Black Externa ─黒の極致─   作:サム・ソー川

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過去編だから時間が飛ぶのが多いです。ご了承を


18話「黒き装甲の子供たち(3)」

 

 

 一週間が経過した。

 この頃にはすでに多くの子供たちが『覚醒』を終えていた。ミントの覚醒を発端として『魔の因子(フェクテア・デザイア)』は共鳴、連動するように覚醒を引き起こした。

 なお、覚醒直後の発作や眩暈などはあれ、彼らは概ね良好な状態で過ごしていた。

 

 そして、最後に覚醒したのはカンナだった。元々あまり動かない子ではあったが、覚醒する際のざわめきにも動じる様子はない。そのため、保護者たるフリックは落ち着いて様子を見ることができた。

 

「カンナちゃん、ちがでてるー」

「ただの初期症状だから大丈夫だよ」

「大丈夫」

「とげとげだー」

 

 孤児院の一階、医務室。様子を見にきた他の子供たちにフリックは説明をする。その頬にはガーゼが貼られていた。

 その最中でも、カンナは変貌した自分の腕を見ていた。十代前半の少女に似つかわしくない甲殻と爪に覆われた巨腕。恐怖の感情は無く、不思議そうにただ眺めていた。

 

「チーフ、カンナちゃんの様子はどうですか?」

「問題ないよ。本部の方にも移送班の要請を連絡しておいて」

「分かりました」

 

 子供たちが魔物へと覚醒したことで、孤児院からの「卒業」が確定した。より高度な教育に適した場所へ移動されることになったのだ。

 そこには『魔の因子』から自壊作用を無くし完全適合させるための解毒薬、それを作成する目的もあった。

 

 

 


 

 

 

 孤児院の丘近くの森。そこから建物を観察する一団がいた。誰もが鉄の焼肌のような鈍い青緑──くろがねのような装備で身を固めている。特殊部隊だ。

 端末に映るレーダーを観測していた隊員が報告をする。

 

「目標の反応が付近で観測されました」

「魔物の生体反応も多数確認。如何(いかが)なされますか」

「……決まっている」

 

 スコープもバイザーもつけていない男……部隊を率いる隊長が断じる。

 

「殲滅だ」

 

 鋭い『白』の眼光が動いた。

 

 

 


 

 

 

 孤児院の二階、窓に手をかけながらディルは手に持つ写真を眺めていた。曇る空は不安を表すように灰色になっている。

 初の魔獣化から一週間。腕や頬に僅かに装甲は残っているものの、彼だけは魔獣化が自然に解けてほぼ人の姿に戻っていた。

 様子を見にきたミントに気づくが、ディルは振り返ることなく言葉を投げる。

 

「カンナは?」

「血がついたからってんで着替えてる。あの感じならいきなり悪化することもないだろ」

「そっか……」

 

 ディルとは対照的に、ミントは魔獣化したままだった。頭に角は生え、腕や足は黒い甲殻に覆われている。他の子供たちもそうだった。

 

「ディル……フリックとはまだ仲直りしてないんだろ?」

「けっ、なんでオレを騙してた人と!」

 

 強情を張るようにそっぽを向くディル。ミントはため息をつきながらぼつりと呟く。

 

「……お前さ、ほんとは謝りたいんだろ。酷いこと言ったのを」

「うっ」

「はぁ……。変なところで素直になれないやつになりやがって」

 

 冷静な観察眼はディルの内心をあっさり見抜く。振り返らないままびくりと反応する彼の姿は滑稽極まりなかった。

 

「なぁ……なんでミント姉はそんな受け入れられるんだ。魔物の兵士とかってのにされるのに」

「大したことじゃねぇ。昔いたところに比べりゃこっちの『地獄』の方がマシだと思ったからさ」

「……?」

「昔言ったっけな。要領に関してここに来る前の経験がどうとかって。ついでだし今話してやるよ」

 

 ミントは語りだす。己が生まれた国での惨状を。

 そこは麻薬、売春、殺人……あらゆる犯罪がまかり通るスラムだった。生き抜くためには()()()やるしかなかったのだ。

 そうこうして生活していたところを、『魔の因子』への適性を見込んだフリックが話しかけてきたのだ。

 

「ってもそこで『そんな美味い話があるか』って徹底的に噛みついたのさ。そしたらフリックは洗いざらい言ってくれた。その上で、『選ぶのは君だ』って。だから選んだのさ。力が手に入る分、マシだと思える『地獄』をな」

 

 そう言い切った彼女の目は据わっていた。まるでこの世そのものが地獄であると理解しているように。

 

「とはいえ解毒薬を作ってもらわないと、ただの人間と変わらねー上に体が蝕まれて死ぬオマケ付きだけどな。早く移送してほしいもんだ」

 

 半分笑いながら言うミントだが、ふとその態度を変える。厳かな年上としての顔だ。

 

「計画に巻き込まれたことを許してやれとは言わねーさ。だけどな、そのまま野垂れ死ぬところをフリック(あいつ)は拾ってくれた。育ててくれた。そのことは忘れんな」

「確かにそうだけどさぁ……」

 

 ミントの言っていることは正しい。しかし、だとしてもディルは心の納得が済んでいなかった。『夜の側』を受け入れるには十五歳ではまだ難しいものがあった。

 そんな弟分がわだかまりを抱えたまま、過ごした場所を離れてしまうのはいかがなものか。そう危惧したミントはせめてもの忠告を残す。

 

「しばらくしたらここともおさらばだ。言い残しは無いようにしとけよ」

「わーったよ……」

 

 嫌なことから逃げたいように窓の外へと目をやったディル。すると、森から出てくる人影が目に入る。

 

(あいつらがレイヴンの移送班ってやつか……?)

 

 今日来るということは聞いていない。予定よりも早くなったのか? よく見ようと目を凝らしたときだった。

 

 銃口が目に映った。

 

 

 刹那、反射的に体が後ろに動く。

 

 目の前を通り過ぎる弾丸。甲高い銃声が鳴ったことに気づいたのは、弾が壁にめり込んでからだった。

 

「────!?」

 

「伏せろ!」

 

 突如、ミントがディルの頭を抑えて床に押し倒す。

 その真上を幾重もの銃弾が飛ぶ。

 

「な、なんなんだ!?」

「とりあえず一階へ降りるぞ! ここじゃ逃げ場がない!」

 

 何のことだか分かっていないディルに対して、即座に状況を判断したミントは手を引いて移動する。

 

 

 廊下に出た二人。そこでフリックと鉢合わせる。その額には全力で走っていたからか、汗が見えた。

 

「二人とも無事かい!?」

「問題ねぇ!」

「……」

 

 ここ一週間まともに話していなかったディルは気まずそうに目を逸らす。しかし、そこで足が止まったディルをミントが叩く。

 

「気まずいのは後にしろ! おいフリック! 地下の研究室は硬かったよな?!」

「……うん、様子を見ていたカンナもそこにいる」

 

 方針が固まった三人は階段を下りる。その直前、最後尾のディルは二階の廊下を揺らめく青い人影が目に入った。

 

(今の……どこかで……)

 

 しかしそれを考える余裕など無い。

 階段を下り、一階の廊下に出たところで、反対側奥の職員が声をかけた。その横には二人の子供もいる。

 

「チーフ! 私たち以外全滅です! エントランスに……」

 

 職員が言いかけたそのとき、傍の壁が爆発する。

 

「がっ……」

 

 爆煙が晴れる。その先では、焦げた職員が動かなくなっていた。それを見た子供はフリックを見て泣きだす。

 

「フリックさぁん……」

「ローリエ! ソレル! こっちに!」

 

 手を伸ばし彼らを呼ぼうとする。しかし、それを阻むように銃線が子供たちを襲った。頭、首、胴から血を噴きながら倒れていく二人。

 

「こっちだ! まだいるぞ!」

 

 爆発した壁の奥から聞こえてくる敵の怒声。

 動かない彼ら三人を見たフリックの動きが止まりかけ……

 

「しっかりしやがれ! 止まるな!」

 

 ミントがフリックの胸ぐらを掴んで揺らす。その衝撃でフリックは持ち直した。歯を食いしばり再び走る。

 廊下横の角を曲がり、地下への階段に入る。その後ろで廊下を銃弾が飛んでいった。

 

 

 そして地下の研究室に入った彼らはすぐに扉の鍵を閉める。ロック用のハンドルも回しきった。

 

 あらかじめ部屋にいたカンナは外の振動で察したのか、何も聞いてこない。

 

「なぁ、こっからどうすんだよ! 逃げ場が無いじゃん!」

「いや、丘と地形、孤児院の構造からして……裏の離れたとこにある崖に出る隠し通路……あるんだろ?」

 

 おそらくは確信しているミントを見て、フリックはこくりと頷く。

 

「その前に君たちに言っておきたいことがあるんだ。『魔の因子(フェクテア・デザイア)』で唯一……」

 

 彼が何かを言いかけたその時、閉じた扉を強く叩きつける音がした。

 

「「「!!」」」

 

 

 


 

 

 

 扉の向こう側の廊下にて。

 

「銃弾では貫通に至らないようです」

「対魔物用の鉄板だと思われます」

 

 分析装置を手にした隊員が手で触るように壁の構造をスキャンした。それを聞いた部隊長は手につけられたブレードを出す。

 

「ならば俺が開ける」

 

 その刃には『白い闇』が纏わっていた。

 

 

 


 

 

 

「時間が無い! ボックスを降りて!」

 

 急ぎフリックが壁のスイッチを押すと、隣のボックスが上下に開く。その手はスイッチに押しつけられたままだ。

 

(フリック、お前────)

 

 ミントは何かを察する。しかし、状況判断に優れていた彼女だからこそ、逃げる時間を優先した。

 

「行くぞカンナ! 手ぇ離すなよ!」

「うん」

 

 カンナを抱き抱えるようにミントはボックスの中、ダクトに転がり込み、彼女たちは落ちていく。

 

「さぁディル君も!」

「フリックさん、あんたも……!」

 

 ボックスに入る直前でフリックの方へ振り返るディルだったが、彼の口から諦めの言葉が告げられる。

 

「ボックスを開けるにはスイッチを押し続けないといけないんだ」

「え……」

 

 それは即ち、ここで別れるという意味だった。

 

「君は、生きるんだ」

 

「待っ……」

 

 入りかけだったディルの背中をフリックが押す。想定できていない行動にディルは抵抗もできない。身体が、見ている景色、聞こえる音までもが、ゆっくりと流れていく。

 

 遠くで扉が蹴破られる音。フリックはただこちらを泣きそうな目で見ている。

 

 

 

 まって……

 

 オレ、まだ、あんたに何も……

 

 

 

 ダクトを落ちていく中、フリックはせめて悲しませないようにと思ったのか、少し涙が浮かびながらも微笑む。

 

 しかしディルの目には、彼の背後の景色も見えていた。

 迫る人影。鋭い『白』の眼光。その腕に見える刃。

 それが、フリックの首に向かい────

 

 伸ばそうとする手は届かない。

 そして、ボックスは重厚な音を立てて閉じられた。

 

 

 

 落ちたダクトの先、そこは人が駆け抜けられるほどの通路となっていた。床に着地したディルは、先に着いた二人と合流する。

 

「ディルにぃ、フリックさんは……?」

「……」

 

 カンナの問いにディルは何も答えられない。見かねたミントが檄を飛ばす。

 

「そんなのは後だ! 走るぞ!」

 

 三人は通路を駆け始める。

 

(……なんで、フリックさんは殺された?)

 

 走る体の一方で、頭に浮かんだ疑問は主張を続ける。

 

(なんで、オレたちは追われてる?)

 

 光の無い通路のはずなのに、はっきりと目は見えていた。普通の人間ならこうはいかない。

 

(……オレたちが、人間じゃなくなってるから?)

 

 通路の先が行き止まりになっているのが見える。おそらく、通常の壁よりも厚いだろう。

 それを見て、疾走するディルはその姿を変えていく。手足に無から結晶が生みだされ纏わっていく。頭に竜のような兜が出来上がり、その背から漆黒の翼が生える。

 

(……そうだ。オレたちはもう、『魔物』なんだ)

 

 解毒薬を打っておらず、『魔の因子(フェクテア・デザイア)』が完全適合していない『黒き装甲の子供たち(アルミュレ・ノイア・ディハーブ)』は並の人間程度の力しか出せない。

 行き止まりの壁が眼前に近づく。しかし、彼の感覚器官はそれをもはや壁と捉えていなかった。

 

 

 レイヴン製薬の分析では、ディルの魔物としての適性は基準値に満ちていなかった。実際、孤児たちの中で唯一魔獣化が解けてしまっていた。

 

 しかし、実態は違う。数値がオーバーフローしていたのだ。

 つまり、彼の魔物としての適性は……()()()()()()()()()()()

 魔獣化も解けていたわけではなく、無意識に解いていただけだった。

 

 

 魔物が手を広げ、壁に振りかざした。

 

 

 


 

 

 

 通路に響き渡る複数の足音。

 

「この先は行き止まりになっているはずですが……」

「いや……」

 

 部隊が最奥に辿り着いたときには誰もいなかった。行き止まりのはずの壁には大穴が開けられていた。

 雨風が入り込んでくる。その先の崖下には森が広がっていた。

 

「逃げられたか……」

 

 

 


 

 

 

 孤児院から離れた森の中。三人は逃げ延びることに成功した。いつの間にか降りだしていた雨は勢いを止めることなく降り続けている。

 代償はあまりにも大きかった。

 

「へっ……地獄は結局『地獄』ってとこか……」

 

 自嘲気味に笑うミント。その目からは光が消えていた。

 分かっていたはずの地獄が、最悪の形でより酷い地獄に叩き落とされた。それには彼女も堪えるものがあった。

 

 カンナはそんなミントの姿を見て何か思ったのか、甲殻でゴツゴツになってしまった手で彼女を撫でる。

 

「ミントねぇは……いつも頑張ってたよ」

 

 『魔の因子(フェクテア・デザイア)』の初期症状で体調が優れないはずの妹分。そんな彼女に励まされたミントは限界を迎えたのか、彼女の胸にうずくまり嗚咽を漏らし始める。

 

「……っく、なんでっ……なんで今なんだよっ。兵になってからでも……それかもっとちっさいときにやってくれたらこんな惨めには……っ」

 

 

 二人が慰めあう横で、ディルは立ちすくんでいた。そして、思い出したようにポケットから写真を取り出す。孤児院の皆が写っている、しわくちゃになってしまった唯一の写真。

 雨に打たれてなお、ただうなだれる。

 

「チクショウ……」

 

 雨が冷たく降り続いていた。

 

 

 


 

 

 

 一年が過ぎた。

 

「じゃあ、食糧探してくるわ」

 

 どこかの山中の洞窟。三人はそこで身を潜めて生きていた。どこへ向かえばいいかも分からなくなってしまった彼らは、人里から食糧を漁り日々を凌ぐ無気力な生活を続けていた。

 

「ミント(ねえ)、オレも……」

「駄目だ。お前はカンナの傍にいてやれ。一番弱ってんだ。一人にはできねぇだろ」

「わーったよ……」

「心配すんな。いつもみたいにすぐもどってくるから」

 

 『魔の因子(フェクテア・デザイア)』の解毒薬を摂取できなかったことで、彼らの体はだんだんと衰弱しつつあった。

 中でもカンナは元から体が弱かったこともあり衰弱が酷かった。横になることが基本の、寝たきりと変わらない生活だ。

 

 ディルも魔の姿が基本となっていた。ミントとカンナが元の姿に戻れない以上、もはや人の姿への欲求は消え失せていたのだ。

 

 

 

「ハアッ……ハッ、ハァ……」

 

 雨が降りしきる中、走る人影に泥水が撥ね返る。野菜や果実を抱えたミントだ。

 

「作物泥棒が!!」

「待ちやがれ化け物!!」

 

 彼女の後方からは複数の怒声が聞こえる。何十と続いた盗難で怒り狂う近隣の集落の人間たちだ。彼らはその手に(くわ)や斧を持ち、目の前の魔物を追いかけていた。

 

(クソ……身体が……重い……ッ)

 

 衰弱しつつある体が悲鳴を上げていた。心臓の鼓動が突き刺さるような痛みとなって意識を掻き乱す。

 

(せめて、森の中まで走りきれば……もう少し……ッ)

 

 そう思った時だった。

 

 

 何かが頭部にめり込み意識を揺さぶった。後方から投げられた斧だ。

 

(意識が……)

 

 致命傷を受け、走る勢いが崩れて前方に倒れていくミント。

 

「どうだ! 伊達に鍛えちゃいねぇぜ!」

「いいぞ! 仕留めろ!」

「化け物め!」

 

 一気に失速した魔物はただの人間たちに追いつかれる。そしてありあわせの尖った農具が容赦無く振り下ろされる。

 

(あぁクソ……こんなところで……)

 

 背中に刺さる金属の刃。血が飛び散る。囲んで棒で殴られる方がまだマシかもしれない。鍬先が肺まで刺さり、咳き込むように口から血が溢れる。

 

(せめて……二人(あいつら)に……)

 

 霞みがかる視界の中、奥に見える森の入り口に人影が映った。

 

(バーロー……カンナの傍にいてやれっつったろ……心配性め……)

 

 

 その現場を目撃したディルは何を思ったのだろうか。

 

 親愛する姉のような存在が見ず知らずの人間に嬲られる様を。勝ち誇った人間たちの驕った姿を。

 

「ディル……生きろ……」

 

 もはや虫の息であったミントの手がディルに向かって伸ばされる。どうやっても届かない距離。かろうじて発した声も雨音と狂騒でかき消される。

 しかし、魔物の聴力となっていた彼はその声を聞いて……いや、聞こえてしまった。

 

(生きて……そして────……)

 

 声も出なくなり、切なる願いだけが伸ばした手に託されるものの、その腕は力なく、コトリと地についた。

 

 雨粒が無慈悲に彼女に叩きつけられ、流れ落ちる水滴は血だまりに混ざっていく。

 

 

「なぁ、ミント姉……嘘だろ?」

 

 しかしその声に()()は何も反応をしない。

 

「なぁ……返事してくれよ、なぁ……」

 

 森から出てきたディルはふらふらと、もう動くことのない彼女に近づく。

 

「もう一匹いたぞ!」

「殺せ!」

 

 自分たちの元に近づいてきた化け物の仲間に気付き、人間たちは猛るように敵意を向ける。

 

 だが、ディルの頭を埋め尽くすのはその下で血みどろになっている家族(ミント)のことだった。

 

 

(あぁ……今さらになって分かったよミント姉)

 

 かつて彼女が言っていた話が頭を巡った。

 

(この世界そのものが『地獄』なんだって)

 

 身体の奥底でドス黒い『何か』が牙を立てる。

 

(だからお前らも──────)

 

 そう思った瞬間、抑えていた涙と共に、感情が爆発した。

 

「地獄で滅びろ!」

 

 強い叫びが一帯を揺らし、血飛沫が舞った。

 

 

 


 

 

 

 二ヶ月が経過した。ディルたちが潜んでいる洞窟の前には一つの墓標が立っていた。太めの枝を組み合わせて十字のようにした不器用な碑。そこに巻かれた縞模様のバンダナは風に吹かれ、ただ力なく靡いていた。

 

 蝉の鳴き声が五月蝿い外も、洞窟の中に入れば静寂が待っている。ディルは壁にもたれかかり、カンナは彼の膝の上に横たわっていた。

 まるで冬眠する動物のように二人とも静かだった。もし人が耳を澄ませていれば、僅かな呼吸音だけが聞こえたかもしれない。

 『魔の因子(フェクテア・デザイア)』の毒性で二人とも衰弱し、カンナに至ってはもはや歩くことすらできなくなっていた。ディルはそんな彼女のそばにずっといたのだ。

 

 ミントが死んでから二ヶ月。普通の人間が食事をとらずにいれば一週間足らずで死亡してしまうが、彼らは食事無しでも生存していた。尖兵たる魔物として活動できるよう造られた賜物であった。ミントが死亡し、外に出なくなったおかげでそのことを知るとはなんという皮肉だろうか。

 だが、問題である毒性の方はどうにもできなかった。ディルが知ることはないが、デザイナーズチャイルドであるカンナは彼よりも侵食が激しかったのだ。

 

 ……その命は、尽きようとしていた。

 

 

「ディルにぃ……外にいかなくて……いいの?」

「お前を放ってもう外には行けねーよ」

「ディルにぃは……やさしい……ね。見捨てずに……いてくれるから」

「……」

 

 見捨てる、なんてことはできるわけがなかった。ただ一人残った『家族』なのだから。

 

「ディルにぃ……わたしね、夢があるの」

「なんだ?」

「もう一度……家族(みんな)で過ごすの」

 

 それは孤児院に来るまで実験室で過ごしていた彼女が得た幸せだった。親身に接してくれる人たちの存在。四季折々の出来事。そのおかげで真に魂が完成し、しかしながら魔物としてのエゴを呼び起こす原因となってしまった。

 

「でも……もう叶わないなぁ……」

「なぁ……オイ……何言ってんだよ」

 

 ディルはばっと体を起こしカンナの顔を見る。

 

(目が……もう見えてない……)

 

 カンナの瞳は虚げに宙を見ていた。目の前でディルがどんな顔をしているかすら分からないほどに。

 

 そしてさらに気づいてしまう。心臓の鼓動が止まりかけていることを。壊れかけの時計のように。その灯は今にも消えそうで……

 

「死ぬなカンナ! お前までいなくならないでくれよ、なぁ!」

 

 ディルはカンナの甲殻だらけの手を握り叫ぶ。必死に叫ぶ。たった一人の家族を奪わないで、と藁にもすがる思いで言葉にならない思いが口からただただ漏れる。

 

「ディ……ルにぃ……」

 

 かろうじて耳は聞こえたのか、カンナの手のひらはディルの顔に向かい……

 

「ディルにぃは……生き……て……ね……」

 

 手のひらは頬には辿り着かなった。

 

 握った彼の手の中で彼女の腕が力なく垂れていく。

 命の灯が、消える……。

 

 

 いつも後ろをついてきて裾を掴んで。

 

 買い忘れをしかけたときに思い出させてくれて。

 

 雪が積もった日は雪だるまを作って。

 

 

 みんなで過ごした思い出。何も無かった虚無から人になれた大切な記憶が少年の頭を駆け巡り、「もう二度と帰ってこない」と告げて去っていく。

 

 目に浮かんだ涙は頬を伝って、動かなくなった少女に落ちた。

 

 

 魔物の慟哭が洞窟に響いた。

 

 

 


 

 

 

 十二月。樹々は枯れ、山間には新雪が積もっていた。

 

 洞窟の前には墓標が二つ。それぞれに巻かれたバンダナとヘッドドレスは、冷たい風に晒されていた。

 

 

 さくり、と雪を踏む音がする。何者かが洞の前に来たことを示す知らせ。

 

 その何者かは雪が入っていない土の通路を進む。かかとの高い靴で音を奏でながら。

 

 

「……誰だ」

 

 しわがれたような生気の無い声が響く。声を発することなどずっと忘れていたように。

 声の主は、かつて孤児院にいた前向きな少年とは似ても似つかぬ変わり果てた姿だった。泥土と血で汚れ、荒れ切った土色の肌、黒く存在感を主張する隈の上には光の無い瞳。声を発さなければ死体と言われても気づかないだろう。

 

 そんな()()()()()()()()の魔物に、何者かは語りかける。

 

「私は地獄の道化師」

 

 そう名乗った人物は青いシルクハットをくいっと上に持ち上げる。その下にあるはずの素顔は白い仮面で覆われていた。

 シルクハットと同じ青のマントを翻し、内側の服装が露わになる。ブラウスとスカートのシンプルな組み合わせにベルトで止めたコルセット。明らかになった体のラインは、出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいる、女性のそれだった。

 

「何もかもを失い、ただ死を待つのみの貴方(あなた)に面白いことを教えてあげるわ」

 

 道化師はディルを指差し嗤う。

 

「貴方の命を蝕む『魔の因子』の毒性……それを無くす方法があると言ったら?」

 

 甘言がディルに囁かれる。しかし彼の反応は芳しくなかった。

 

「……知ってる。フリックさん(あのひと)が最後まで取り寄せれず、作れなかった解毒薬」

「へぇ……知っていたのね」

「……でもオレは場所を知らない。そして作ることも……」

 

 家族同然の大切な人を、目の前で、三回も、何もできずに失ってしまったディルは、もはや気力など朽ち果てていた。

 

 しかし道化師はめげない。

 

「いいことを教えてあげる」

 

 道化師の仮面、その笑みの口角がさらに上がる。

 

「東京の湾岸沿いにあるレイヴン製薬のビル。その地下に冷凍保存庫があるの。保存されている薬品名はAnethum graveolens。とある植物の学名よ。和名はイノンド。英名は……『ディル』。この意味が分かるかしら?」

 

 それは望んでいた解毒薬の在処を意味していた。フリックが最期に言いかけていた言葉……それは『魔の因子』で唯一完成していた解毒薬のことだったのだ。

 しかし、立ち上がるための点火にはまだ足りない。

 

「もしこれが成功した暁には、孤児院襲撃の元凶を教えてあげる。貴方も魔物なら生き甲斐(エゴ)を燃え上がらせなさい。復讐心を駆り立てて」

 

 付け焼き刃のように情報が付け加えられる。ディルの心に投げ込まれた種火。

 

「さぁ、どうするのかしら?」

 

 解毒薬が確実に手に入る保証はない。そもそもこの女の情報が正しい保証すらないのだ。

 そして、そもそも復讐の意欲はさほど無かった。失った家族は帰ってこない。その事実が、復讐心さえ生き甲斐たらしめなかった。

 しかし、何もしなければここで死ぬ。

 

(死……?)

 

 自らの死を改めて想像した時にかつての『家族』たちの最期が脳裏をよぎる。

 

 

『君は、生きるんだ』

 

『ディル……生きろ……』

 

『ディルにぃは……生き……て……ね……』

 

 

 空虚な心の炎を燃え上がらせたのは、彼らの最期の願いだった。打ち合わせでもしたかのように一致した言葉。それは複数の紐が合わさり強固な一本の紐になるようで……

 

 答えは決まった。

 

 力なく地面に垂れていた掌が強く握り締められ、壁にもたれ掛かっていた背中が前に動く。そして膝が上に動いた。

 

「オレが動くのは復讐からじゃねぇ……。生きるためだ……!」

 

 少年は動きだす。

 

「例え世界(ここ)が地獄だろうと……生きて、運命を変えてやる……!」

 

 生き残るために。

 

 




そして魔物は東京を目指す。

補足:
普通なら、魔物を目撃した人間は畏怖、発狂したり動けなくなったりしますが、今回はミントが不完全な魔獣化であったことから人へ与える恐怖が薄くなっています。
加えて、繰り返しの作物被害で人々の怒りが上回っていたことも理由です。

結果的に、力を発揮したディルの前では動けず、滅ぼされてしまいましたが……

ちなみに、「地獄で滅びろ!」自体はサプリメント未収録ルーツ「アマルガム」のアーツ名だったりもします。……サプリ化してくれないかなぁ。
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