晴れていると言うのに、いやに湿っぽい空気だった。
夜中に降っていたのだろう、寮の窓を開けて朝の風を部屋の中に取り込むと、土の湿った雨の匂いが部屋の中に微かに広がる。
梅雨だなぁ、なんて思いながら私は洗面所の方に向かおうとすると、机の上に置いていた、まだ新しい私の携帯が黄色いランプを付けていた。
開くと、すっかりと音沙汰の無かった研究所からのメール。
早速読んでみると、時間が空いたが今度こそ「機能確認」を始めたい旨と、可能なら今日の放課後にでも行いたいという打診が書かれていた。
私はそれに「急すぎ」と思いつつも承諾の返事をして、そうして放課後、多目的棟の一階に向かうとそこには所長である渡さんが居た。
「お久しぶりです」
「曜引さん。ごめんねぇ、中々時間が取れなくて……お、沙村君」
その名前に、私も渡さんが向いた方を見ると沙村が居た。
こちらはさっきぶりである。あれ?
「あの……今日は『隠匿』の機能確認ですよね?」
「『隠匿(仮)』ね、カッコカリ。……それで今日だけど、確かに機能確認をするつもりで俺も来ているよ。彼は手伝いの1人ね」
「そういう事だ」
どういう事よ。と突っかかるのも話が進まないので、仕方なく私は渡さんの後ろについて階段を登って行った。
ん、階段? 野外で確かめる事があるって言って無かったっけこの人?
「あのあの、屋内でやるんですか?」
「え? そうだよ? ……あー、うん。あの時はちょっと嘘付いたんだよね。ほら、屋内でやるなら研究所内でやれって話になるしね」
……そういえば、渡さん達は白島の人達に私の事を隠しているっぽいんだっけ。最近研究所に行っていない私だけども、大釜山の調査は未だに終わっていないという話くらいは聞いている。
大人の事情というやつなんだろうけども、それにしたってここまでコソコソしていると、何だか悪い事をしているような気分になってくる。
「曜引さんはさ、仲の良い友達とか学校に居る?」
「はい? ……え、居ますけど」
そんな事を考えていると、急に渡さんがそう言った。
「曜引さんも察しているみたいだし、今後やり辛くなるのも嫌だしね。この際だから正直に言うよ。今研究所で曜引さんの機能確認なんかしちゃった日には、間違いなく『白特』に転校になるんだよね」
「えっ」
予想外の言葉に声を出すと、渡さんは「せっかく仲の良くなった友達と離れるのは嫌でしょ?」と頭を掻いた。うーん、それは確かにそうだ。ここに至るまで言ってくれない辺り何か別の理由も混ざっているような気もするけれど。
そう思って渡さんの目を見たら逸らされた。おい。
「それじゃ、そこの奴の『回帰』も大概なんじゃないですか? 3番金だし」
「そこの奴とはなんだ……言っておくけどな君、『回帰』持ちで3番金鉱石に適性があるって程度の希少性だけじゃ白特に転校する程の理由にはならないんだぞ」
「まあ……そういう事だね。曜引さんのはちょっと特殊過ぎてね……主に適性値とかが」
出た、適性値。
なんなの? ホント。望月さんも言っていたけれど「凄い事になってる」とか「おかしい」とか散々言っておいて、その実際の数値自体は私から隠すのだ。言えないなら最初からそんな事言わないで欲しい。
その後も転校の可能性について聞くに、実際その心配があるのは1年生の内だけらしく、向こうにバレる前に2年生にさえなってしまっていれば転校の可能性は限りなく低くなるらしく、とりあえずそれまではコソコソと「機能確認」を行っていくらしいのだけど……果たして私は一年間以上もデータ収集が必要なほど珍しい適合者なのか。
……私自身、心当たりがない訳じゃないのが余計にモヤモヤする。
そうしていじけてながら歩いていると、ある部屋の入口の前で前を歩く彼らは止まった。
扉に付いている窓にはぴっちりと「縁歴会」と書かれた紙が貼りつけられていて中を見る事が出来ない。なんて読むんだろうなんて思いながらドアの前に立っていると、部屋の入口が唐突に開かれた。
「はっはァ! 教授、お疲れ様です!」
「今日は急にごめんね後藤君」
「いえいえェ! 我々縁歴会は、
うわ、と思わず声を上げそうになるほどのハイテンションである。
そうして自身を会長と名乗るスキンヘッドの先輩らしき学生は、私たちを部屋の中に招き入れたのだった。
wmwm
wm mwm
wmw mwm w
「
「あん?」
夕方。
高須名警察署にて自身の机と向かい合っていた小茂呂は、同部署の後輩の声を真後ろから聞いて、ようやく意識を外に移した。
「ちょっと気になってな」
「それ……過去事件のファイルですよね、……隠匿? あ、例の覗き魔ですか?」
「おい、勝手に見るな」
「痛っ!」
小茂呂は遠慮も無く後ろからファイルをのぞき込む後輩の頭を叩くと、周りの様子をチラリと見て息を吐く。
その様子を不審に思った後輩であったが、これ以上頭を叩かれるのは嫌だと渋々自分の席に戻るのだった。
小茂呂はそれを見て再び思考に耽る。
(あの時『隠匿』を実際に捕まえたのは俺だが、追い詰められたのは小海の協力があったからこそだった)
思い出すのは自身が下らないと一蹴した犯人────「隠匿の神通力」を使っていた犯人の様子。
姿を隠すことが困難になり、呼吸も荒く表れたあの男の表情は何とも情けなく、鼻水を垂らして床に這いつくばっていた。
こうして昔集めた資料を見ていると、忘れかけ曖昧になった記憶も多少は繕える。
『見つけてくれて、ありがとうございます』
引き渡す前、確かにその男にはそう言われた。
当時、聞いたその言葉も、ただ気色が悪く感じただけであったが、それが今になって引っ掛かる。今となっては
当時の調査では、例の男は以前の足取りが全く掴めなかった。
5年前に勤めていた会社を辞めたのを皮切れに、一切の痕跡が残っておらず、犯人だと絞り込めたのも国のデータベースに「隠匿」持ちだと記録されていたからだ。犯行自体は兎も角、もしあれが本人の意図する所でなかったとするならば。
「神通力の、その副作用か」
それに思い当ってから、向こう百年近くにもなる記録を漁った。その中に「隠匿」の記録が無いか探して探して、ある失踪事件が一件だけ見つかったのだ。
「隠匿の神通力」はサンプル数が少なく、まだ解明されていない所が数多くある。例えば体の老化が早くなる「
要は、そう。
「隠匿」は、使い続けた保持者を何時しか「向こう側」から戻れなくしてしまうのではないか。という事。
あの日の晩、何故
小海は稀な「浄化」持ちである。そうなれば、あの事件に居合わせた彼女ならば、姪の身体の為にあの場所に居たのかもしれない。
「……いや、違うだろが」
小茂呂はそこまで思考を進めた所で首を振った。
いつの間にか推理に私情が入り込んでいたのを一喝するように、自身の頭を叩く。今日はもう帰ってしまおうか。そう思いながら椅子にうなだれていると、ふと机の隅に置いておいた彼女の姪についての情報が目についた。
あの山に潜伏していた三都橋という元研究者の男が狙っていた少女。
使用者を向こう側に連れて行ってしまうかもしれない「隠匿」という危うい神通力、その神に嫌われている少女。
噛み合いそうで噛み合わないピースを動かしながら、小茂呂はこれからの嫌な予感に眉を顰めるのであった。