終わった。
しばし放心状態で,
対面のケントレギナは膝を突き, 俯いていた。そんな彼女の下に, 横で観戦していた配下のテリジア, ディプロスの二人が駆けつけていった。
━勝った。
右手の震えが止まらない。いつ負けてもおかしくなかった。レクスタームに対する回答をドローできたのは幸いだったが, もし運に恵まれていなかったら…そんな考えが一瞬脳裏を過った。
だが, 勝利したのだ。目的は達された━
身体中の力がガクッと抜けて, 前に倒れそうになる。その寸前, 横から身体を支えられる。
「おっと。危ないわよ?」
白い肌の両腕が, 俺の胸部に触れる。右隣に立っていたクルヌギアスが俺の顔色を窺っていた。
俺はしばらく暗い床に首を向けていたが, 深呼吸して顔を上げた。
半端ない疲労感で目を開けていられるかどうか怪しい。それはそうだ。本来ならば床に就いているはずの時間帯に, 本気の
「勝てたわね, 源」
「…そのようだ」
「あら, 嬉しくないの?」
嬉しい, か。勝利への喜びは無いわけではないが, むしろ…『生き残れた』ことへの安堵が強い。
何も言わず, 眠気で意識が半ば朦朧なままに頷いた。クルヌギアスはフフッ, と微笑む。
「私は嬉しいわ。貴方が強くなったのを見れたから」
「お前と, 或真のおかげだ」
以前の俺の実力では, 今日のケントレギナに勝つことなど出来なかっただろう。或真とクルヌギアスに教わり, デッキの新たな可能性を拓いたからこそもぎ取った勝利だ。
━そういえば, 思い出した。或真には何も言わずに家を出て行ったから, 今頃俺達のことが気がかりだろう。俺自身の疲れもあるし, 早く帰りたいところだ…
と, 思い始めた時。先程までフィールドの反対側に居たダイノルフィアの3人が俺の前に寄ってきた。
中央のケントレギナと目線を合わせると, 彼女は悔しさの混じった苦い笑みで俺を見下ろした。
「アタシの完敗だ。いい勝負だった」
ケントレギナと俺は握手を交わした。
「約束通り, 話は聞いてやる…アタシとしても, テメェの素性は気になるからな」
「俺の素性…?」
ケントレギナ達が俺に目を付けていた以上, 当然ながら俺に関する情報を手にしているはずだ。
「どこまで知っている」
「多くは伝えられてねぇ。テメェの名前と, 脱獄者であることくらいだ」
ケントレギナはテリジアに手で合図すると, テリジアは一枚の紙を俺に見せた。俺は紙切れを受け取る。
「これは…?」
「ふうん…」
俺とクルヌギアスは紙を見て顔を顰める。
《治安維持課直属 北西拘置所》と上部にある紙切れには, 俺の顔写真・名前・生年月日等の諸々の個人情報が書かれていた。しかし, それ以降の項目が全て黒く塗られている。
見るからに
黒塗られているのは, これを部外者に回すため…なのか?項目名すらも黒に覆われていて, 何が隠されているのかも同定できない状態だ。
「どこでこれを?」
俺が聞くと, ケントレギナが答える。
「ある依頼があった。依頼主はこれをアタシ達に渡して, 捕まえろとな。そうすれば, 美味しい報酬が貰えるってな」
依頼主…?俺はクルヌギアスを見るが, 彼女も少し不可解な表情を浮かべていた。
心当たりがあまりない, が…収容所の人間, それか収容所を運営する治安維持課…個人までは特定できないか。
「で, その依頼はお前達だけではなく…」
「…そうだな。南のクシャトリラ, 北の
やはりか。推測が確証された。
リバティの全ての勢力が俺を付け狙っている構図は, まさに現実となっている。
早く次の計画を練らなければ…
「で, 脱獄者ってのは本当なんだな?」
ケントレギナが尋ね, 俺は頷く。
「ああ, そうだ」
「何の罪で入れられた?」
俺はそう聞かれて少し考え込むと, クルヌギアスに振り返った。彼女はこう答えた。
「源。ここは全て話しましょう」
「本当か?でも…」
俺は状況を鑑みる。確かに, そうした方がやりやすい。
「ああ, そうしよう」
俺はケントレギナに事の顛末を語った。
記憶喪失の事。気付いたら収容所に入れられていた事。
クルヌギアスに手助けされ, 2週間前に脱出した事。
ケントレギナは目を閉じ, 顎に手を当てて俺の話に耳を傾けていた。話終えると, 彼女は目をゆっくり開く。
「記憶喪失, ねぇ…」
彼女は複雑な表情を浮かべた。
「いや, テメェの話によれば。記憶を消されたとハッキリ言われたんだな?」
「その通りだ」
あの夜, 収容所の入口で行われたAとの対峙を思い返す。未だに信じ難い。
「ふーん…」
ケントレギナは無言で腕組みして再び目を瞑る。思索に耽り, ようやく彼女は目を開くと, 再び尋ねた。
「源。テメェはこれから, どうするつもりだ」
俺はしばらく考えてから, こう返した。
「俺自身の真実を探し出す。収容所になぜ入れられたのか, そして俺自身が何者なのか」
「ほぉ…」
ケントレギナが頷いて続ける。
「アタシ達やクシャトリラ, そして他の連中にも追われている中でか?」
「当然だ」
「当然か。バカなのか, 頭のネジが外れてんのか…だったら, 命を投げ出す覚悟は出来てるんだろうな?」
ケントレギナは人差し指を突き上げる。
「テメェは確かに強い。だが, そいつは
「……」
「だが, 他の連中が素直に殴り合ってくれるとは限らねぇ。世間は真剣勝負だけで済むほど甘くないしな」
「何が言いたい?」
「テメェみたいな素直なのが一番痛い目を見る。素直なヤツほど, ズル賢い罠にハマっていくのさ。そういう罠が, リバティのそこら中にある」
ケントレギナは終始, 嘲
「そんで,
「相手を知れ, 源。テメェは…勝負する前から負けているんだ」
しばしの静寂。
ようやく, 俺は口を開いた。
「それは違う」
「…うん?」
「ケントレギナ。お前こそ分かるはずだ, 俺の立場が」
「ほぉ?」
ケントレギナは眉を上げた。
「生存闘争。そいつは, お前との
胸に手を当て, ケントレギナに言い放つ。
「俺は戦うと決めた!何があっても, どんな敵が迫ろうと。目的を達するために, 絶対に止まらないと決めた!」
「立派な心構えだな。現実は…」
「俺が負ける現実などない!」
ケントレギナの言葉を, 勢いで遮った。
「俺は勝つ!必ずだ!俺自身が, その現実を築く!」
精一杯叫んだ。数回か深呼吸して, そのまま続ける。
「…生存のためには, 戦うしかない。戦って, 勝つ。その道を作ることが, 俺のやるべきことだ」
「……」
「お前達, ダイノルフィアだって…そうして生き残ってきたんだろう?」
ケントレギナは少し呆気に取られて俺を眺めていた。
そして, 大笑いした。5, 6秒くらいか。
「ハハハハ!」
「…?」
「ハハ…いい言葉だ, 弾間 源!ますます気に入ったぜ!」
ケントレギナはそう言うと, 懐から小さな長方形の物体を取り出し, 俺に投げ渡した。
すかさずキャッチして近くで見ると, 赤いフレームのメモリーディスクだった。
「これは…?」
「アクセスキーだ。クシャトリラ側のネットワーク…それで連中の動きを覗けるはずだ」
「クシャトリラ…?」
「アタシがテメェだったら, まず奴らを叩く。明確にテメェを狙ってるからな」
「アタシ達だって, あの短気なバカ共は気に入らねぇ。早々にご退場してもらった方が助かるぜ」
なるほど, 相互利益というわけか。
だが, まだ気がかりなことはある。
「ケントレギナ。お前はいいのか, 俺をこのまま見逃して」
「あん?見逃す?ちょっと違うな」
ケントレギナは首を振る。
「アタシは報酬を諦めたわけじゃない。だが, テメェを今すぐ突き出すのは惜しい」
「惜しい…?」
「ああ。アタシは今日, 負けた…だが!この雪辱は晴らす。アタシは強くなって, テメェを倒す!」
ケントレギナは俺に力強く指差した。
「だから, 源!テメェも, 強くなれ。アタシはテメェがどんな道を拓くのが楽しみで仕方がねぇ」
「…そうか」
頷こうとすると, 急激に視界がぼやける。ただでさえ疲れていた身体がもっと重くなってきた。
倒れかかるのを, すんでのところで足を踏み出して止める。
「ハハ!そうか, 人間は普段, 寝ている時間だったな」
ケントレギナはそう言うと, 一歩後ろに下がった。
「今日はもう休め。アタシ達は当分, 大人しくしといてやる」
クルヌギアスが横から俺の手を握った。
「帰るわよ, 源」
「…ああ, 帰ろう」
クルヌギアスが杖の一振りで, 混沌のポータルを出現させる。
俺と彼女が中に踏み出す寸前。朦朧としている意識の中, ケントレギナがニッと笑うのが見えた。
「気が向いたらまた来い!歓迎するぜ!」
ポータルが蠢き, 黒い空間が目の前に広がって俺の意識は途絶えた。
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「…帰ったか」
ケントレギナはポータルが閉じるのを見届け, うんと背伸びした。
━久方ぶりの敗北。生存競争における敗北とは即ち死を意味するが, 今回の敗北は何だか━快くも感じた。
━あんな強ぇ野郎が, 人間に居たとはな。
「姉御」
ディプロスが声を掛けてきた。少し心配そうな表情だ。
「どうした, ディプロス」
「いや, 何でもない…ただ…」
「ただ?」
「本当に, アイツを手放して良かったのか?」
「それより」
ケントレギナは咳払いし, ディプロスを横目に見る。
「ディプロス, テリジア。お前達に聞きたい」
「おう」
「何?」
配下の二人は, ケントレギナを見る。如何にも神妙な顔つきのリーダーを, 彼らは怪訝そうに見上げる。
「源の横に居た, あの
あの精霊━
ケントレギナと同様, 彼女の存在にはテリジア, ディプロスの二人も疑問を感じていた。
ケントレギナ達は知っている。
精霊界の最果てに, 光と闇, 明と闇が交わる特異点がある。現実と繋がっているようで, 矛盾している空間。秩序と無秩序が同時に存在する, この世ならざる場所。
その特異点は『
原初の神が世界を創造したエネルギーの名残と言われるが, その実態は定かではない。
そんな強大で不可解な混沌の力を持つ彼女が, 一体どうして弾間 源の側に?
彼女の目的は?
「…今まであんな精霊, 見たことがねぇ。俺ら3人よりも強いんじゃねえのか?」
「間違いないわね…というか, データベースで検索してみたらどうかしら?」
テリジアが右手を振るい, ホログラムを出現させる。コードの羅列を手早く操作し, 彼女は呟く。
「キーワードは…『サロス』『エレス』『クルヌギアス』, 『カオス』…ざっと, 関係ありそうなのを15語くらい, どうかしら?」
画面が変わり, 『LOADING』という文字の下で, 円形のロゴが回転する。10秒ほどして, 画面がまた切り替わった。
Search Results: N/A
「『検索結果なし』…?」
「まぁ, そうだろうな」
ディプロスも画面を見て言った。
「何もかもが謎ってワケか…」
記憶を消された少年, 弾間 源。ケントレギナ達は彼の所在を特定するまで, ありとあらゆる情報を収集しようとした。
が, データベース, アーカイブは疎か, 治安維持課のネットワーク上にも一切情報は無し。
それどころが, 脱獄者であるにもかかわらず, 収容所の名簿からも名前が消えていたのだ。まるで初めから存在しなかったかのように。
おかしい。電子化が進んでいる人間界で, これほどに情報が欠損していることは有り得ない。
つまり, 可能性は一つ。
━テリジアの腕を以てしても, 消去された形跡すら見つけられない…
「姉さん?」
テリジアの声掛けを他所に, ケントレギナは手に持っていた『受刑者情報』の紙切れを見る。
再度, 依頼主との会話を思い起こす。
そう, 以前テリジアが言っていた通りだ, 脱獄者の捕縛は治安維持課の役目。
にもかかわらず, わざわざ自分達デュエル・ギャングに接触し, 弾間 源を捜索させる傍ら, ギャング同士の衝突を促した依頼主。
改めて彼女は考えた。
━データが消去されている中, 弾間 源を知る依頼主は何者だ?
クルヌギアスの存在もあって, 弾間 源という男の素性が分かるどころが, ますます霧が掛かっているようだ。
だが, ケントレギナには一つ, 明確に分かったことがあった。
源との
ケントレギナは本気で彼を叩き潰さんと, 持てる全てを精一杯ぶつけた。それに対して, 少年もまた全力で応えた。
ケントレギナは釈然としない何かを胸中に感じた。
━源。アイツは…アタシ達と同じだ。生きるために戦っている。
生きるための戦い。ダイノルフィアも彼も, その点では在り方が同じだ。
そんな彼を, 報酬欲しさに突き出すのは。
「…ヘッ。アタシには出来ないね」
ケントレギナは顔を上げ, 弾間 源の情報が書かれた紙を両手で掴む。
「フンッ!」
紙は瞬く間に二つに裂け, 彼女が手を離すと地にヒラヒラと落ちた。
「姉さん?!」
テリジアが目を大きくした。
「気が変わった」
ケントレギナが歯を剥き出しにした, 不敵な笑みで告げる。
「よく聞け, 二人共…契約は破棄だ」
「…マジでか?」
ディプロスが返す。
「ああ。究極進化薬β?あんなもん, いらねぇな」
テリジアは少し呆然としていたが, すぐに意図を理解したのか, 自信持った笑みで頷く。
「うん!姉さんなら, そう言うと思ってた!」
「どのみち, やることは変わんねえしな」
ディプロスも同様に納得する様子を見せた。
「ああ。あのフード野郎に言いてぇところだが…そんなこたぁ, どうだっていい!」
ケントレギナは拳をポキポキと鳴らす。
「
「おうよ!」
「行きましょう!」
新たな狩りの幕開けが, 今ここに。