一年半をかけ、手がかりになる情報を集め、居場所の目処はついた。あの黒装孤児院唯一の生き残りの。
とある山奥の洞穴。入り口前に二つの墓標があった。思わず目を逸らしてしまう。
中に入る。入り口付近は雪の踏み締める音がするも、進めば岩の硬い感触がブーツを通して伝わってきた。
「……誰だ」
一目で分かる。
やはり、あのときすれ違った彼だ。
でも、そのときからは考えられないぐらい生気が無い。死を待つ虚無の目。あのとき見かけた活気に満ちた姿がこんな風になるなんて。
……いや、そうさせてしまった原因は私だ。
そして、だからこそ来たのだ。
仮面で顔を隠したまま声を出す。
“私は地獄の道化師”
“何もかもを失い、ただ死を待つのみの
笑わせる。地獄に落としたのは私なのに。
“貴方の命を蝕む『
「……知ってる。
“へぇ……知っていたのね”
「……でもオレは場所を知らない。そして作ることも……」
“いいことを教えてあげる”
畳みかける。
“東京の湾岸沿いにあるレイヴン製薬のビル。その地下に冷凍保存庫があるの。保存されている薬品名はAnethum graveolens。とある植物の学名よ。和名はイノンド。英名は……『ディル』。この意味が分かるかしら?”
そう、
貴方にはこんなところで朽ち果てて欲しくない。そう思っている人たちがいたの。そして
『鍵』が暴走しないように、感情を糸で縫い止めながら言葉をかける。
“もしこれが成功した暁には、孤児院襲撃の元凶を教えてあげる。貴方も魔物なら
付け焼き刃のように情報を付け加える。
“さぁ、どうするのかしら?”
お願い。立ち上がって。
仮面を外して抱きしめ訴えかけたい、そんな今にも動き出しそうな足を止めたのは、少年のピクリと動いた掌だった。
強く握りしめられたそれに呼応するように身体全体が動きだす。
「例え
そう、変えて。生きて。
貴方が得るべきだった普通の人生を手に入れて。そのためならどんな助力だってする。
────それが私の、『償い』だから。
レイヴンビル地下三階第二倉庫。
モニタールームで映像記録を改変していた私は、その内の一つに映った彼──迎撃システムの電撃で動けなくなった──を見て脇目もふらず駆け出す。
見誤った。正常な状態の彼なら扉の対魔物セキュリティを難なく突破できただろう。でも、今は残り少ない命。そんなパワーは無い。
同階の電源室に転移し、即座にブレーカーを破壊する。事前にフロアマップを把握しておいてよかった。
ブーツのヒールが高い音を鳴らすのも気にせず、セキュリティの切れた倉庫へ向かう。間に合って────
そんな私の僅かな期待を塗りつぶしたのは床の血痕。
見開いた目が閉じてくれない。
まって
恐る恐る目線を移した先には、指定していた棚の前で横たわっていた彼。
いや
死なないで
ここまで来て こんな終わり方なんて
胸の『
崩れかけた情緒に反応して暴走しそうになっている。忌まわしい力。
でも……
でも、彼を死なせてしまうよりマシだ。
遠いどこかの世界の彼よ、ごめんなさい。
この世界の彼を生かすために────
あれから半年。
レイヴン製薬のビルにて彼……黒装ディルに『
去り際に素顔を見られたのは失策だったけど、それ以外は概ね順調だった。
きっと今頃は高校生として、
再び見た彼の姿は一匹狼のそれだった。
遠いビルの屋上から眺めるだけでもすぐ分かる、はぐれもののソレ。
……どうしてそうなったかはよく分からないが、胸に沸々と黒い感情が沸いてくる。自分の理想通りにならなかったから?
とにかく、そんな状態を私は許せなかった。エゴでも構わない。彼には普通の人間として過ごしてもらいたいのだ。
極力介入しないようにと思っていたけど方針を変える。
今から私は役者だ。いや、仮面を被っていた段階からそうだったかもしれない。
孤児院での生活がそうであったように、彼に人らしい人生を思い出させる。
そのために、あの月影高校に生徒として入り込む。
幸い、「変な生徒」が多いことで有名な学校だ。この時期に転入することぐらいは訳ない。
高校生の学力なら問題なく通過でき……
……待って。彼、私より一つ年上なの?
“初めまして。流蘭院恵那です”
アンノウンマンを装い私は彼のクラスに転入した。
“ストーキングはよくないんじゃないかしら? 黒装クン♪”
そう、よくないの。私みたいなのにつけられるから。
“じゃあ『契約』ね! 私を『守る』こと!”
違う。私が守りたいの。貴方の普通の人生を。
“でも私は期待してるのよ。外で守ってくれた貴方のポテンシャル!”
期待してる。会ったばかりの人間をも守ろうとする貴方の善性に。
人狼をけしかけるために『鍵』を少し使わざるを得なかったけど、必要経費だ。まだ猶予はある。
私を通して、上手くクラスと馴染めるように……
「だからもう守る必要ねーなって」
そう言われたとき、私の中で何かが崩れそうになった。
本来私は橋渡し程度でよかったはずなのだ。彼が普通の人間らしく生きていくための。事実、友人もできて教室内で笑っている顔が増えた。
でも、そう思う私の横で彼の隣を独占したいと思っている私がいた。
ここまでお膳立てした自負?
人間に『夜の側』の彼が分かるわけないという傲慢?
契約には何の魔力も込めていない、ただの口約束。あくまで償いのために高校生として転入したというのに。なのに……
池袋がオーバーライドされた。
兄さんと共に魔界で散々修行したから分かる。このドミネーターの気配は堕天使。
でもメフィストフェレスがいるこの地でそんなことができるとしたら……やはり似た気配が他に
破壊は簡単だった。罠こそあったけど、大したものではない。つくづく、兄さんたちの修行が高度であったと思い知る。
……!
彼の気配だ。けれど魔の姿で遭遇するわけには……いや、メフィストフェレスと話そうとしている!
私に関する情報が漏れないとは限らない。待ったをかけないと。
でも、そんなことは杞憂に終わってしまった。直後のドミネーターの出現、メフィストの消失。
彼もいるとはいえ、さすがに
それに、彼の目的は『昼の側』の私だ。……守る必要ないなんて言ってたのに。急ぎ移動しないと。
そして、異常空間の空を彼は飛んで迎えに来てくれた。
「恵那ぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!」
ドミネーターを倒すことより私を助けるためにビルの上から、しかも翼をなくした状態で彼は落ちてきてくれた。
別に来なくても自分の力でどうとでもなっていた。でも、だからこそ名前を呼びながら来てくれたのが心が湧き上がって。
「訂正だ。これからもオレはお前を守りたい」
言われて心底嬉しかった。本来の目的を忘れて舞い上がりそうだった。
そして、自覚した。
私は
本当のことを知られたら苦しくなるっていうのに。
でも、今は『くろがね』という追手もいないのだ。しばらくはこうして『昼の側』の住人として過ごし────
新宿の地下通路で見た白い眼光。忘れるはずがない。
『くろがね』だ。
動悸が激しくなる。けれど気分の乱降下ごときで『鍵』をまた暴走させてはいけない、必死の理性でそれをなんとか防ぐ。
その一方で、隣にいた彼の目が見えた。
憎悪に燃える殺意の目。
そのとき、彼が何故普通の高校生活を送れてなかったのか、直感的に分かってしまった。
孤児院壊滅の元凶、それへの復讐の炎が灯り続けていたからだ。
“貴方も魔物なら
私が与えた言葉通りだ。それが、こんな風に足を引っ張るなんて。
だから、なおのこと軌道修正しないと。『昼の側』の生活を、高校生としての暮らしを────
「黒装孤児院に『くろがね』を誘導したのは
もう戻れない。
私を狙っていた襲撃者の突然の暴露。
フフ、どうしてこうなっちゃうのかしら。
忘れない。元凶が私だと告げられたときのあの目を。仮面越しでも伝わる、ディルの心で渦巻く燃え盛る業火。
刹那兄さんが私の気配──実態はベハビアが真似ていた私の姿──を感知し、助けてくれたからあの場は助かった。でも、あの後すぐ兄さんは私を見失ってしまった。もちろん私も兄さんの姿が見えなくなった。互いに近くにいたというのに。『鍵』の影響は残り続けている。
もし、間に合ってなかったらどうなっていただろう。他の魔物のように容赦無く八つ裂きにされていたのだろうか。
憤怒による彼の瞬発力はクリニ=エル事件での通りだ。きっと私は反応できなかった。
……そう考えると、私が今五体満足なのは彼に葛藤があったからかもしれない。そうでなければわざわざ問いかけるなんてしないだろう。
でも、だからこそ、『昼の側』の
“追われることもなく、のほほんと生きているだけの”
脳裏をよぎる過去の発言。あれは自分に向けた「そうなりたいな」という願望だったのだ。
だけどそうはならない。なれないの。
ベハビアに捕獲依頼をしたのは間違いなく『くろがね』関係者だろう。 つまり
彼らが私の中にある『鍵』を手に入れてどうするか分からない。けれど、世界にとってよくないことだけは分かる。
それに、『鍵』だって今は封をしているだけで、いつ暴走させてしまうか分からない。
感覚で分かる。使える力は残り少ないと。『鍵』が消失すれば、結びついている私も……消える。
その二つの事実が私に平穏が訪れないことを告げていた。
……
……ふと、考える。
私がいなくなったらディルはどうするのだろう。
案外ケロッとしているのかもしれない。友人たちもいるのだ、支えられて普通に立ち上がってもおかしくない。
それとも、心の奥にずっと『何か』を抱えたまま生きていくのだろうか。
そうだったらちょっといいな。そう思ってしまう私がいる。彼の心に『私』という消えない跡が刻まれた証明になるのだから。
……また独占欲だ。彼はそこまでじゃない。例えそうだったとしても、こんなエゴのために碌でもない結果を起こすのは私自身耐えられない。
彼には普通の人生を送ってほしい。
でも、どこまでいっても私が
言えない。
真実を言えば一瞬で今の日常は終わってしまうから。
だから、ずっと仮面を被り続けている。
一秒でも長く彼といたいから。
実は恵那の年齢はディルの一つ下です。ツキ高には普通に年齢詐称して転入しています(そもそもツキ高にはそんな半魔ごろごろいそうですが)。
それでなお学年上位の成績なのは兄さんたちの教育の賜物だったり。