幻想の世界とも言える森のドミニオンを進むディル・爽帆・アユミ・ファルディア。
そこはかとない眠気を感じるも、起きている分には問題ないため、その足取りは比較的軽い。
しかしその足並みまでが揃うとは限らない。
海水浴に来ていたからというのもあるが、爽帆とアユミは素足のまま。それに対しディルは甲殻を纏い、ファルディアは戦闘靴を履いている。歩きやすさの差で意識せず距離が開いていく。
「ちょ、ちょい待ちーや! 先にズカズカ行き過ぎ!」
「「え?」」
言われて前二人が振り返る。
「こっち裸足やねんで! こんな森の中で何も考えんと歩いとったら怪我するやん!」
「んあ? お前の肌はそんな弱いのか? 分厚そうだと思うけ……ぐべっ」
ノンデリ発言に爽帆の飛び蹴りがめり込んだ。ファルディアの顔面がつかれた餅のように凹む。
追いついたアユミがそれを見ながらディルにこそっと話しかけた。
「あの人狙ってやってるんですか……?」
「いや、単に常識がねーだけだろ」
「常識というよりデリカシーじゃないですかね」
「まぁ太田も割とつかつか割り込むことあるし、どっこいになるか……」
「黒装さんもそういうときありますよ」
「え」
指摘にディルが目を丸くした折、爽帆が愚痴漏らしがてら会話に割り込む。
「はぁ〜しくったな〜。こんなんやったらビーサン持ってきたらよかったわ」
「でもあれはあれで歩きにくいんですよね。跳びづらいですし」
「パッチー、普通はビーサンで跳ぼう思わんで」
「えっ、あ」
思わぬ言葉を口にしたことで目を左に右に逸らそうとするアユミ。その様子に爽帆が腕を組みながら目を細める。
「もしかしてパッチー眠いんちゃうん?」
「えっ、いや、歩いてますしそこまでは……」
「だって女子会*1のときも寝る前普段言わんことぽろぽろ言ってたやん!」
「あっ爽帆さん!! あのときはみなさんが下ネタとか色々言い出したから!」
「ほら! あのパッチーが『下ネタ』なんて言葉を使うなんて! 絶対眠いって!」
「さっき入ったとき大丈夫だったもん! 爽帆さんお母ちゃんのつもり?!」
だんだんとアユミの言葉遣いから普段の丁寧語が抜けていく。それを見かねて……ということは一切無いだろうファルディアが何か思いついたのか、人差し指をピンと立てて話し始める。ちなみに顔はすでに元通りだ。
「オレ様大天才だから分かったぜえ! ドミニオンの奥の方に進んで影響が強くなってるってことだあ! つまりドミネーターはこの先にいる……!」
「「「あーなるほど!」」」
考えれば誰でも分かるようなことなのだが、変な眠気に当てられている三人はファルディアが妙に賢く見えてしまっていた。
「じゃあパッチーの言ってた方向で合ってるや〜ん! このまま爆進〜!」
「しゃあっ! あとは勝ちだな!」
「行きましょ〜」
眠気、というより酔っ払いのようなテンションで再び進み出す一行。心なしか、その足取りは早い。
その進行を遠方から緑の光が覗いている。
(……ん?)
背中に感じた視線。ディルが首を振り返らせる。
しかし見えるのは苔むした樹々と毛玉のような光球が漂うのみ。
(気のせいか)
ファンタジーの森の中のような世界だ。いくらかは動物がいてもおかしくない。精々、凶暴な肉食獣じゃないことを祈るのみだ。とはいえ、このメンツなら並大抵の動物は返り討ちにできるのだが。
しかし、障害物となれば話は別。時間が取られれば、それだけドミニオンによる眠気が強まる可能性が出てくる。
ちょうど今、ディルたちの進行方向を邪魔するように一帯が蔦と根に覆われたエリアに出た。迂回しなければ先に進めないだろう。まるで着く前に眠ってくれと言わんばかりに。
「あっ、塞がってますよ」
「邪魔やな〜。向こうに光見えてるから迂回したないんやけど」
「こんなん吹っ飛ばせばいいだろ!」
さすがパワー系兵器というべきか。障害があるならそれを回避するのではなく、破壊するという思考が真っ先に出る。
そして彼はそれをいとも
拳を軽く握り肘ごと後方へ、そしてそれを前面の根の塊へ突き出す。軽くやったつもりでも普通の人間からすれば豪速球のような打撃。
蔦が一瞬で弾け、粉々に破砕された。
「アヒャヒャヒャ!! 余裕余裕!」
高笑い。言葉通り、彼にとっては軽く小突いただけの動作だ。それでも振動が地面や木々に伝わり塵が降るほど。
しかしそれがアラートとなった。
アユミの猫耳がピンと立つ。眠気だっていた彼女の目、その瞳孔が開く。
「な、何か来ます!」
「え?」
「あ?」
「なっ?!」
警告に三者三様のリアクション。
その直後、彼らの耳にもその音が入ってくる。
地を伝わる数多の足音。小刻みに駆けているであろうそれは、音の数にしては地面を揺らす振動が小さめだ。
音の方向に目をやる。進もうとしていた方向とは逆だ。倒木と苔むした段差が連なる小丘。その線から姿を現したのは一匹ではなかった。
まるで波。ざわざわと大量の蜘蛛が登場した。それも一匹一匹がサッカーボール大のだ。
「ぎゃぁぁああああ虫ぃいぃぃいいい!!」
まず最初に叫んだのは爽帆だった。続いてディルとファルディアが迎撃態勢へ。しかしてアユミは後方へ跳び退いてしまい、爽帆もダッシュで逃亡していた。
「あっ! ちょっ、分かれたらダメなやつ!! ……おいファルディア! あいつらと行くぞ!!」
「んああ?!」
この状況、各自で行動してしまうことが一番の危機だと直感したディル。ファルディアの服の首根っこを引っ張り駆け出す。
「八宮! 太田の方に走っぞ!」
「えっ!? あっはい!」
樹上に跳び上がっていたアユミに行動指令。幸い、取り乱していない彼女はそのまま跳び降りて走る。
さらにさらに幸いなことに、走るスピードも後ろ三人(とはいってもファルディアは引っ張られてるが)の方が少し速い。あっという間に三人は爽帆に追いつき、走りながら宥めようとする。
「落ち着け! 逃げるにしてもオレらを置いてくな!」
「ふぇっ?! 虫はああああ?!」
「あーもう! とりあえず撒くまで走るぞ!!」
混乱気味の爽帆が走っている方向に合わせ、一行は獣道ならぬ蟲道を死に物狂いで走りだした。
ディルたちがドミニオンへ突入して数分。
曇天の中、誰も起きる気配がない湘南海岸のビーチ。そこで少女が意識をはっきりさせたまま横たわっている。
流蘭院恵那……ノウンマンのフリをしているギヴィング・デスは目を閉じたまま、同行者たちが遠くの島へ行くのをじっと待っていた。
どんな事情があるにせよ、人の社会で生きようとしているならそれは半魔だ。その半魔である彼女は、浜がドミニオンの影響下に入ったとき即座に周囲の様子を把握、眠りに落ちた宗也を見た直後に寝たふりを実行した。なにせその状況下で起きていれば、正体がディルに露見してしまうのだから。
ドミニオンに向かった三人(と追加の半魔一人)が気づかなかったのは彼女の名演技の賜物だ。
しかしいつまでも横になっているわけにはいかない。耳に入ってくる会話から、屈強な半魔すら何もできず仕舞いになった、と恵那は推測していた。
そしてこのような『眠り』をもたらすドミネーターのことだ。搦手を多用するに違いない。そうなれば、直球型の
彼らは島に到着した頃だろう。そろそろ自分も出向いた方がいいか。
そう思い、恵那は体を起こす。
そのときだった。
「やぁ!」
耳に入る声。
どこからなのか、どの程度離れているのか、そもそも誰なのか、そんなことを確認するよりも、先に恵那の指先は魔の力を放とうとする。
だが、その動作は振り返った目のすぐ先にある物を見てピタリと止まった。
銃口だ。
遠近のピントが合わず一瞬ぐらつく視界。予想していた距離よりも圧倒的に近い、いや距離を詰められたのだ。
再び焦点が合った先には銃口の主が見える。恵那はその
「……」
黒倉アオイ。
クリニ=エル事件の前に出会った女。そのときはあくまでただの人間として見知っただけだ。しかし、メフィストフェレスと話していたことから『夜の側』の関係者である、と恵那はうっすら予想できていた。
それに加えてディルと同じ読みの苗字「こくそう」だ。漢字こそ違うが、恵那は彼女が『
色々な情報が乱雑に恵那の頭を流れ、とにかく一つにまとまる。つまるところ、彼女にとってアオイは厳重警戒に値する存在。
そもそも、ディルに馴れ馴れしく接している時点で気に食わない対象ではあったのだが。
「何の用かしら? そんな物騒な物を向けて」
強気の姿勢でアオイに問いかける恵那。銃口を向けられど、目線は揺らがない。
相手はこちらが
一方のアオイは相変わらずの軽薄な話し方で答える。
「ハハハ! 君の愛しの人は江ノ島に行ってしまったようだね! 着いていかなくてよかったのかい?」
「あいにく今起きたばかりなの。何が起きているかも分からなかったところ。情報提供感謝するわ」
この女は……確実にカマをかけにきている。
今起きて状況が分からないはずの人間に「着いていかなくてよかったのか」なんて聞くはずがないもの。
振り返り方こそまずかったかもしれないが、後ろからの不快な気配に強く敵意を向けるのは魔物でも人間でも同じのはず。まだ人間を貫き通せるはずだ。
恵那はにこやかな表情を浮かべながら、心の奥底で棘の盾を構える。
「ところでいつまで私にその銃? を向けているのかしら。私何かしました?」
あくまで素知らぬ演技を続ける恵那。
しかし、恵那の言葉にアオイの軽薄な目がじわりと歪む。
そして口をゆっくりと開いた。
「君が黒装孤児院を隠れ蓑にしたってことかな」
「……」
一瞬、目を見開きそうになる。だが表情筋は耐え抜いてくれた。
「……黒装孤児院? ディルの育った場所のこと?」
まだ、演技を通す。
バレるわけにはいかない。この女は、
まだ……
まだ……
しかし無情にもアオイは言葉を述べた。
「……あぁ、そうさ。そして私も昔そこにいたのさ。
(──────!!)
恵那は表情こそ無変を貫いていたが、瞳孔の拡がりは隠せなかった。
そしてアオイは矢継ぎ早に追い撃ちをかけていく。
「青マントの道化師一派、その末席にして別世界の出身。そして『鍵』の所有者。それが君の正体だ」
連投される
もはや虚勢を張る暇は与えられない。
アオイの見下ろす目線は完全に情報を掴み切っている者の気だった。
まずい。この女はあの時あの場にいた人物だった。そして私がそうであるという情報は兄さんたちと
つまりこの女は奴ら側の────
座っている恵那の姿勢は自然と後ずさりしていた。普段の彼女からは考えられない逃げ腰のそれだ。
そしてそれを見かねた半魔はため息一つ、突きつけていた銃口を上に向けた。
「ふう……どうやら一つ誤解させたかな。私は、君の追っ手とは関係ない半魔さ」
「……」
恵那の目はまだ、巣を守る獣のままだ。なにせ、『くろがね』とは関係なくても情報をどこで知ったかという問題が残るのだから。義兄であるモーメント・デスが言いふらすのもあり得ない。
「そう簡単に信用してくれないか。だったら言っちゃった方が早いかな。私の依頼主はキラーアンデット製造所所長。君は会ったことあるだろう?」
「……」
魔女は沈黙を続ける。廃墟新宿での所長の技術力を鑑みれば、恵那の正体に辿り着くことは不可能ではない。彼女自身、それには納得できていた。
しかしアオイの目的が不明だ。所長が情報源ということは、『鍵』のことも知らされているはず。それを知っているならば行うことはただ一つ──────
「……どうして私を殺さないの」
諦観にも似た、行動を問う一言が漏れた。
下手な言葉は命取りになりうるというのに。
対して、アオイは述べる。
「君からそんな言葉が出てくるなんてね。どうやらギヴィング・デスの罪状をよほどお分かりのようだ」
「あなたは『鍵』の危険性を知っているんでしょう……? だったら尚更……」
「あの所長からの依頼は調査。そこに殺害は含まれていない。それだけさ」
淡々と話すアオイ。銃口を上げたとはいえ、グリップは強く握ったままだ。いや、その動作の表れは口にも伝播していた。
「それとも、今この場で始末して欲しかったのかな? あの少年の怒りを買う前に」
「そんなわけ……ない」
恵那の脳裏に思い出されるディルの顔。
震えるように吐き出された意志にアオイは溜息をつく。ディルをダシに恵那の答えを誘導したが、実のところ怒りを抑えているのはアオイ自身だ。なにせ彼女自身も
故に……
「聞かせてくれないかな。君が鍵……
真実を知りたいのだ。こんな
そして、疑念を持ちながら敵意のないアオイの目を感じ取れないほど、恵那は塞ぎ込んでいなかった。
恐る恐る彼女は口を動かし始める。
「私のいた