ゆっくり、目が開いた。
視界に映る白い壁。知らない……いや、知ってる天井だ。
身体を起こし、周囲を見渡す。
天井と同じ白色の壁に、隅に置かれた医療器具。
病室だ。そして同時に、自分がいるのは薄い布団がかけられたベッドの上だとようやく気づく。
思い出した。江ノ島に出現したドミニオンに乗り込み、そこでドミネーターと戦ったのだ。かろうじて倒した後、医療施設に運ばれて……。酷い眠気の中で担架に揺られたのをほんのりとだが覚えている。
少し体が痛むのも、連戦による疲労や敵の麻痺による心身への負担からだろう。
再び身体を横にする。
……
何故か妙にリラックスしていた。
浜で眠ったクラスの連中はどうなった? ……オレが運び込まれていることを考えれば、あいつらも救助されてるだろう。
いっしょに乗り込んだ太田や八宮は無事なのだろうか。
いや、あの二人にはファルディアがついてる。なんだかんだ傭兵業をやれてる奴だ、ああいった約束事は守るだろう。
それに初戦闘のあの状態でも生きてたのに、あんな巨大ムカデごときに殺されてたらがっかりする。
そんなことをぼーっと考えていたからか、視界の端に映る光の点滅に遅れて気づいた。ベッド横のテーブルに置かれていたスマホからだ。
メッセージの送り主は死霊課の日下からだった。
どうやら後処理の色々は向こうが先だったらしい。そりゃそうだ。ドミネーター……アルキメデスだかなんだか言ってたやつを倒したのはオレだったけど、満身創痍。あのドミニオンがどうなったかを調べる余裕はなかった。
案の定、メッセージの続きに江ノ島は元通りになったと書かれている。なにせ、「ドミネーターが倒されたらドミニオンは消失する」のだから。
眠らされていた半魔たちおよび人間は全員、島で寝転がっていたらしい。保護した後に、起きた奴から事情聴取タイムだったようだ。その中にはファルディアや女子二人もいたとのこと。ちょっと安心した。
こう、絶妙に些細なフォローを日下はしてくれる。
最初に遭遇した時は胡散臭いオッサンとしか思わなかったけど、元々は池袋近辺の神木だったと聞いて、納得したのを覚えてる。あの胡散臭さと世話焼きの両立は人間とは違う神格という存在だからなのだろう。
……
思い返すと。
色々なやつとかかわるようになったのだなと痛感する。
前までこんなことはなかった。育った場所は閉じられた環境だったし、東京に来てからもわざわざ人間とかかわろうとしてなかった。
きっかけがあったとすれば、「高校に行け」と言ってくれたミント姉たちのおかげだろう。
廊下を鳴らす足音が聞こえてくる。
きっとあいつらだ。
そう思ったのも束の間、勢いよくドアが開かれる。
……違う人物だった。でも、親しい人物には間違いない。
入ってきたのは金髪の女。頭にはストライプ模様の入ったバンダナを巻いている。ただ、羽織った黒いマントの下から覗くメカニカルジャケットや、体の色々な部位に装備した機械装置はおおよそカタギの人間ではないことを示していた。特殊部隊のそれだ。
「よぉ、無事だったか?」
「起き上がれる程度にはな。ミント
姉のように慕っている人の名を呼んだ。
「そう。勝利を確信したときこそ人は最も無防備になるノ。アナタはもう眠ったまま。幸せな、あなたの望んだ夢で……」
アルキネイルは眼前で動きを止めている半魔を見つめていた。
体の右側の糸を切ったまま、力なく左側の糸に吊られているディル。腕のブレードを振るおうとしたそこで、彼の意識は途絶えていた。
それを確認したところで、幻魔は別の場所に意識を移す。
最下層の平原。骸となった配下の眼から、寝転がる半魔三人を観る。
口を大きく開けながら呑気ないびきを立てているファルディア。
その腹を枕にして涎を垂らしながら安眠する爽帆。
その側で横向きに丸まって寝るアユミ。
「クスクス……アナタたちも素晴らしかったわヨ。それこそ、この子に加勢できたらワタシを倒せたかもネ」
ドミネーターは
「でも……遅かったワ。彼を取り込んでワタシはもっと強くなっタ。
ディルを眠らせたことでより強大となったアルキネイルは、離れた場所からファルディアたちをあっという間に眠らせた。
羽翼の鱗粉はより鮮やかに、ドミニオンの鼓動は大きく。
酔いしれるまま、身体の前にいる半魔をもう一度眺める。かつてのトラウマと同じものを宿す魔獣だ。屈服させた喜びを噛み締めておきたかった。
しかしふと、その刃からわずかに出ていた残り滓の『白い闇』が目に映る。
瞬間。
アルキネイルの指は虫を払い除けるような動作で糸を、そしてその先に繋がる半魔を眼下の地面へと叩きつけた。
反射的な動作。いや、表情にはしっかりと
息も荒々しくなった幻魔だが寸刻後、思い出したかのように横たわるディルを糸で覆っていく。さながら地面に貼り付けられたテープの繭。
「いけないワ。あんな塵程度に取り乱すなんテ。私の『
自身に言い聞かせる。
むしろ、その思い込みこそが魔獣の核たる自我を補強する。
そして事実、四人の半魔を眠らせドミネーターはより強大となった。
これを打ち破れる者は、もはやいない。
「単騎でドミネーターに挑むなんて無茶やるぜ」
「あんときはあれしか方法がなかったんだって。それに倒したんだしいーだろ」
「お前なぁ……」
部屋に来たミント姉に早速呆れられた。仕方ない。こういうことが日常茶飯事なのだから。
「みんな待ってんだからとっととブリーフィングルーム行くぞ」
「へいへい」
促されて
シンプルな黒色のジャケット。それは二の腕に「MADF」の印字が刻まれている。
Melchizedek Assault Black Force……
メルキセデク強襲黒装部隊。
それがオレたちの部隊名だ。
魔物の力が発露してからオレたちは全員レイヴン本社のある
そんな苦労人がブリーフィングルームで待ち構えていた。
「うーっす。
「はぁ……この場合任務じゃないから帰投じゃないんだけどね。まさか学校の友達と遊んでる先でドミネーターを倒すなんて……そんなことできるの君ぐらいだよ」
フリックさんは東京に来てからオレたちの雑務周り……だいたい戸籍とか転入とかのいろいろを全て監修してくれた。ツキ高への転入も名目上「調査のための潜入」ということになっている。その際、「黒装」の苗字があからさまにウチの部隊名だってバレるだろってことで「黒倉」に変更したし。まぁ、漢字一つ違うぐらいは正直どうでもいいが。
「ディルにぃ、今日も遅刻だね」
「うっせ、病人だからノーカンだ」
すでに椅子に座っているカンナもオレと同じくツキ高に潜入している身だ。
オレとは違ってこっちは上手くやっているようだ。同級生たちに聞いたら、どうやら「物静か系天然美少女」みたいな扱いのようで。本人がそのことに気づいてないってのが話通りだった。
「そんなこと言ってるとサボり癖ついちゃうよ? 確か……トンズラ?」
首を傾げながら顎に人差し指を当てる動作。確かにこれは天然美少女の貫禄。
しかし、またあの同級生……音無慧那は変な言葉教えやがって。教室で何かあったとき知ってる半魔がいるのは心強いけど、それ以上に変な言葉をポンポン教えやがる。カンナは純粋なんだ、真顔タコダンスのような胡乱アクションを教え込むな。
「ディル君、カンナちゃん、フリックさんの定時報告始まるよー」
「次は合同訓練だって」
他のメンバーから言葉を受けて椅子に座る。みんな孤児院からの仲間だ。オレやカンナみたいに周辺の中高に通う奴や、ミント姉みたいに組織の活動をメインにする奴もいる。
でも、総じて「ガキの集団」だ。
年齢の割に言うことを聞く方と言われているらしいが、今回のオレみたいに突発的に事件に首突っ込んでったり、学校の制約もあったりする。
事実、MMMの連中からは疎まれている雰囲気を感じる。そりゃそうだ。メルキセデクのボスのもっと上のボス……メタトロンからすればオレたちは穢らわしい
「……ディル君、ディル君」
「うわぃっ?!」
フリックさんの手が肩を小突いた。しまった、話すっぽぬけてた。
「また上の空になってたね……。そんなんじゃ学校留年するんじゃないかい?」
「フリックさん……冗談キツいっすよ。今回みたいにクラスの奴らに教えてもらえばいーし……」
そこにカンナが口を挟む。
「でも宗也先輩部活で忙しかったら? 泰輝先輩も同じ補習組だし」
「そ、そうなったら他の奴らに……?」
そう、他の奴らに教われば……
あれ?
夏休みの補習は誰に教わった?
宗也と泰輝以外は……太田か八宮か? あんまあの二人から教えてもらった記憶はねぇ……な?
補習……講義……そうだ、春ノ戸先生にだ。んで東京来たときはあの人伝いに日下のオッサンに魔物種別表みたいなのを渡されて。
いや、あの人は別の魔物絡みで遭遇してからの腐れ縁だったな。
そう、色んな奴らとかかわるようになったから。
「だから大丈夫だって」
でもなんか抜けてるような……
「ディル君痴呆ー?」
「寝過ぎだー」
「まだそんなボケる年じゃねーよ!!」
「はいはい、そこまでにして。じゃあディル君はミントと一緒に出撃してね」
「ほら行くぞ」
「ウス」
フリックに指示され、ミント姉と共に任務に向かうことにした。ブリーフィングルームから出て、地上に出るエレベーターまでセラミックタイルの廊下を歩く。
「はぁ……全く、お前は小難しい話になると相変わらず頭に入んねぇのな」
「そ、そんなことねーよ! 何回かやれば頭染みついてくるし!」
「それに何回も付き合ってくれるやつがいたらいいんだけどな。アタイらはそういうの、もうできないんだし」
確かにそうだよな。みんなもういないんだ。
……?
え、あれ……?
「そう。いないんだ。あの日、孤児院は壊滅した」
でも、今はこうして部隊として活動してて……
「そういう夢物語だ。お前の昔の後悔が、後悔になっていなかった世界の」
……引き摺って悪いかよ。
……だって、オレにとって家族ってのは!
孤児院で過ごした
「はっ、馬鹿言ってんじゃねぇ。思い出の中の家族より、現実の本当に
そう言うとミント姉はとん、とオレを手で押した。反射神経はみんなの中で一番のはずなのに反応できない。身体が避ける気を無くしていた。頭に別のシルエットが浮かんだから。
そしてエレベーターに入れられると、すぐさまドアは閉まる。
「今お前を動かしているあの
この光景は見覚えがあった。あの日、フリックさんがオレを逃がすためのそれと。違うのは、何かに追われているわけではなく、そして落ちるのでもなく……エレベーターはそのまま上昇していく。
「長いことお前を見守ってきたけど、アタイの残滓もここまでだ。あとは楽しく生きろよ」
窓から見えるミント姉の姿がどんどん遠くなっていく。
地下のエレベーターは下を見れるわけないのに、何故か床下の黒い世界は見えていた。その中でミント姉がいる廊下の逆光だけが一際輝いていて。
マントを翻し、かつての家族は光の中に消えていく。
そしてそれが見えなくなる頃、オレの意識は深い眠りへと入っていった。
目覚めを促し、霊魂は世界に還った。
そして、