Black Externa ─黒の極致─   作:サム・ソー川

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37話「Re:コール・ネーム(1)」

 

 

 晴天の向こう側に入道雲が見える七月の季節。

 ここ東京は初夏の爽やかな暑さはどこへやら、本格的を通り越した日差しと湿気により殺人的な暑さを迎えていた。

 

 金属バットの軽快な打撃音が響くグラウンド、陸上部のかけ声、酷暑の中で活動する運動部たちを余所目に、空調の効いた教室でディルはシャーペンを回していた。

 

(そういや東京(ここ)に来てから半年は過ぎてんのか……)

 

 ふと、物思いに耽る。

 

 ディルがツキ高に転入したのは去年の十二月。何らかの社会的身分を獲得するためだけの、言いかえれば期待していない高校生活。事実、数ヶ月はそうだった。

 

 しかし、今は友達もいる。孤児院時代は周りに同年代の男子がいなかったが故に、できた当初はこそばゆい感覚を覚えていたのも確かだ。しかし今はそれが愛おしい。

 

(このまま卒業して普通の生活して……)

 

 そんなぼんやりとした考えに包まれたときだった。

 

 

((ククク……仇を取らず『普通』の生活ができるとでも────?))

 

 

 持っていたはずのシャーペンが床に落下し、高い音を上げた。

 

 それと同時に、夢現から覚めるようにディルの顔が起き上がる。

 

「いっけね……」

 

 落ちたシャーペンを拾おうと体を屈める。床に広がる影。その出所は机の前にいた教師のものだった。

 

「居眠りできるなんてずいぶん余裕だねディル君……」

 

 眼前にそびえる笑顔。それは決して喜の表情ではなく、怒りを制するものだった。

 

 現代文教師・(はる)()ラン。お馴染み三年二組担任の彼は、呆れ顔と困り顔は見られど()()()()を出したことは滅多にない。怒りの感情はこのように「笑顔で威圧する」というものだった。

 もっとも、本気で怒ろうものなら魔物としての気配──魔物にすら恐怖を与えると言われる邪神の落とし子のそれ──が漏れるため、しっかり抑えているのだが。

 

「あっ、いや、これはかた……あいや普通の生活がが」

「普通にするにはまず留年を回避しないといけないからね?」

「はい……」

 

 シャーペンを拾い、少し恥ずかしげに椅子に座り直す。

 その横から声がかかる。

 

「フッ……ディル君、授業中に居眠りなんて紳士として言語道断さ。睡眠不足かい???」

「るっせーよ泰輝(たいき)

「ディル君はともかく、しっかり授業を受けていた新屋敷君がここにいるのもおかしな話だけどね?」

 

 春ノ戸の指摘。そう、今は七月の末。一学期の授業は終わり、本来なら夏休みに入っているはずなのだ。

 それなのにディルと泰輝が教室にいる。……というより、むしろ二人しか生徒がいないのは、先ほど春ノ戸がちらりと言った『留年』がキーワードである。

 

 そう……

 

 

 彼らは赤点補習中なのだ。

 

 

 

「ほんと、なんでおめーまで補習なんだよ。テスト返ってきたら欠点だらけだったし」

「いやそれに関しては僕も驚いたんだけどね! いやー、師匠に従事していたら家で勉強する時間全く無くって。その結果テストは惨敗さ!」

「例の『紳士道』とやらの師匠か? 前々から思ってたんだけどそいつ本当に大丈夫なやつなのか?」

「心配御無用! 家のメイドが知り合いだったみたいだけど、『変た……変な方ですけど人を食い物にする方ではありませんわ』って言ってたし」

「こら、お喋りはそこまでにして。次の大問いくよ」

 

 春ノ戸が会話を中断させ勉強に集中させる。

 

 補習を受けていることから分かるように、ディルのテスト成績は惨敗もいいとこだった。恵那の助力があったとはいえ、さすがに一二週間の集中でこれまで──中学卒業から高二まで──の

ブランクも含めた高三の勉強はカバーしきれるはずもなく。

 

 だからといって、なんだかんだ授業にはしっかり出席していた成績不良者を見離さなかった春ノ戸教諭。他の教師にもお願いして基礎をメインとした補習カリキュラムを組んでくれたのだ。

 そのせいでプライベートの時間が減った彼は、家に帰ると妻の機嫌取りに走っているが。

 

 

 


 

 

 

 月影高校には戦災を乗り切った旧校舎*1と、授業を主に行う新校舎、鉄筋製の別館がある。

 

 そして、一部の文化系部活動は別館を活動場所としている。その理由は、別館が視聴覚室や化学実験室などの移動教室先が多いためである。

 

 

 そんな別館の三階に位置する第二被服室。一階にある第一被服室よりもこじんまりとしたここは、手芸部の活動場所だ。もっとも、その部員数は片手で数えるほどしかいないが。

 

「え、まだ下の名前で呼べてないんですか」

 

 被服室の一角から響く女子生徒の声。その主……八宮(はちみや)アユミは持っていた刺繍針を針刺しにぷすり。ながら作業からしっかりと話を聞くモードへと移行した。

 普段はおどおどとしていて周りに流されがちな彼女がそれほどに興味を惹きつけられた話……その提供主である友人、流蘭院恵那に詰め寄る。

 

「そんなに驚かなくてもいいじゃない! ……ちょ、ちょっとばかり抵抗があるのよ。今の呼び方で慣れてきてるし、それに……下の名前だと付き合ってるみたいだし……

「えぇ……」

 

 

 (散々教室で仲良くしているのに?)というツッコミを敢えて飲み込んだアユミ。

 恵那が誰のことを言っているのか、もはや言うまでもないだろう。ディルのことである。

 

 数十分ほど、このような会話が続いていたのだ。

 そう、彼女たちは夏休みという期間を利用し、冷房の効いたこの空間でのんびりと過ごしていた。

 

 部員が少ない手芸部は他の文化系部活といっしょに活動する(遊ぶ)ことも多く、恵那のように部外者(とはいっても部員の知り合いに限る)が遊びに来ることも珍しくはない。

 

 そんなわけで、アユミは部員として製作活動に精を出し、部員ではないが友人のよしみでお邪魔している恵那は各科目をノートへまとめ直す作業。

 

 しかし期末考査の点数が上位十位内に入るような成績優秀者にしては、いささか内容が簡潔すぎるものだった。まるで別の誰かに見せるように……

 

 

 それが視界にチラリと入ったアユミは恵那に詰め寄る。

 

「と、というか今日も昼休みに会いに行くんですよね? ()()()()()

「ええそうよ」

 

「勉強の手伝いなんですよね?」

「ぇ、えぇそうよ」

 

「お昼ご飯も一緒に食べるんですよね?」

「そそ、そうだけども」

 

「そこまで仲良くて、なんで『付き合うみたいだし……』なんて躊躇してるんですか!! 純情乙女ですかあーたは!!」

 

 痺れを切らしたように声を張り上げたアユミ。いつもは大人しい彼女が大声を上げたことに、さすがの恵那もびくりと驚く。

 

「ぇ、ぇーと、アユミ。も、もうちょっとお昼までにノートまとめないとだから……」

「ダメです。爽帆さんが部活でいないからって、アタイだったら話を流せるとは思わないでください」

「はい……」

 

 そしてアユミの追及は続く。

 

「で、聞きますけど……恵那さんは黒装さんと進展したいんですよね?」

 

 半ば圧の入った質問。

 

「はぃ……」

「で、これはアタイの推測なんですけど、黒装さんは男子たち……特に新屋敷さんや美崎さんのようないつメンに呼ばれたときの方が反応早いです」

「え、ええと。どういうことかしら……?」

 

 ペースを崩されたからか、いつもの恵那なら的確な予想を立てるところだが、今は立てずじまいに。

 それを見てアユミはアンサーを提示した。

 

「下の名前で呼ばれるときの方が反応早いってことですよ! 逆に言えば、下の名前で呼ばない限り男子のみなさんより進んだ関係になれないってことです!」

 

 力説のあまり、アユミは握り拳を机にドンと叩きつける。普段の彼女なら行わない行為だ。よほど恵那の進展に思うところがあったのだろう。

 

 ちなみに、彼女が気づいたディルの反応速度。気づく方も気づく方だが、では何故ディルは呼ばれたときの反応に差が生じているのか。

 

 それは彼の孤児院時代の環境にあった。

 孤児院では皆が同じ名字であるため、常に下の名前で呼ばれていた。そのため、『黒装』という名字より『ディル』と呼ばれる方が反応が早くて当然なのだ。

 

 なお、その反応の差はミリ秒単位。常人の動体視力では区別できようもない。

 

 アユミの動体視力が高いからか、恵那がディルという強力な戦闘半魔をすでに見ていたからか、はたまた月影高校では身体能力の高い生徒が()()()多いからか。

 アユミがそう指摘できたことに恵那が違和感を持つことはなかった。

 

 

 

 

 数分後。

 まだお喋りは続いていた。

 

「はい、しっかり発音!」

「でぃ……でぃ……ひゅ」

「なんですかその腑抜けた言いようは!」

 

 机の上に置かれた人形には、顔の部分にディルの顔っぽく描かれた紙がぺたり。アユミが即興で編み上げ作った練習用人形だ。

 

 何の練習か?

 

 それの前で顔を真っ赤にしながら口を動かそうとする恵那。言うまでもなく『ディル』と呼べるかどうかの練習だった。

 

「こういうのって人形相手にはさらっと言えて、いざ本人の前でテンパるのが基本のはずなのですけど……」

「だだだって……というか、なんでアユミが横で教官するのよ。こんなのじゃ集中できないじゃない……」

「そうはいっても、普段接する場所を考えたら教室内で呼ぶことの方が多いじゃないですか。男子たちより早く反応してもらいたいって言ったの恵那さんですよ!」

 

 アユミは鬼教官と化していた。

 

「だって彼も友達との時間大事だと思うし……」

 

 両手の指をつんつん合わせながら恵那の目線は斜め四十五度下を向いていた。恥ずかしさのゲージが上昇している証だ。

 

だーっ! だ、か、ら! それですよ! 本当に進展したいんですよね?! そういう変な遠慮出してたらどうにもならないですよ! 行動するのはアタイらじゃないんですから!」

 

 威嚇するネコがごとく頭のアホ毛がぐるぐると回り荒ぶるアユミ。普段とは違う強い言葉と姿勢に、恵那はたじたじのままだった。

 

「というか。そんな遠慮いらないと思うんですけどね。黒装さん(あの人)はそういうの気にしないと思いますし」

「……色々あってね」

「?」

 

 

 キーン コーン カーン コーン……

 

「あ」

 

 夏休み中とはいえ補習期間でもあるツキ高。平常時と同じようにチャイムが休み時間の訪れを告げた。

 

「気晴らしにいってあげなくていいんですか?」

「お昼休みいっしょに食べるって約束してるの。黒装クンもそれまでは補習に集中するって」

「ははぁ」

 

(さっさと告白したらいいのに……)

 

 煮え切らない友達の態度に辟易しながらアユミはマシュマロを摘む。

 

 甘かった。

 

 

 


 

 

 

 一方、新校舎では。

 

 休み時間とはいえ今は夏休み。平常時のように人が廊下に湧き、賑やかな声が響く、なんてことはない。せいぜい、補習を受ける羽目になった成績不良者が数名、空気の入れ替えに出てくるだけだ。

 

 だからだろう。自販機で飲み物を買ったディルが、その人物と目が合ったのも。

 

 階段の踊り場にいる女子生徒。茜色のセミショートは、ディルの存在に気づき反応する。その表情筋は微動だにしないまま。

 

「お久しぶりです。学校で遭うのは初ですね」

 

 音無(おとなし)慧那(けいな)

 数週間前に路上で遭遇した半魔にして、ディルの『魔の因子(フェクテア・デザイア)』の元である魔剣。

 

 見た目から漂う雰囲気は特段頭が悪そうに見えない。そうディルは感じていたが、『この時期に新校舎にいる』ことが同じ補習組であると示唆していた。

 

(同じ教室にいないってことは下の学年だったのか)*2

 

「なんでお前も補習受けてんだよ」

「テストの点数が規定に達していなかったからですね」

「いやそうじゃなくて。……じゃあ言い方変えるぞ。テストの点数が足りなかったのなんでだよ」

「テスト一週間前辺りからでしょうか。クラスの友人たちが『いやー、全然勉強してなくてさー』と言っていたので、私も同様のアクションを実行したところ点数が壊滅し、今に至ります」

「アホか?」

 

 想像だにしない理由に、思わず直球の罵倒が漏れ出るディル。見た目は真面目そうだと思っていたが故の落差にずっこけそうになる。

 

(こいつ、確か魔剣だとかなんとか言ってたから、人間とは考えが違っててもおかしくない……おかしくないんだけどさぁ!!)

 

 ディルが今まで接していた半魔はだいたいが人間に近い考えの者たちだった。比較的外れていた存在のキラーアンデット製造所所長でさえ、筋の通った話をしていた。

 

 が、この音無慧那という少女(というか魔剣)は考え方のそれが人間のそれと根本的にズレているのだ。例えるなら、違う星からやってきた宇宙人のように。

 そもそも、彼女が人の姿を取って高校生活を営んでいるのは、感情を理解しようというのがきっかけなのだが、それはまた別の話。

 

 

 手に持つ紙パックジュースをちゅるーと吸いながら、ディルは気持ちを落ち着ける。

 

「……とにかく、ここ暑いしオレは教室戻るわ。お前も補習がんばれよ」

「励まし有難うございます。黒装さんも留年しないように頑張ってください」

「一言多いっての」

 

 ひらひらと手を返しながらディルは教室へと歩いていく。

 

 慧那も自分の教室へと帰ろうとする。が、ふと何かを思い出したように立ち止まる。

 振り返ってディルが入っていった三年の教室を眺める。

 

 何か覚えのあるような気配。しかし、もう微塵もそれらしき気配はない。

 

「気のせいでしょうか」

 

 彼女もまた教室へ歩いていった。

 

 

 

 

 

 ────その様子を学外、さらに離れた雑居ビルの屋上から眺める影。

 ビル風に吹かれ青いマントが(なび)く。

 

「フフフ、目標(ターゲット)はしっかり学内にいるみたいね」

 

 仮面でくぐもった声。

 

 青いシルクハットを深々と被り直し地獄の道化師────ギヴィング・デスは手を大きく上に掲げる。

 

「さぁ始めましょうか。完璧なるミッションを」

 

 道化師の後ろには複数の人影。

 

 それらが、学校へ向かって飛び立った。

 

 

 


 

 

 

(早く昼になんねーかな……)

 

 補習内容を頭にしっかり入れておかねば再テストで敗北濃厚だというのに、少年の頭は恵那と食のことで埋まりきっていた。

 

 

 

 そんな頭の回路がはっと現実に返ったのは、肌からのアラートを受け取ったからだった。

 

(寒っ……?)

 

 効きすぎた冷房による冷えか、鳥肌が体を震わせる。

 その様子が視界に入ったのか、隣の泰輝が声をかける。

 

「ディル君、冷えたのかい? 冷房の温度上げてもらったら?」

 

(いや、違う!)

 

 まるでこの後に起こることを予感しての本能的否定。心配してくれる友達の声に返す余裕はなかった。

 

 顔を上げ、教室の窓から窓を見渡す。今の状態を確認しておくように。

 

 それが正解かどうかは直後の現象が解答を示した。

 

 

 

「──────ッ!」

 

 突如、ディルの全身に電流が走る。そして反応を起こす間もなく、穏やかに流れていたはずの校内の空気が突如として止まる。

 

 まるでスイッチを突如切られた家電のように。

 

 この感覚には覚えがあった。

 

 

「……まさか、()()()()オーバーライドされたのか──────!?」

 

 

*1
クラブ棟および記念館として使用されている。

*2
ちなみに三年で補習を受けているのはディルと泰輝だけである。




新屋敷君は授業こそ真面目に受けますが、学校以外では趣味に全力=予習復習をしないので、習ったことが定着しません。
一応、やればできる子ではある。
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