外の景色はなんら変わりなく、太陽の明るさは維持されたまま。肌寒さを感じさせる冷房の空気も至って変化なしだ。グラウンドでは野球部員たちがキャッチボールをしている。
しかし、決定的におかしな要素がある。
それら全てが写真のように動かないのだ。冷房の稼働音は消え、投げられたボールは空中で静止している。まるで時が止まったように。
極めつけは……
「……おーい、泰輝さーん。泰輝こんにゃろー。身長オレより三センチ低いやーつ」
三年の補習教室、ディルの横の席でシャーペンを握る友達、新屋敷泰輝。背に関する煽り文句を投げようものなら、普段は絶対飛びついてくる……はずなのだが、今はディルの席を向いたまま、微動だにしなかった。
横の友人を見た後に正面、黒板の前にいる補習担当教官を見据える。前の時間の春ノ戸と交代した彼の、チョークを持つ手は上がったまま。肘が上がったままの姿勢はそのままだと肩が
今は補習中。二人が突然に「だるまさんがころんだ」を実施し始めた、というおふざけの可能性があるはずもなく。
ディルは自分の身体が問題なく動いていることを手の握り開きで確認する。
(
以前、ディルは池袋の街中で
しかし、今の月影高校がドミニオンに飲まれたかといえば、それはNoであった。オーバーライドこそドミニオンのそれに近い感覚だったが、空間内の感覚は魔物のアレナに近い。どちらも本質的には同じ力なのだが、ディルの直感はより弱い方だと告げていた。
(前出くわした人狼どものアレナに近い……か? それより問題は、よりにもよって
ディルの懸念。それは、アレナが展開された場所が月影高校であること。そして月影高校は『夜の側』の
死霊課の調査によると、月影高校で生徒として日常を送っている半魔の数は、周辺高校よりダントツで多いと判明している。その種類は多種多様だが、当の本人たちはその多さを知らないことがほとんどだ。それもそのはず、半魔は自分たちの正体を隠しているのだから*1。
そのため、下手に戦闘で他生徒を巻き込めば、その正体が魔王の後継者だったり退魔組織のリーダーだったりということが発覚して、問題が悪化する可能性は大いにある。故に月影高校で『夜の側』の事件が起こることは少ない。
そんな緩衝地帯で何者かがアレナを展開している。他半魔のいざこざだったら首を突っ込まずに静観しておけばいい。しかし、今日は恵那や泰輝が学校にいるのだ。
(戦闘が起こってみろ。こんなときにアレナ使ってくるやつだ、それに巻き込まるかもしれねぇ……!)
特に、ノウンマンである恵那はこのアレナの中でも動ける可能性が高い。異変に気づき外に出たら巻き込まれ……というのはディルが最も避けたい案件だ。
(補習中に厄介なことしやがって……)
物は試し、腕を上に振り上げアレナの上書きを試みる。
……
……無反応。感覚で弾かれたことを理解した。
次にディルは窓の外、月影高校の外部の住宅街に目を凝らす。規模の分析だ。
目がいいとはいえ、さすがに道路を歩く人の顔までは見えない。それでも、動きがあるぐらいは確認できた。月影高校の外は何も起こっていないらしい。
(つまり
それは、このアレナの主が校内にいることを示している。補習期間とはいえ、学校に白昼堂々と仕掛けてくる魔物だ。たとえツキ高生半魔同士のいざこざだとしても、何をしでかすか分からない。
不安が動力となり、ディルは補習の
まず彼が向かったのは恵那のいる別館第二被服室……ではなく、真下の職員室だった。
魔物絡み、学校内の事件……元凶が生徒である可能性を考え、ディルは校内での責任ある立場……いわゆる教師かつ半魔の人物に協力を要請することにしたのだ。
(春ノ戸先生ならどうにでもしてくれるだろ……!)
死霊課ベテラン刑事・日下の弟子であり、自身も死霊課で活動したことのある春ノ戸は結界術・拘束術の両方に長けている。
生徒相手でも彼なら上手くやってくれる、そういう信頼がディルにはあった。逆にディルの場合、力加減ができないとも言うが。
案の定、携帯電話は機能していないが、先の補習時間に職員室へ戻ると聞いている。席で妻の写真片手に採点をしているはずだ。
(クソッ、さっさと先生に任せて恵那のとこに向かわねーと……)
人や物が静止したアレナだが、力を加えて開けるには何ら問題なかったのか、ディルは職員室のドアを勢いよく開く。
「先生!!」
確かに、頼みの綱である春ノ戸ラン教諭は職員室の一角にいた。
だが────
「うっそだろ……」
ディルが教室で目撃した彼は少し早くお昼休みに突入していた。満面の笑みで愛妻弁当の卵焼きを口に運ぶ仕草。
……のまま、微動だにしない状態だった。
春ノ戸もまた、他のアンノウンマン同様にアレナ内で動かないエキストラと化していた。
「いや待て、あの先生がアレナに巻き込まれた程度で動かなくなるわけが……」
ディルは試しに春ノ戸の体を突っつく。止まったフリをしているだけかもしれないという薄い期待からだ。
無反応。
「まさかそんなはずは」と今度は椅子を引っ張ったときだった。
「ぐっ?!」
常人を優に超えるディルの怪力でもびくともしない椅子。
「?!?」
予想外の固さに面食らうディル。そして今度はそろ〜りと椅子を引っ張る。
多少椅子がずれそうになるも、肝心の春ノ戸は一切動く気配がない。
まるで空間に固定されているがごとくだ。
ディルの眉間にシワが寄る。自分の単純な脳細胞では解くのが難しい、そんな問題の気配がしたからだ。
「動かなくなったやつは移動させられないのか……?」
考えうる限りの推理。しかし、そのアンサーに「正解!」と言ってくれる人物は黙したままだ。
「こーいうとき恵那だったらすぐ分かるんだろうけどなぁ……」
ぼやきながらディルの体は再び廊下へ飛び出した。
頭脳明晰な愛しき人の状況は不明なのだ。その優先度は木偶の坊と化した
職員室のある新校舎一階廊下から、目指すは一直線。ディルは足を踏み込み、普段ならやらないような全力の疾走を、第二被服室のある別館へと繋がる渡り廊下まで。狙いをつけて駆け出す。
敵が何者か分からない以上、恵那の安全が最優先。
その強い『
動力は、自身の危機回避に用いられた。
廊下の中庭側から迫る影。それが、自らに飛びかかろうとしている魔物のものだと、ディルが気づけたのは運が良かったのか。
反射的に、目的とした進路の反対方向へと足が飛び退く。とてつもない負担のアクロバットにディルの背筋が悲鳴を上げるも、何もせず突っ込んで受ける被害よりもマシだろう。
そして、影の主は空中から
壁が割れる。瓦礫が舞う。衝撃による風は廊下内を駆け抜け出口の方へと流れていく。
「…………!!」
ディルが取った咄嗟の防御行動は正しかった。
視界外からの急襲。ひと月ほど前に自身もMMM相手に行った攻撃だ。魔獣化していない今の状態で受けていたら大ダメージは免れなかっただろう。
その打撃を受けた廊下の床は小規模クレーターと化す。
そして、破壊の主はそこにいた。
土煙の中、その眼光がディルを捉える。
ぱっと見は人間とあまり変わらない、どころかディルと同じ年代の少年。背丈も同様。ただ、手入れのされてないボサついた灰白色の髪は闘気に沿うような流線状に跳ねている。
そしてその身に纏う衣服は長袖長ズボン……に無地の法被を重ねたようだが、少なくともディルの知る限り市販の服装ではない。繊維で作られた衣服というより、生物の体を一度融かして衣服に仕立て上げたような。
そんな印象がディルの頭に根付く。
独特な服装もそうだったが、彼の目を惹いたのはその魔物の耳だった。
顔から真横に伸びたとんがり耳。その形状に、ディルは宗也たちと会話した時に話題になったアニメの内容を思い出す。
(ファンタジー作品でよく見る「エルフ」とかいう種族があんな耳だったよーな……)
そんなことを考えたとき、エルフ耳の魔物が声を発す。
「アッヒャッヒャ……お前が、
土煙が晴れ、完全に素顔を見せた魔物は大きく見開いた三白眼でディルを見据える。
その顔つきにディルは既視感を覚える。
(どっかで見たよーな……?)
しかし記憶の棚を漁る時間は与えられなかった。
「アッヒャッヒャッヒャ!! 勝負だあっ!!!!」
けたたましい叫びと共にエルフ耳が飛びかかる。
否。それは飛びかかるというよりも、床が割れるほどの脚力で蹴り出した突撃。
直線に急発進した人型がディルの眼前に迫る。
速い。さりとてディルの反射神経は間に合う。
突撃したエルフ耳のショルダータックルはディルの腕──瞬間的に形成された甲殻に受け止められていた。
そのままディルの全身は魔獣化する。
「てめーがこのアレナの犯人かぁぁぁぁっ!!」
大きく広がった翼が反重力を生み出す。受け止めた衝撃を相殺し、今度はディルが推定犯人エルフ耳を蹴り飛ばそうとする。
────が。
普通の人間十人ぐらいならまとめてミンチになってしまうだろうキック。それは、先ほどディルが行ったように交差した腕で防御されていた。
さすがに殺しきれなかった衝撃で後ろにずれ下がったが。
「なっ……」
ディルは愕然としていた。
日下の魔力壁やアオイの超速度のように、自分では敵わない存在がいる。
いくらディルでもそれぐらいは身に染みて理解していたつもりだった。
しかしそれでも、自身の身体能力……特に筋力によるパワーの部門では(さすがにギア・シンジュクのような超巨大な相手には無理だと分かっているが)同じ魔物には負けない自信があった。
それが今、まごうことなき同格のパワーを持つ相手が現れたことに焦りと不安、そして信じ難くも僅かな期待を感じてしまっていた。
「ヘヘッ。こんなもんかあ?」
ピンピンした様子で挑発じみた態度を取るエルフ耳。
「お前……何者だ……?」
半魔となってから一度も、自分と同じような年ごろの魔物を見たことがなかったからか、ディルはついぽろっと正体を聞いてしまった。
いつもの彼なら相手が何者かなど、倒すべき情報を得るための手段としか考えていないのに、である。
向こうは向こうで、警戒心など無いようにあっさりと返答した。
「オレ様はファルディア」
ギシリと口角を大きく上げると、ファルディアと名乗った魔物は再び床を蹴り進む。
「大天才とやらが造った、
謎の新ワード。ちなみにこれ、一応公式から出てる単語だったりします。
知ってる人はそのままに、むしろ多数派であろう知らない人は次の話でチェックDA!