私は、あの日以来、悪夢の性質を変えてみた。
「……いやだ……やめて……もう汚さないで……」
グイーネは魔族のようなものにあらゆる方法で凌辱されている。あの時の記憶の再現だ。私だってみたくないのだ。でも、誰かに愛されようなんて馬鹿なことを考えてる彼女が悪い。こうでもしなきゃ、自分が人に愛される資格なんてないことを忘れてしまう。そんなことしなきゃわからないんだから、やはり恥知らずだ。八つ当たりのように、汚されているのは魔族のせいなんて勘違いをしないかは心配ではある。
それもこれも、私の声を止めているあれが悪い。彼女のことを本当に考えるなら。私の声に耳を傾けるべきだ。
グイーネの目が覚める。相変わらず悪夢は続く。最近見ている内容は、なお更に堪える。
「はいこれ」
今日もブルーが水を用意して待ってくれている。
うなされるグイーネの身を案じて、毎日こうしてくれていた。
「…………うん、ありがとう……」
悪夢の後には必ず彼が待ってくれている。その気持ち一つで、グイーネは毎日の悪夢に耐えることができた。
窓の外には海が広がる。その長い船旅も、今日でひと段落だ。
「これでやっと半分かぁ……」
「半分はもう過ぎてる、パーシアスからレイスはもっと少ない距離だ」
「気持ちの問題よ、そういうのは……しかし……パーシアスも楽しみねぇ。あれだけの宗教都市ならさぞいい名品たちがあるはずだわ」
「無駄使いする金はないからな」
「わかってるわ。プラナのほうが本命ですもん」
「…………わざと言ってるだろ君」
「ふふふ……どうかしら?」
他愛ものない会話が続く。この船旅はずっとこのような感じだ。3等客室の狭い船室に、美味しくない保存食。快適な旅とは言えなかった。
それでも、二人は笑っている。二人で喋って、海を眺めて、たまに食事に文句を言って、穏やかな時間を過ごす。心が休まるような良い旅であった。
聖地パーシアス。大陸に多数の信者を抱える聖鈴協会の聖地。現在は知の賢者がこの地を収めている。本来ならば、10年ごとに別のものに変わるはずだったのだが、魔族との戦争などもあり、現在その仕組みは機能していない。
知の賢者は、魔族との戦争時もこの地にとどまり信者たちに神託を授け、人類を鼓舞し続けた偉大な聖職者とされている。その知の賢者は現在病に伏せている。最後に表に出て授けた神託は「私は世界の平和だけを望む」というものであった。識者たちの間では遺言として認識されている。
知の賢者が危篤という情報もあり、パーシアスは人で溢れかえっていた。多くはその内容に悲しむものたちであるが、中にはお祭り感覚でこの地に来ているものも見受けられる。それに合わせて出店などもあり、一大観光地という側面も垣間見えた。
「流石にすごい数の人ね……」
「…………知の賢者が危篤らしいからね」
その中を二人の旅人がはぐれないように間を詰めて歩く。
次の目的地であるレイスに向けての船はしばらく出ない。そのため、このように観光する時間も作れた。
「しかし……酷いぼったくり価格ねここ……」
グイーネは出店や土産屋の値札を見て愚痴る。あからさまに観光地価格というやつであった。
「なにかいい名品はあったかい?」
「あったとしてもここじゃ、バカみたいな値段になってるわ。きっと」
「ならよかった、無駄使いはしなくて済みそうだね」
「私は無駄使いなんてしないわよ?必要なものだけだもん」
自慢そうにグイーネは口にする。
「……そうかもしれないな」
ブルーはそう返して、懐に入れている指輪の感触を確かめた。その姿をグイーネは不思議そうに見つめる。
「どうした?」ブルーが聞く。
「いや……あれ買っただろって説教で返されると思ってたから、少し驚いた」
「……必要経費なんだろ?」
「そうだけど……ちょっと、あなたなにか企んでない?」
「そんなことないよ」
ブルーはぎこちなく笑った。
会話をしたまま二人は観光地を進む。買う物はなくても、観光地として見るべきものはたくさんあった。聖地と呼ばれるだけのことはあり、由緒ある建物が多く並んでいる。グイーネは興味深そうにそれらを眺めている。このようなものに対しても、彼女は造詣が深かった。
ブルーもそれに続いて歩く。建物になんて興味はなかったが、楽しそうに見物するグイーネを眺めるだけで充分であった。
しばらく歩いていると、グイーネは立ち止まり小声で話しかける。
「……ちょっと、あれ見て」
声量に合わせてブルーも近く寄る。
「どうした?」
「あの神殿のほうを眺めている人。ものすごく美人。まるでお人形みたい」
ブルーもグイーネが示したほうを見る。
透明な肌、動かない表情、純白の衣装、本当に人形のような人がそこにはいた。
「……全然動かないし……もしかしたら本当にお人形かしら……」
グイーネは言葉を続けるが、ブルーからの返答はない。
「ブルー?」
人形のような人から、ブルーの方に目を移す。
そこには、名前と同じように真っ青な顔になったブルーがいた。
ブルーはグイーネの手を取り、急に駆け出した。
人込みの中を、手をつないだふたりが走る。
「どうしたのよ急に!」
手を引かれているグイーネは困惑していた。
「いいから走ってくれ!頼むよ!」
ブルーはそう言いながら歩みを進める。見るからに気が動転していた。
パーシアスの街は人で溢れている。思うように前へと進めない。なんとか人込みをかき分けて前へと進んでいく。とにかくさきほどの場所から遠ざかりたかった。あの人形に見つかるようなことだけは避けたいと走る。
しかし、その願いは叶わない。
「どこに行かれるのですか?」
近くから声が聞こえる。その声にブルーは固まる
横に顔をやると、人形みたいな女が微笑んでいた。作られた表情は、美しさを通り越して不気味である。
「少しお話しませんか?」
その言葉を断る権利は彼にはなかった。
パーシアスの路地裏。ブルーとグイーネ、そして人形のような女がいる。たくさんの人で賑わう表通りと違い、ここに他の人間の気配はない。女は純白のドレスに身を包み、生気のない瞳をしている。人形のように冷たく美しかった。
「あなた……ボヘロスにいるはずじゃないの」
「色々あってね……今向かってる……レイスにいって南下する予定」
「そちらのお嬢さんは?」
「……小国群の人間だ」
「小国群……もしかして、ゲオルイースの部下?」
「そんなところだ」
「皇帝には伝えたの?」
「まだ、伝えてない。あなたが伝えればいい」
お話という空気ではなかった。どちらかと言うと尋問に近い。グイーネは後ろでなにも喋らない。下手に口を出せる状況でもなかった。
話の内容からして、帝国の手のものであることは間違いなかった。だとしたら、いまのブルーの立場は非常に危険だ。グイーネは明らかに人の理から外れたものであり、それを連れているブルーも言い訳のしようはなかった。
女は頭の中を見透かそうとするかのように、ブルーの表情を覗く。向けられている瞳は温かさのかけらもなく冷たい。本当に人形のようだった。
「どうしましょうか……私はいますごくあなたを疑っている」
「疑う必要はない。僕たちはボヘロスに向かい、けりを付ける」
「本当かしら?全てを投げ出して彼女と逃げ出したんじゃないの?」
「…………逃げ出すつもりならこんなところにいない」
「確かに。逃げるつもりなら帝国から遠ざかって南に行くでしょうから……でも、疑念が0ではないわ」
そう言って、女は懐からナイフを取り出す。
それに反応して、グイーネも自分の武器を手にかけようとしたが、ブルーが手で合図して静止させる。ここで戦うという選択肢をとるわけにはいかなかった。
「疑念が0じゃないならどうする」
「……そうね……あなたたちを始末して。私が代わりにボヘロスに向かう」
その言葉を聞き、ブルーは強い言葉で返した。
「ボヘロスは僕の国だ……僕が終わらせる。誰にも邪魔はさせない……いや……僕が諦めない限り誰にも邪魔出来やしない」
まる怒っているかのようであった。これほどまでに強い口調で話す姿は、彼にしては珍しかった。
「……その心が変わったんじゃないかと言っているの」
「変わるわけがない……そう、決まっている。あなたも知っているでしょう」
熱のこもった言葉に、しばらく女も考える。
「まぁ信じましょう。今更辞められるわけもないでしょうから」
口調も穏やかになったが、女の目は相変わらず冷たい。
「それで、そちらのお嬢さんは?」
「本当にゲオルイースの使いだ。全てが終わったら皇帝にも紹介するさ」
「……それも本当?」
「間違いなく本当だ。なにも隠すことなんてない」
「わかりました、皇帝にお会いする機会があったら私からも伝えておきましょう」
そうして、女はやっと武器を収めた。それを見たブルーとグイーネも少しだけ気を落ち着かせる。
「それで、あなたこそなんでここに居るんだ」
今度はブルーから問いかけた。
「知の賢者が危篤だそうですから生死の確認に」
「まだ、死んだわけじゃないだろ。危ないってだけで……」
「そのはずです。なので、ちゃんと死亡するか確認に来ただけです」
女は妙な言葉使いであった。人形のような姿をしたそれは心まで人形であるかのように見える。
もう用はないと言わないばかりに、女は立ち去ろうとする。「ちょっと待ってくれ」それをブルーが呼び止めた。
「皇帝に会う機会があったら、ついでに伝えてくれないか…………僕は再会して、確かめてみたって」
「なんですかそれは?」
「言えば伝わる……たぶんね……」
「そうですか」
興味もなさそうに女は返答する。そうして、冷たい態度のまま、女は表通りの人込みの中に消えていった。
気が抜けたブルーは、その場に座り込む。極度の緊張で体も震えていた。グイーネも側に寄りしゃがみ込む。
「……済まない……君の存在はこれでたぶん皇帝の知るところになった……」
隠そうとしてきたグイーネの存在は、皇帝の耳に届くことになった。詳細まで追及されなかったことについては運が良かったと言える。
「いいわ、全部が知れたわけじゃない。それにどうせ、いずれはなんとかしなきゃいけない問題だしね」
ゲオルイースは冗談抜きで世界の統一を目論んでいる。いずれ、帝国の皇帝と相対する時は王の紋章について語らなければならない。
「さっきの人は?」
「…………帝国の殺し屋?……的な感じの人」
「随分曖昧ね……あなたみたいに魔族を追っているの?」
「それもしてると思うけど……それ以外のこともたぶんしてる……全容は知らないよ、皇帝直轄だからねあっちは……」
皇帝ナージェジタの懐刀の一つに、人形のような女たちがいるという話は、一部のものには知られていた。魔族狩り以外にも、諜報活動や要人暗殺などもしているのではないかという噂もあるが、それを知っているのは皇帝ただ一人である。
「知り合いなんでしょ?」
「顔を知ってるだけさ……向こうからしたら見張る対象なのかも……」
グイーネの質問に、ブルーが曖昧に答える。なにかはぐらかされている気もした。いくつか気になることもあった。しかし、グイーネは追及しなかった。
二人は裏路地から表通りに出る。相変わらずの人込みでにぎやかだ。
「さぁ、行こう」
ブルーが手を伸ばす。グイーネもその手を受け取り、人込みに紛れていく。
先ほどの出来事が頭の隅に追いやられていく。まだ、見て回っていない名所もたくさんある、今日はまだ一緒にこの日を楽しみたかった。
深夜、誰もが寝静まったころ、ブルーは人気のない道を歩く。いつも一緒にいるグイーネはいない、一人の夜道だった。しばらく歩き回り、とある建物の裏手につく。聖地パーシアスの中でも最も神聖とされる神殿、その裏手にいた。そして、一つの窓を開けて、そのまま部屋に入る。本来ならば魔法による各種結界、防犯装置により何人たりとも寄せ付けないはずであった。それらは、全て沈黙したままでなんの機能も果たしていない。
中には一人の老人が安楽椅子に腰を掛けている。知の賢者と呼ばれる人間の形をしたものがそこにはいた。見るからに衰弱した体で酒を飲んでいる。死期を少しでも伸ばそうというものの振舞ではなかった。
「……そこから誰か入ってくるのも10年ぶりか……ずっと開けてんだけどなぁ……」
知の賢者は、賢者という立場にはふさわしくない言葉使いで喋る。
「僕も半信半疑だった。本当に開くなんて」
「へぇ……誰に聞いた?」
「その昔、ナージェジタ皇帝に」
「くっくっく……あの王子さまが教えたってことは……そうか、俺がちゃんと死ぬか確認しにきたってとこか。もし、元気にしてりゃ死んでもらうってか……心配しなくてもあと少しでくたばるよ、もう持ちやしねぇ」
知の賢者は笑いながら酒をあおる。
知の賢者の容体は、はたから見ても良くはないことはすぐにわかった。顔はやせこけ、体ももう骨しか残ってないように見える。
「そっちは……僕じゃない。別が来てるよ、人形みたいなお姉さん」
「なんだよ、じゃあお前は?」
「言いたいことがあっただけ」
「はぁ?」
意外な言葉に、改めて知の賢者はブルーのほうを見る。
「どこかで会ったか?」
「これでわかる?」
ブルーはいつもかぶっている青い帽子をかぶってみせた。
「あぁ……おまえ、ボヘロスの館の前でよくちょろちょろしてたガキか」
「当たり」
「なるほどねぇ……それで何を言いにきた?」
「……全部うまくやってみせる。ただそれだけ……」
「お前が?」
「……あぁ、僕がやる……」
「…………そうかい、色々あったんだな……」
「だから安心して眠ってほしい」
「……まぁ……冥土の土産にはいい話だな」
それだけの言葉を交わして、ブルーは出ていく。本当にこれを言うためだけに来た。
出る時、最後に声が聞こえた。
「デスポリュカのこと、頼んだぞ」
その言葉を聞いてブルーは神殿を後にした。戻る道中、涙があふれて止められなかった。
ブルーが宿から出ていくのを、グイーネは肌で感じ取る。毛布に包まったままだ。そこから、動こうとはしない。自分になにも言わず出ていくブルーが、なにかを隠していることは確かだ。彼女の腕前であれば、気づかれずに追跡することなど容易い。今からでも追いかけて、その現場を確認すべきである。なのに、彼女は動けなかった。
今日あの人形のような女と会話してからではない。かなり前からブルーの言葉に時々引っかかることがあった。そして今、自分の前から黙って消えている。動かなければいけなかった。動いて隠しているものを確かめなければならなかった。そう頭では理解していても、彼女は行動に移せない。
知ってしまいたくなかった。知ってしまうと、なにかが決定的に終わってしまう気がした。
(怖い……)
今のこの関係が崩れてしまうのが怖かった。
そうして、しばらくの時間がたった。もう、ブルーがどこに行ってしまったかはわからない、出来ることと言えば、戻ってきたときに話を聞くくらいだ。
(そのくらいはしないと……)
本当のことを話してくれるとは限らない、しかし何か少しでも情報がなければ、前に進めなかった。
そうして、グイーネはベッドから降りて帰りを待つ。待っている時間は気持ちが押しつぶされるようで、辛かった。
真っ暗な部屋に、ブルーが戻ってくる。
それを確認して、グイーネは手元のランタンに火を入れた。部屋が薄明るく照らされる。
「……起きてたんだ」
「……うん……どこ行ってたの」
「…………少し、夜風にあたりに」
ブルーは何も取り繕えないような言い訳をする。その顔は涙で濡れていた。
それを見て、グイーネは何も言えなくなった。聞かなければいけないはずだったのに、なにも尋ねられない。辛そうに涙を流すその姿に疑念の気持ちは萎えてしまった。
「…………お茶でも入れるね」
そう言って立ち上がる。
お茶を入れて戻ると、ブルーはベッドに腰かけふさぎ込んでいた。とても傷ついているように見える。
近くのテーブルにお茶を置く。二つのカップはどちらの手にも取られず、湯気を出し続けている。グイーネは寄り添うように、隣に座った。もう自分から、何も言いだす気はなかった。
「…………なにも聞かないんだな……」
「聞こうと思ったんだけど……やっぱりやめた……」
グイーネは、いつか魔法使いの少女が言っていたことを思い出す。『彼は自分に嘘をついている。でもそこに悪意はない』。占いなんかで出たそんな言葉が、今になって本気で信じられた。
きっとそれは優しさからくるものなのだ。だから、どんなに隠し事をされたって、この人を信じよう。そう思った。
「いつか……喋れる時が来たら……その時でいいわ……」
「…………永遠に語らないかもよ」
「なによそれ。意地悪」
そう言って少しだけ笑い合う。この話はこれで終わった。二人がそれでよいとした。
しばらくして、お茶に口を付ける。落ち着いたあとのお茶は少しぬるかった。
レイスへと向かう船が出る日、港では人形のような女が待っていた。
「お待ちしておりました」
その姿を見てブルーがため息をつく。また、会うことになるとは思っていなかった。
「なんの用だ」
関わるのも嫌だという態度で応える。
となりにいるグイーネは冷静に女のほうを観察している。なにかあったら、すぐに行動できるような態勢だ。先日のこともあり、多少の危機感はあった。
「あなたたちがレイスに向かうとのことでしたので、少しお使いを頼もうかと」
女は懐から封筒を差し出す。
きっちりと蝋で封がされている。印は皇室のもの。皇帝直筆と思われるサインまでなされていた。
見るからに重要そうなものだとわかる。
「これをレイスにいる女性に届けてください。詳細はこちらのほうに」
一緒に簡単なメモが重ねられていた。
「……嫌だよ。あなたが自分で行けばいい」
「知の賢者がまだ亡くならないので、私は動けません」
「どうせそう長くないだろ。そのあと行けよ」
「もちろん、あとで向かいます。返信をもらわなければいけませんから」
「……ならそのとき渡せば」
「先に渡しておけば、私が行ったときにはすぐに返信がもらえます」
「あなたの都合じゃないか……」
ブルーはイラつくように言葉を返す。
「そうです、私の都合です。そしてあなたは断れるような立場ではない」
女はそう言って、手にあるものを押し付ける。確かに彼は断れる立場ではなかった。
「……それに、おそらくあなたはこのお使いをしたほうがいい」
「……は?」
女は妙なことを言う。ブルーには意味が通じていなかった。
「何が言いたいかはわからないが……もう行くよ。船も出るしね」
ブルーは受けとった封筒とメモを懐に仕舞い、船の方に歩き出す。
隣にいたグイーネもあとに続く。
「青帽子の少年」
しばらく進んだあとに女が呼ぶ。
意外な呼ばれ方をして、ブルーは驚いたように後ろを振り返った。
「最後に……良い旅を」
女はそう言って微笑んだ。人形のような女は、今までとは違う、優しい表情をしていた。
「……ありがとう。皇帝にもよろしく言っておいてくれ」
ブルーも笑顔で返した。本心からの感謝だった。
グイーネと共に今度こそ船へと向かう。その姿を人形のような女は最後まで見送っていた。
「あの人、あんな顔できるのね」
船の上から、二人はパーシアスの方向を眺めている。向こうの陸地はもう小さく見えた。
「僕も初めて見た」
ブルーからしても、あの女性があれほど優しい表情を向けてくれるのは初めての経験だった。
「数日間覗いてたし、情でも移ったのかしら」
「……数日?」
「パーシアスにいる間、時々つけられてたわよ」
ブルーは面食らっていた。グイーネはその姿を見ておかしそうにしている。
ブルーだって一通りの訓練を行い、その手のものへの注意は常にはらっている。彼はそれなりに優秀だ。しかし、人形のような女性は優秀な程度では気づけないほどの水準だった。ブルーが尾行に気付くことは最後までなかった。
グイーネは違う。彼女は自称する通り超一流であった。最初から最後まで尾行されていることに気づいてはいたが、ただそれを放置していただけだ。
「……聞いてないぞ?」
「言ってないもの」
「気づいてたなら、教えてくれたっていいだろ」
「だって、教えてたらあなた、こんな風にはしてくれないでしょ」
そう言ってグイーネはブルーのほうに寄りかかる。
ブルーは自然に後ろに手を回し、肩を抱き寄せる。パーシアスでも時々していた風景だ。
マキシマスを出た直後に比べたら、グイーネは甘えるのが上手くなっていた。
「……見られてたのか」
「恥ずかしい?」
「……そりゃな」
「……私もちょっと恥ずかしかった」
今になって羞恥心がきたのか、グイーネは顔を赤くしている。
「自分からしといて君……」
「いいでしょ……別に……」
少し拗ねるような態度ではあるが、上機嫌な声色だった。
「恥ずかしかったけど……まぁ悪くはなかった」
ブルーは満更でもないようにそう言う。少なくともこの光景には満足していた。
「なによそれ」
グイーネは静かに笑う。
二人で寄り添って、海を眺める。目の前にもう空と海しかない。まるで世界に二人しかいないように感じた。幸福な時間であった。
私は今日もグイーネに悪夢を見せる。痛めつけることも、汚すことも繰り返し行うが、彼女は最近だんだんと引きずらなくなってきた。よっぽど現実が幸せらしい。腹が立つ。
それもこれも彼が悪い。なぜこんなにも彼女に優しくするのだろう。なにも知らないわけじゃないことは私にはわかった。彼女はなにも察せれないのだろうが、私にはわかる。
ならば、彼女が優しくされるべきではないなんてことはわかるはずだ。もう止めてほしい。全て理解しているならさっさとこの女の首を絞めて殺してしまってほしい。それが一番マシな終わりのはずだ。