召集
俺には名前がない。
それに気づいたのは, 名前を尋ねられた時に答えられなかった時だ。そんな単純な問いに悩み続ける様は, 周囲の囚人にずいぶんと不思議がられたものだ。
気がつけば, 持っていなかったのは名前だけではない。
年齢, 誕生日, 出身地, 好きなモノ, 嫌いなモノ。自分にまつわるありとあらゆる情報が, まるでその情報だけが脳から蒸発して真っ白に回帰してしまったかのような。
今持っている最も古い記憶。それは, 目覚めたら, この部屋に放り投げられていたこと。
収容所ー罪人のための施設。俺は罪人なのだろうか。だとしても, 罪を犯したという覚えは全くもってない。かといって, 無実を主張できるかと言えば, それもわからない。
看守や収容所長に事情を訊いてみようと思ったりもしたが, 日頃の彼らの様子を見て, とても素直に質問に答えてくれるような連中ではないと理解した。
指示された行動からちょっとでも逸脱したり, ましてや逆らう姿勢を微塵でも見せらば, 顔面まっしぐらに警棒が飛んでくる。懲罰房などという部屋に送られた囚人をいくつも見てきたが, 戻って来たことには, 全員がまるで魂を抜き取られたかのような廃人に成り果てていた。
どれほどの期間, ここに入れられていたのだろうか。
漠然とした感覚だと長くても二, 三ヶ月程度だろうが, 確認する術はない。何しろ収容所内には時計の類が一つもないからだ。房には窓もなく, 今が朝なのか夜なのかも全く見当がつかない。入った直後の数日間は時間や経過した日数を数えたりもしたが, 単調な毎日に飽きてきたのか。数える意義を感じなくなった。
ベッドの上に寝転がって天井の照明を呆然と眺めていた。今は自由時間だ。夜点検の時間までは房の中で過ごすのもよし, 下の共同エリアで過ごすのもよし。厳しい監視下におかれることは違いないが。
部屋は全て一人部屋, いわゆる独居房というものだ。長方形の部屋で, 広さは四畳ほど。四方を囲む単調な灰色の壁は, 明るい照明とは対照的に暗く, 静かな威圧感を醸し出している。内部の家具もベッドと私物用のロッカーしかなく, あとは部屋の隅にあるトイレと, その側の壁に固定された小さな洗面台くらいか。
ふとして起き上がり, 部屋の隅に立ったロッカーに向かう。下段には支給された囚人服と下着が数着ずつ置かれており, そして上段に置かれている歯ブラシやコップ等の洗面用具がある。丁寧に畳まれた服の束の横に, 3組の白色の靴下が丸められて並べられている。一番右の靴下を手に取ってロッカーを閉じ, 再びマットレスの上に寝転がった。
私物と呼べる物はほとんど持っていないが, 一つだけある。
丸められた靴下をほどくと, 中から長方形のカードの束が露わになった。傷がつかないようにゆっくりと束を靴下から完全に離す。
茶色を基調とした, 渦のような模様の絵柄。束をひっくり返すと, 上面に現れたのは純白の柄を呈した1枚のカード。中央に鎮座するのは, 銀の外装を構えた機械的なフォルムの竜。虹色の煌めきを見せつける絵柄。
《ヴァレルロード・S・ドラゴン》
竜の名は黄金で彩られていた。
これは, 所謂『デュエルモンスターズ』のカード。この収容所内では, よく流行っているカードゲームだ。外の世界では有名らしいが, それ以上についてはよく知らない。
このカード達さえいれば…こんな環境でも, 心を押し潰されずに済む。不思議だ。ただのカードなのになぜだか親近感を覚える。
自分にまつわる記憶のほとんどは欠落してしまっているが, どうしてか。このカード達については誰よりも良く知っている。このデッキの使い方, 各々のカードの特徴, どの状況で何をすべきか, 全てが手に取るようにわかる。
だから, 囚人同士で行われる
自分にまつわる記憶を全て失っていても, デッキの使い方だけは知っている。それはどうしてか, 幾度も考えた。ひょっとすれば, 以前の俺もデュエルモンスターズに熱中していて, このデッキを使っていたのだろうか。
今日も彼らを眺めながら, 思索に耽る。もしかしたら, ずっとカードゲームを遊び続けていればいつかは自分の記憶が戻ってくるのではないのか。そんな漠然な思いを抱く。
唐突に扉が開く音がした。この時間帯, 電子ロックは解除されているので, 誰でも出入りできる。カードをマットレスの上に置いて振り向くと, 自分と全く同じ, 橙色のジャンパーを着た丸刈りの大柄な男が顔を出した。さも威嚇するような眼差しで睨んでくるが, こいつをよく知っている俺は驚かない。
「おい, 910番。お呼びがかかったぞ」
丸刈りの囚人- 囚人番号839番。その大きな図体が動物のサイを連想させるのか, 皆からは『ライノ』と呼ばれている。収容所内での人付き合いが少ない俺だが, こいつとはそれなりに仲が良い…ここでの
「今日は誰だ?」
俺はライノに訊いた。ライノは少し頭の裏を掻くと, 何だか言いづらそうな表情をしてみせた。
「それが…所長様が, お前に会いてェ, って」
ーーー
収容所長。この社会における頂点。
言うまでもないことだが, 所長の言葉は神の言葉も同然だ。看守の指示に従わなければ, 少し殴打される程度で済む。所長の指示はー重みが違う。従わない, という選択肢は全くもって無い。「従わなければ~」という仮定を立てること自体が異常なのだ。
所長は原則, 囚人の元に訪れることはない。ルーティンワークは看守に任せ, 特別な出来事の時に姿を表す, らしい。
とは言っても, 他と比べて日が浅い俺はその特別な出来事に参加したことはまだない。よって, 所長とは初めての対面というわけだ。だから, 先程の所長の指示というものを俺は知らないし, 今言った所長についての話も, 他から聞いた話に過ぎない。
「なぁ, ライノ」
「あん?」
「所長って, どんな人物なんだ」
ライノと隣り合わせになって廊下を歩きながら聞いてみた。ライノはここに来て6年目だと言う。罪状は, 窃盗と殺人。貧民街を牛耳るギャングに所属していたらしい。危険な人物だと思って最初は忌避していたが, 話してみれば見かけに反して案外温和な性格だ。
「…わからねぇ」
「わからない?」
「掴み所がねぇ, ってやつか。ほとんど俺らとは話さねぇし, むしろお前に用があることがビックリだぜ」
階段を下って共同エリアに着く。
共同エリアは広く, 囚人達が座るための椅子やテーブルが回らされている。普段は囚人達の談笑が響いて騒がしい場所だが, 今日のところは物静かだ。妙だな, と思った。それにいつもよりも看守の数が多いーそして, 他の囚人の姿が一人も見受けられない。俺達が階段から完全に出ると, 2名の看守がすぐさま後ろで走る音がする。振り向けば, 看守は入ってきた階段への入口を塞ぐように立った。
この見慣れない光景の理由は聞くまでもなく, 目の前にあった。共同エリアの中心に佇む広いフィールド。壇上には白い線で描かれた長方形が10つの区画に綺麗に分かれているー所謂『デュエルフィールド』というものだ。そしてその中心には, フード姿の男が一人立っている。この距離からは顔貌はよく見えない。
「あれが所長か」
ライノに振り返ると, 彼は首を縦に振った。
「ああ。変だろ?あの格好」
確かに言われてみれば, 普段見かけるような服装ではない。顔室内なのにも関わらずフードを被っている。明らかに異質な雰囲気を醸し出している。
そう小声で話し合って間も無く, 横から細身の看守がやってきて俺達の前に立った。気怠げに立っていた俺達は姿勢を直ちに整え, 直立する。
「囚人番号839番, ただいま囚人番号910番をお連れしました!」
ライノがそれまでの口調とは打って変わった, まるで上官に報告する二等兵かのような様子で看守に報告した。看守は静かに頷く。
「良い。下がれ」
「はい!」
そう言ってライノはそっぽを向いて, すぐさま退散した。看守の顔を眺めたまま指示を待つ。
「囚人番号910番」
「はい」
「お前には所長様と
「異論は無いな?」と聞かれても, 決して「あります」などとは言ってはいけない。実質的な命令なのだから。
「どうした, 返事は?」
少し考え事をしていたら, 看守が少し口調を荒げてきた。
「異論はありません」
返事を聞いた看守の目つきは依然険しいが, 首を軽く縦に振ったように見えた。
「よろしい。直ちにフィールドに上がれ」
看守がその場を離れ, 俺は開いたフィールドへとゆっくりと歩き, やがて壇上に立った。フード姿の所長がその顔を上げた。
驚くことに, そこには顔はなかったー仮面だ。それも, 見たこともないような紋章が描かれた仮面。正三角形が逆位で描かれ, その中心に円があり, 何やらよくわからない, どこの言語の文字とも似つかない文字が周囲に細かく描かれている。この上なく不気味だ。
「君か, 囚人番号910番というのは」
口を開いたのは相手からだった。少し若い男の声に聞こえたが声調は淡々としている。その言い草には少々, 尊大さが見え隠れしているような気もしたが, 俺は顔色一つ変えずに仮面の男を直視した。
「はい」
そう答えると彼は何回か軽く首を縦に振った。
「ここの所長を務めさせてもらっている…僕のことは『A』とでも呼んでくれても良い。よろしく」
A…名前の頭文字か, それかコードネームのような何か。仮面で顔を隠しているのも, 素性を知られたくないからだろう。
「僕はここの運営の傍らで, ある研究をしていてね」
「研究, ですか」
Aは頷く。
「ああ。単純に言えば, 『強い
「…光栄に存じます」
言葉だけの感謝を述べる。何せ, 相手はこの空間で最も権力を持っている人物だから, 言葉遣いくらいは丁寧でないと。
それに, 「強い
「ふむ。なら, 僕と
それを聞いて安堵した。やっぱり, そうか。
単純な話で助かる。売られた
この男の側にいると, 何だか気持ちが落ち着かない。仮面のせいか, それとも。
「わかりました」
「そうか。じゃあ, 始めようか」
Aは左腕に装着していた, 黒色の塗装がなされた機械ー
「ライノ, いつもの貸せ」
「おうよ」
ライノは両手に抱えていた, 古びた旧型の
俺とAは臨戦態勢に入り, お互いを睨み合う。
しばしの静寂。刹那, 戦いの火蓋は切られた。
「「
じぇねと申します。初投稿ということで遊戯王のオリジナル小説を書こうと思いました。
とは言っても小説を書くのが不慣れなもので...温かい目で見守っていただけると大変幸いです。
改善点・誤字・脱字など, ご指摘いただけると本当に助かります。
よろしくお願いします。