1話「半魔(前編)」
この世界には『魔物』がいる。
超能力者、吸血鬼、天使、悪魔、獣人、ロボット……
絶大な
その中に人と魔の狭間で揺らぐ
閑静な住宅街が広がる、東京は豊島区目白。
朝、通勤のために出入りする会社員で駅前は人が多くなる。そして、その中には学生の姿もそこそこあった。彼らはこの地にある学校へ通学している。
私立月影高校。
通称ツキ高と呼ばれるこの学校はリベラルな校風であり、良く言えば自由、悪く言えばデタラメな生徒が多いことで有名であった。
そんな学校だが、朝はどこの学校とも同じく登下校する生徒で賑わう。
三年二組の教室。そこはいつもよりも生徒たちが賑わいを見せていた。
「ねぇ聞いた?」
「なに?」
「さっき職員室で先生が言ってたのよ! うちのクラスに転校生だって!」
「マジ?
「オイ!」
「あっ」
ある男子生徒の不用意な発言で賑わいは静まり返った。
生徒たちの視線がおそるおそるある方向へ向く。
窓際の机。机に肘をつく生徒が一人。
少しハネた黒髪が朝日に照らされている。
そしてその目はギロリと周囲を見渡した。
「……」
昨年の冬、この学校に転入してきた生徒である。
(相変わらず居心地悪いな……)
彼はクラスに馴染めていなかった。
訳あってこの地に流れてきたのだが、最初の自己紹介に始まり、気に入らないと目をつけてきた不良生徒を
そして現在は一匹狼の誰とも関わらないつまらない生活。
別に好き好んで学校に通っているわけではない。ただ、彼が『それっぽく』生きるには高校生という身分が一番適していたのだ。
(帰りてぇ……。でも帰ったところでな……)
退屈を感じると同時に、ディルはついた肘を崩して頭を腕の中にうずめる。まるで冬眠に入った動物のように。
そして、『不良』生徒の顔が見えなくなったことで、他の生徒も次第に話を再開していく。
だが、賑わいが元に戻りかけたところでチャイムが鳴った。同時にドアが開き、クラス担任の教師が入ってくる。
「ホームルーム始めるよ」
声が聞こえた生徒たちはそれぞれの席に座っていく。
着席完了。そのタイミングで教師は口を動かす。
「もう話が広がってると思うけど、今日から一人転入してくる子がいるんだ」
「
「それは本人に聞いた方が早いと思うよ。入って」
生徒のヤジを軽く流した教師・春ノ戸の声でドアが再び開く。入ってきたのは
しゃんとして胸を張った佇まいが二つの丘を制服の上から主張させていた。そして二つに結んだツーサイドアップの紅髪とぱっちりとした目。
優しげな表情と美貌に教室の生徒たちは盛り上がる。
そんな喧騒の中でも、ディルは大きな欠伸をしていた。
(どーでもいいな……)
興味なさげに窓の外をぼーっと見ていた。が、ふと教室内の様子がガラスに反射して目に入ってくる。綺麗な発色の紅髪が。
「初めまして。
それまで気怠げだったディルの目が見開いた。
脳裏に一瞬映るシルエット。かつて出会った、とある女の素顔が湧き立つ。
(似ている────)
「じゃあまた明日ね」
放課後。
転入生……流蘭院恵那はクラスメイトたちに挨拶をしては別の道を歩いていく。
……その後ろを、黒装ディルは追っていた。電柱の影を伝いながら。
日中、ディルは話しかけることができなかった。当然だろう。
クラスに入ってきた転入生。一目見ただけで容姿端麗だと分かる美少女、そこらの庶民とは違う育ちの良さを感じさせる佇まい。クラスメイトたちが気にならないはずがなかった。
休み時間になれば、あっという間に人だかりができ壁となるのだ。いくらディルが彼女の席のちょうど前とはいえ、そこを無理やり掻き分けるのはあまりにもハードルが高い。
そもそも、人ごみの中でさらに悪目立ちする行為を彼はしたくなかった。
それゆえに、今こうして帰路を
(あいつ……)
フラッシュバックする過去の記憶。脳裏に浮かぶ仮面をつけた女。仮面の下に一瞬だけ見えた素顔の一端。強く記憶に残った
東京に流れ着いた頃に出会ったその女を、ディルは探していた。
ある理由により、彼女がいなければ今頃彼はこの場所にはいなかっただろう。それどころかこの世にすら。
今追いかけている転入生は、髪の色こそ同じだが、目元の雰囲気は全く違う。
仮面の女は鋭さを感じさせる目尻だったが、転入生は少し垂れたような丸い目。
とはいえ、同一人物でなくても関係者の可能性がある。ディルはどんな形でも、些細な物でも、手がかりを欲していた。
……そもそも彼女は全く関係ないかもしれない。だが、それでも退屈な日常に舞い込んできた手がかりだ。何も得られなくても退屈をしのげるという価値はある。
「知ってる? 裏通りの通り魔の話……」
「怖いわよねー」
商店街で世間話をする主婦たち、その頭上のアーケードを影が走る。
「ヘイ! おねーさんたち、今やってるオープンバー、興味ない?」
軽薄そうなホストが女性をナンパする。夕日で伸びる影のところどころは人のそれではない。
しかし人々は気づかない。この大都会……ツキ高のある目白、ひいてはそのすぐそばの池袋が『夜の側』にとって象徴の地であることに。
大通りを歩き……
小道に入っていき……
脇にある室外機やゴミ箱の影を縫い、一人の少女の道行きをついていく。
(しっかしこんな裏路地に入ってくなんてあぶねーぞ……)
後をつけていたディルだったが、その歩みに不安を感じ始めていた。
休み時間に聞こえてきた転入生とクラスメイトたちの会話を思い出す。彼女、流蘭院恵那は帰国子女というものらしく、この地は不慣れだと。
そんな人間がこの『池袋』で暗がりに入ることの危険性。それを黒装ディルはよく知っていた。
頼むから表通りに出てくれと不安視していた中、ふと恵那が立ち止まる。
(止まった……?)
様子を伺うべきか。それとも話しかけにいく好機か。
頭に選択肢が浮かんで思考モードに入ろうとした時だった。
恵那がディルの隠れているドラム缶へ振り向く。
「ストーキングはよくないんじゃないかしら? ……黒装クン♪」
沈黙。
そして二、三秒のラグが発生してからディルの警戒アラートが脳内に鳴り響いた。
(気づかれた────!?)
動揺はするも、ディルはそれを表情に出さないようにゆっくりドラム缶の後ろから体を出す。
「いつから気づいてたんだ……?」
「商店街を抜けた辺りからかしら。ストーキングって案外バレてるものよ? もしかして一目惚れ?」
調子を崩されるような言葉にディルはがくっと体のバランスを崩す。
「ちげーよ!! あんたに聞きたいことがあ…」
ふと、ディルは違和感に気づく。
何者かに見られている感覚。ただの路地裏のはずなのに、自分たち以外誰も来ないだろうという悪寒のする空気。
(まさかこの辺りは……!)
「ふーん……もしかして……」
この異様な空気にもかかわらず、ニコニコとした表情の恵那。無理もない。この悪寒は『人間』に感知できないからだ。
ディルは周囲一帯に視線を回す。左、右、続いて路地裏の上方へと。
ギラリと光る光沢。
瞬間、体が動く。
(
口より先に手が出る、という言葉がある。ディルの場合はこれがいい意味で働いた。
「あぶねぇっ!!」
少年が地面を蹴って前に跳んだかと思うと、眼前にいた少女をあっという間に抱きとめる。
その勢いのまま、地面に転がり伏せる。受け身を取る中、ディルは
先ほどまで恵那のいた場所を、靴のサイズほどあろうかという爪が切り裂く。
「……!」
足で滑るように着地。体が擦れないようにする程度の気遣いは間に合った。
「大丈夫か?」
「え、えぇ……」
ディルの機転のおかげで恵那はかすり傷すら付いていない。
しかし、その目線が前を向いたことで襲撃犯の姿が目に映ってしまった。
「…………!」
路地の暗闇に見えた眼光が少年少女の方へ向く。
「ちっ! 逃したか!」
降り立ったのは、人よりも一回り大きな怪物。
隆起してるであろう全身の筋肉を覆う毛皮。四肢の先から強く主張している鉤爪。
それが人間ではないことはすぐ分かった。すなわち……
「化物……」
恵那が呟く。
『人狼』。
狼男、ウェアウルフなど、多くの伝承で語り継がれる獣人の『魔物』。
特徴は色々あれど、一つ言えるのは「人を襲う」ということ。
そして、人間の力では魔物に……勝てない。
ディルの首筋を一筋の汗が垂れる。
これが人間のチンピラであるなら話は簡単だっただろう。自分が適当に時間を稼いで転入生を逃がせばいい。多少の被害はあるかもしれないが転入生は無事に帰れる。
しかし今、対峙しているのは『人間』ではなく『魔物』。
「まぁいい。久々の獲物だぁ、いい悲鳴を聞かせてくれよぉ!」
「くっ!!」
時間を稼ぐ? そんな余裕はない。怪我どころではない。人間なら間違いなく『死』が待っている。そしてその牙は転入生にも向かうだろう。
そして相手の能力が分からない以上、別々に行動するのが最も危険だろう。そう、ディルは読んだ。
ならばと、ディルは恵那をかかえて即座に後方へ駆け出す。不良相手に喧嘩できる身体能力が防衛本能を発揮し始める。
「ねぇ……あれ……何……」
「ただの化け物だ!
震える恵那にその場凌ぎのフォローを入れて走る。
この『アレナ』から抜け出して大通りに出れば、ひとまずは安心できるはずだからだ。
『アレナ』とは、魔物が作り出す小規模の結界。結界内の出来事は外から認識されない。いわば、魔物が正体を隠すための力。
外に出れば、通常通り人の目は入ってくるようになる。そうなれば中で起こった事の記憶もぼんやりとし、忘れていく。
走る……
走れば出口が……
しかし、大通りへの光は迫れど迫れど大きくなる様子を見せない。
ここでディルは違和感に気づく。
(……いや違う! この『アレナ』はどこまでも続いている!?)
人狼『ウェアエバー』
迷い込んだ獲物をどこまでも続くアレナ……その上位空間とも言える『ナワバリ』で疲弊させて喰らう魔物。迷宮の都市伝説の力をもつハイブリッドだ。
ディルの読みは悪い方向に当たっていた。
恵那だけを走らせていたなら、彼女はこのウェアエバーのナワバリで迷うことになっていただろう。
そして、恵那を抱えながら走り、それに気づけたのは運が良かったのかもしれない。
建物と建物の間、角から光が反射した。目線がそちらに引き寄せられる。
刹那、真横から別の人狼の牙が飛び出す。
「もう一体!?」
ディルはかろうじて身をかがめた。
目線が角に注目してなければ気づかなかっただろう。幾重の牙が嵌まる音と共に、牙は空を噛む。
だが走る勢いを殺すことはできず、ディルは体勢を崩し恵那を抱えたまま転んでしまう。
「クククッ……俺たちのナワバリからは逃げられねぇよ」
一匹目の人狼も追いつく。
並ぶ人狼。逆光のシルエットが地にへばりつく少年の視界に入ってくる。
「さて、どっちから喰うか」
「まずはどっちとも足を砕いちまおうぜ」
「そうだな。逃げられなくしてから……」
牙をちらつかせる。まるで逃がさないと主張せんばかりに。
「動けない片っぽの横で内臓を貪る!」
「いいねぇ!
嗤う人狼たち。
それを聞いたディルの頭の中で、ある記憶がフラッシュバックする。
自分を守るために死んだ人。
間に合わなくて死んだ人。
何もしてあげられなかった人。
ちらっと恵那の顔を見る。
不安に駆られた表情。無理もない。こんな怪物を見て、何もないように取り繕う方が難しいだろう。その場で発狂しない分、ディルにとってはマシだった。
(おそらく、逃げたところで出口は開かない。こいつらをどうにかしなければこの『ナワバリ』からは解放されないんだろーな……)
ぎゅっと拳を握り締める。
「……やるしかねぇか」
半分諦めにも似た決意。
「……?」
「少し、下がってな」
ディルが何をするのか分からない恵那。しかし言われた通り、彼から少し後ろへと下がる。彼女からしても、顔を伺うことしかできないのだ。
ただ、彼女が見ているクラスメイトの目は、不自然なほど自信に満ちていた。
「決めた! まずはヤローの足からもぎ取っちまうぜぇ!!」
人狼の一体が足を動かした。スポーツ選手でも追いつけない人外のダッシュ。
あっという間にリーチに入った人狼の、鋭い爪が振りかざされる。
それが見えた瞬間、ディルは一歩前に踏み込んでいた。
硬い、金属音にも似た音が響く。
「な、何……!?」
驚愕する人狼。
何せ、ただの人間が片腕で爪を受け止めていたのだから。
普通の人間が人狼の膂力を受け止めきれるわけがない。仮に受け止めたとして、爪の鋭さに皮膚は耐えきれず、ずたずたに切り裂かれるはずだ。
そんな一瞬の思考に対して、明確な答えが目に映った。
切先と肌が接する面に黒光りする結晶。
ディルの肌から生えてきた
「グラビテイカー……オン!」
その言葉に反応するように、結晶が増殖し拡がり始める。
「……!」
ディルの身体を覆っていく結晶……もはや甲殻のように急成長した
重い鈍器のような衝撃。
眼前にいた人狼はその勢いに耐えることはできない。はじき飛ばされる。
「お前……まさか……『半魔』か!!」
後方から見ていた人狼が叫ぶ。
そして、その目に映る『半魔』は背中から黒い、まるで悪魔のような翼を広げる。
「さーてと……ぶっ飛ばす」
拳を握り締めた少年は不敵な笑みを浮かべた。
作中に出てくる『魔物』などの単語については、ウィキペディアとかでBBTの記事を読んで頂ければと思います。気が向いたら簡単な解説ぐらいは閑話で入れるかも。