「……待ちやがれ! てめーは何が目的なんだ!」
少年は目の前にいる魔物に向かって叫んだ。シルエットこそ人と大差ないが、身につけた仮面が人ならざる者であることを示していた。
青いマントに身を包んだその魔物──仮面の縁から見える紅い髪が揺れる──はシルクハットを深く被り直して言葉を発した。
「私は与えた。貴方は何を魅せてくれるのかしら」
「っるせぇ!! まずはてめーが顔を見せやがれ!」
道化師の言葉に耳を貸さず、むしろ姿を消そうとするそいつに飛びかかる少年。
距離はある。魔物が異次元に消える方が先だろう。
しかし少年の動きはそれ以上に早かった。直線的で力任せ、されどただ突き詰めた無駄の無い一直線が道化師への接近を是とした。
伸ばした腕が仮面に触れる。髪が靡き、仮面の下の素顔が露わになる。
月影高校で生徒たちが授業を受けるのは、木造モルタル三階建ての新校舎である。新校舎とはいっても名ばかりで、昭和の真ん中に建てられたため老朽化が目立つお古だ。
鉄筋建ての別館も存在するが、そちらは人の気が少ない。何故かといえば、生徒たちの教室と職員室が新校舎にあるからだ。
そして新校舎の一階、そこに位置する職員室は教師然り、質問や雑用で生徒も出入りする。ホームルーム前や休み時間は当然ながら、授業中でも教師が数名はいることを考えれば、人が全くいないということはほとんどないだろう。
それはお昼休みでも変わらない。
「……で、姿を見られて一週間。君は彼女にからかわれ続けている、と」
多くの教員が持参の弁当を堪能しているお昼休み、部屋の一角でノートを生徒に手渡したのは
受け取った生徒……黒装ディルの所属する三年二組の担当教諭であり、彼もまた
彼は世にも恐ろしい邪神の眷属と人との落とし子である。人魔問わず追われる身であった彼は、今の妻に当たる女性と出会い、人間らしさを知り、紆余曲折を経て月影高校の教師に赴任した経緯をもつ。
その過程で警察庁の──表向きは資料編纂課という閑職である──対魔物組織『
そして、その死霊課から、春ノ戸はとある半魔の監察任務も請負っている。半年近く前、東京にやって来た半魔……春ノ戸の前にいる
「ってもあの場で放っとくわけにもいかなかったし……」
「だとしても、そのまま姿を晒すのは褒められた行動じゃないよ。君だってアレナぐらい使えるだろう?」
「そうっすけどもうアレナ張られてたし
「はぁ……」とため息をつく春ノ戸はディルに説明を始める。
「アレナは上書きもできるんだよ。力量は要るけどね」
「え」
「獲物の意識を残したままアレナを張れる魔物もいてね。流蘭院さんが気絶しなかったのはそういう理由だと思う。だからアレナはとにかく展開するのが正解だ」
春ノ戸は丁寧に説明を続ける。
アレナが張られた場合、魔物を知らないただの人間……『アンノウンマン』はその場を離れる・気絶するなどして魔物を認識できなくなる。しかし、アレナの中であえて人間の意識を残し、その恐怖を喰らう魔物もいる。『都市伝説』と称される魔物が一例である。
そういった魔物のアレナは人魔を問わず引き込みやすいため、巻き込まれた場合はまず自身でアレナを張り直すのが一部半魔の間では通例となっている。上書きできるかは別問題だが。
「今回はなんとかなったみたいだけど、変な事件起こされたら色々後処理をするのは僕の方なんだから……」
「へ、へーい……」
ばつが悪そうに頭をかくディル。彼は東京に来てまもない頃、
とはいえ、
いわば保護者のようなものである。さすがに暮らしは独立させたが。
そして、春ノ戸はディルがこの街で何を捜しているか聞いている。
池袋で遭遇したという謎の魔物。『命を救ってくれたそいつに礼を言う』という彼の目的のために、ある程度の行動は容認しているのだ。
「そうだ、君は流蘭院さんにどこまで『
「え、まぁ、ぼちぼち……」
ディルは説明した。
この世界には人間以外に魔物がいること。
自分が半魔であること。
……以上だった。
「あー……うん。確かにそれぐらいしか説明できないよね」
細かい魔物の掟や様々な退魔組織など、あげればキリがない情報をディルがそもそも覚えているはずもなかった。
(それに……)
(『あんたがかつて会った魔物に似てる』なんて言えるわけねーしな……)
恵那が『かつて会った魔物』と関係しているのか。以前の戦闘……人狼との遭遇を思い出す。
魔物を初めて目撃し怯える人間の表情。そんなものを見た後では、彼女と『夜の側』に関連性があるとは到底思えなかったのだ。
そして、そう考えがシフトした時点で、ディルは恵那との
「てか先生が言ったら楽なんすよ! オレなんかが説明するよりずっと分かりやすいし」
「だめだめ。僕が半魔であることまでバレちゃうじゃないか。担任まで人外と知られたら僕の仕事が増え……」
職員室の一角で繰り広げられる会話。当然のように魔物について話しているが、春ノ戸が微小アレナを張ることで人払いと音声のシャットアウトをしていた。
月影高校はあくまで普通の私立高校だ。だからこそ半魔にとって欲しい『日常』が存在する。下手に正体を広める真似はしないことが吉なのだ。
「……でもよかったよ」
「いやよくねーっすよ」
「返答が早いよ。……僕が言いたいのは、君がクラスメイトと接していることだ。これまで君が誰かといっしょにいるところなんて見たことなかったからね」
春ノ戸は危惧していた。誰とも関わらない半魔が人間社会にいる意味を見出せず、やがてエゴのままに動くだけの『異形』に成り果ててしまうことを。
「っても
「それでもいいんだよ。きっかけができただけでも上出来さ。欲を言うなら、君から進んで動いてくれれば上出来かな」
春ノ戸はディルの性格、本来の話しやすさを知っている。それゆえに、精神的に一歩踏み出せていないことに何とも言えない歯痒さを感じてもいた。
彼の言葉は続く。
「ところで、ここでずっと喋っていて大丈夫なのかい?」
「何がすか」
「次の時間。体育だから準備あるんじゃないかい?」
「おわーっ!!」
開始まであと五分。ディルは慌てて職員室を後にした。その様子を見ながらやれやれと春ノ戸ランはコーヒーカップに手をかける。
「きっかけさえあればクラスメイトとも今みたいに話せるんだろうけどね……」
そうつぶやく彼の表情は、まごうことなき保護者のそれであった。