ライフが0を知らせる甲高い機械音がAのディスクから鳴り響く。俺はディスクからカードを取り外し, フィールドの下に立っていたライノにディスクを投げ返した。
「相変わらずだな」
ライノがにやけた表情を浮かべ言ってきた。周りを見ると, 看守達は唖然とした表情で決闘の結末を見届けていた。今まで俺の試合を見てきたライノだけは驚いていない。
「まあな」
小声で返す。本当はもう少しコメントを残したかったところだが, 自分の立場を忘れてはいけない。所長の前だ。軽率な発言は慎むべきだろう。
振り返り, フィールドの反対側に立っていた所長- Aを見る。先程のヴァレルロード・S・ドラゴンの攻撃の余韻から前屈みになって立っていた。彼は首を見上げて俺を見るや, すぐさま体勢を整えて直立した。
「いやぁ, お見事。話には聞いていたが, 中々の腕前だね」
Aが賛辞の言葉を述べながら手をパチパチと鳴らせていたが, 口調は変わらず淡白としている。
「有意義な決闘だった。研究のための良いデータも取れた」
あぁ, そういえば。研究がどうたらとか言っていたな, この仮面の男。未だにどういう研究なのか全くイメージが湧かないが。
「ヴァレット, と言ったかな。よく考えられたデッキと見える。どこでデュエルモンスターズを覚えたんだい?」
その問いかけにどう答えれば良いかと思ったが, ここは正直に答えても別に問題ないだろうと思い, こう返した。
「わかりません。自分でもどこで知ったのか覚えていません」
「ほう...?」
Aは首を傾げた。
「それは意外だ...いや, そうか。やはり, 記憶が無いんだな」
そう聞いて眉を寄せる。
なぜ, と一瞬疑問に思ったが, 所長であるならばその情報を知っていてもおかしくない。
「それでも実力は健在か。ふむ…ま, 思った通りだね。その方が色々と良いしね」
思った, 通り?
一瞬, 思考が停止した。
Aはその後, よく聞き取れない声量で何やらブツブツ続けていたが, なぜだか。その「思った通り」の一言にこれ以上ない違和感を覚えた。
何だ, 何が思った通りだと言うのか。その方が色々と良い?何が?記憶が無いこと?決闘の実力が?
話の前後関係が全く掴めない。繋がりがまるで無い。
ーどういう意味, なんだ?
唖然として立ち尽くしていると, しばらく呟き続けていたAが顔を上げる。
「あぁ。もう帰っていいよ」
そう言うと, 彼はまるで早くこの場を去って欲しい旨を伝えるかのように手を振った。後ろから二人の看守が壇上に登ってきて, 俺を連行せんとする。
俺は所長, もといAに頭を下げて礼を言い, そのまま看守に連れられフィールドから降りる直前。Aに呼び止められる。
「そうだった。今日のことは他言無用でお願いするよ, 910番君。そして…お友達の君もね, 839番」
「…はい」
「はい!」
ライノと合流し, 広場を出る直前に少し振り向くと, Aは未だに何か考え事をしているかのような仕草で立っていた。釈然としないまま, 共同エリアを後にした。
「言ったろ?訳わかんねェ野郎だって」
階段を登っている最中, ライノが話しかけてくる。
「いつもあんな感じか?」
「いいや。しかも, 囚人を名指しで呼び出すなんて滅多にねェ…いや, 今までなかったかもしれん。何でだろうな」
考える。Aが放った「思った通り」の言葉がどうしても頭を離れない。そして, さっきまでは面白半分に捉えていた「研究」だが…やはり, 何か意味があるのだろうか。知っている限りでは, 俺以外に記憶を無くしていて, ましてやその上に決闘者である囚人は俺以外に存在しない。
思った通り…その方が良い?そのフレーズが脳裏からどうしても離れてくれない。あの所長は一体何を言おうとしたんだ?否, あれは, 俺に向けられた言葉なのか?
そもそも, あの決闘。今思い返してみれば, あれがAの本来の実力だとは到底思えない。そう決めつける根拠は無いが, 直感がそう俺に伝えてくる。彼の召喚した融合モンスター達は初めて見たが, あの展開からして, もっと確実に俺を仕留めるだけの手数があったように感じる。
腑に落ちない。何もかもが。
「オイ, どうした。910番」
ハッとして首を上げると, 既に俺達は階段を抜けて, 部屋が一直線に並ぶ廊下に戻ってきていた。
「さっきからお前, なんか浮かねェ顔してんな。具合でも悪いか?」
ライノが俺の肩に手をポンと置く。俺は首を横に振った。
「いや, 大丈夫だ。疲れただけかもしれん」
「あんなことがありゃあ, 無理もねェ。部屋に戻るか?」
「…そうさせてもらう。すまない」
「謝んなって。俺も戻るわ, また明日な」
そう言って俺はライノと別れ, 自分の部屋へと向かった。
看守にドアを開けてもらい, 中に入る。後ろの重い扉が閉まり, 自動ロックがカチッという音を立てる。ロッカーに向かって歯ブラシ, 歯磨き粉とコップを取り, 部屋の隅に固定された小さな洗面台と向かい合い, 無言で歯を磨き始めた。シャカシャカとブラシが動く音が, 寂しい独居房に響く。
ー思った通り。その方が色々と良いしね。
所長の声がまた再生される。何回も, 何回も, 壊れた録音機のように。答えが浮かばないことへの微かな苛立ちを覚え, 歯ブラシを振る左手の振動が段々早くなっていく。
ーなぜ, そして何が色々と良いんだ?
記憶を失っていること, にも関わらず決闘だけは覚えていること。今に至るまで薄々感じていた疑問の一つだ。それが, 「良い」ことなのか?誰にとって?俺にとってか?
「思った通り」か。それは, Aが俺について何か思うところがあったということを意味している。記憶喪失であると, 決闘の実力に影響があるのか?本当にあるのかもしれないが, 何をどう考えてもその関連性を見出せない。それに, Aとは今日出会ったばかりだし, 彼の思惑を推量するための材料は無いに等しい。
「その方が良い」という言葉の意味を改めて吟味する。とすると…それは所長, Aにとって都合が良いということか?研究とやらに役立つから?そもそも…「強い決闘者の特徴」を探究するとはどういうことだ?収容所の外ーもし, 外の世界があればの話だがー「強い決闘者」に該当する人間はごまんといるだろうに, なぜわざわざ俺にご指名がかかったのか。
それに, 決闘といえば。決闘とは少なくとも, 遊戯に過ぎないはず。勝てたからって大したリターンがあるはずもなく。事実, ここでの幾つもの勝利を経て, 得たものは一つもない。
ー駄目だ。全くわからない。
歯ブラシを口から外し, コップに水を入れる。流水がコップを打つ音を耳にしながら, ポケットに右手を伸ばし, カードの束を取り出す。《ヴァレルロード・S・ドラゴン》の猛々しい勇姿が俺を睨む。
ーサベージ。お前はどう思う?
唯一無二の相棒に語りかける。銀に煌く弾丸竜は微動だにせず , こちらを眺め返しているだけだ。返事が一切返ってこないと分かっていても, 思考を巡らせる時はこうやってサベージに語りかけることが多い。
視線を洗面台から外し, 歯磨き用具をまとめてロッカーに仕舞おうと振り向く。眼前の自室の光景が映った時, 俺は動かずに, 暫く部屋を茫然と眺めた。
「…狭いなぁ, ここは」
呟いて思う。この部屋は狭い。動ける通り道は俺一人がやっと通れる程度。独居房の四方に佇む灰色の壁が, ただでさえ小さい独居房の空間を, さらに締め付けているかのように見えた。
目覚めて最初に見えるものがこの壁。一日を終える時も, 同じ壁に包まれて床に就く。それは自分を閉じ込めておくための壁。
この壁が封じているのは俺の身体の自由だけではない。思考の自由, そして精神の自由さえも奪っている。
いつもそうだ。あらゆる思考はやがて, 「記憶の欠失」という大きな壁によって堰き止められてしまう。そして, その壁を突き破ろうとする俺の四肢を縛り付けるのは, 「収容所」という鎖。
いくら想像を膨らませ, 仮説を立て続けようとしても, それを確証する術がない以上, 単なる妄想と大差ない。
自由に動くことも考えることも許されないー何たる異常。これが生きるということなのか?
今までの自分は, 自由なき囚人という立場を無意識に受け入れていた。どうしてか。記憶を失っていたことで, 感覚と思考力が鈍っていたに違いない。
ーならば。
サベージ達を握る右手が震える。
ヴァレット達は, 今までどんな局面に遭おうとも, 弾丸を撃ち続けてそれらを薙ぎ倒してきた。
ならば, 彼らを操る俺も, 彼らのようになるべきだ。どんな壁をも打ち壊せる弾丸を放つべきだ。
それが意味するのはただ一つ。
「ここから脱出する。必ず」
心に小さな火が灯された。自由, そして自分を取り戻すために。