この日の天気は、今にも雨が降るんじゃないかと言うほどの曇天だった。
普段の様子からは想像もつかない程の静寂の中、青特で行われた春の中間テストは、私としては特に問題なく答案を埋めて行くことが出来たと思われる。歴史が少し怪しかったが、明らかなミスが無い限り各テスト90点台は固いだろう。一桁は貰ったでしょ流石に、多分。大丈夫だよね?
そうして全ての試験が終わり教室が俄かに騒がしくなって、向こうがやっぱり都合が付かないという事で当面バイトも無いし、どう過ごそうかなと私が思案していた時、突如として教室の引き戸を物凄い音で鳴らして誰かが入ってきた。
また上級生の悪ふざけか、とクラスメイトは思ったのだろう。かくして再び沈黙が支配しちゃった部屋の中に入ってきたのは予想外にも見覚えのある女子生徒。その鬼気迫る表情を見て私はとりあえずこう言った。
「タイヨウじゃん、久しぶり」
「その呼び方やめろって言ってんでしょーーーッ!?」
そうして私は激高した
……なにこの状況。
目の前のタイヨウは興奮しているのか息が荒いし、私を掴んでいる手は震えている。え? 私何かした? 言ってんでしょって言われても、そんな注意一度も聞いてないし……そもそもあだ名で呼んだだけだよね、これで怒るなら同じクラスのはる子なんて毎日キレ散らかされてるでしょ。……あ、だから「サンちゃん」呼びやめたのか。
「ひ、曜引さんに酷いことしないで!」
「や、やめなさいっ! アタシは今コイツと話をしているの!」
私がタイヨウの顔を見ながら困惑していると、隣にいた小野さんが立ち上がってタイヨウの掴んでる方の手を離しに掛かった。思わずホッコリし掛けたが、小野さんに危害が及ぶのは頂けないので、タイヨウの手首を掴んでちょっと力を加えると、彼女はバっと手を離してこちらを睨みつけてきた。
「ごめん、なんで怒ってるの?」
「アンタが! いつまでも部活に来ないからに決まってんでしょ!」
なるほど。うんうん、そっかー。
「あのさ、恥ずかしいから外で話さない?」
「恥ずかしいって何よ!」
「外で話さない?」
「うるさいうるさい!」
「外で話さない?」
「なんなのよ! ぶっ飛ばすわよ!」
大事な事なので三回も言ったのだが、彼女の場合逆効果であったらしい。いやホント恥ずかしいんだけど。あっちの方で「痴情のもつれかな?」「曜引さんウケる」「数学逝ったあああ」とか言っている声が聞こえるし、「2年生かな?」「今度はなんだよ」「演劇の練習じゃない?」とか未だに上級生のイタズラと思っている人もいる。クラス中の視線を奪い取っているのはタイヨウなのだが、それに私を巻き込まないで欲しいのだ。
そうして話がイマイチ通じない中、彼女ははる子から私が部活に入るようだと聞いていて、それをずっと待っていたのに全然入部しなかったのに腹を立て、忙しいテスト期間が終了したのを見計らってこうして教室に来たのに、あだ名を呼ばれて頭に血が上った。……という経緯を彼女の感情的な言葉からどうにか解読した。概ね予想通りであった。
そこまで整理したところでチラリと
「それで
「もう入部はいいわ。その代わり勝負しなさい!」
勝負、勝負か。
現実逃避気味にその言葉を反芻していると、タイヨウは私の腕をグイグイと引っ張って「ん!」とか言いながら親指で教室の外を指した。なんだろう、殴り合いでもするのかな。そう思いながら私は憂鬱な気分で彼女の後に続いて部屋を出て行った。実にバトル漫画的な展開である。
「勝負って?」
「勝負は勝負よ!」
内容を聞いているんだけど、そう言ってもまた怒り出すだけだと思ったので、私はそれ以上口を開くのをやめた。
wmwmwm
wmwmwmwmwmwmwmmw
「ごばちゃん、ようこそパド部へ~」
「ちょっはる子! なんで居んのよ!」
連れられてきたのはやはりというか、要の所属しているパドリング部の部室である多目的棟の一室であった。
以前はる子を迎えに行くために一度外だけはチラリと見たことがあるが、中に入るのは初めてである。そして部屋の入口をくぐると、そこに待ち構えていたのははる子。要の話だと今日は部活が休みらしいのだが、普通に部屋の中に居て何やら肘のサポーターを弄っていた。
「なんでって、分かんない? カナちゃんが教室を勢い良く出て行ったからだけど~……ふわぁ」
そこまで言ってはる子は大きな欠伸を一つ。
昨日の夜、この同室は一夜漬けを試みていたので寝不足なのだろう。正直部屋が明るくて非常に寝苦しかったので普段から真面目に勉強して欲しい所である。
……まあ、それはさておき、はる子はこうなる事を見越していたのだろう。様子を見に来てくれたようだ。どこぞの方言を話すクラスメイトとは大違いである。
「わかんないわよ……。まあいいわ、はる子。アンタの道具ちょっと借しなさい」
「いいよ~、その為に来たんだし」
……ん? コイツどっちの味方だ?
そう思い警戒する間もなく私の手に乗せられていくサポーターとヘルメット。なるほど、つまりレースで勝負をしろという事らしい。マジで?
「乗用靴は向こうのロッカーにあるから、じゃあごばちゃん頑張ってね~」
「えー」
「ほらっ行くわよ
どうしてこうなったのか。そうしてズルズルと要に引き摺られ、私たちは部室から歩いて5分程度の所にあるので遠くは無い場所にある、学校の一角に用意された林間のレース場まで移動した。ここも実際に見るのは初めてだ。
ところでパドリングのレース場は、上り坂、下り坂は勿論「水上」と「陸上」のコースを融合したような複雑な造りの物が殆どである。
これは神力をエネルギーとした縁動機械である
最近では単純に先着した人間が勝つレースではなく、如何に技術力のある走りを見せるかでタイムの加点減点を加えるルールが施行されたらしいのだが、正直あまり詳しくはない。私は電動で動く
一応聞いたが、レース場と乗用機使用の許可は取ってあるらしい。
そこそこ大きな胸を張る要を横目に、私は溜息を付きながら、近くにある倉庫から
あたふたしていると、隣に居た要が「何してんの……ほら」と後ろの方に付いていたフックを外してくれた。どうやら乗用機はあれに引っ掛かっていたらしい。
「まあ、アタシも初日はやらかしたんだけどね。どう? 電動じゃない
そうドヤ顔で言ったタイヨウの視線を追って、彼女の取り出そうとしている乗用機の方を見ると、メインレバーの首に紫と赤の紐が括り付けられていた。
「それ、中学の時のやつ?」
「そうよ! アンタと違って卒業するときに貰ったやつ。……そうだ、ちょっと待ってて」
要はそう言って倉庫の奥の方に引っ込んだ。
待てと言われても、やる事が無いのでその間に手に持った乗用機をレース場に引っ張って行こうと外を見ると、そこには追い付いたはる子が居た。
「カナちゃん、ごばちゃんにパドリングの楽しさを思い出して欲しいんだってさ~」
「入部して欲しい、じゃなくて?」
「うん、だからごめんね? 別に止めなくても良いかなって」
楽しさを思い出して欲しい、か。
正直な話、それは完全に見当違いな空回りだと言っても良いだろう。別に
ただ、赤くなった乗用機を操って目立ちたくない。それだけなのだ。
それに人生二回目なのもあって、前世には無かったスポーツとはいえ学生に混じって競い合うのも正直気後れしてしまうし、何処かで熱くなりきれない自分もいる。
なんともやりきれない気分になっていると、戻って来た要は、私の手に何かを握り込ませてきた。彼女の乗用機にも付いていた中学の頃の赤と紫の襷である。
「これね、アンタの分! 私が預かっておいてやったんだから感謝しなさいよ」
「あ、ありがとう」
思わずお礼を言ってしまった。
フラッと部活に来なくなってしまった人間にも用意してくれていたとは思わなかった。
「それ、付けてレースしましょうよ。中学の頃のリベンジよ!」
「リベンジってさ、私一回もタイヨウと戦った事無いんだけど」
「グダグダ言ってないで付けなさい!」
もう言っている事が滅茶苦茶である。
仕方ないので私は襷を付けて、自分の借りた乗用機をコースにまで持っていき、設置する。
「コースは陸のみ赤3ね。アンタも知ってるコースでしょ?」
そう言いながら後に続いた要も隣に
「陸のみ赤3」というのは、陸上のみのコースで、中学生大会の時にも頻繁に使われていた赤島公認レース場にある第三コースの事である。縁動機械を使う高校生以上のレースでは最も短いコースではあるが、正直水上が無いのは大変ありがたい。私制服だし。
「これさ、負けたら何かあるの?」
「ふんっ……弱気ね。今から負ける事を考えるなんてっ!」
「どうでも良いけど、後出しはやめてよね」
誤魔化されたので釘を打っておくと、彼女は「勿論よ!」と返してきた。どうも本当にただレースをするだけで良いらしい。
まあ、それはそれで何だか気が楽になったし俄然やる気になってきた。そうして私は背中にあった
実際に見るとやはり目立つ。
全くあの神め、ちょっと位許してくれてもいいんじゃないの? そう思いながら隣を見ると、黄色く光った乗用機に乗った要が私の方を見て固まっていた。
「どうしたの?」
「いや……その……ええっと! 良いレースにしましょうね!」
……。
あそっか、色の事。要知らなかったのか。
はる子は……まあ、そんな事言いふらすような子じゃないか……。
正直微妙な空気になってしまったので私も「お手柔らかに」と返して前を見て、息を吐く。
「じゃあ行くよ~」
「頑張りやー」
その言葉に身構える。
なんか
それよりも先程の
正直に言って物っ凄く苛々する表情だった。
ここで私が適当に負けて「元々熱意も無かったし」と言っても彼女は私に怒る事もなく、私の元から離れていくのだろう。それは私も望む所であった筈である。
だけど、本当にそれで良いのだろうか?
何故要が私に執着していたのかは分からない。私が目立ちたくないから
勝って。
あんな腑抜けた顔をした奴を完膚なきまでに負かしてやらなければならない事だけは分かるのだ。
そして、その上で言わなきゃいけない事がある。