湘南海岸一帯を覆わんとしていた暗雲。その中心たる江ノ島から、突如として衝撃波が広がった。大気が揺れ、雲が散る。
もしこの辺りを観測していた魔物がいたなら、その原因はドミニオンの中から空に向かって放出されたエネルギーにあると分かるだろう。そのエネルギーがドミネーターを滅ぼした一撃だと分かるかは不明だが。
そして、ドミネーターが真の死を迎えたことでドミニオンもその存在を保てなくなっていた。外側との境界が風化し消えていき、海岸の景色が顔を見せ始める。
その頂上付近、塵のように消えていく樹根ドームの草原に魔神は佇んでいた。竜の姿を解いたばかりだが、そこに消耗は見られない。
「フン……所詮借り物の肉体ではこの程度か。全力には程遠いな」
己が拳を眺め、そのまま上に掲げた。
その先に見えるのは二つの『
ひらひらと落ちてくるそれを手に取り、
拳から漏れるように光の奔流が走り、そしてそれを見た魔神は何か思ったのか、その力を弱めた。
「こんなもの……今さら何の足しにもならん」
どこか憂いを帯びた呟き。そして、二つのエネルギー体は輝きを抑えていくと共に魔神の中へ消える。
同時に、禍々しい装甲も塵となって元のディルの体へ戻っていく。
その目つきは鋭いまま。元の少年の意識は奥底で眠り続けていた。
実質的にガワを手に入れた亡霊は、空を眺めながらぼつりと呟く。
「フン……目覚めないか。ならばこのままオレがこの地球を滅ぼしても文句は言わせんぞ……」
恵那は砂浜から空の晴れる様相を見ていた。
エネルギーの奔流、散る雲……中心である江ノ島の
当然、その実行者もディルたちだろうと考える。実際のところは彼らも失敗し、代わりに中の亡霊が状況をひっくり返してくれたのだが。そして、その亡霊が現出した理由は……
今すぐ島に向かいたい恵那だったが、ドミニオンが崩壊したということは、人々が起き始めるサインでもある。下手に目撃されたくはない。
それに、横にいる
熟考しようとした中、先に言葉をかけてきたのはアオイだった。
「君、早くそれをしまった方がいいよ」
言われて恵那はようやく気づく。
胸で輝く淡い光。『
先ほどよりも弱くはなっているものの、分かる程度に光は主張はしている。
(まさかさっき不安に思っただけで発動していたの……?)
自身が無意識に使用したことに焦りと恐怖を感じる。なにせ、今の今まで気づいてなかったのだから。しかし、それでさらに感情が不安定にならないよう、恵那は深く呼吸し心を落ち着かせる。刹那の教えだ。
そして呼応するように輝きは消えた。
それを見て、アオイは切り出す。
「君の存在はだいぶ不安定になっているね?」
彼女の目が恵那の目をしっかり見つめる。
同じストレンジャーであるアオイはその変容をはっきりと感じ取っていた。恵那の存在が一瞬、ブレるように消えかかったのを。先の身の上話にあった、有限である『鍵』が無くなれば彼女も消滅する、という信じ難い情報をアオイは直に理解してしまった。
そして、アオイの指摘を受け入れないほど恵那は自分に無理解ではない。
だが、それに対して上手く返そうと言葉をまとめ合わせることができない。
はいそうです、とだけ言う? 命が少ないんですと言って同情を? そもそもこの女は丸め込めるの?
そこにいるのは普段の聡明な彼女と違う、追われていた頃の頭が一杯一杯の彼女だった。
その心の内を
「?!」
突然の行動に戸惑う恵那。
「そろそろお暇しようかなと思ってね」
「……あなたは何が目的なの?」
「それは果たしたさ」
所長から依頼された『鍵』の持ち主の調査、そしてアオイ個人が知りたかった恵那の過去。それを知った彼女に、もはや追及の気はなかった。
「じゃあね。『鍵』に愛されたお嬢さん」
信用しきらないなりの皮肉を飛ばし、傭兵は護岸の通路の向こうへ消えていった。
暗い……
灰色の雲と荒廃した街が見える。
これは池袋か? 見るも無惨な光景だ。
人間も魔物も関係ない。みんな息絶えている。
廃墟のビル群を歩く。これは『誰か』の視点なのか? 夢とは違う。記憶……?
歩みが止まる。横たわる別の誰か……女の人を見たからだ。歩み寄り、その手を握る。けれど力無い手は『誰か』の手を握ることすら無く、落ちる。『誰か』は身体を抱き抱え叫んだ。
痛いほど伝わる悲しみ、苦しみ。
カンナを喪ったときのオレと近いんだ。
でも、決定的に違うことがある。心底から立ち上ってくるドス黒い炎だ。こんな感覚はオレにはなかった。いや、傷つけられたことに対する「怒り」はどこかで……?
“……なら”
絶望の中の怒りが言葉として出てくる。
“大切な人を守れないこんな世界なら……”
燃え上がる炎。
“滅ぼしてやる”
「それでこそ『継承』するに相応しい……」
瓦礫の山から別の誰かが声をかけてくる。黒いローブを被った何者かが。
そうだ、思い出した。この光景は以前、熱のときに見た夢で……熱のとき? 確かあの日の前は……
「手を出せ。『
黒ローブは目の前に舞い降り、この記憶の主の手と合わせる。
そして、黒い一閃が走ったかと思えば、視界はフラッシュバックし別のものへと切り替わる。
“滅ぼす”
科学の粋を集めた超兵器を粉砕していく。
“滅ぼす”
逃げ惑う人々ごと街を消滅させる。
“滅ぼす”
魔界の軍勢を破壊し尽くす。
動画を飛ばすように切り替わっていく視界。色々な世界を滅ぼすのが映っては消えていく。
そして落ち着いた先は、同じく池袋のとある地だった。寒い冬の夜、池袋アンダーグラウンドに直結する大規模水道工事現場。
数人の魔物……あれは半魔だ。それに音無慧那もいる。彼らと戦っている。どいつもやり手だ。この
でも絶対的に力の差がある。なのにディノキアは悠長な戦闘を続ける。何を見ようとしている?
そう思ったところで魔神は何か諦めたように殺意を全開にした。
“お前たちは満たない。滅べ”
それまでとは比べ物にならない攻撃で半魔たちを追い詰めていく。
そして一人の半魔に『死』を与えようとしたとき。
突如脱力する感覚。纏っていた『白い闇』が小さくなり、身体の速度がスローモーションになる。
“オレの力が……どこかへ行った……?!”
突然のことに困惑を隠せないディノキア。そしてその隙は、抗おうとする半魔たちにとって逆転の好機だった。
特殊能力が、徒手空拳が、各々の連携攻撃が炸裂し、あからさまに弱体化した魔神を追い詰めていく。
そして、着装者二人の空中飛び蹴りが叩き込まれたかと思えば、大爆発と共に視界は真っ暗になった。
ディルは目を開ける。
そこは自らがドミネーターと戦っていた草原だった。ただ、生い茂る草は見る影もない焼け焦げた大地となり、それもまた端から消えていく。そして、消えた端からじわじわと日本の植生が顔を見せる。
主のいなくなった
((フン……起きたか))
状況判断も追いつかないディルに声が響く。首を回し辺りを見るが誰もいない。……いや、いるのは
そう理解した瞬間、中から滲み出るように黒いもやが現れ、真後ろに陣取った。
振り返り、そいつに問う。
「お前か? ドミネーターを倒したのは」
((フン、お前がだらしないから乗っ取ってやったのさ。あのドミネーターは目の前で邪魔だったから滅ぼした。それだけだ))
淡々と語る亡霊。ディルの体を使ってドミネーターを倒したというのは事実だろう。
しかし、だったとしたら、自分の意識は目覚めさえすれど、体の主導権は握られたままのはずではないか? ディルはそう思った。
(こいつ、オレに起きてもらいたくて待っていたんじゃないのか? あの『継承』ってのと関係があって……)
ディルは先ほどの『夢』で見た光景を聞くか聞くまいか思慮した。
それを聡ったようにディノキアは先んじて口を開く。
((安直だと嗤うか? 数多の
ディルは何も答えない。自分が同じ状況になったとき、同じようにならないと思えなかったからだ。
代わりに別のワードを問う。
「なぁ、『黒の極致』ってのは何なんだ?」
一度も聞いたことのない単語。直感だが、『夜の側』でも知っている者がいないような気がしたのだ。
それに対し魔神は冷たく返答する。
((お前はまだ満たない。語る必要はないな))
一蹴。ディルの眉毛がひねくれる。記憶の一端を見たというのに、ここで何も語らないとは思わなかったのだ。
そして魔神の亡霊、そのもやは小さくなっていく。
((オレはしばらく……眠る……))
「! お、おい待てよ!」
意識の奥底へ消えていく亡霊。しかし、これまでと違い、魂の気とでも言うべき力がどこか小さくなったようにディルは感じていた。
そして、残ったのは波風が漂う静寂のみ。上空の青天にはぽつぽつと雲が浮かぶ。
「……太田たち回収して浜に戻るか」
ディノキアの反応もなくなったところで、もうこの地にいる必要性を感じなくなったディル。
崩壊するドミニオンの大地からひょいと飛び降りると、着地したのは江ノ島の地面。身体に一切の不調は見られない。夢ではない現実を踏み締める。
同時に、ドミニオンの残滓は完全に消失した。
ところで最近知ったんですが、追加サプリメントの話が白紙になったらしいですね(経営上のあれこれとはいえ仕方ないですが……)。
しかし登場人物のいくらかが未収録分からのルーツ由来である当作品において、これは痛いところ。何せ主人公(ルーツ:アマルガム)がそうだし……。(魔神でよくね?とか言ってはいけない)