夜の暗がりの中二人の旅人が寄り添いながら焚火を眺める。
「明日には街に付くのね……」
グイーネが少し不安そうに口を開く。二人が生まれたボヘロスの街はもう目と鼻の先である。
「怖い?」ブルーが聞く。
「少しね……」
「辛いなら、君は先に小国群に戻ればいい」
ブルーにとってもボヘロスという母国はいい思い出ばかりではない。グイーネにいたってはもっと酷い記憶がたくさんある。近づくに連れて不安の大きさも増していった。
「大丈夫……あなたがいるから……」
そう言って体を預ける。少し震える体をブルーが優しく抱きしめる。それだけでグイーネの心は穏やかさを取り戻す。
しばらくそうした後ブルーが尋ねた。
「……記憶……戻った?」
「ううん……でも……街に入ればもしかしたら……」
グイーネの記憶の一部は相変わらず抜け落ちたままだった。
「思い出さなくてもいいんじゃないかな」
グイーネの言葉を否定するようにブルーが言う。
「なにも全部思いだす必要なんてない。あの時代の記憶なんて、きっと辛いもののはずさ……だからさ……思い出さなくてもいいだろ」
抱きしめる腕に力がこもる。いつの間にか震えているのはグイーネではなくブルーのほうになっていた。本当にグイーネの記憶が戻るのを恐れているかのような態度である。
彼は本当は全て知っているのではないかとグイーネは思った。しかし言葉が出ない。『あなたは何か知っているの?』その言葉を出すことが出来ない。知ってしまうとすべてが致命的に終わってしまうという確信だけはあった。
二人とももう口を開かない。体温だけを感じる静かな夜になった。
ボヘロスの王都。グイーネとブルーの生まれ故郷であり、かつて魔族が現れ根城としていた国だ。魔族との戦争でも最も激しい戦いとなった場所であり、今でもその傷跡は随所に見られる。整備されず廃墟になったままの地区も多くあり、かつての活気を取り戻したとは言い難い。国民たちはなんとかそれでも国を立て直そうと努力してきたが、最近の騒ぎでそれも遅々として進みはしない。誰もが混乱しているというのが現状であった。
いまだ整備もなされていない地区を二人が進む。今のボヘロスで人目のある場所は避けたかった。人があまり寄り付かない瓦礫だらけの街は都合が良かった。
しばらく歩いていた二人は足を止める。いつの間にか見知った通りに出ていた。通りからあたりを眺める。あるのは壊れた建物だけであった。
「家……残ってなかったかやっぱり」
「……そうね……」
「もしかしてなんて思ったりもしたんだけどさ……」
ブルーのかつて家はもう残っていなかった。あれほど大きな戦争があったのだ、当たり前の話ではある。
「君の家は……」
「見にいかなくてもいいわ……同じでしょうから……」
「そうか……」
「うん……」
「……少し休もうか」
少しの言葉を交わし、二人は自然と瓦礫に腰をかける。かつての景色は残っていなくても、ここは彼女たちが過ごした街であるのに違いはない。過去に浸りたい気持ちもあった。
「ずっと平和な世界が続いてたら……どうなってたのかしら……」
過去を思い出し、あり得なかった日々に思いを馳せる。
「今でもここに街があって……みんな楽しく過ごしてたかもね」
「……あなたは学者?」
「だといいけど……どうだったんだろう?……君はすごいトレジャーハンターにでもなってかのかな?」
「そんな風なこと夢見てたけど……それもわからないわ……もしかしたら……」
言葉を出しかけたあとグイーネは少し笑う。
「もしかしたら……なにさ?」
「もしかしたら、二人でパンを焼いてたかも……なんてどうかしら」
「……うん……いいなそれ」
そうして二人で笑いながら、あり得なかった未来の話を語り合った。その世界は皆がいて平和で幸福であった。そんな架空の話を二人は長く続けた。いつまでもこの時が終わってほしくない。二人ともそういう気持ちだった。
日も落ちかけたころ、二人はやっと歩みを進める。
「ボヘロス城の内部に入れる隠し通路があるんだ」ブルーが唐突にそのようなことを言い、城の中に入ることになった。
言葉通り、ブルーはボヘロスの隠し通路について熟知していた。
「どうしてこんな道知ってたの?」
「その昔誰かから聞いただけさ」
グイーネの質問に対して、ブルーは雑に返す。不自然さを隠すことすらもうする気はなさそうだった。それに対して、グイーネは何も言わない。沈黙の中二人は歩みを進める。
しばらく歩いた後、ブルーが口を開いた。
「僕はさ……二人で旅をして楽しかったよ」
その言葉にグイーネはなにも返さない。ブルーは独り言のように言葉を続ける。
「君に会えて本当に嬉しかったんだ。君が今も生きてるとわかってさ……本当に……本当に嬉しかったんだ。それで二人で旅をして、いろんな場所を巡って、いろんなものも食べて……愛し合って……きっと人生で一番いい時間を僕は過ごせた」
グイーネは相変わらず何も返さない。言いたいことはたくさんあった。しかし言葉に出せない。
「だから……今までありがとうグイーネ」
その言葉にもグイーネは返答しない。ただ、目の前の男がこれで終わりにしようとしていることだけははっきりとわかった。
通路を抜けた先はボヘロス城の中心であった。部屋の中央には誰も座っていない玉座が見える。他に人は誰も居ない。もしかしたら誰一人この城にはいないのではないかと思える静けさだ。
グイーネは部屋の入口で歩みを止める。ブルーはそのまま進み、玉座へと上がる階段の前で向き直った。二人が対峙する。
ブルーは大きく息を吸い、真剣な表情で言った。
「僕がボヘロスの使徒……最後の魔族だ」
グイーネは目を伏せて顔を上げない。予想は出来ていた。ただでさえ、ブルーは不自然な言動が多かったというのに、彼と自分が行動を始めたタイミングで『ボヘロスの使徒』という存在は姿をくらましたというのだ。子供が考えたって答えにたどり着ける。
それでも、グイーネはいまのこの瞬間になってもそのことを受け入れられない。
「……そんなの嘘……」
「嘘じゃない」
「あなたが魔族なわけがない……」
「君の紋章に聞けばいい。魔族が相手なら反応するんだろ?」
言われなくてもわかっていた。紋章を通して、今は目の前の男が魔族であるということがはっきりとわかる。隣にいたときには何も感じなかったのに、対峙してしまうとあっさりとそのことが理解できてしまった。
「……どうしろっていうの……私に……」
グイーネは顔を伏せたまま尋ねる。
「君の役目はボヘロスの使徒の正体を調べることだったんだろ。仕事が終わったならゲオルイースのもとに戻ればいい」
「あなたはどうするの?」
「どうもしない。僕はここでボヘロスの新たな王を待つだけさ」
「……そうしてあの子と一緒にボヘロスを守っていくの?」
グイーネはブルーの言葉を自分の都合のいいように解釈して返す。その言葉にブルーは少し困ったように笑う。
「僕は戦争を起こした張本人だ。許されるわけないだろ」
「それは……奴隷制だったりのことがあって理由が……」
「仮にどんな理由があろうが関係ない。死ぬべきだ」
「そんなことないわ!……ちゃんと理由を話せば……」
「僕は誰に語る気もないし。許される気もない」
「お願いよ……一緒に生きてよ……なんで……なんでそんなことを言うの……」
グイーネは泣いている。子供みたいに泣きながらいまの現実を拒絶している。不安を隠すこともなく言葉を選ぶグイーネがブルーは愛おしかった。まだ一緒に居たいと心から願った。しかし、未来はもう決まっているのだ。今更変えることなど出来はしない。
「僕が最後の魔族だ……魔族はすべて消えなきゃいけない。そうだろ?」
魔族は絶滅しなければならない。それがこの世界の決まりなのだ。
そうしてしばらく時間が流れた。ブルーは黙ってうつむいたままのグイーネを見つめている。
「なんであんな戦争を?」
グイーネが口を開く。先ほどのように怯えているような口調ではない。随分落ち着いていた。
「答える気はない」ブルーが返す。
「ボヘロスをどうしたかったの?」
「答える気はない」
「どうして魔族に?」
「答える気はない」
ブルーは何一つグイーネに教える気はないという態度であった。グイーネはその態度を見てまた少し黙る。そうして一呼吸してまた一つだけ質問した。
「……これまでの旅のあなた……あれは全部嘘?魔族が私を騙すためにしたこと?」
本当に聞きたかったのはこれだけだったのかもしれない。
「それだけは全部本当だ。僕は心から君を愛してる」
そう答えてくれるだろうとグイーネは思っていた。魔族が罠にかけるつもりならいくらでもチャンスはあった。それこそ殺すことも手籠めにすることだって簡単だったはずだ。それなのに彼は自分と対峙している。目の前の男はやはり自分が知っているバカ真面目な恋人であった。
「……ならいいわ……」
そう言ってグイーネはナイフを懐から取り出す。
「あなたがどう言おうと関係ない。力づくでも一緒に来てもらう」
「それは……少し困るな……」
ブルーも剣を構えながら応じる。彼にとってはあまりいい状況とは言えなかった。自分を制圧しようとするグイーネは難敵に間違いなかった。神経を尖らせて両手で一振りの剣を構える。格上の相手に自分の下手な二刀流をする気はなかった。
「あなたに私は倒せない」
グイーネはそう言いながら無造作に間合いを詰める。
「勝負に絶対はないさ」
その言葉を聞いてグイーネはおかしそうに笑う。
「そういう意味じゃないわ」
笑いながらそう語り、ブルーが構える剣の切っ先に向かってグイーネは真っすぐ歩みを進める。グイーネはただ単純にまっすぐ進み、それに合わせてブルーの剣はどんどん後ろに引かれていく。ブルーはグイーネの言葉の意味を理解した。
「あなたは私を傷つけられない。優しいんだもの」
グイーネはそう言ってブルーの顔をさする。二人はもう抱きしめられるような距離にいる。
ブルーの剣はいつのまにか地面を向いていた。グイーネの言った通りだった。戦わなければいけない相手をブルーは傷つけることができない。端から勝負ですらなかった。
「でも私はあなたを傷つけられる。あなたと一緒に生きるためなら」
グイーネの拳がブルーの顎をとらえる。ブルーの体は少しも耐えることなく崩れ落ちた。
ブルーは倒れ込んだまま上を向いている。視線の先にはしゃがみ込んだグイーネの姿があった。
「ちゃんと説明して。それからどうするべきか考えましょう」
グイーネは微笑みながら語る。
「あなたの身体が魔族だとしても。ちゃんと事情を説明すればきっとゲオルイースはわかってくれる」
「……彼女がわかってくれても世界が許さないさ」
魔族とは世界の敵そのものなのだ。許されるはずもない。
「……じゃあ、その時は私と二人で逃げましょう。世界中があなたの敵だとしても、私は一緒にいてあげる」
いつかブルーが言った言葉をグイーネは返す。いまだ未来に希望を描く彼女の笑顔は美しかった。
それを見たブルーは苦笑いだ。なにもかも捨てて逃げ出したい思いに駆られる。その心がいまは恨めしいと感じた。
「……このままだと、きっと僕は逃げ出してしまうんだと思う。君の手を引いてどこまでも逃げて……」
「それでいいじゃない」
「……それだけは駄目なんだ」
逃げ出すことだけは許されなかった。それをしてしまうと全てが台無しになる。未来はもう決まっているのだから。
「だからさ……本当のことを話すよ……」
どれだけ意地を張って拒否しようと、ここまで来てしまった時点で話さなければならないことはわかっていた。話さなければ彼女を止めることはできない。それが世界の流れであることも理解していた。自分がいまここにいるのも、この役目を果たすためだったという気さえする。それでもブルーはこのことを語りたくはなかった。
「僕の話を聞いたら、たぶん君は全て思い出す……」
「……私の記憶に関係あるの?」
「……そうだ……」
「なら、なおさら話してもらわないと困る」
「……でも僕は話したくなかった……」
「……辛い記憶だから?」
「……辛い……とても辛い記憶だ……」
「大丈夫。あなたの言葉なら、どんな辛い記憶だって耐えて見せる」
そう言ってグイーネは笑う。自分が全て知ることができれば、どれだけ困難であろうと未来を勝ち取ってみせる。そんな気持ちだったのかもしれない。
対して、ブルーは相変わらず暗い表情のままだ。彼はグイーネが耐えることができるなんて微塵も思っていなかった。
「僕は……絶対に君の味方だ……世界中の全てから恨まれたって、僕だけは君の味方でいてみせる」
ブルーは体を起こしグイーネを抱きしめる。絶対に離さないとでも言いたいような強い力だった。そうして、そのまま終わりの言葉を口にした。
「聖女ボヘロスの正体は魔族デスポリュカだ。そして……それを打倒したのは君だ」
グイーネの目が見開かれる。
彼女はそれだけの言葉ですべてを思い出すことができた。そしてその記憶は、とても耐えられるものではなかった。