『五花』
『はい』
赤曜引島。
その、
いつかの日、当時まだ小学生であった私は四葉さんと2人向かい合うような格好で立っていた。
と、言っても疲れ果てていた私はその姿勢でいるのが精一杯で、四葉さんの顔をしっかりと見ることで何とか意識を保っている状態だった。
ある日、森の奥の池で子供が溺れていた。
練習終わりの夕暮れだった。そこへ鼬に連れられて来た私は、その子を助けようと慣れない神通力を使い。逆に殺しかけてしまったのだ。
おまけに自分の身体能力を見誤った私も溺れかけ、駆けつけた母のお陰で命からがら助かったのだけれど。
それから私は神通力の練習に身が入らず、「向こう側」に行くたびに私の中にはあの光景が浮かんで、心臓が掴まれるような動悸が襲うようになり、毎回無意識に息を吸い込むようになってしまったのだ。
どうしようもない自分が許せなくて、四葉さんとの練習を初めて休んだ私はひたすら走って。自分を追い込もうとしたけれど、効果はなくて。やがて体力を使い果たそうという時の森の中。
四葉さんはそこに居た。
『まだ、怖い?』
その言葉を吐き出した師匠の表情は、もう覚えていない。
『こわい、こわいです』
私はあの人の顔を見ながらお腹に持っていた縁門を抑え、そう言った。
「隠匿の神通力」は、気を抜くと直ぐに人を殺してしまえる程の危険な物で、だから使っている時の、あの色素の薄い世界を見るのが怖くて、真っ赤な自分の神力を見るのが怖かった。
『なら、要らない?』
それを聞いた四葉さんは、俯いている私に近づいてそう言った。
この悍ましい力を祓うことは、彼女の持つ神通力ならば容易いことだったのだ。
だけど私は。
『いえ』
不穏なファンタジーが蔓延る世界で、どんな理不尽が降りかかるかも分からないこの世界で。
この力をなんとしてでも物にする必要があったんだ。
『こんな力が世界中にある。当たりまえのようにつかえる人が沢山いる。それにあらがう力がない方が、よっぽどこわいから』
大切な人達を失う事の方が何よりも怖かったから。
そう言った時、ふらつく身体を支えるようにして四葉さんは私の両手を優しくとった。
『偉いよ、五花ちゃん』
顔を上げると、そこには何時もと違う柔らかい笑みを浮かべた叔母の顔がそこにあって。
『だったら、怠けてちゃ駄目だよ』
『え?』
だから一瞬、何を言っているのか分からなかった。
『初めて会った時からそんな感じだよね、今に始まった事じゃない。貴方に昔、何か辛いことがあって。そして、それのせいで怯えている。怖がっている。今はそれが分かりやすく表に出て来ているだけなんだよ』
四葉さんの目は私の心を見透かしているかのように捉えて離さない。
『ねぇ、五花ちゃん。貴方が何を抱えているのかは私には分からないけれど、それってきっと素敵な物だったんだよね。だって、そんなに悔やんで、ずっと苦しんで、それでも手放せない物なんだから。大切な、大切な貴方の宝物だったんだなって私は思う。だからね、ほら。考え方を変えましょう』
そう言って彼女は私の頭をわしゃわしゃと力強く撫でた。撫でると言うよりか、揉むように。両腕で思い切り。
『いたっいたい、ですよ!』
『頭が硬いんだよ、こんな歳から難しい事を考えちゃって……可愛げの無い! いい? 捨てられないのなら、全部持っていくんだよ、この脳味噌で! 全部覚えたまんま糧にするんだ、次に繋げるんだよ! 貴方が言ったように世界は怖くて、ウジウジと立ち止まっている子を悠長に待っていてくれるほど優しくないんだから!』
そう言いながらも四葉さんは容赦なく私の頭をもみもみし続けた。
頭蓋にヒビが入るかと思う程痛かったので、そのせいかこの出来事は今も強烈に覚えているのだ。
『……それが出来ないって言うのなら、抱えているもの全部話してよ。五花』
そう言った四葉さんの寂しそうな顔が。
『独り立ち出来ない癖に周りの人を頼らない中途半端な人間に、私は何も教えられない』
本当に痛かったから。
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青網引北警察署
釜伊里駅から遺跡の多く残る
つい先程交代要員として来た彼らは、最近大釜山の遺跡群に住み着いている浮浪者の数が増えている事を受け、青網引南署の方から増員として来ている勤務員であった。
そしてある程度この辺りの土地勘を掴んできた、そんな時期。
「聞いたか?」
短髪の警官がそう言った。
もう片方の眼鏡の警官は、それを聞いて先程交代間際に所長から言われた言葉を思い出す。
「『山の方で不審な目撃情報がある』ってやつですか? 嫌ですよねぇ」
「違ェよ。銃声だ」
そして、帰って来たのは思いもよらない返答だった。
「……は?」
眼鏡の警官は、窓を見る目の前の男の視線を追って、慌てて立ち上がり交番所の外に出る。
そこを見れば、すぐにフェンスに閉ざされた森の入り口が視界に入る。夕暮れで日も沈もうかという時間帯。今からあの中に入っても何も見えないだろうと彼は後ろを振り向いた。
「猟……じゃあないッスよね」
「ここは狩猟禁止」
その言葉を聞いた眼鏡の警官は直ぐに本部へ連絡するために受話器を手にとって。
それを見た短髪の警官は視線を奥の物入れの方へと移し、懐中電灯の点検を始める為に席を立ち。
「あのフェンスから向こうはもう無法地帯と思ったほうが良いな。全く……野生動物よりも質が悪い」
そう呟きながら、備品の入った物置の中を物色する。
────1人の浮浪者が飛び込んできたのはそんな時だった。
「た……助けぇ、助けてぇ!!」
大人の男が出すには酷く情けない声色で、半ば這うような体で入り込んできたその男に2人は一瞬呆気にとられた。
「大丈夫ですか、どうしましたか?」
しかし、緊急事態である。
直ぐに我に返った短髪の男は浮浪者に声を掛け続きを促す。すると床の方を見ていた男は突然顔を上げ、そして声を掛けた短髪の警官の方を向く。
黒く汚れた額からは脂汗が滲み。目は焦点が合わず。立つこともままならない。
明らかに怯えている彼は、震える手を合わせて。
「祟りだ……! 祟りが出たんだ! 赤いウネウネとしたバケモンだ! 皆殺されちまう……なっなっ何とかしてくれぇ!!」
そうして耳を疑うような事を言った男の前で、警官の2人は思わず互いの顔を見合わせるのであった。
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真っ暗な空間に足音が近づいてくる。
それは鉄の扉を挟んで直ぐ側で止まり、間もなく金属の擦れる音が聞こえ、そして。
そのタイミングで荷台の中の停滞した空気の全てが外に出ようと出口に圧力を与え、丁度支えの無くなったその鉄の扉を勢いよく押し開いた。
想像以上の暴風に耐えてから、立ち上がった僕が外の様子を伺うと、そこには扉に思い切り身体をぶつけたのか地面で悶える男が1人。顔を抑えている辺り、直ぐに起き上がっては来ないだろう。
「うまく行ったね~」
後ろから聞こえた声の方を見ると、いつの間に拘束を解いていたのか、先程の下手人である彼女が僕の手を縛っていた紐を何かで千切った。
腕が自由になったので、口に巻かれていた布を取り払い、足の紐に取り掛かっていると、はる子が起き上がろうとした男に右足を叩き込み再び寝かせているのが目に入った。状況が状況なだけに何も言わないが、うん。彼女だけは怒らせないようにしようと思う。
僕はそうして拘束を解きながら彼女、
『
自身の周囲にある空気を操作し、強烈な風を起こす程度の、それほど珍しくもない神通力である。
しかし「風を吹かせる」だけの単純な神通力とはいえ、密室であんな風に威力を出すためにはかなりの綿密な操作が必要だ。一年生がこんなに使いこなせる物なのだろうか? もし以前から練習していたとしても、彼女の適性値はかなり上位の方にあるのかも知れない。それ程難しい事をやってのけているのだ。
「もう1人の姿が見えない。見つかる前に早く逃げるべきだな」
「分かってるよ、とりあえずあっちかな~?」
そう言ってはる子が視線を向けた先には、割れた遺跡の入り口。
ひとまず物陰に隠れよう、という事なのだろう。早速そこに移動すると、丁度周りに見えない石壁の影があったので、二人してそこに腰を下ろす。
ああ、縛られていたせいで体中痛いな。
「ここ何処なんだろうね~? 沙村くん分かる?」
「青島で、森の中。こんなに大きな遺跡が幾つもある場所は限られている。十中八九、釜伊里町の「
「おおかま……あ~、地下大回廊のある?」
「そうだ」
釜伊里南地下大回廊。
青島にある最大級の古代遺跡の1つである。
数年前までは観光地として一般開放されていた有名な建造物だったのだが、大きな円柱のような形で地下に広がっているその空間は、自殺スポットとして知られてしまったのか一般客の落下事故などが頻発し、近年立ち入り禁止となってしまった曰く付きの建造物だ。
観光客が居なくなり、風通しの悪くなった今では周囲の古代遺跡群含め浮浪者などが住み着いて危険な場所になっていると聞いたことがあるが……。
そんな風に考え事をしていた。
その時。
「君達、ちょっといいかな?」
「はる子!」
不意に横から聞こえた男の言葉に僕は身をのけぞらせると、はる子は「颶風」を使い思い切り男を─────
「まった、待って! 僕は敵じゃないって!」
────吹き飛ばす前に。
男はそう言いながら慌てて地面に体を伏せて両手を上げた。
まるで、こちらの手の内が分かっているかのような、まさしく風をやり過ごす為の体勢で。