『はる子は折角だから、中学校は準宕に行ってみたら?』
母親を名乗る人がそんなことを私に言ったのは、私が小学5年生になる頃だった。
私は断る理由もなかったので、それを承諾し、入試に確実に受かるように勉強をして無事に入学した。
そうして入学した初日、隣の席にあの人は居た。
最初にした会話は、当たり障りも無く。
よろしくね~、なんて感じだった。正直細部は覚えていない、あの時は他の人と同じ印象だったから。
だけど、あの人はその後一々私の目に留まった。
ほかの皆から一線引いて見ている感じで、それを隠そうとしない。皆が近寄りがたい空気を出していて傲慢な感じ。だから、ちょっと前の私みたいな人だなと思った。
なのに他の皆はそれを見て「かっこいい」とか「凄い」とか特別扱い。確かに勉強も運動も成績が良かったけれど、あんなつまらない態度で持て囃されるなんて、おかしいと思った。
私はこんなに頑張って周りに合わせているのに。
その状況がとっても嫌で、くやしくて。
私は、他者を遠ざけようとするあの人に、しつこく付き纏うようになった。
だってあの人は、私が初めて会った「嫌いになってもいい人」だったから。
人ウケの良い笑顔を作り浮かべて、しつこく絡んだ。
お陰でどんどん嫌いになった。
スカしてるし、母親みたいな事を言うし、すぐに手が出るし、無愛想で、なのに騙されているのにも気付かず私に笑いかけてくる。
そうしている内に、彼女の態度がおかしくなった。
目を合わせなくなって、名前も呼ばなくなった。おまけに私を露骨に遠ざけようとしてくる。
気づいちゃったのかなと思った。
陰口を言ってる事を、一回靴を隠して困らせた事を、私が貴方を嫌いな事を。
嬉しかった。
あの人を傷付けられた事が。嬉しかった。
だけど翌日、何故か体が動かせないくらいやる気が出なくなって一日中布団から出られず、初めて学校を休んだ。
そして、これでこの関係も終わりかぁなんて、つまらなく思いながら登校すると、急にあの人は変わっていた。
やけに社交的になったのだ。
性格はそのままのように見えるのに、色んな事に積極的に参加するようになった。変わりように戸惑っているクラスメイトに分け隔てなく話し掛けて、結果直ぐに仲良くなって、馴染んでいった。
私にも話し掛けてきた。「避けてごめんね」なんて、申し訳無く言った。私が原因だと思っていたのに、実はあの人自身の思い悩みが原因だったのだ。
それが気に入らなかった。
私が今まで生きてきて、一番気に入らない出来事だった。
そんな風に思っていたある日、あの人はこう言った。
『聶獣が背袋鯆ってホント?』
唐突な話だった。
聞くにどうやら、私が休みに家の近所の岬でこっそり「颶風」で周りの空気をゆっくりかき混ぜて遊んでいる所をクラスメイトの誰かが見ていたらしい。
稀に背袋鯆が近くに寄って来て居たので、見られたのはその時だろう。
見られても良いように縁門はズボンの内側に入れていたので、焦ることは無かったけど、自分の聶獣がソレなんて、関心もなく調べたことも無かったので困惑して居ると、あの人はそれを肯定に受け取って、放課後目をキラキラさせて私の手を引っ張り、例の岬まで着いてきた。
あの人は破天荒な所があった。
思い付いた事を実行してしまう無駄な行動力があり、時々私はそれに付き合っていたけど、それにしたって今日は特に突拍子が無かった。
そうして、2人で海を覗きこんで数十分。
背袋鯆は、当然出て来なかった。
『出て来ないじゃない』
『当たり前だよ〜……。常識的に考えて、緑島に住んでるイルカちゃんがわざわざ赤島まで来るのって凄く珍しい事なんだから』
『そうなの? 神憑きなのに』
『ごばちゃんは神憑きを一体何だと思ってるの?』
『……じゃあ、水族館』
『え?』
『港町の水族館、そこなら居るでしょ! お金は私が出すから、今から行きましょう。よし、決まりね』
『えっあっ、待って〜!?』
そう言ってあの人はダッシュで駅の方面に消えていった。
今考えると、私はあの時点で帰っても良かったのに、あの時は何故かそんな気にはなれずに付いていくことにした。
赤島の水族館、『乙海港水族館』は赤島で一番の大きさの水族館だ。
イルカも確か2、3種類飼われていて、その中には聶獣である背袋鯆も居る。これは緑島の水族館にも無い乙海港の売りでもあるらしい。あの人は千円もする入場券を2枚買いながら、時々来るのだと、そんな事を話していた。
お金持ちなんだねと言ったら、月のお小遣いは2千円で、月に2回行くのに全部使っているのだという。狂っていると思った。
そう言うと、お年玉は貯めているからと、良くわからない言い訳をした。
『はる子、なんか今日毒舌じゃない?』
『そうかな〜気の所為じゃないの?』
だって機嫌が悪いのだから当たり前だ。
誤魔化そうと思ったけど、どうしても角の立つ言い方になってしまう。なのにあの人はそれを聞いてニヤリと笑う。
私はムカッとしたので顔を背け、チケットを受け取った。
そうして水族館に入り、さてイルカだとその一際大きな水槽に近寄ると、六匹ほどのイルカが種類に関係なく思い思いに泳いでいた。
その中の一匹が、私の方を見た。
『き、来たっ! はる子、ねぇ、来たっ!』
『うん』
そして、普段の様子からは考えられない程興奮したあの人は、ガラス面に額が付きそうなほど手すりから顔を出し、こちらに来た背袋鯆を眺めて。
こう言ったのだ。
『はる子が神憑きで良かったなぁ』
と。そうして、私の様子を見てさっきの悪い笑顔を見せてきた。
どういうつもりで言ったのかは明白で、だから自然に言葉が出た。
『どうして』
『だって、こういう事言うと貴方嫌がるでしょ』
だからさっきから言ってるの。と、あの人は水槽を見ながらそう言った。
『喧嘩、売ってるんだ?』
『ええ、売ってるけど?』
その受け応えの後、私達は黙って水族館を回って、そして外に出た時にはもう夕方になっていた。
『はる子って私の事嫌いなんでしょ?』
駐車場で、あの人が言った。
つまり、やっぱり今までの私の行動は既にこの人には伝わっていたんだ。と、事情がようやく飲み込めた私は、なんだか安心して。
『うん、大っ嫌い』
素直にそう言った。
『でも、私は好きよ』
すると、あの人が返してきた。
意味が分からず、言葉に詰まっていると、あの人は続ける。
『私ね、朝何気なく登校して、授業を受けて、美味しいお弁当を食べられて、こうして貴方と喋る事が出来て。毎日とっても幸せだなって、そう思ってたのよ』
『何が言いたいの~? はる子は全然────痛っ!』
「話は最後まで聞きなさい」と言いながらこの人は前に出した自身の右手を後ろに隠した。
急に頭を叩いてくるなんて。やっぱり嫌いだ。
『だから私、このままじゃいけないと思ったの。ほら、もう私達2年生になるでしょ? 変わらないといけないと思った。今の関係じゃ終わりたく無かったのよ。ね、はる子。これだけは覚えておいてよね』
そしてあの人が。
『仮に貴方が私を嫌いでも、私は、絶対貴方の事を嫌いになったりしないって事』
そう言ったから。
『なんで?』
『なんでって、それははる子がとっても良い子だからよ。現に私が我儘言って引き摺り回して、嫌な事も言ったのに、こうやって水族館も最後まで付き合ってくれたでしょ。最近だって、私の様子がおかしいってずっと心配してくれてたみたいだし。ほら、この前だって────』
『そうじゃない』
なんだか良く分からなくなってきた。
私の言いたいことが、上手く出てこない。
『分かってない、はる子の気持ちなんて、分かってないよ。……そうだよ、この間からやけに皆に話しかけてるのって、なんで?』
『……なんでって、心境の変化?』
『やめてよ、向いてない。ごばちゃんはそんな事しなくても、皆に認められてるじゃん、痛々しい、見てられない、戻してよ』
『ええ……そこまで言う……?』
『とにかく戻してっ!!』
そうだ。
私はこの人が「嫌いになってもいい人」の枠から外れるのが嫌だったんだ。しかも最悪な事に、かつての私みたいに周りにレベルを合わせようとしている。そんな気がした。
そんなの。
『戻して……』
このままじゃ「顔も見たくない人」になってしまう。
それは「嫌い」とかじゃなくて、別のナニカだって思ったから。絶対に、嫌だと思った。
『えーっと、じゃあ戻しまーす……』
少しの沈黙の後。
ごばちゃんはそれだけ言った。そうして少し考える素振りを見せてから。
『私がはる子みたいに振る舞うのが、嫌?』
『違う、はる子が嫌なだけ』
そんな事を言うから、つい反射で返して、しまったと思った。
『それ肯定してるじゃん……私は別にはる子の振る舞い、嫌いじゃないというか、見習わないとって思う部分がかなりあるんだけどなぁ』
『……見習わなくていいよ、こんなの』
返答に困って、なんとかそれだけ言うと、ごばちゃんは困ったように笑って「仲直りしよう」と言い出した。
私はなんでそんな結論に達したのか分からなかったけれど、仕方ないので小さく頷いた。
そうしたらごばちゃんは急に「仲直りの印に良いもの見せてあげる」だと言って、周囲を見回して。
『廻ー? 居るー?』
誰かを呼んだ。
もしかして、今の会話を隠れて聞いていた人が居るのかと、周囲を見渡すと、そこには毛むくじゃらの動物が一匹、私の足元に座っていたのだ。
『おるぞ』
『やっぱ居たか、大人しく森に居るか留守番してなさいよ。本当に』
『だって彼奴等、いつもワシの事避けるし暇なんじゃもん』
意味がわからなかった。
聶獣が、いや、動物が喋っていた。そしてその得体の知れない動物は、ごばちゃんの身体をよじ登って肩に乗ってこちらを見た。
何を考えているのか分からない目。
『これ、尾袋鼬の
『あ、うん……わまり……』
『廻じゃ。なあ、これ出てきてよかったのか? 三鶴怒ったりしないかの』
『大丈夫よ、怒られるのは私じゃないし』
『ええー!? ワシ帰るっ! 五花のアホー!』
なんだか良くわからないまま、動物はそう叫んでどこかへ走り去っていった。
とっても、嫌な感じのする動物だった。
そんな衝撃的な光景を見てしまったから、私は夢うつつな気分でごばちゃんと別れると、その日は早めに寝て、翌日、あの動物について問い詰めた。
やっぱり昨日のはごばちゃんの聶獣で、その中でも昨日会ったのは最近喋るようになった何時も家に居着いている個体なのだという。
話を聞いても全然納得できなかったから、その日は釈然としないまま部活の練習をして。
だからいけなかったのだろう。
その日、私は何でも無い所で
だけど私はその日部活を休んでいる筈のごばちゃんに受け止められていて、不思議に思っていると「鼬たちが教えてくれた」なんて言い出した。
こういう事は、以前にもあったのだという。
同じように鼬に案内されて、溺れた子供を発見し池に飛び込み、一緒に溺れたなんて話だ。
本人は笑い話のように言っていたけれど、全然笑えなかった。
尾袋鼬は、所縁のあるごばちゃんの良心をつついて、危険な場所に駆り出していたのだから。私の場合はイルカちゃん達だけど、彼らは絶対にこんな事をしない。常識的に考えて、神憑きが近くに居たら寄って来るだけで、普通、それ以上の事は一切しないんだ。
そうしてその後。
あれから「鼬の案内」は無かった。
私が割と頻繁に話題に上げて「無い」って聞いていただけで、本当はあったのかも知れないけれど、どちらにせよ、ごばちゃんは「心配してくれてるんだ」なんてヘラヘラするばかりで、危機感がまるで無かった。
だから少し前に、演習場で例の「祟り騒ぎ」が起きた日は恐怖した。
祟りに恐怖したわけでなはい。そこらかしこを走り回る小さな生物を「颶風」が感じ取ったので見れば、そこには姿を消している最中の尾袋鼬の群れが居たからだ。
廻という個体が何故か「隠匿」を使える事は聞いていたけれど、まさか他の全ての鼬も姿を消すことが出来るなんて。なんでもありだ。
その日の夜「あの子達が案内してくれなかったら誰か死んでいた」なんて、寮の部屋でごばちゃんが呟いていたのを聞いた時は、どうして良いか分からなかった。「危ない事をしないで」なんて言っても、また心配したことを茶化されるだろうと思ったからだ。
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そうして現在も、ごばちゃんはどこかで走り回っているに違いない。
私は、唐突に地面に生えてきた数え切れないほどの赤い触手を見ながら、半ば呆れにも似た感情で、そう思った。
「やっぱり、はる子じゃ、駄目なのかな」
呟く。
願わくば、嫌いなあの人が誰かの為に傷つくことがないように、近くに居たかった。だけど、これはちょっと。今回に限っては破天荒が過ぎる。
あんなに恐ろしく見えていた青い巨人が、まるで熱した鉄板の上に居るかのように忙しなく足踏みしているのを見て、私はなんだかもう眠たくなり、仰向けになって寝転ぶことにしたのだった。
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