その世界は地球ドミニオンと何ら変わらない、もう一つの地球ドミニオンだった。
似たような歴史を辿り、似たような人々が生きる世界。でもあくまで「似たような」、だ。志望校に合格した人物が不合格となったり、交通事故で亡くなった人物が企業の社長になっていたり。
そんな同じような世界……並行世界の地球で私は過ごしていた。
そのときの記憶は曖昧だ。なにせ、生まれてから数年、おそらく四、五歳ぐらいまでしか過ごせなかったから。
唯一覚えている記憶は両親の存在だ。愛されていたのだと思う。まどろみの中、抱き抱えられたときの暖かさはとても心地よかった。
……でもそれらは全て滅ぼされた。
さっきの「唯一」という言葉は訂正。覚えている記憶は他にもあった。でもあれは忘れてしまいたいものだ。小さかった私の心にはっきりと刻まれている。
連日続くテレビの怖い報道。恐ろしい怪物が世界の至るところで暴れているという。
……今にして思えば、あれは魔物が白昼堂々に認知されている異常事態だったのだ。そしてそんな状況はすでに
両親が慌ただしい様子で外に出かけていった
そしてやはり報道されている怪物。一瞬映ったそいつは、人と変わらない背丈なのに悪魔のような黒い翼と『白い闇』を纏わせ、ありとあらゆるものを滅ぼして回る、まさに
そして、そいつが巨大な剣を力一杯大地に振り下ろした場面を最後に、テレビは白黒のノイズを映すだけとなった。
それから数分後、とても大きな地震が起きた。
何が起こっているのだろう。何もわからない。
私はとにかく机の下にうずくまった。
数分経ってようやく揺れがおさまる。物がたくさん散らばったけれど、部屋が壊れているようには見えない。家は崩れてないのだろう。
だからだろう。「きっと外も大丈夫」と顔が窓に向いてしまった。
端的に言えば、それが『夜の側』との初邂逅で、精神がぐちゃぐちゃにならなかったのは奇跡だったというか。
でもとにかく見ない方がよかった。
目に映ったのは黒い山。
煙の上がる暗い街に現れた、樹の根と生物の肉と蟲と目が混ざったような、とにかくおぞましい『何か』。
見ていたらいけないはずなのに。身体が動かなくて目がそれを見続ける。
そして、
周囲に拡がる闇は、まるで時限爆弾のタイマーのようにも見えた。
さらにその
崩れていく肉体のような山。当然、隙間から大量の白い闇が湧き出す。
そして、白を穢すように奥から黒い瘴気の塊が出てきた。
今でも覚えている。その中心で揺らめいていた白く輝く巨大な目、
逃げなきゃ。
でも、身体が動かない。
硬直しきった身体、そこに発破をかけたのは両親が扉を開けた音。
振り返り、二人の必死な顔を見たところで、窓の外が強く光った。
物が消えていくなんてのを認識する暇も無く。
部屋にあったおもちゃも、寝る前に何度も読んでもらった絵本も、父さんが買ったばかりの車も、母さんが整えたお庭も。
お買い物の道中の看板も錆びた手すりの階段道も公園のタコさん遊具も、全部全部全部全部……
白に包まれ、無の黒となった。
覚えている両親の最期。何かを私に向かって放り投げ、こう言っていた。
『生きて』
放り投げられた物。それに触れていなければ私も消えていただろう。
そして、それが後の運命を決定づけた。
黒が一面に広がる無の世界。そこは光の無い宇宙のような空間だった。
静寂のみがただ続く。
そこへ、裂け目と許容するしかないものが現れる。渦巻くようなそれの中心、そこから一人の男が姿を見せた。旅貴族のような優雅な服装を青いマントとシルクハットで覆ったその人物は、端正な顔に似つかわしくない曇った表情をしていた。
『モーメント・デス』……
数多のドミニオンを行き交う魔法使いであり、ドミニオンを
そんな彼の曇り顔には
太陽光を安定エネルギー化させることに成功したその並行地球は、穏やかな成長を遂げていた。情勢が不安定になりにくく、様々な文化が発達したそこは、刹那の好きな
犯人……いや、この場合は犯魔とでも言おうか。それには心当たりがあった。
あらゆるドミニオンを滅ぼし回っているという邪神……
隕石のようにやってきて地中に眠り、エネルギーを蓄えた後に地上へ降臨、『
そんなわけで、お気に入りの世界が突然消されてしまった刹那は苦虫を噛み潰した顔になっていた。
多くのドミニオンを行き交い裏から支援紛いの行いをしている刹那だが、四六時中そのドミニオンを観ていられるわけではない。旅行好きが旅行先のお気に入り店にずっと張り付いていられないように。
そして、刹那が悪い虫の知らせを受け取ったとき……もう世界は無くなっていた。事前に知っていれば、救出できた命もいくらかあったかもしれないのに。
(せめて、地球ドミニオンの守護者に当たる存在がいれば……)
並行世界の地球がどれほどあるのか分からないが、それら全てに
強大な侵略者の前に、あっさりオーバーライドされた世界はきっと数え切れないほどあるのだろう。もっとも、今回の襲撃犯はオーバーライドどころではない事態を引き起こしたのだが。
考えればキリは無い。されど、今は物悲しさに耽りたい。
光の無い世界で半魔は少し俯く。そういった感情を持ち合わせることが、異形に堕ちないためのコツなのだ。
しかし──────
妙な違和感が感傷に浸るのを邪魔していた。
弱く輝く力。そう形容するしかない波のようなものを刹那の感覚は捉えていた。
何も無い暗黒の世界のはずなのに?
……自分たち魔物の直感は強力な指標だ。
刹那の経験則はそう語っていた。ならば行動指針は簡単。この謎の力の正体を暴く。
幸い、刹那は
そして構えていた割には、その波の元はすぐに晒し出された。
手を拭くような動作で、黒一面の宇宙からページをめくるように漏れ出る白い光。おそらく誰かに見つけてほしい意図があったのだろう。
しかし、光に顔が照らされた道化師の瞳孔は大きく開いていた。
「……驚いた」
ぽつりと口から言葉が漏れる。普段は驚かす側の道化師が驚かされていた。
泡のような白い光の粒子に包まれた四、五歳ぐらいの女の子。それが胎児のように丸まっている。
そして抱き抱えている中心にある光こそ、刹那が真に驚いた物だった。
「
脳裏に思い出される記憶。その昔、それも遥か昔。銀河連邦の学会に潜り込んでいたときのことだ。
『
公演会場で首長の宇宙人が並行世界論の話をしている。
ドミニオンを行き来できる刹那にとって、こういったドミニオン論は重要な情報源だ。しかし情報収集のためとはいえ、長々しくまどろっこしい説明に彼の目は細くなっていた。
当然、他の聴講者も同じ反応。ある者は触手をひたすらタップダンスさせていたり、またある者は発光器官が消灯してしまったり。
なにせ話が横道に逸れたり、回りくどい言い方だったりで。
刹那も騙し合いでその話し方は使う。だからこそ、学術の場で意図もなく使われることに辟易していた。
(うーん……これじゃ潜ってみた意味はあまり無かったかな)
会場を後にしようかと思った、そのときだった。
『……私の説が正しければ、このパワーリソースはあらゆる存在を改変することができる。その姿、能力、エゴまでも!』
一瞬、会場がどよめく。
『並行世界に存在する自身とその並行同位体、両方にあるパロメータ……ここでは仮に因果律
『並行世界と並行世界を繋ぎ、異なる可能性を開くパワーリソース……私はこれを『
(所々聞きそびれたが、つまるところ『自己改変ができる』だけじゃないか。そこまで……)
冷静なままの刹那だったが、どよめきの理由をすぐに理解することとなる。聞きそびれた
他の研究者から野次が飛ぶ。
『んなもん存在するわけねえだろ。自分だけじゃない
(……! 他者も対象にできるのか……!)
『そうだとも! 第一、根拠たるデータが無い! ここは妄想を垂れ流す場ではないのだぞ!』
────当然、会場は荒れに荒れた。
なにせ、銀河の頭脳たちがわざわざ時間を割いて集っていた総合学会なのだ。それを、ただ危険としか言いようのないブツの妄想理論に付き合わされたら、たまったもんではない。
『いや、あるはずなのだ!! 地球ドミニオンの守護者に値するパワーは他の並行世界でも!! むしろ守護者がいない並行地球にこそあるはずだ──────
……無駄な一悶着として記憶していた与太話だった。だが、今ここにそのブツは存在している。
刹那は魔法関連の分野に精通しているが、科学技術の分野に特別明るいわけではない。しかし、情報屋として長い時を過ごしてきたぐらいだ。当時見聞きした情報と今感じ取れる情報を照らし合わせるぐらいなら訳ない。
とはいえ、まさかあのときの学者が推察していた波形と全く同じものがあるとは。一目見てそれが『並行世界の鍵』だと判断できたのは、当時の学者が事細かに予想図を話していたからか。
しかし今はそんなことどうでもいい。
問題は『鍵』の力が少女の体と密接に結びついていることだ。
似たような事例には心当たりがある。
地球の守護者が『虚無』と戦い、その衝撃で散ったパワーリソース、『
そして、無理矢理取ろうとすれば宿す者は命を落とす、と半魔の間で常套句にもなっている。
(どうする?)
刹那の行動に悩みが生じていた。
こんな幼子に、ありとあらゆる並行世界の存在を狂わす力を持たせるわけにはいかない。自明の理だ。
さりとて、『鍵』を取り出して自分が扱いきれるわけでもない。学会で聞いていたから分かる。これは『羽根』と同系統の、扱えると思った者が力に飲み込まれる類だと。
(消してしまうか)
よぎる確実策。
しかし頭に別の策が思い浮かぶ。
(いや、あの『虚無』の力同様の『
何か思いつき、青年はエネルギーの波に手を触れる。
光は少女の中に溶け込むように消えていく。
(それに、唯一の生き残りだ────)
そして、眠る幼子を抱き抱え、道化師は異空間へと消えた。
脳裏に焼きついていた光景。それがふっと消えたのを感じる。暖かな気温とふわふわの触感が手足から丸めた肩に浸透し、五感に電源が点いていく。横顔に絡む髪にくすぐられ、意識がはっきりしてきた。
そう、夢だったんだ。
まるで熱の時に見る悪い夢だと、先の光景に悪態を馳せ、改めて安堵を噛み締める。夢で散々襲ってきた白い闇の気配は感じない。
横向きになっている体を仰向けにし、ようやく瞼を開いた。おはよう、私の部屋。
……だけど、視界に入ってきたのは知らない天井だった。
明るくない。うっすらと部屋を照らす蝋燭の火。それが壁にかかっているのが見える。
少しすれば目が慣れてきた。部屋の中は絵本で見たお姫様の屋敷のような豪華な部屋。でも窓は無い。
その認識が心臓の鼓動にアクセルをかけた。
私の家じゃない。
貴族が寝るようなベッドから飛び降り、隅に見えていた黄金取っ手のドアへ向かう。
誘拐された?
真っ先に思いついたのはそれだった。
きっと、だからあんな夢を見てしまったのだ。あんなものは現実に起こり得るわけないのだから。
とにかく外を確認しないと。
飛びつくように取っ手を引くとドアはあっさりと開いた。
まぶしい。朝焼けの容赦ない挨拶。光量の差に手が思わず前に出た。
そして効かない目の代わりに耳が外の情報を伝う。
「あぁ。ようやく目が覚めたようだね」
知らない男の人がいた。
並行世界の鍵《ストレンジスタ・ヴィアビリティ》。
早いが話、誰かとパラレルワールド(パラレルドミニオン)のその誰かのステータスを操作する力。力のある魔物ならイメージするだけで、誰がどこにいようと存在の改変ができる恐ろしい触媒。当然、その誰かの同意など不用。
今はかよわき少女が持っている(持たされている)が、もし他の誰かが手に入れたら……