ではどうぞ。
七月の終わり、三十一日。
月影高校では相変わらず球児たちが軽快なバットの音を響かせていた。
その爽快感に便乗するように、冷房の効いた教室から声が木霊する。
「〜〜〜〜っ!! やっと解放されたぁ〜っ!!」
座ったまま腕と背筋を大きく伸ばすディル。重心が後ろに寄って椅子が傾く。
その手にはひらひらと一枚の紙。赤い丸が半数以上を占める、いわばテストの答案用紙だ。
「長かったねディル君。おめでとう……いや、本当に……」
解放された戦士に労いの言葉を投げるのは教壇に肘をつく春ノ戸。その言葉は自身にかけているようにも聞こえた。
明日から八月。夏休みに入ってから補習続きだった黒装ディル、彼の追試がようやく終了したのだ。
「基礎カリキュラムからの要点のみをまとめてのテストで半分以下、続いての補講でようやく半分に到達したと思ったら前の授業の範囲を忘れて……本当に夏休みがなくなるかと思ったよ」
愚痴がぽろぽろと漏れ出す春ノ戸。夏休みに入ったとはいえ、部活顧問をしていたり家族の面倒を見たりと他の教員も暇ではなかった。
なので、途中から彼はマンツーマン形式でずっとディルの面倒を見ていたのだ。そのせいか目の下には若干のくま。
互いに解放感に浸っていた二人だが、そこへガラリと教室の扉が開かれる。
「おっすディル。今度こそ追試終わったかー?」
宗也だ。所属する模型部の展示会に向けて先月から忙しくなっていた彼だが、それもひと段落し友人の元へ顔を出しに来たのだ。
「やぁディル君。僕でもできたんだ! 君もできると信じていたよ!」
そして泰輝。ディルと同じ補習組でありながら、補習開始から一週間でしっかりと補習を受けきり、追試でまさかの満点を叩き出すという結果を出した。
春ノ戸はそれを喜ばしく感じつつも、「普段からその力を出してくれたらな……」と内心複雑な気分だったようだが。
「先生、本当にディルの補習は終わったんすよね?」
「うん。及第点ではあるけど今期の分は完了だよ」
「これで勉強とオサラバってわ「二学期もあるから復習を忘れちゃダメだよ」
「ハイ……」
すぐさま釘を刺される。当然だ。ディルの成績はこれでようやく「卒業できるかもしれない」ラインに立ったところなのだから。
とはいえ明日から八月。しばしの休暇はどんな形でも心を弾ませる。
……はずなのだが。
「明日からバイト多めに入れるか!」
「えっ」
「さらに増やすのか」
遊ぶことを一切考えていないような発言がディルから飛び出て友人二人は驚く。
経歴を考えれば当然なのだが、ディルは高校生でありながら一人暮らし。学費と家賃を日下から賄ってもらっているとはいえ、それ以外の生活費は稼ぐ必要がある。
「大変だな一人暮らしは」
「そうか? どうせ家にいてもあんますることねーし」
「そんな! それなら僕と一緒に師匠の紳士道を……」
「
「しゅん……」
しょぼくれる泰輝。それにフォローを入れるように春ノ戸がディルに提案を投げかけた。
「まぁまぁ。せっかくの夏休みだしみんなと遊ぶ日も予定しておいたらどうだい? その後でシフト入れたほうが職場に迷惑かからないだろうし」
「そうだぞ俺らもお前と遊びたいんだし」
「そうだそうだ!」
「お前ら……」
少し涙ぐみそうになるディル。
彼は一瞬思案する。同年代の友人がこれまでいなかった。だから友人たちと遊ぶのに憧れはあったじゃないか。どうしてそれを無下にする必要があろうか。
「というわけで昼飯食いながら話そうぜ。ちょうど昼だし」
「よっしゃ早くいこーぜ! じゃあそういうわけで先生、お疲れさまーっした!」
「はいはい、気をつけてね」
にこやかな顔でディルに手を振る春ノ戸。少年は友人たちと談笑しながら階段を降りていった。
そしてそれを見送った教師はすっとポケットから携帯電話を取り出す。ロック画面を解除しては手早く通話画面へ移行。
「……あ、もしもし。日下さんですか?」
「ツキ高内の破損箇所、いずれも覆い隠せているようです」
『よかったねぇ。最初聞いたときはこんなに軽く済むと思わなかったさぁ』
「敵が少数だったおかげですね」
先の『ヴェルケナ』襲撃から一週間。
戦闘が発生した月影高校の被害は、現場に到着した死霊課刑事たちの想像より軽微だった。新校舎と中庭、屋上における窓ガラスや床の割れ……そのぐらいで済んだのだから。
勿論、校舎が破損している以上は大問題だ。アンノウンマンからすれば、不審者による暴行が行われたように見えてもおかしくない。
そのため、被害箇所は速やかに仮修復された。死霊課の隠蔽捜査班による幻術師や物質捜査の異能者など、駆り出された人員は少なくない。
なにせ『夜の側』の
『にしても
「まぁ……僕もその一人になってましたからね。
スマートフォンの奥から聞こえてくるノイズ混じりの音声、その様子を伺うように春ノ戸は聞く。
『んー? まぁまぁかなぁ。傭兵チームだったから戦い慣れしてるかと思ったけど、こりゃあてんで下手だねぇ』
『きーっ! なんでわたしらの力うけても平気なのよーっ!!』
『ずるだ! ずる!』
通話にやかましい金切り声が入ってくる。聞き覚えのある生意気さだ。
「大丈夫……そうですね」
『ハハハ、倫理観のない
「そ、その節は大変お世話になりました……」
昔の黒歴史を思い出し、冷や汗をかく春ノ戸。
『むーっ! ぼくらをむしして話すなーっ!』
『セルジュ! さっさと倒してカレー食べにいくよ!』
『ハハハその程度じゃ倒すのは二百年後ぐらいだねぇ』
通話の向こうで衝撃音と子どもの叫びが入り混じる。
何をしているのか? これは春ノ戸やディルも経験した、日下による対面での戦闘訓練。そして今それを受けているのは……言うまでもないだろう、元『ヴェルケナ』のシェイルとセルジュだ。
なんと双子は日下の元で保護観察処分となっていた。
普通の犯罪なら器物破損などで逮捕・起訴となるのだが、彼女たちは子どものうえに『夜の側』の住人。通常の法は適用されない。されようがない。
さらに保護者に当たる
そこで、かつての春ノ戸を更生させた実績から日下にまたしても
そしてもう一点、忘れてはならないのが彼女らが連れていた妖獣・ヴィスガルドである。人の姿を取れない彼だが、死霊課ではむしろその姿を活かせる最適なポジションがあった。
「……で、死霊課専属の警察犬ですか」
『いやぁ、異能持ちの上に意思疎通もできる、こんな逸材を放置するなんて万年人手不足のウチではありえないでしょ』
幸いにも、よく目立つ頭の三本角を普段は隠せるらしい。彼が『ヴェルケナ』で任務をこなしながら、普段はどう過ごしていたかの答えがそこにあった。
つまり、双子の飼い犬として『昼の姿』を装えていたのだ。
『いやぁ……にしてもまさか犬の世話まですることになるなんてねぇ。将来への投資ってのは大変だよホント』
「引き受ける気満々じゃないですか。そのヴィスガルド君は訓練してないんですか?」
『彼は今
「さっそくベハビアの調査ですか」
『うん。彼、当然嗅覚も利くからねぇ』
双子の相手をしながらのらりくらりと春ノ戸との通話を続ける日下。奥から聞こえる叫びを通して、日下に翻弄される双子の様子を春ノ戸は容易に想像できた。きっと双子の力を防御壁と樹木の展開でいなしているのだろう。
……して、ベハビアの調査は死霊課にとって急務だった。なにせ襲撃の張本人なのだから。
しかし、春ノ戸が発見した遺体からは碌な情報が得られなかった。記録媒体に至るまでが黒コゲであり、判明したのは精々リンドヴルム製だろうというバックルのみ。それすら、原型が残っていない有様だ。
つまるところ、口封じされたと死霊課内では結論づけられた。そして結局、ベハビアに依頼した存在は不明のままだ。
『厄介なことになったねぇ。まさかディル君が直接狙われるとは』
「ベハビアが、あらかじめディル君についての情報を知っていたというのが気がかりですね。彼が『
『それもだけど、オジサンはディル君が見たっていう青マントの連中が気がかりさ。
ため息をつく日下。その一方で、双子を魔力壁の多重展開でコテンパンにしていた。
『こういうときってたいてい裏で何かよくないことが進んでいるんだよねぇ……』
『なんでそんな余裕なのさー!』
『もーおなかへったー!』
泣き言が聞こえてきたからか、気の毒に思った春ノ戸は話を切り上げようとする。
「そろそろ僕も休憩に入りますし、そちらもお昼にされてはどうでしょうか……? 彼女たちに食べさせないってわけにもいかないですし」
『それもそうだねぇ。じゃ、ここいらで切るね。さぁ君たち、お昼ご飯食べながら反省会だよ』
『『えぇー?!』』
双子の絶叫と同時に通話が切れる。
春ノ戸はやれやれと思いながらも、シェイルとセルジュ、そしてヴィスガルドが受け入れてもらえていたことにほっとしていた。
邪神の落とし子という生まれつきの迫害されうる立場。幼い春ノ戸はその中で心を荒みきらせながらも逃げ続け、死霊課の追手(これが実は日下だったりする)を、時にはアンノウンマンの人質も取りつつそれらを振り切り生きていた。
だが、その人質と交流していくうちに彼は「愛」を知った。そして人となるべく生き方を変えたのだ。……その人質というのが、後の彼の妻だったりするのだが。
当然、それまでに困難はたくさんあった。出自による危険性、人間社会のルール、なんだかんだと世話してくれた日下や他の半魔たちのおかげで春ノ戸は今ここにいる。
故に、境遇に親近感を覚えた双子と妖獣を見捨てられなかったのだ。春ノ戸が戦闘時に彼らを出来る限り傷つけまいとしていたのはこれが理由だ。
(まだまだだけど少しは
教室の窓から、遠い青空へ。
春ノ戸はかつての自分に思いを馳せた。
「そういえばディル君! この前やってきたあの女の子は何者だったんだい?」
「んなっ?!」
ディルたち三人は昼食への道を歩いていた。
暑い中の行軍。汗をかくのは当然だが、今この瞬間、ディルは暑さ以外の要因で汗が増えた。
「ばっ……おま、あれはただの知り合いだっての! 何の関係もねぇ!」
「お、何の関係もないはずなのに知り合いってのはおかしいなあ。ディル、お前流蘭院さんがいるのにそういうのはよくないと思うぞ」
「宗也! 便乗してくんなぁ!」
左右の友人二人から、先日の出来事について聞かれるディル。
何のことか? 双子のアレナが解除された後の話だ。
ギヴィング・デスが消えた直後に気を失ってしまったディル。その後、屋上に駆けつけた恵那、そしてついてきた慧那に起こされたのだ。
もっとも……その恵那がギヴィング・デス本人だとディルは知らない。
その後は死霊課の刑事たちがやってきて、事後処理が終わるまでアレナを維持する、傷の手当てなどてんやわんやだったのだ。
そして彼らが最初にいた教室へ戻った後にアレナは解けた。
何事もなかったかのようにその後は過ごしていたが、正午のチャイムが鳴ってすぐ後に問題の女子生徒……慧那が教室にやってきた。
「黒装さん、(『夜の側』関連で話があるので)付き合ってください」
「ぶふぉっ!?」
あまりにも言葉が足りない爆弾発言を慧那は真顔で言い放ったのだ。平常時ならたちまち噂が広がっていただろうが、幸いにも教室にいたのはディルと泰輝、補習教官のみ。
とにかく口を開ければ何を言い出すか分からないこの女子生徒。先の戦闘で疲れ切り眠気MAXのディルだったが、意識は急速起床。立ち上がったと思えば慌てて彼女の口を抑え、校舎裏へ連行した。
「お前……マジでふざけんなよ……」
「……? 何か?」
「あんな言葉で誤解されたらどーすんだ!!」
「何を?」
デリカシーの欠片も無い態度に、ディルは手で顔を覆わざるを得なかった。
音無慧那は人間の感情を勉強中。常識は通用しない。
「で、要件はなんなんだ……」
ツッコむのに疲れたディルは本題を尋ねる。その声には「早く終わらせたい」という欲求が漏れ出ていた。
「あなたにディノキアが憑いてますよね?」
「あばーっ?!」
素っ頓狂な声を出しその場でひっくり返りそうになる。
「あぁ、本当みたいですね」
「お前……もうほんと何……」
疲労と空腹で何も考えず反応してしまったが、今さらカマをかけられたことがどうだというのか。ディルはもはやどうでもよくなっていた。
「やけに落ち着いていますね」
「落ち着いてるように見えんのか……?」
「いえ、あなたではなく
「……は?」
相変わらず何を言い出すか読めない魔剣少女。ディノキアの元・魔剣だからこそ分かる気配があるのかもしれないが、ディルからすれば何も分からずじまいだ。
脳裏にいるはずの魔神に尋ねようとする。が、こういうときに何も反応は返ってこない。
「肉体が消滅する前はもっとギラギラしていたはずですが……へーいあんちゃん起きてたらカカッテコイヤー」
真顔のまま挑発する慧那。手足をうねうねさせるも、目の前のディルがイライラさせられるのみ。
肝心の魔神は相変わらず静かなままだ。
「眠ってるのでしょうか。もっと煽りますか? はい Yes」
「それどっちも同じじゃねーか!! とにかく、こっから飯なんだから! お前がいたらいろいろややこしくなる!」
さすがに茶番に付き合いきれないと思ったディルは少し強引に話を打ち切り、教室の方へ戻っていく。
それを見ながら慧那はぼんやりと考える。
(まさか、彼に『継承』させるつもりなのでしょうか……)
そして現在。
「……てなわけで以前バイト帰りに落とし物を拾ってやっただけの仲だ」
それっぽい嘘を二人に話すディル。「やばい魔神の武器です」とはさすがに言えない。仮にノウンマンである宗也だけだったとしても、躊躇していただろう。
「ほほぅモテモテですなー」
「はっ倒すぞ」
からかう宗也に、ディルは犬の威嚇がごとく唸りを上げる。そんな彼の肩にポンと手を置く泰輝。その表情は菩薩のように安らかだ。
「ディル君、案ずることなかれ。君は僕たちの知らないところで流蘭院さんと進展しているんだろう? 昨日も二人っきりで勉「ちょい
有無を言わせぬ口封じとして、泰輝の口に手を当てるディル。
そんな二人のいがみ合いに宗也がさらに茶々を入れる。
「ということは、黒装氏の成績不振も有効活用できていたということですなー」
「急にデータキャラみたいな喋り方になるな」
「いうてお前らよりは成績いいから間違ってないし?」
「「うぁぁぁー!!」」
ディルと、ついでに泰輝にもトドメを刺す宗也。部活で忙しかったはずなのにしっかり成績上位をキープしていた男に言われると、さしもの二人は言い返せなかった。
いつもの冗談の投げ合い。もはや定番芸だ。
そんなやり取りをしていた最中、目的の昼食会場……目白駅沿いのラーメン屋へと到着した。
「冷やし中華やってっかな」
「いや、ここの期間限定ざるそばだぞ」
「ラーメン屋なのに?!」
そんな他愛無い会話をしながら暖簾をくぐった矢先だった。
「あ、奇遇やな」
入って右手の机に三人の女子高生たち。爽帆、アユミ、そして恵那。
時刻は十二時半。愉快なお昼ご飯が始まろうとしていた────
「三年生は赤点補習関係無しに受験勉強で学校利用してるんじゃないの?」という疑問が湧きましたが(私立に対する偏見)、ツキ高が進学校かは不明なので「進学する生徒もいれば就職するやつもいる」ぐらいの雰囲気で書きました。あしからず。