迷い込んでしまったのはポストアポカリプスな世界でした(旧題:ポストアポカリプスなう!) 作:abc2148
ノヴァ探索における活動範囲の拡大と複数のエリアを直接統治する事になった<木星機関>は、組織とシステムの拡大を否応なく迫られる事になった。
当時のエリアを占拠していた犯罪組織の人員は、電撃的な侵攻に伴う戦闘において殆どを排除する事に成功した<木星機関>ではあるが、全てを取り除く事は出来なかった。
ある者は息を潜め、身を隠す、特に表立って活動をしていなかった裏方の様な人間がそうであり<木星機関>であっても全てを掌握する事はできなかった。
その結果、アンドロイドによる粛清の嵐を免れていた犯罪者はカルラによる統治下においても犯罪行為をやめる事はなかった。
何より厄介なのが、摘発対象がエリアを占拠していた大規模組織ではなく、小規模か単独の犯罪者ばかりで数が多すぎた点である。
だが、対処しようにも摘発相手に対して<木星機関>の軍事力は振るうには大きくなり過ぎてしまった。
こうした問題に対処するために、カルラは軍事力とは異なる治安維持の為のシステムとして司法機能の実装と同時に、治安維持部隊と犯罪者等を収容する収容施設の建設を開始した。
──罪には罰が必要である。
構成人員の殆どがアンドロイドである<木星機関>にとって収容施設──罪を犯した人間を一時的に収容する為の施設──は不必要な施設であった。
しかし、直接統治する事になったエリアの住民は人間であり、治安維持の観点からも軍事力とは異なる法執行機関の存在は効率的に統治する為にも必要だと判断された。
その結果、現在の<木星機関>勢力圏内には幾つかの収容施設が新しく建設される事になり、中には詐欺、恐喝、強盗、犯罪の手引き等の様々な経歴を持った犯罪者がカルラによって纏めて収容施設に放り込まれた。
こうした地道な治安維持活動は非常に不安定であったエリアの治安を向上させたが、カルラの評価は渋いままである。
それは、制圧下に置いたエリアの統治は始まったばかりであり、誰もが突然降って湧いた極大の幸運、或いは不運に理解が追いついていないから大きな暴動になっていないだけというのがカルラの分析であったからだ。
現時点において全てのエリアが不安定な状況であるのは変わらず、飾らずに言えば支配者が犯罪者から<木星機関>に変わっただけに過ぎない。
故に今この時がカルラにとって重要な分水嶺であった。
無法による支配ではなく、法治による統治。
犯罪に対する私刑を否定し、<木星機関>が定める法に則った罰を執行する。
支配者ではなく統治者として認識させる、その為に必要な過程を担う施設が収容施設であるのだ。
──だが、ノヴァが現在訪れている<特別収容施設>はカルラの建設した収容施設とは全く異なる代物である。
其処は区画整理した<ガリレオ>の一角を丸ごと利用した施設である。
だが、区画に対して施設自体は小さく、傍目には広大な空き地の中心に一軒の施設がポツンと立っているだけ。
土地の使い方としては、一軒の建物を建てる為だけに一区画丸々無駄遣いをしていると言った方がいいだろう。
その上で、施設を取り囲む様に幾重に張り巡らされたフェンスと、セントリーガンを始めとした拠点防衛用兵器と武装したアンドロイド、AWを始めとした複数の機動兵器が常に照準を施設に向けている光景は異常と言う他ない。
そんな過剰とも言える警戒網が敷かれているのは、施設の中にいる存在の危険性を考慮すれば当然であるというのがノヴァの考えである。
施設に用いられているセキュリティもまた厳重であり、指紋、虹彩、声帯、物理鍵、パスワードを複数組み合わなければ解除出来ない仕組みである。
そして、仮に正規手順以外で突破を試みようとすればセキュリティが即座に異常を検知、直後に警告無しで計測するのも馬鹿らしい火力が瞬時に施設を焼き尽くす仕組みとなっている。
そんな厳重な警戒体制が敷かれた施設を訪れたノヴァは、自ら設計した厳重なセキュリティを正規の手順に従って解除しながら進んで行く。
そして、全てのセキュリティを通過した先にはコンサートホール程の広さを持つ明るい空間が広がっている。
そして、中央には強化ガラスにて作られた特別製の牢獄が一つだけ鎮座しており、中にはたった一人の人間──、いや、化け物が捕らわれていた。
「おや、もう少し先だと考えていましたが、私の予想は外れたようですね、Mr.ノヴァ」
「減らず口を叩けるくらいの元気は残っていたようだな。エドゥアルド」
エドゥアルド・チュレポフ。
人間を収容する施設ではなく、たった一人の化け物を捉え続けるために作られた<特別収容施設>の唯一の住人が強化ガラス越しにノヴァを見つめていた。
「それにしても、この拘束具はどうにかなりませんか? 動きにくいですし、何より重い。私は研究者であって兵士ではないのですよ?」
「だけど化け物であるのは間違いないだろう。何より何処の世界に背中から触手を生やして襲い掛かる人間がいる」
「言われてみれば、確かにそうですね!」
化け物認定された結果として、拘束具を兼ねた外骨格を強制装備させられているエドゥアルドであるがノヴァの嫌味に応える様子は全くない。
それどころか、久しぶりに再会する友人に向ける様な余裕を持った微笑みをノヴァに向け、対するノヴァの顔には隠すつもりもない不快感がありありと浮かんでいた。
「それで、本日はどの様な御用ですか? 寄生されたキャンプの人々は一人残らず治療された筈ですよ」
「当たり前だ。その為だけに、お前をこの中で生かしている。それに治療に必要なデータと言ってアーカイブに保存された研究記録を手当たり次第閲覧させただろう。しかも手間が掛かる紙媒体でだ」
「タブレットで読むのは味気ないですから。やはり、論文は紙媒体で読むのに限りますよ」
「こっちの手間暇を考えろ」
二人の表情は対照的で険悪な雰囲気が立ち込めるのは、それだけの因縁が二人の間にはあるからであり、ある意味では当然の成り行きであった。
それでも、ノヴァがエドゥアルドを殺さずに生かしておいたのは帝国のキャンプで生物兵器に寄生された人々を救うためだ。
寄生生物を除去するのはノヴァには専門外であり、業腹ではあるが医学的な処置を確実に成功させるためには敵であるエドゥアルドの知識が必要だったのだ。
そうした努力の結果として、ノヴァは寄生されたキャンプの人々の治療に成功して、現在はキャンプで療養している。
「それで、繰り返しますが本日はどの様な御用ですか? 態々おしゃべりする為でも、用済みとして私を処分する為に来たわけではないでしょう」
「…………」
エドゥアルドの言う通りである。
本来であればキャンプの人々の治療が終わった段階でノヴァはエドゥアルドを始末しようと考えていた。
それだけ、ノヴァはエドゥアルドを危険視していたのだ。
だが、死刑執行のボタンが押される事はなく、今日までエドゥアルドが生きていたのはノヴァが殺す前に確認したい事があったからだ。
「その通りだ。お前が研究して得たデータ。全てを開示しろ」
「全てのデータを? 一体何を言っているのですか?」
エドゥアルドが言葉の意味が分からないと言うように首を傾げる。
その姿は本心からノヴァの言葉が分からないといった様にしか見えず、──しかし、アンドロイドからの視線は誤魔化せなかった。
「嘘をついています」
「サリアの目を誤魔化そうとするなら無駄な努力だ。まず、ザヴォルシスクでの研究室で接収した研究データは、隠し戸棚にあった物も含めて全て虫食いだらけだった。あれは間違いなく総統の裏切りを警戒して用意したダミーで、本物は何処か別の場所か、分散させて隠している。違うか?」
「……アンドロイドがこれ程厄介だとは思いませんでした。それで研究データを利用して貴方は何を作るつもりですか?」
「応える義務はない」
「なら開示は出来ません」
誤魔化しが無駄であると悟ったエドゥアルドであるが、ノヴァの鋭い視線を受けても飄々とした態度は崩さない。
それが、ノヴァには堪らなく不快であった。
「立場を理解しているのか?」
「勿論、理解しています。此処に貴方が態々来た時点で求めるのは私の生体工学の知識か、或いはエイリアン関係の情報だと見当はついています。ですが<ザヴォルシスク>を支配下に置いたのであればエイリアン関係の情報を聞きに来る必要はありません。消去法で簡単に分かりました」
キャンプの人々を治療する間だけとはいえ、エドゥアルドの下には<ザヴォルシスク>を優に超える実用的なデータと資料と機材が準備され、安全も時間も確保されていた。
そうして遠隔治療を行う傍らでエドゥアルドは情報を集め、何時かノヴァが此処に来るだろうという確信を抱いて待っていたのだ。
ある意味でエドゥアルドはノヴァを信頼していた。
信頼していたからこそ、今日この日の為に準備を重ねていたのだ。
「虫食いのデータであっても、貴方であれば私の追実験をする事は簡単な筈です。それをしないで、直接、私からデータを吸い上げるのは再現を行う余裕が無い。或いは研究データには書かれていない知見を求めているか、その二点でしょう」
エドゥアルドの言葉は正鵠を射ている。
虫食いのデータであってもノヴァであれば時間を掛ければデータを集め直す事も可能であるが、それは膨大な時間と文字通りの人体実験が必要となる。
いや、ノヴァの専門外の研究、分野である事を踏まえれば、より手間暇が掛かるのは避けられない。
それがエドゥアルドという天才であり天災が築いた知識と知見なのだ。
それを始めの一歩から研究をやり直す時間がノヴァには残されていなかった。
「それで、貴方は私の知識を使って何を作ろうとしているのですか? 是非とも教えて頂きたい」
「……小型化したAWを制御するOSを開発する為だ。マニュアル操作では複雑になり過ぎて、十分に動かす事が出来ない」
「…………AWというのは、あの時の人型兵器ですか?」
「そうだ」
「それを小型化するのですか? 何のため──、いや、その為に専用OSを作るのか? いや、しかし……」
此処に来て初めて余裕を持っていたエドゥアルドの表情が崩れた。
いや、崩れたというよりは固まったといった方が良いだろう。
OSを開発する為と言葉にしたノヴァであるが、関係者でなければ意味が分からない言葉の羅列でしかない。
エドゥアルドも最初はそうであり、目の前にいるノヴァが何を言っているのか最初は理解出来なかった。
だが、エドゥアルドもまた分野が異なるものの天才と呼ばれる人種であり、今日に到るまで積み重ねて来た経験はノヴァには持ちえないものである。
「く、くく、あははははははは!! 貴方、本気ですか!!」
地上を跋扈するミュータントの存在、僅かな物資で細々と食つなぐ数多のコミュニティー、突出した存在である<木星機関>が置かれた状況。
何よりエドゥアルドが敵と定め、それでも欲した人物であるノヴァの性格。
思考停止する暇もなく、それらの既知の情報を総動員すればノヴァが何をしようとしているのかエドゥアルドには理解出来てしまう。
何より、予想以上の答えをノヴァが提示してきた事がエドゥアルドという男には堪らなく面白かったのだ。
「久しぶりに大笑いしました! もう一度聞きますが、本気ですか?」
「そうだと言ったら?」
「貴方、いや、貴方達がしようとしているのは武力の拡散です! その果てにあるのは、小規模に収まっていた悲劇の大型化と拡大です。貴方達が拡散させた力が悲劇を引き起こす、その可能性があるのを承知した上での決断ですか?」
これこそがエドゥアルドという化け物。
別分野においてノヴァに匹敵する知識と知見を有し、色んな意味でノヴァが恐れ、脅威と見定めた相手であった。
「十分想定している。その上でこれ以上の悲劇を防ぐのに必要だと判断した」
AWを始めとした突出した武力を組織的に運用できるのは現状<木星機関>しか存在しない。
それは、末法の世である今の世界において何物にも代えがたい特権である。
それを一部とはいえ、特権を有している筈の人間が小型化したAWという武力のオマケを付けた上で手放すのだ。
その行動の先にある未来がどうなるのか、予測出来ないエドゥアルドではない。
ノヴァに語った通り、人々はAWという暴力を手にした瞬間に豹変する。
今迄届かなかった物に手を伸ばそうと、争い、騙し、殺し合うだろう。
そこまでエドゥアルドでも予測出来たのであれば、考案者であり、開発者であるところのノヴァが予想できない訳が無い。
だからこそ、特権を手放す理由を知りたかった。
「救世主気取りですか? それとも態と武力を拡散させて、生き残った人類を殺し合わせるのが目的ですか?」
「俺は救世主の降臨を無邪気に信じる一神教徒ではないし、自分の全てを見知らぬ人間に捧げる程に自己犠牲は極まっていない。デスゲームを主催して仄暗い悦に浸る人格破綻者でもない」
「では、何故?」
エドゥアルドの表情が嘲笑を含ませたものから一転して真面目な顔となる。
それは豹変と言っても可笑しくはない程の変化であり──、だからといってノヴァの態度が変わる訳ではない。
それでも、耳触りの良い建前をペラペラと話すのは間違っていると考えたノヴァは、少しだけ間を置いてから口を開いた。
「……俺は耳と目を塞いで何もしないでいられる程に自己中心的な在り方が出来ない。見知らぬ人を助ける為に人生全てを掛ける事が出来ない。そんな、どっちにも成り切れない自分を納得させるためだ」
勝手に合わせ鏡の様な存在であると捉えていたノヴァという人間は救世主でも、内に大きな支配欲を秘めている訳でもなく、人類を憎悪する世捨て人でもなかった。
極致には至らず、自分が出来る範囲で、無理なく善意を与えようとするだけの善人。
自分と似ている様で、全く似ていない人間であると、エドゥアルドはノヴァという人間を今日この時に至って漸く理解する事が出来た。
「……何故私を頼るのです。外がどうなっているのか分かりませんが、私に及ばずとも知識を持つ人はいる筈ですよ」
「確かに、探せばお前には及ばずとも代わりになる様な人間はいるだろう。俺はお前の事が嫌いだから、そうするべきだと思っている」
エドゥアルドの言葉は事実である。
<木星機関>の組織力を総動員すれば、目の前にいる化け物に変わる能力を持った人間を探す事は簡単だ。
ノヴァの感情はそうするべきだと強く訴え続けており、それは今も変わっていない。
「……非常に業腹ではあるが、その頭に収まっている知性は認めている。その一点は何者にも代わりは務まらないと断言出来る」
それが、ノヴァが危険を承知していながらエドゥアルドを生かし続けていた理由である。確かに血眼になって探せば、エドゥアルドに匹敵する人間は見つかるかもしれない。
だが、それは可能性を都合よく解釈した話であり、ある意味では夢物語だ。
現実的に考えれば可能性はゼロではないが、限りなくゼロに近い可能性なのだ。
それがノヴァの理性が感情を排して導き出した答えである。
──そして、相容れない存在でありながら、勝手な共感を抱いていたエドゥアルドにはその言葉で十分であった。
「……いいでしょう」
エドゥアルドが片手を動かすと同時に指先が鋭く硬い甲殻の様な物に覆われる。
その行動を敵対行動だと認識した各種セキュリティが牢獄内部に設置されたセントリーガンを起動、幾つもの銃口が一人の化け物に向けられる。
だがエドゥアルドの行動は止まらず、セントリーガンが動き出す前に変化した腕を自らの胸に突き刺した。
それは、文字通りの異様な行動でありノヴァの護衛であったアンドロイドは行動の意味が分からないものの排除しようと動き出し──、しかしノヴァが片手を上げた事で中断される。
そして、ノヴァが行動を中止させてから数秒の後に、エドゥアルドは自らの胸を抉った片腕を引き抜く。
「研究データを体内に格納していたのか。相変わらず趣味が悪いな」
「予測していたのであれば何故摘出しなかったのですか? 検査で異物は既に感知していたでしょう?」
エドゥアルドの血まみれの手には一つのデータチップが握られていた。
「お前のびっくり箱な身体を切り裂くなんて罰ゲームでもなければやらない。それに最大限の警戒をしていても何が出て来るか分からないから怖いんだよ」
「酷いですね。再生能力と特殊器官を除けばほぼ人間と変わりませんよ」
「人はそれを化け物と呼ぶんだよ。覚えておけ」
突然の奇行を目にしても、ノヴァは気持ち悪いものを見る様な目でエドゥアルドを見ているだけであり、其処に驚きは一切なかった。
それが少しだけ気に食わなかったエドゥアルドは、気晴らしも兼ねて抉り出したデータチップを血まみれの手で弄んだ。
「念のために用意した予備の予備です。ですが、これだけでは貴方が求めるOSを作るのは無理でしょう」
「何故だ」
「貴方が言ったではありませんか! 『耐用年数を超過したオンボロ使って正しい計測結果が出る訳ないだろうが! 研究資料も以下同文!』だと。その言葉が正しいとすれば、この中にあるデータは使いものになるでしょうか?」
「…………エドゥアルドぉおおお」
思いがけない急所からの言葉は予想以上の心理的ダメージをノヴァに与えた。
それは確かに<ザヴォルシスク>の研究室で、ノヴァは自分から口にした言葉である。
時間稼ぎを兼ねた悪口の一つではあったが、内容は決して的外れではない、的外れではないからこそ、エドゥアルドに返す言葉がノヴァには思いつかなかった。
しかし、その間違っているだろう研究データを求めたのは自分であるからこそ、ノヴァは腹の底から恨めしい声を出すしか出来なかった。
その姿がエドゥアルドには面白かったのだろう。
悪戯が成功した子供の様な無邪気で笑い──、そして今度は邪悪な笑顔を浮かべた。
「ですからMr.ノヴァ、私を利用しなさい」
「……何を企んでいる」
エドゥアルドの表情は口許が仄かに弧を描いている事以外は真面目である。
それが、ノヴァの目には童話によく描かれる悪魔との契約の様に見えた。
「私の目的は今でも新人類を創造する事です」
「まだ新人類創造を諦めていないのか」
「それが私です。ですが、今回はアプローチの仕方を変えますよ」
ノヴァにとっては聞き飽きた言葉だ。
だがエドゥアルドにとっては自分の立脚点とも呼べる目標である。
そして、今日この日、この瞬間に至っては文字通りエドゥアルドにとっての分岐点であった。
「お前が行ってきた人体実験を俺が認めると思っているのか?」
「ええ、貴方は認めないでしょう。私が行った非人道的な実験は貴方の性格から考えて決して受け入れられるものではない。それは今迄の語らいで十分に理解しています。ですが、その過程で得られた知見に関して貴方は否定しない。否定するのであれば態々私の研究データを欲する事はありません。それは私の研究が感情の面で受け入れられなくても、有用であると理解しているからです」
「…………」
「しかし、従来の研究を続けるのであれば貴方は決して認めないでしょう。ですが、貴方との出会いを通じて、私は到達目標を変える事にしました」
それはエドゥアルドが何度も繰り返した作業。
出資者を募り、賛同を得る為に、必要な環境と機材、検体を手に入れる為に長い人生に於いて何度も繰り返してきたプレゼンテーション能力である。
それをエドゥアルドはフル回転させ、己の有益さをノヴァに語り掛けた。
「人体の異形化は激変した環境に適応する為に必要だったのです。ですが、貴方の開発する兵器があれば、肉体を過度に異形化する必要は無い。人間本来の持ち味である脳の強化で十分だと考えています」
「それで俺が首を縦に振ると思っているのか?」
「そうですね。出資者である貴方に提示する利益は他にあります。例えば激変した環境によって発生した遺伝子疾患の治療はどうでしょう?」
まるで夢を見ていた年若い時代に戻ったかのようにエドゥアルドの心臓がバクバクと脈打ち、胸の内から湧き上がる高揚で脳が茹で上がりそうだった。
肉体年齢に精神が引っ張られている可能性を冷静に考えているエドゥアルドがいる。
今、この時を逃せばチャンスは無いと叫ぶエドゥアルドがいる。
まだ人の善意を信じていた時の無垢な心が頑張れとエドゥアルドを応援している。
「他にも環境の激変に伴い誕生した数多くの新種の病気に対する解決の糸口を提供しましょう。従来の治療では完治が望めない病を解決できる術がある、この一点は貴方達の影響力を軍事力とは別に高める事が出来ます。それに加えて再生医療技術も提供しましょう。こんな世界ですから需要は尽きる事はありません」
「…………」
「世界を相手にするのに必要とされるのは軍事力と潤沢な物資です。貴方達はそれを十分に理解していますから、私は其処に医療分野において貢献しましょう。人を病から救う術はどの様な環境にあっても求められる技術であり希望、全く別種類の力と言ってもいいでしょう。この有用性を貴方の下で私は私の存在を以て全力で証明します」
本心を偽る事無く言うべき事は全て言ったエドゥアルドであるが、ノヴァからの反応は芳しくない。
それだけであれば、大多数の人は関心を引く事が出来なかったと考えるだろう。
だが、エドゥアルドは確かな手ごたえを感じ取っていた。
そして、その感覚は間違っていなかった。
「……何が望みだ」
「潤沢な研究資材と機材が揃った研究所を要求します。信用できないのであれば首に爆弾を括りつけても構いません。どうでしょうか?」
突出した軍事力だけではなく、医療による影響力の強化。
医療単体では価値を見出す事が難しく、取引相手次第では搾取の対象にしか見えない分野であるが、ノヴァであれば話は違ってくる。
何より、今この場で行われているのは現実世界に存在する物資の遣り取りではない。
思考と実験、数多の研究の果てに漸く得られる“知識”を用いた取引である。
その意味を自分と同等か、それ以上の特別であるノヴァであれば、理解出来るとエドゥアルドは心から信じていた。
「条件がある」
そして、ノヴァの口からその言葉を引き出せた瞬間、エドゥアルドは言葉にし難い歓喜に包まれた。
「分かりました。条件は何でしょうか?」
「活動場所は<ガリレオ>内の指定した区画に限定する。人体実験の検体は此方が用意する人間以外は認めない。実験が終わった検体は余程の事が無い限り、健康体に戻せ。不審な動き、或いは此方に危害を加えると判断される行動を起こせば即座に処分する。研究で得られたデータは即時提出する事。全ての研究において最低限<木星機関>が掲げる建前を貫き通せ」
「ええ、分かりました」
「……途中下車は許さない。その脳味噌のニューロンが焼き切れて使い物にならなくなるまで働いて貰う」
「はい」
「最後にエドゥアルドという名前を捨てろ。それが出来たら認めてやる」
「では“ヴェルナー”でお願いします」
「……早いな」
「名前とは個人を特定するだけの言葉でしかありません。私は私、私の在り方は名前に縛られるものではなく、名前を捨てる事が条件であれば即座に捨てますよ。逆に貴方はこれでいいのですか?」
「……それで自分を納得させる。あくまで絶対に殺すと考えていたエドゥアルドはあの電車で殺した。此処にいるのは同じ記憶を持っているだけの別人だ」
帝国のキャンプから攫われたノヴァは、移送中の電車で間違いなくエドゥアルドを一度殺している。
あれは幻覚では無く、殺した際の感覚をノヴァは今でも覚えている。
単にあの状況から出鱈目な手段で甦るエドゥアルドが異常で非常識なだけである。
だが、再会したのはエドゥアルド本人ではなく、エドゥアルドの記憶と知識を継承した限りなく本人に近い他人であった。
知識と記憶を除けば同一人物ではなく、全く異なる別人であるという理論武装を以て、ノヴァは自分に言い聞かせた。
「では、よろしくお願いしますよMr.ノヴァ。化け物同士仲良くしましょう」
「此方の指示には必ず従ってもらう。それが履行できなかった時がお前の最期だ、ヴェルナー」
強化ガラス越しであるが、この瞬間を以て技術の化け物と医術の化け物は手を結んだ。
見据える目標は異なり、描く未来も異なる二人ではあるが互いの知識を欲しているという一点によって成立した契約。
言葉にすればそれだけの事。
だが、化け物同士が手を組んだ事で生み出された代物もまた化け物であった。
<汎用人型機械制御OS>と<思考制御補助装置>。
わずか数日の間に生み出された二つのキーアイテムが完成した事によって初期ロットの試作兵器<H-AW>が建造。
そして<世界管理計画>、その初期段階の歯車が音を立てて回り出した。