この名を目にしたのはおそらく十数年前だろうか。
自衛隊の高官と会談するため出向いた駐屯地に、この若造はいた。とはいっても、民衆向けのイベントの一参加者としてだった。当時はおそらく学生の身だろう。VIPのブースに間違って入ってしまいながら、物怖じせず淡々と謝罪する様には見所を覚えた。
後に秘書からの情報で、私と同じ藤原の血筋を持つ者だと聞いたときは驚いたものだ。もっとも、分家の分家……今は一般家庭の身となっており、知らなくても仕方なかったのだが。
六年前、その若造がJABFに入隊していると聞いたときはなお驚いた。
理由は容易に推測できた。
一庶民となっていた分家だが、魔物の襲撃により彼を残して絶えたらしい。JABFに入隊したのはおそらく、魔物への殲滅力が最も高かったからだろう。怨みを晴らすには最適だ。そして大変優秀であるとも聞いた。
しかし遠縁とはいえ、同じ藤原の氏族。
妙な親近感が湧いたからか、配下として引き入れたくなった。
当時、私は公安部情報処理課とようやくつながったばかりであり、『くろがね』という完全秘匿部隊の存在も知らない程度だった。
とにかく、地位を高めるために躍起だったのだろう。駕山をスカウトするのに時間はかからなかった。
しかし、当初は彼も難色を示した。
「何故、わざわざ魔物を狩る機会を減らせと?」
愛想の無い、険しい顔から出た直球の返答は今でも覚えている。
なにせ前線で戦う組織から、公安部という諜報を主とする組織に来いと言われたのだから。私が彼でもそういった反応になるだろう。
ここで、直前に知り得た『くろがね』の情報が光った。
その気になれば、公安部情報処理課は死霊課より優越的に動くことができる。そして、『くろがね』は完全暗殺部隊。死霊課が関連魔物を生かす生温い事件でも、JABFがあやふやな理由では殺しに出れない場合でも、
また、ブルカ電子工業*1の支援によりサイボーグ技術を獲得しているという点も、魔物を狩るための強さを補強したい駕山へのアピールポイントだったはずだ。
対して、駕山は条件を突きつけてきた。
「条件があります。魔物を暗殺する任務を優先的に回して頂きたい。無論、与えられたからには必ず遂行致します」
条件とは思えない条件だった。駕山の能力を考えれば抹殺任務が最適なのだから。
……とすれば、これはあくまで私に対する忠告だろう。「この俺を手元で腐らせるな」という。
そして、手引きにより『くろがね』に入隊した彼は、着々と成果を上げていった。人間らしい愛想のかけらもない男だが、完全秘匿部隊である『くろがね』の雰囲気には合っていたようだ。
一方で、指揮を下せる立場でない私がそれとなく根回しするのは骨が折れたが、その過程でブルカの役員とつながる機会を得たのは暁光だった。以前から、『くろがね』用に自動人形を調整し配備してもらうなど、優遇してもらっている。ついでながら、この時期だったろうか。技術者を経由しSCG*2の掲示板から『
それらが功を成したのか、駕山を隊長とした第二部隊の創設が認可された。そして、私はその指揮権の大半を得ることとなった。
第一部隊よりも柔軟に動けるようになったと言えば聞こえはいいが、悪く言えば何かあった時は容赦無く損切りされることの裏返し。課長の曽野孝司らしい閉鎖性を保つやり方だ。
とにかく、これで野望へまた一歩近づいた。
かつての藤原氏の栄華……摂関として『昼の側』を、陰陽局とのつながりで『夜の側』を、両面から支配したあの時代を私が再興するという野望へ……。
そう思っていた矢先、まさかの事態が発生した。
駕山が独断で部隊を引き連れ活動、目撃者を消し損ねたという。
独断行動──大まかに与えた任務に必要な行動は容認していた──ならこれまでもあった。しかし、それは「目撃者の抹殺」によって『くろがね』の露呈リスクをゼロにしていたから許されていたことだ。
こんな早々から損切りの目に遭うわけにはいかない。私も、同じ藤原の者である駕山も。
だから、他の議員たちに目をつけられるよりマシだと判断して、私は彼を謹慎処分とした。
それに、例え本人が動けなくても彼は
そして、成果を持ち帰ってくる。
今日の定時報告のように────
片方の口角だけが上がったふくみ笑いで廊下を歩く男……
数年前に取り逃して以降、音沙汰が無かった『鍵』の行方が都内にあると分かったこと。その所有者の人物像まで把握したと、
『鍵』の力は莫大だ。手中に収めれば今よりもっと高い地位に登り詰めることができる。そうでなくてもその力そのもので……
そこまで考えて、しかし藤原議員は頭の中で首を振った。
彼はノウンマンであれ、魔物ではない。パワーリソースを手にしたとて、それを扱い切れると思うほど自惚れてはいなかった。権力は欲せど制御困難な力はいらないのだ。
今はただ第二部隊に任務を与え、それを遂行させるのを待つのみ。
あくまで平静を装い、さりとて隠せない高揚のまま自らの執務室に入る議員。
それを出迎えたのは壁際で直立する部下。
「
「……」
駕山は無言。速報を投げたのは彼の部下。彼自身はあくまで謹慎中の身、曖昧な問いには答えない。立場的に不都合となるからだ。
それを汲んだのか、藤原議員は自分から切り出すことにした。
「しかし謹慎中とはいえ成果を出したのは上出来だ。詳細を聞かせてもらおうか」
「はい。神奈川県内にて『
「損耗は?」
「三名が軽傷、二名が死亡」
ピクリ。損害を聞き議員の目尻がヒクつく。
「……死亡? それはどういうことかね。抹殺対象の抵抗に巻き込まれたのか?」
「神奈川で他の魔物にやられました。かろうじて証拠の隠滅はできています」
「そういうことじゃあないのだよ。神奈川の目撃者がまだいるという事実が問題なのだ」
第二部隊は決して強い立場ではない。故に、大元である公安部情報処理課、引いては他の議員に付け入る隙を与えたくはなかった。
「いいかね。『くろがね』はいかなる書類にも記載されていない完全秘匿暗殺部隊なのだ。その存在は絶対に知られてはならん!」
強い口調で駕山を戒める藤原議員。
「悪いが、その損耗は謹慎の対象だ。君のこれまでの成果が大きいからといって、特別扱いをするわけにはいかん。これは、我々の規範に則っての処分だ。何より、他の議員に示しがつかん」
「……」
変わらず寡黙の駕山だが、心なしかその顔がほんの少しだけ、ほんの少しだけ下を向いているようにも見えた。
「なに、『鍵』の持ち主は特定できているのだ、焦らず確実にいけばいい。私が日本の中枢を治める時、病巣たる魔物のいない安心できる世とするためにも、君に魔物狩りとして動いてもらいたいのだ。魔物の殲滅、それは君の望みでもあるだろう?」
「……確かに、その通りです」
宥めるような説得に駕山は応じた。背筋を曲げることなく簡潔綺麗な一礼をする。
生来の険しい顔つきはそのままだが、所作そのものは丁寧である。藤原議員は彼のそういったところも気に入っていた。
顔を上げる駕山。そのまま議員を一瞥する。
「……なにかね?」
高圧的な態度のまま尋ねる議員。もし、彼がアンノウンマンであるなら、この後の動作に何も気づけなかっただろう。
ノウンマンだからこそ……いや、それでも所詮ノウンマンだ。気づいても動けない。
藤原議員の瞳に、駕山が腕を動かす仕草が映った。
「…………!」
黒のスーツからその下にあるシャツ、そして体の内側まで切先の通る感覚。
駕山が刃を振っていた。
「……っ……ぁ!」
議員は言葉を発そうとするも、切り裂かされた肺が音を震わせてくれない。
がくり、と膝が床につき。続いて体が伏した。
もはや呼吸すら成し得ない致命の中、藤原議員は僅かに動く瞼を動かし下から駕山を睨み付ける。
(お前の力なら即死させることもできるはず。それなのに何故わざわざ数刻の猶予を与えた?! 私への当てつけか?!)
赤熱するような激しい痛みが体を襲い続けるが、執念がそれを上回る。さりとて、ついてきてくれるのは眼力だけ。
──魔物への憎悪があると思い込んでいた。
だからそれに適した仕事を与えた。
以前から続く謹慎も必要最低限の処分だった。恨みからの反逆なら、もっと早く行動するはずだ。
お前は何をしようと──
見下す男はただ上司の眼を見続ける。
そして、一言呟いた。
「その怒りも『虚無』が消してくれる」
(『虚無』……だ……と……)
ただのノウンマンである藤原議員でもそれは知っていた。
かつて、地球の守護者が戦い全世界に『
それをこの駕山が発言したということは……
(駕山……貴様は魔物のみならず……人間すらも……)
駕山の真の目的に気づいた藤原議員だが、今更それに抗する力などあるわけも無く。
視界は白く、意識は遠くなっていき……
そのまま老獪は事切れた。
動かなくなった人間を見下ろしながら、駕山は口を開いた。
「拾い上げて頂いたことには感謝します。だからこそ、邪魔だ」
男は背を向け部屋を出る。そして切り捨てられた議員の死体は、白い闇に包まれ消失していく。
ただでさえ険しい目つきはさらに険しく。廊下に出た駕山を第二部隊の面々が待ち構えていた。
上官への反逆。部下はどう思うのか。
装備を整えた状態でありながら、攻撃に入らない時点で明らかだった。
「行くぞ」
隊長の静かな号令に、隊員たちが連なり動き出す。その身に白きオーラを滲ませながら。
魔物狩りは動き出した。
もはや人との絆など要らず。
ただ、『虚無』のみが