糸で吊るされた大勢の人間。彼らを見上げるディルたちは驚愕の表情を隠せなかった。
「これ全部人間……?!」
一人二人三人……それどころではない数の人間が頭だけ残して糸の繭に包まれている。まるで揺籠の赤子だ。
「あっ! ビーチにおった鬼の兄ちゃんもおる!」
爽帆が指差す先には先に乗り込んでいたであろう鬼の半魔・剛三郎。ご丁寧に横には相方の異能者も添えられている。
二人とも見事に雁字搦めのまま、瞼を閉じていた。
「眠ってんのか……?」
吊り下げられている人々が助けの叫びを上げる様子は無い。
距離は決して近くないがアユミは猫耳を澄ませる。獣の聴覚が至るところから出ている僅かな呼吸音を聞き取った。死の気配は無いようだ。
「他にも半魔の人がいますね……」
「まさか全員が全員寝てんのか?」
「たぶん……」
吊り下げられている全員が拘束されたまま静かに眠っている異様な光景。
四人の警戒レベルが1ランク上がる。そのためか、周囲にある変わった物に気づけた。
「なんか落ちてんぞ」
ファルディアが落ちている何かを拾い上げる。手のひらほどの大きさの、レンズが付いた角形の電化製品。
「カメラだ」
「めっずらしい。令和やで今」
「チェキが流行ってますし使ってる人もいるんじゃないですかね」
ファルディアが持つそれに集まる三人。
「何か写っとるんちゃうん? 再生してええ?」
「これホラー映画で呪いのビデオとか見てしまうやつと同じじゃないですか……?」
「アヒャヒャ! 何か出てきたらぶっとばせばいいじゃねえかあ!」
「脳筋かよ……」
半魔がホラーにビビるのは笑い話だが、普段高校生として過ごしているのだ、感性が人間寄りでも仕方ない。
そんな細かいことは気にせずカメラを再生する。スマートフォンとは違いロック解除をする必要がないのは悪い点でもあり、良い点でもあった。
写し出される江ノ島の風景。青い海と江ノ電が走る光景から趣味の撮影であろうことは容易に推測できた。
その途中から変わりゆく空模様。合流してきた他の人間──先の剛三郎氏と難なく行動していることから、撮影者自身も半魔なのだろうとこれまた推測された。
そこから先はディルたちの行軍と同じ流れだ。ドミニオンに侵入しては森を突き進む。カメラが特殊仕様なのか、それとも撮影者が『夜の側』関係者だからか、とにかくドミニオンの光景が鮮明に写っているのはこの場ではありがたい事だ。そして今の四人と同じ状況、すなわち樹根ドームの中に入っていく写真が撮られている。
だが……
「こっから先ブレまくってる……」
「なんですかこれ、羽……?」
「いや……こいつが……!」
戦闘の最中であろう写真に写っていたのは背から蟲のような羽が生えた人型。その中には糸で巻かれる他の半魔も見える。次の写真は無い。つまりこれが最後であり、ここで撮影者の行動が止められたことを示している。
そして、四人とも確信した。
写っているこの人型がドミネーターであることを。
しかしそれと同時に、あることにも気づく。
見せしめか、非常食なのか分からないが、先客はこの上で吊るされている。その彼らが倒されたのはどれほど前だ?
つまり……
「あの……このドミネーターは近くに……」
アユミが言い切る前だった。
「そうヨ」
瞬間、全員の背筋を襲う感覚。
ゆっくり、声が聞こえた上方に顔を向ける。
まず目に入るのは、カメラにも写っていた虫の羽──極彩色の蝶を思わせながら鳥のように長い四枚の翼。そしてそれを生やすは虫ではなく女。
出るところが出て締まるところは締まっている豊満な体のスタイル。それがよく分かる露出の多い扇情的な服飾。ちらちらと落ちてくる羽翼の鱗粉が光り輝き、その体を煌びやかに見せていた。
まさしく妖艶という言葉が適切。魔物への耐性が無いアンノウンマンなら、その美貌に一瞬で目を奪われ虜にされてしまうだろう。
それが、樹根ドームの僅かな木漏れ日からゆっくりと高度を下げてくる。
とはいえディルたち四人は半魔。誤差はあれど精神に影響を及ぼすことはない。
むしろ普段の彼らなら、
「アヒャヒャ! 乳でかいぞあの魔物!」
「エロサキュバスやんけー!」
「何を言ってるんですか!」
「は?恵那の方が可愛いが?(筋違いの反論)」
と、喜劇紛いのやり取りもあっただろう。
……だがそんな余裕は無い。
(この魔物……いや、ドミネーターは……桁が違う!)
そこらの魔物とは一線を画すドミネーターとしての『格』が一行に威圧感を与えている。
かつてクリニ=エル事件でドミネーターであるクリニ=エルもといヘルマーと相対したディルすら、その時より上であると。
だがやることは変わらない。
「あの人らをぐるぐる巻きにしたのはお前か?」
単刀直入に問うディル。
翼持つ女はクスリと笑う。
「そう。彼らに夢を見せているノ。幸せな、幸せな、夢を。そしてワタシはその幸せを分けてもらう……」
翼を動かさずにゆっくりと地面へ着地する淫蕩の魔。しかしてその足は決して地につかない。
「ワタシはアルキネイル・アステイル。この
(夢蝕み……!)
ディルの頭の片隅、日下刑事から受けた魔物授業が思い出される。
夢蝕みとは、人間の想念により生じる霊的魔獣・スピリットの一種だ。他者の夢を吸い力を獲得する夢魔であり、原初の女性・リリスの子と言われる。その名の通り、他者に夢を与え、夢を喰らう。
記憶の中の供述と完全一致。状況も完全にそうである。先日、島で多くの人が倒れたという事件、剛三郎たち先遣隊の半魔以外の人間がいること、ドミニオンの拡大……
すなわち、このドミネーター、アルキネイル・アステイルが人の夢を取り込み強大となったことを示していた。
横を見ると他の三人も同時に頷く。その結論に辿り着いたようだ。
そして放置すればどうなるかも明確になった。
ドミニオンが拡がることで、人が眠り=夢がドミネーターに提供され、無限にドミニオンが拡がっていく。
「それなりに多かった湘南の人数でこれなら、都内やともっとヤバいで……!」
危機を促す爽帆。しかし教室内でゴリラと呼ばれた時のような即暴力の実践はしない。ジャリ、とサンダルが砂を噛む音をさせる程度だ。
ドミネーター相手、それも初手で圧倒的気配を放たれたのだ、警戒するのは当然だった。
アユミも猫耳が外側に引っ張られたように伏せる形となっている。瞳孔がより大きく開き、中心の黒目が細くなったそれはいつもの口だけ威嚇より数段階上のものだ。
ディルも同じ。相手の気配だけでも
くすくす笑い続けている幻魔。三人はいつでも動ける構えを取りつつ、相手の出方を伺う。
だが、そんなことはお構いなしと言わんばかりに、横からファルディアが跳ねた。
「!!」
アルキネイルの懐へ一気に距離を詰めると共に、拳を突き上げる。剛風。だかそれは空を切る。
「ちっ! 避けるかあ!」
アルキネイルは翼の羽ばたきで体を後方へ逸らしていた。しかし長髪の先端、翼の鱗粉がはらりと散る。間一髪。
見える位置からの飛び出しでこれだ。ファルディアの白兵能力は十分通用するレベルだった。むしろ、そういった徒手空拳を得意とするわけではない夢蝕みでよく反応が間に合ったというべきか。
そこにディルが続く。こうなった以上、静観するなどもっての外。さっさと多人数でケリをつける方が早いと判断したのだ。
「あらあら……焦らなくてもアナタたちにはとびきりの夢を見させてあげ…………っ!!」
あくまでドミネーターらしく余裕を保とうとしたアルキネイル。その頬をブレードが掠める。『白い闇』を纏わせた殺傷攻撃だ。
「アナタ……なんて危険なモノを…………!?」
ブレードのエネルギーに気を取られたか、その背中で何かが振られたことに気づけなかった。
「くっ!」
背に打撃を感じたからか、一度距離を取るべくアルキネイルが飛翔する。
「えいっ」
だがまたしてもその上から頭に一撃。
「?!!?」
一瞬視界に入った攻撃の主を目で追い、逃さなかった。地面に着地する猫耳の少女。手には銀色に輝く金属バット。そして飛び上がり状況を俯瞰したことで先の背後攻撃を行った少女も把握した。
手に持つ道具……テニスラケットを肩にトントンと当てドミネーターを見上げる爽帆。
幻魔アルキネイル・アステイルは推測した。
先の背後からの攻撃は、この少女によるものだと。いつ接近したか。それは装甲少年の攻撃、その大きな悪魔の翼に隠れてだろう。そして猫耳の少女は跳躍力で自身の上を取り追撃を実行したのだと。
人数差による純粋な連撃力。現にこの思考中も眼前に灰髪の乱暴者が迫っていた。
翼を前に広げてのガード。ファルディアの拳が防がれる。しかし勢いを殺すことはできない。アルキネイルの鱗粉が弾け、全身は後方へと突き飛ばされた。
「パッチー!」
猫の俊敏性をもってして瞬時に回り込んだアユミが金属バットを振りかざす。爽帆から渡されたトンチキ武器……学生ストレンジャーがよく携行すると言われるスクールウェポンだ。
野球部の練習音のような軽快な音がドミニオンに響く。
「おっかねーなあいつら……」
女子二人が勇ましく戦っているのを見てぽつりとぼやくディル。
相手がドミネーターとはいえ、人の姿に近い存在だ。ファルディアのような傭兵業をしているわけでもない二人が、素手の暴力を振るうことに抵抗があるのではとディルは少なからず思っていた。
しかし二人とも純人間ではない亜人種族の中でも特に身体能力に秀でている方だ。過去に数回魔物と戦闘しているというだけあって、実態はこの通り。容赦無く武器やら蹴りやらを叩き込んでいる。
「や、やるわねアナタたち。でもこれならどうかしら!!」
形勢がずっと不利なままではいけないと思ったか、表情から余裕が消えたドミネーターは翼を丸める。
そして翼を勢いよく広げたかと思えば鱗粉を棘のように変化させ降り注ぐ。
「! ……お前ら下がれ!」
全方位爆撃とも言える攻撃。グラビティバリアの構えを取り、範囲防御を試みる。
しかし地上にいる爽帆やファルディアはともかく、跳躍していたアユミはまだ宙の上。後ろに回るまで間に合わない。
だが脳裏に一週間前の戦闘がリフレインする。積み重ねた戦闘経験値がアイデアを導く。
「太田! ファルディア! キャッチ準備!」
「えっ?! ほいな!」
「ああ? 分かったぜえ!(分からない)」
もう後ろに回った爽帆とファルディアに促し、ディルは変わらず手を構える。降り注ぐ棘の雨に泣き叫びそうになるアユミに狙いを定め……
「グラビティ!」
ディルの腕が引かれる動作。それに伴い、自由落下で軌道を変えれないアユミの体がぐんっと三人の元へ引き寄せられる。
勢いそのまま、しかし
「ほにゃあっ!?」
「ほいキャッチ!!」
何が起こったか把握できてないまま横に飛ばされてきたアユミを見事に受け止めた二人。
そして信頼しきっていたのか、それには目をくれず、ディルはすでに手を構えている。
迫る棘の雨。しかし脅威ではない。
「グラビティバリア」
手を中心に後方へ球を作るように形成される透明な重力壁。それが鋭利な棘を全て弾く。同時に爆発していく景色。ぶつかった瞬間爆発する性質だったようだが、重力壁で阻まれたディルたちには一切効いていない。
「有り得ない! これを防ぐっていうの?!」
狼狽えるアルキネイル。その間に棘も爆発も降り止む。と、同時にバリアから即座に駆け出す半魔たち。
先の攻撃で鱗粉が減った羽翼は飛翔能力も低下してしまった。駆け巡る四人の動きに対処できない!
「とうっ!」
まず初めに爽帆が脇腹にラケットのスマッシュを叩き込んだ。ビーチではボールだった剛腕の一撃。
悶えるドミネーターに今度はアユミが横からホームランスイング。尻にクリーンヒットしボールのようにドーム内の壁を跳ねる。まるでピンポン玉だ。
そこへ浮遊できるファルディアが頭を掴んだかと思えば壁へダイレクトアタック。樹根ドームにクレーターが発生する。
「ぐうぅ……ここまで連携できるなんて……アナタたち一体何者……」
屑汚れで優美な夢蝕みの欠片もなくなったアルキネイルの眼前、さらにディルが現る。返答はしない。
ブレードの大振り。かろうじて受けようとしたアルキネイルの一翼が吹き飛ぶ。そのまま半魔の拳が叩き込まれた。
勢いは止まらない。大きく態勢を崩している内にラッシュモードへ入る。
だが。
ドミネーターに連続攻撃を浴びせながら、しかしディルは違和感を覚える。
(……? いや、何かおかしいだろ?!)
遭遇した際に直感した『格』の違い。
それなのに、四対一という人数差があるとはいってもここまで簡単に優位を取れるか? 本当にドミネーターがこの程度なのか?
ディルの頭で異常を訴える勘。理性がそれを聞き入れ記憶フォルダを見直す。
『そうよ。彼らに夢を見せているの何ノ』
『人は私を
(幻魔……もしかして、
そう思った瞬間、ディルは自身の頬──装甲で一部を覆っているのに──を叩いた。
まばたきのように一瞬視界がシャットされ、同じ景色がやはり映り続ける。
しかし地上で戦っているはずのドミネーターは初遭遇と同じ上空だ。
その顔は相変わらずくすくす笑い続けている。一つ違うとすれば、指から放たれた糸がディルたちに纏わりつこうとしていたことだ。
「!!」
発覚した瞬間、即座に抜け出すディル。よれた糸が多少もたれかかるも気にしない。そのまま他の三人も同じように糸が纏わりつく前に引っ張り上げ、まとめて後方へ退がる。
そして棒立ち・うつらうつらの状態の三人にディルは目覚ましビンタを見舞う。女子相手に叩くなんてなどと考えていられる状況ではないが、腫れない程度に力を抑える理性は残っていた。
「なっ? あ、あれ? 究極完全体グレートパッチーは?」
「寝ぼけてんじゃねー! さっきまでのは幻だ! オレら眠らされかけてたぞ!」
「えっ? なっ? ほんまや! あのエロエロドミネーター無傷やん!」
状況をようやく飲み込んだ爽帆。そのままアユミの肩をがくがく揺らす。
「あっ、あ爽帆さん起きてますって!」
首が前後に振れながら、しかして何か思い出すアユミ。
「き、聞いたことがあります! 蝶の鱗粉は光を反射してあんな色になるって! だから蝶みたいなあの夢蝕みは鱗粉で相手を惑わせてるんじゃ?!」
「そうか! ウチらが最初に見た時点で鱗粉が舞ってたから……てかこのドミニオン入ってから妙に眠いんって」
「アヒャヒャヒャ……それだけじゃねえ」
寝起き直後だからか、いつもの笑い声に張りがないファルディアが藪から棒に口を挟む。
「オレ様は『池袋の夜』*1で夢蝕みと闘ったことがある。そいつから聞いた話だが、夢蝕みや吸血鬼みたいな、他人からエネルギーを吸うやつらがドミネーターになるには、質にもよるが何千何万は獲物がいるんだとよ」
「え、上にぶら下がってる人たちって精々百いくかいかないかじゃないですか」
「そうだぜえ。だから、あの連中の力を吸い取ってドミネーターになったわけじゃねえ。もっとどデカい力が……」
何かに気がついたのか、ファルディアの目は見開いたままとなる。
生体兵器ならではの目が、人間にはない特殊なエネルギーを感じ取り訴える。淡く輝く黒の奔流を。
「まさか……あのドミネーターは……」
そして、そのエネルギーはディルにも感じ取れた。
「……!!」
口を揃えて呟く。
「「
ようやく出てきました。BBTではお馴染み、羽根です。