芝を駆け回るお前だ。……お前に、玉座なんか似合わねえよ」
パリン、と音をたてて壊れていく。
それは私の覚悟か、プライドか。
私にとって、カメハメハくんは唯一の理解者だった。
大好きなのだ、本当に、本当に。
彼の言葉を大切にしたかった、約束は守ろうと思った。
私に追い付けたのは、カメハメハくんだけだった。
でもひどいことに、ハーツは私に追い付いて、私が必死に負けるまいと掴んでいた玉座を離そうとしている。
あぁ本当にひどい……ひどい馬だ。
肩の荷がようやく降りて、解放感を感じる自分にうんざりする。
負けるのは嫌だ。
それは変わらない。
でも、誰かのために走って苦しむのは、もうやめる。
ごめんねカメハメハくん。私ね……
貴方ともう一度だけ、走りたかったよ。
また会えるかな。許して貰えるかな。
よくやったって、誉めて貰えるかな?
それなら、これに勝る喜びはない。
新しい私を見逃さないでね、皆。
どうか私の走りが、皆の記憶に残るように。
ハイペース名人のベルが無茶苦茶動揺したのでペースはいつも(レコード出るくらいハイペース)より遅め(それでもハイペース気味)
理解ある彼くんがカメハメハ、ベルにクリティカルな言動をしまくるのがハーツ。
ベル「(待って、惚れた……さっき惚れたって言わなかった???気のせい???え??)」