ビーチで自らの経歴をアオイに語った恵那は、遠くに見える江ノ島をただ眺めていた。
アオイに全部を話したわけではない。自身の気持ちそのものは秘している。
そんな彼女の内情をアオイもなんとなく察していた。
故郷を失い、息つく暇の無い『夜の側』での日々。似た境遇に同情をしないほど彼女も鬼ではない。むしろ、『鍵』による消滅の危険性まである。
だからか、もう銃口は向けていなかった。
彼女も隣に座って、ちょっと上の暗雲をただ眺めている。
二人とも互いを全面信頼したわけではない。逆に言えば、少しは信頼したのだ。
(ディル……)
島を眺める恵那の不安は増していた。
ドミニオンの規模を表しているであろう暗雲は拡がり続けている。聡明な恵那でなくても分かるだろう。ドミネーターが強くなっている証だ。
そんな中にディルたちは突入したのだ。不安にならないわけがない。
とはいえ、彼がこれまで様々な困難を突破してきたのも見ている。彼なら大丈夫だという願いにも似た信頼がある一方、ドミネーターはそんな易しい相手じゃないという理解が恵那の頭の中でせめぎ合っていた。
事実、ディルはかつて戦った
そして、今江ノ島を覆っているドミニオンの主があれより上手である、ということを恵那は直感していた。
なにせ彼女が宿す『
やはり手助けにいきたい。
しかし隣に監視の目がある以上、恵那も自重せざるを得ない。
只々、不安の中で待つしかなかった。
「……舐めとったわ」
げんなりとした顔で
出現した蜘蛛の群れを撒き(脚力だけでそれを為したというのはさすがフィジカル系半魔四人だ)、蔦に隠れた洞穴で一行は息を整えていた。
途中、巨大食中植物の中にファルディアが落ちたり、ネズミのような小動物に爽帆のビキニが剥がされかけるなど、散々トラップに巻き込まれたため当初の酔っ払いテンションは消えていた。それでも頭の片隅にどことない『眠気』と呼べるぼんやりとした感覚は残り続けているが。
「で、あそこが中心だろーな……」
「たぶんそうですよね……」
洞穴の入り口から顔を出す彼らが指し示しているのは、広大なクレーターのような盆地、その中央にあるドームのような樹根だ。
このドミニオン自体、巨大な樹々の枝葉により空が見えない。しかしこの盆地一帯は上層もドームのように凸になっているのか、太陽光が薄く差し込んでいる。まるで窓に差し込む朝焼けだ。
そして蝶や蜂など、このドミニオンの住人といった蟲が一帯を優雅に飛び回っていた。
「アヒャヒャヒャ! 分かるぜえ、あそこにドミネーターがいる!」
二人の間にヌッと首を突っ込むファルディア。戦意の表れか、その目はギンギンに開いていた。
「落ち着けよ……。まぁでも四人だったらどうにかなりそうだしな……」
ディルは三人を見る。意気揚々(むしろ飛び出しそうなほど)なファルディアはともかく、爽帆も腕をぐるぐる回し敵を殴るのに躊躇がない姿勢、そしておどおどしがちなアユミも心なしか足がつま先立ち。やる気には満ちている。
道中の苦難はあったが、振り返ればそれら全てを身体能力に特化した半魔の力で突破できたのだ。可能性という意味では十分だった。
それに……
ドミニオンの中央に来たから、というだけでは説明がつかないドミニオン全体の鼓動の巨大化。
ドミネーターの力が強くなっている気配をディルは感じていた。砂浜で人が眠ってしまったことと関係しているなら、ぐだぐだしている時間はない。
「ほな行こか!」
「「「おー!」」」
全員の意思が揃ったところで一行は洞を出て、ドームへと繋がる巨大な樹の根を歩き出す。
この樹根ドームの周辺も、上空は未だ巨大な樹々の葉に隠されているのだが、地上付近はぽっかりと空間が広がっている。そのため総合的な葉の層は薄く、上から陽光が差し込み明るい。
周辺を飛翔する蟲は先の蜘蛛と同程度。しかしディルたちを意識などしていないかのように舞踏会を続けている。
「正面突破、思ったより余裕やなー」
「それフラグじゃないですか?」
軽い冗談を交わせるほど、周囲から危険は漂ってこない。そして何ということもなくドーム側に着いた。
入り口になりそうな根の隙間を覗き込む。
「
「そうですか?」
「照らせばいいんじゃねえかあ?」
「お前絶対
魔獣化した姿──黒光りする甲殻を纏いながら、ずいと前に乗り出すディル。
猫目のアユミほどではないが、彼にも多少の暗視能力がある。夜闇の中、内陸の山奥から東京まで飛翔したのは伊達ではない。
さらに、何がいるか分からない空間でも彼の装甲=防御力なら攻撃に耐えられる目がある。
「気をつけてなー」
「あの、こっちも何か聞こえたら言いますので……」
「敵がいたら叫ぶんだなあ! オレ様も突っ込むからよお!」
「へいへい」
声援を受けながら、ディルは男起爆ならぬ男偵察を開始した。
樹根ドームの中。暗いとはいえ、根で構成された屋根はわずかに木漏れ日が差し込んでいる。孤児院脱出時の地下通路より遥かにマシな光量だ。
そして内部は外見通りドームになっていた。広々とした空間なのだ。
とはいえ、そこに広がっているのは野球ドームのような人工芝などではなく、人の背丈ほどある長い草の草原。目線より上はともかく、そこから下は草に覆われ何も見えない。
(飛んだ方が楽か……いや)
ディルは自身の飛行ユニットとしての選択肢を引っ込める。その理由はドームの暗がり、その奥側に見えるいくつかの「何か」だ。宙に浮いてそうなそれらが何かは分からないが、ディルの直感は生命体の気配を感じていた。
しかし詳細は不明である以上、飛行というアクションで刺激したくない。目視で正体が分かる距離までは草の中を進んでいくことにした。
(でもオレが行って正解だったな……女子二人は水着だからこんな草だらけのとこキツかったろうし。ファルディアはまぁ……ロクな突破しねーだろうし)
いくらか草をかき分け進むディル。長草は背が高いとはいえ、
そもそもこのドミニオン自体、幻想的な雰囲気はあってもそこまで異常な姿形のものはまだ見られないのだ。言い表すなら、現実的なデザインの範疇というべきか。クリニ=エル事件の方が空間認知の異常という点で大変だったとディルは感じていた。
しかしその悠長な気分はすぐかき消される。
右斜め前方……長い草がかさりと動いた気がしたのだ。ディルの視覚がそこに向く。
考えられるとすればこれまでに遭遇した蟲の類であろう。
……だが、少年の直感は
そのためか、前のめりだった身体が少し後ろに寄る。
やはりディルの直感は正しく、そして間一髪であった。
草むらを裂いて刃が現れる。
それは工学的に設計されたコランディウムブレード。ダイヤモンドに次ぐ硬度を対魔物用にコーティングした殺傷兵器だった。
「────!!」
胸部めがけて放たれた凶刃を、寸前で屈み回避に成功する。左肩の上を掠めていく切先。間に合わなければ胸の『
しかしそんな危機は、目の前に現れた刺突主の姿を見たことで隅に追いやられる。
ブレードの柄を握るグローブから腕に装着された各種小型端末、そのようなものが脚部や腹部に所々見られる。腰には携行しているアサルトライフル他銃火器。フルフェイスのヘルメット、その奥には緑色のアイセンサーが光る。
そして何よりもディルの目を引いたのは、それら戦闘服一式の色。間違えるはずがない。
(くろがね……!!)
月影高校で襲撃してきたベハビアが言い残した「かつての仇である部隊」の名。様々な感情が蘇りそうになる。だが感傷に浸る暇は与えられない。
切先を外した機甲兵は突きの勢いを殺さず体を前へ。姿勢を崩した半魔の顔面に膝を差し向ける。
ディルはとっさに腕を前に。防御だ。改造人間としての反射神経が活きる。
打撃。鋼鉄製の膝鎧が腕に衝撃を与える。だが軽い。受け止めるには余裕だ。早速反撃に移る。
しかしもう片方の腕を振るう前に、くろがねは受け止められた半魔の腕をバネに後方へ退いた。早い判断。まるですぐ反撃することを分かっていたかのようだ。
そのまま藪の中へ隠れていく戦闘兵。再び急襲を喰らうのは勘弁願いたい。決断早く『技』を放つことにする。
本来は右手で左手首を支える動作を入れたいが、今回は四の五の言ってられない。威力が下がることを承知で左手だけを大きく開く。
「
開いた左手から黒い重力球を放つ。それはくろがねの兵士が退がった藪へ、周囲ごと飲み込みながら入っていった。
そして一帯を大きく吹き飛ばす。草が散り、轟音を奏でる。
ディル自身も多少巻き込まれる位置だったが有無を言ってられなかった。飛び散った小石が顔にコツコツと跳ねる。
しかし……
「!」
爆煙が収まった場所でくろがねはしっかり生存していた。クレーターのように凹んだ地面に沿うように姿勢は低く、そして斜めに構えた折り畳み式の盾で防御。衝撃を和らげていた。
見たところ、盾は全体がヒビ割れている。次の攻撃を耐え切ることはないだろう。
しかし、本来ならその盾が一発も耐えられない力をディルは発揮できたはず。やはり突貫で放つ程度では威力が足りなかったのだ。
だが妙な引っかかりが残る。
(むしろこいつ、防げると分かって……?!)
爆撃のような攻撃からは、防御するより可能な限り距離を取った方がいい。先ほどの状況ならさらに遠くへ逃げる、といった具合に。
しかしこのくろがねの兵士──ヘルメットに印字された『ASN-1』の文字がコードネームなのかもしれない──は装備からしても重装甲でない。
先ほどのディルの攻撃が焦り気味でなければ完全に粉砕されていただろう。それを見切っているのは練度が高い証拠だ。
(これで一兵なのかよ……!)
配下ですらこれほどの手練なのだ。仇である白眼光の男……ディルはまだその名を知らない駕山の実力は言わずもがな。
(
頭によぎる安定択。しかしこれは千載一遇のチャンスとも言える。このASN-1に情報を吐かせれば色々な手がかりが得られるからだ。今はまだ周囲に他の仲間がいる気配も無い。
三人のところまで戻る間に逃げられてしまう可能性と、自身の身体スペックそのものが負けているわけではないという自信が天秤に揺られる。
(だったら今ここで潰す!)
戦意を燃やした半魔は、立ち上がりを見せたくろがね兵にすかさず猛攻を仕掛ける。
拳と翼による一斉攻撃。特に伸縮自在の斬翼は並の半魔では対処が難しい攻撃だ。それらが機甲兵に襲いかかる。身体能力では優っているからこその力押し。
しかし、それで通されるならこの『くろがね』という完全秘匿部隊は、すでに『夜の側』で知れ渡る存在だろう。
身体能力が高い魔物相手への対抗策も当然、備えている。
ディルが攻撃のために飛びかかった直後、ASN-1のバイザーアイが切り替わり、強く輝く。強い白色となったそれは車のハイビームのようにディルの目に焼き付く。フラッシュライトだ。
「────! ……くっそが!!」
強烈な光に一瞬視界が奪われるが、しかしディルは体をそのまま動かす。立ち止まれば敵の思うツボだからだ。
さりとて、ASN-1は
翼の切先が触れる寸前、腕に装着していたビンを射出する。
視界が奪われているディルは認識が間に合わない。射出されたビンごとASN-1を斬りつける。
浅い。刃は当たりこそしたが、衣類を断裂しただけで、肉体そのものに傷は与えられていない。
そして切断されたビンの中身がディルに降りかかった。
(……っ! 液体?!)
粘り気のないサラサラとした液。しかし甲殻はともかく、直肌に触れた部分はヒリつく熱さを訴えた。
酸だ。
フラッシュで目を閉じていたのは皮肉にも運がよかったと言えたが、さすがにディルの動きが止まる。
その一瞬の隙に、ASN-1は一気に肉薄した。
「こちらASN-1。例の生き残りと交戦中。待機班、『鍵』に関する作戦を実行せよ」
距離を詰める間に行う迅速な無線連絡。ディルの聴力でなんとか聞こえる音量だが、内容が内容だけに一言も聞き漏らすことはない。
(『鍵』! ギヴィング・デスを探しているのか?)
内容を精査したいがそんな猶予は一切無い。ASN-1は至近距離でそのままブレードによる刺突を敢行する。
フラッシュと酸で行動を阻害した上での白兵戦。ここまで距離を詰められれば翼も縦横無尽には振れない。
(当てずっぽうだが……そこか!)
まだ視力が戻りきらない目でなんとか迎撃しようとする。こちらも腕にブレードを生成して袈裟振り。しかしそれは空を切る。同時に二の腕を走る痛み。甲殻に覆われていない素肌をくろがねのコランディウムブレードが撫でたのだ。
「……こっ……の!!」
ぼんやりと見えてくる視界の隅、そこに映る機甲兵にそのままタックルを仕掛ける。
しかしそれは僅差で避けられる。
「舐めんなァ!」
苛立ちから叫びがこだまするが、反射神経にはブーストが掛かっていた。ディルの重力制御能力、翼を起点としたそれによりタックル直後の姿勢を無理矢理に変える。回し蹴りの実行だ。
直撃。しかしその感触は硬い。服の内部に仕込んだアーマーによるガードがなされている。
ASN-1は距離を離そうとしない、かつギリギリのラインでディルの攻撃をいなしてくる。彼の最も恐るべき攻撃を翼の乱撃だと見なし、それを封じているのだ。
(こっちの動きにピッタシ反応してきやがる……!)
ディルは至近距離での戦闘そのものに覚えがあっても、それらの多くはノーガードに近い殴り合いだ。
しかしこのASN-1はディルのクセを見抜き、的確に攻撃をいなす。いや、パワーで負けていることを理解しているからこそ、一撃を当てられないように立ち回っていた。だがディルにはそれがもどかしい。
それだけならまだしも、先の酸やブレードによる微小な損耗が与え続けられる。早いが話、ジリ貧だった。
(こんなグダグダしてたら仲間呼ばれちまう……!)
そう思ったときだった。
「アヒャヒャヒャ! お前だけに戦わせはしないぜええええ!!」
甲高い声が後方から轟く。
振り返ったディルの目に入ってきたのは……
草を『破壊』しながら突っ込んでくる隕石だった。
「────!!」
すかさず横に飛び退く。
隕石がすぐ横を掠め、先の黒滅爆縮で焼け野原と化した地面と擦れ、着弾。突然炸裂した攻撃に、くろがね兵も後方へ緊急回避を実行する。
それが成功したかどうか、ディルが確認するよりも前に重い振動音が鳴り、土や草が暴風のように巻き上がる。確認どころではない。さらに焦土が広がったのだから。
「あっぶな……」
手足を放り出すように地面に横たわるディル。その上を攻撃の犯人が跳ぶ。
「お前だなああああああ!! 先におっ始めた奴はああああああ!!」
当然、戦闘欲の塊たるファルディアだった。
向かうはエネルギー塊が消えた先にいる人影。直撃こそ免れたものの、衝撃波により損傷を負ったASN-1その人だ。
膝をついているそいつに戦闘狂がダイビングパンチをかます。後ろに溜めた肘から腕を前に伸ばして拳を叩き込んだ。
大破壊。二撃目のクレーターがその場に形成される。破片と衝撃波が周囲に飛び、しかし肝心の打撃は機甲兵に当たっていなかった。寸前での回避。さすがに攻撃前の存在感と予備動作が大きすぎたからか。
しかしASN-1はそこから素早くグレネードを撒く。
「「!!」」
瞬間炸裂、中から煙幕が広がる。夜目が効くディルであっても、画面を煙で覆われたらさすがに見えなくなってしまう。
そんな中で再び不意打ちをされたらたまったものではない。ディルは翼を最大限に広げ、大きく羽ばたかせた。
半魔のパワーで起こした羽ばたきが瞬く間に煙を外へと押し出す。
(いつ仕掛けてくる……)
当然、この間も警戒は外さない。あれ程の戦闘兵だ、まだ隠し球を持っていてもおかしくはない。
しかし……煙が晴れきってなお、追撃の手は降ってこなかった。
「あのやろう! 逃げやがった!」
真っ先にファルディアが不満の声を上げる。それはASN-1がこの場から完全に撤退したことを示していた。半魔二人を相手取るのは不利と悟ったのだろう。当然の判断だった。
「おーい黒装大丈夫かいなー!」
千年隕石で開けた道を爽帆・アユミが駆けてくる。
「こっちはこの通りだ。変なのに酸かけられたけど無事」
「酸て……もしかして上に見えてるあれですか……?」
「いや違うけど……てか上のって」
アユミの指摘で忘れていた上の存在……宙に浮いているであろう生命体らしきいくつかの何かにようやく注意を向けた。それは他の三人も同じ。
だが一行はそこでようやくそれらが何なのか理解する。
「ひっ……」
「嘘やろ……」
「なんだあ?
「まさか……」
それらは宙に浮いていたのではない。
上から細い糸で吊り下げられていたのだ。ではその先端で糸により雁字搦めにされているのは?
人間。
そう、大勢の人間が糸で吊るされていた。