みみたぶがり   作:佐那木じゅうき

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神降ろし ⑤

 なんで私はいつもいつも沼に嵌っているのだろうか。

 

 風もなく、暑くも寒くも無い霧の世界。岩と沼と白い花を付けた植物が生えているこの場所に来るのは既に三度目。たまには地面に立っているか座っているか……まあ、最悪寝ていても良いからマトモな足場のある所に居たいものである。

 

「……?」

 

 そう考えながらいつものように沼から抜け出そうとして、違和感。

 沼がいつもより硬いようで、重心を左右に前後に振っても足が全く動かないのである。

 

 眉間に皺を寄せて水面……水面を見るが、黒ずんでいるそれを良く見ると沢山の小さなヒビが入っている。どうやら酷くカピカピの沼に嵌ってしまっているらしい。というか沼じゃなく最早地面に埋まっていると言った方が正しいのではないだろうか。

 

 仕方がないのでお腹の縁門(アーチ)を少し開き足回りの土を消して抜け出し、辺りを見回す。グダグダしていたが、こんな事をしている場合じゃない。私は「神域の入り口」の様子を身に行かなければならないのだ。

 

 そろそろ見慣れて来た「幻想世界」ではあるが、未だに入口の方角は何となくでしか分からない。だから前回のように歩きながら方向を探っていると、丁度前方に人影が立っているのが見えた。

 

「五花」

 

 その人陰────「隠匿の神」は、感情の読めない表情で私の方を見ながら続いて何か口言いかけて、そして大きなため息を付いた。

 

「来てしまったか、思ったより早かった」

 

 以前の別れ際の言葉に反し、まるで来て欲しくなかったかのように出したその台詞はやはり平坦で、少し異常な感じがした。

 

 

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「白状しよう。此方は其方から『権能』を取り返さないと言ったが、違う。本当は取り返せなかっただけで、奪い返そうと何度も何度も試した。殺そうとしたんだ」

 

 案内する。と、それだけ言われて神様の後ろを歩いていると、神は急にそんな事を呟いた。

 

 驚きはあまりなかった。

 私はこの神に本当は嫌われているって「赤」がいつも示していたから。

 

 ただ、何故今それを言う気になったのかが分からない。

 そんな事よりも太田や営野さんの事を聞きたいのだが、まるで私の言葉が聞こえていないかのように神は自分の事を話し続ける。

 

「全ては『お前』に、本当は此方との繋がりなど無いからだ。それに、最後になるかもしれないからな」

「最後?」

「此方なりのケジメだよ。曜引五花(ひびきごばな)

 

 そう私の問いを交わして、神は立ち止まる。

 目の前まで来た神域の入口は前回とは違い、最初からボロい日本家屋に固定されている。その戸は開いていて、その中から誰かが出て来た。それは私と同じ容姿で。

 

(まわり)……?」 

 

 私が声を掛けると、廻は嬉しそうにこちらに寄って来て引っ付き、その後神の方を見ていかがわしそうな顔をした。

 

「廻、こうして起きている時に会うのは初めてだよ……。いや、ある意味今も夢の中で会っているに過ぎないのだが……はぁ、いよいよ限界か」

 

 限界?

 その単語に私が疑問に思っていると、神は腰を折って警戒していた廻の両頬に手を置き、額を合わせる。

 この間、黒子鹿(ほくろじか)にやっていたのと同じ動作だ。あれで記憶を読み取っているのかもしれない。そんな事を思っていると、事が済んだのか神は眠ってしまった廻を大事そうに抱えた。

 

「この子だけが其方(そちら)との繋がりだ、これは前に言ったな」

「ええ」

「中に寝かせておいてくれ。その内向こうに戻るだろう」

 

 こちらを見ず、廻の髪を撫でながらそう言った神に相槌を返す。

 自分の姿をしたものが撫でられている光景に少し不思議な気分になったが、とりあえず私は神から廻を受け取ると、畳のある神域の入口に運ぼうとして、ふと足を止めた。

 

『絶対「神域の玄関」には入らないと約束して下さい』

 

 幻想世界……この場所の専門家である駒井さんの言葉である。

 なので私はとりあえず抱えた廻を外壁に寄りかからせた。神はそれを見て不思議そうな顔をしたが、直ぐに何かを抑えるように自身の胸元に手を遣って上を見た。

 私もそれに倣って上を見るが、相変わらず霧がこもっていて一面真っ白だ。

 

「聞きたい事は何となく分かっているつもりだ。この間残った2人の事だろう」

「えっと、はい。大丈夫なの?」

「大丈夫だ。その内向こうに戻るだろう、それよりも────」

 

 その内って、もう数週間寝たきりだから私が来ているんだけど。

 そんな事を考え私が微妙な顔をしていると、目の前の神は両手で顔を覆い、俯いた。

 

(まわり)は、今日死ぬぞ」

 

 今、なんて言った?

 

 

「本来、子供達は夢を見ながらこの世界に来る。それが普通だよ。彼らが確りと現世で生きている証だ。なのに意識がはっきりしている。どういう事か分かるか?」

 

 その神の問いに、私ははっきりした事が言えず曖昧に相槌を打つ。

 

「最近はその頻度も多くなって来たと思っていたが……今日、此方の子がまた1つ居なくなってしまう。なあ五花、どうしよう」

「どうしようって……」

 

 そんなの私が聞きたいことである。

 

 

 というか……そうか。

 

 今日。

 そんなにすぐ来るのか。

 

 もっと生きてくれると思ったのに、ああ、そうだ。

 夏には帰るって、顔を見せるって言ったのに。

 

「どうにもならないの?」

「ならない、ならないんだよ。五花。ああ、此方が代われれば良いのに」

 

 そう言ってしゃがみ込む暗い紫の着物を着た子供の姿を見て、少し冷静になる。

 そういえばこの存在は、長い時を生きている神である。今まで数えきれないほどの別れを経験してきている筈だ。毎回こんなに悲しんでいるのだろうか。正直、なんだか違和感がある。

 

「あの、なんというか……何時も貴方はそんな感じなの?」

「……いや、いや。全て其方のせいだよ五花。此方(こちら)は本来別の位置に居て、全く違うものに目を向けている存在だ。こんなに怖くて、悲しくて、苦しいのは……五花が此方の『格を下げた』からだ」

「私のせいって事」

 

 思わず呟く。

 また私のせいか。なんかもう無意識にやらかした事が多すぎて嫌になって来るな。……うん、まあこんな事を考えている場合じゃない。廻の事は確かにショックだが、そもそもこんな会話をしている場合じゃないのだ。人命が懸かっているのだし、いい加減ここに来た問題を解決しなければならない。

 とにかく状況を、とそう思い口を開こうとする私に、目の前の神は歩み寄ってきた。

 

「廻が言っていたぞ。そこが欠点なのだと」

「……何言ってんの?」

「話はまだ終わっていないという事だ」

 

 答えにもならない事を言った神は、尚も私に歩み寄り、私の片方の手首をちっちゃい手で掴んだ。

 

「勘違いするな。何、悪いことばかりじゃなかったよ。悲しい事も、苦しい事も。それによって出来る傷も……嘗ての自分を忘れたという事を思い出せたのも。だからな、其方が気に病む事は何一つないのだよ。いいな?」

 

 こちらの方を見ずにそう言った神は、私の手をにぎにぎして「うん」とかなんとか言って離す。何の動作なのかは意味不明だが、どうやら気を使ってくれたらしい。

 

「えっと、はい」

「では本題だ。まず今この空間、誰が作っていると思う?」

 

 この空間、「幻想世界」は私の夢の中の領域だ。だから理屈では私が作り上げている。

 

「私」

「そうだよ、では『そこ』は?」

 

 言いながら神はボロい日本家屋の方に視線を向ける。

 そこ……つまり「神域への入り口」は、「其処に居る神」の領域である。となれば。

 

「貴方?」

「本来はそうだ。しかし現在は此方(こちら)と、此方の権能を奪った其方(そちら)。双方の力が干渉しあって維持されている空間に過ぎない。……割合はそう、半々ほど」

 

 お陰で以前の部屋が随分様変わりしてしまった、と目の前の子供は表情を曇らせた。うーん? あの建物、私の影響を受けて今の形になったの? だとしたらそこは本当に申し訳ないと思うけども。

 まあとにかく……そこの神だけで作っている、という訳ではないらしい。

 

「そこで問題が一つ。廻が此方から離れた場合、この場所。どうなると思う?」

「どうって……え? つまり、分離するって事?」

「『分離』か。それで済めば良いがな……恐らく、全て無くなるだろう。」

 

 そうポツリと呟いた神を見て、ようやく気が付いた。

 (まわり)は私が「隠匿の神」と繋がっている唯一の聶獣。となれば、その存在が居なくなった後、私はこの世界との縁が完全に切れてしまうのだ。

 ……住処を構成する権能の半分を持ち逃げしたまま。

 

 あれ、もしかしてこの状況。物凄く不味くない?

 

「此方も、最初はそのまま消えて行くのも良いと思ったよ。このまま在り続けるのに疲れてしまっていたからだ。もはや子供達も少なく、またこれは感覚的なものだが、縁を切るのではなく此方自身が消えるのであれば、繋がりのある人間も、子供達もそのまま生きていける筈だよ。……あの時困ったら何時でも来いなどと言ったが、もう二度と会わないと思っていたんだ。だから今思えばアレは……此方が心の何処かで、消えたくないと思っていたからなのかも知れない」

 

 そこまで言って、目の前の神は不意に笑った。

 暗い柴の着物がザワザワと動き、中から数多の白い触手のようなものが現れる。

 首元から、足元から、裾から、生地の裏から。

 

「あの二人に説得されてしまってな、だから曜引五花。此方が消える前に其方がここに再び来るのであれば、足掻く事を選んでみる事にしたんだよ」

「あの二人って……」

 

 太田と営野さんの事だろう。いや、というか話の流れがおかしくない?

 

 そうやって動揺している間にも、私の神力と瓜二つの形をした白い触手はどんどんと増えて来て、いよいよ一つの巨大なイソギンチャクの形が成された時。

 正面の方に巨大な三日月型の口が現れた。

 

『山珊瑚の化け物……いや、此方の同類、山珊瑚の「逆さ人」よ』

「いや、ちょ、どうしてそうなるのよ!?」

 

 その良く分からない言葉を吐きながら目の前の白い触手が私の目の前に殺到する。

 私は何とか反射的にそれを避けるが、途切れなく次の手が伸びて来る。相手は「隠匿」の力の源泉。間違いなく触れただけでアウトである。戻れない程の位置にずらされるか、良くて細切れだろう。

 

『僕と一戦願おうか』

「攻撃する前に言えっ、つーの!」

 

 向こうが何を考えているのかはハッキリ分からないが。どうも私を直接殺して「権能」を取り戻す。という事なのだろう。

 兎に角、私もこんな所で訳も分からず死にたくはない。縁門(アーチ)を全開にして、大量に湧き出て来た赤いそれを試しに一本、襲い掛かって来る白い触手に合わせてみる。すると双方の触手の長さ半分程が弾けるように消え失せた。

 

 ……うん、こちらだけが一方的に「隠匿」を通され消される。という訳では無さそうだ。

 次々来る攻撃を交わしながら私が少しばかり安堵したその時。

 

 頭上に、何か白い光がチラついた。

 

 

 

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 青網引神秘研究所の一職員である駒井(こまい) (ここの)は、人生最大のピンチを迎えていた。

 

 始まりは昨日の夜、白島の出張から定期船で帰って来る途中だった。

 海を見ながら自宅に置いて来たままのハムスターの心配をしていると、所長である渡からある報せを受け取ったのだ。直帰せずに一度来いと言われるのかなと戦々恐々としながら電話に出ると、予想は遥か斜め上に飛んで行った。

 

 渡によると、ある「隠匿」持ちの女生徒が「幻想世界で神や他の適合者と会って来た」と言ったらしい。

 

 その言葉だけではではただの夢か、子供の戯言だと思われていただろう。

 しかし、その報せを受け取った駒井は、直ぐに緑島で寝たきりになっている「隠匿」持ちの存在を思い出し、眉間に皺を寄せた。

 

 五島の研究所では、各学校の生徒達の神通力や練度は勿論、神々の所縁(リレーションズ)が関わる「特殊な事案」は基本的に共有されている。

 

 その中でも脳波も肉体的にも問題が無いのに、ただ眠ったままだという件の男子生徒は間違いなく「特殊な事案」で、それも駒井の専門である「幻想世界」関連の、おまけに命に関わる「緊急的」な問題だ。

 

 元来重い責任というのが嫌だった駒井にとっては、悪夢のような事件である。

 白島に出張に行っていたのもその件があったからであり、そこで聞いた黄島のある女生徒も同様の症状が出ているという事実は、彼女の青くした顔を真っ白にさせた。

 「幻想世界」関連の研究は。近年ようやく脳幹のある箇所に神力が溜まる事で入る事が出来るというのが分かった以外、特に進歩の無い分野である。身体の何処を調べても夢を見ている状態と変わらない事から、他人のデータはそれぞれの証言という不確かな物からしか収集する事しか出来ないのだから仕方ない。

 

 駒井は予算もあまり出ないこの分野が好きだった。

 なにせどうやっても実利に結びつかないのでチームすら組まれないのだ。そのくらいの注目度であるから、進捗さえキチンと出せていれば問題は無いのである。

 余計なプレッシャーもなく一人のめり込むのは心地が良く、収入も多くは無いが、研究所に所属しているので年老いた両親の事を考えても少ないという事も無い。これが自身の天職だとすら思っていた。

 

 しかし、今回の事件において。

 初めて各所から頼りにされた彼女は、大した成果も出せなかった事に自覚無く落ち込んでいた。

 

 だからその報せを聞いた時、駒井は大変な事になったぞと思いながらも両手を強く握り締めていたのだが。

 

「今の何だッ!?」

 

 所長の手助けを受けながらも準備を重ねて挑んだ現在。

 

 不意に室内に響き渡る怒声に、脳波を見ていた彼女は、協力してくれている自校の女生徒の方を見て絶句した。

 あり得ない事が起きているのだ。

 

 身体は細かく痙攣し、その額の右に小さくない(こぶ)が出来ている。

 それは、まさにこの間の事件のような────

 

 

 

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神力の逆循環現象(リレートバックフロー)……」

「……そんな」

「離れろ! 『触れると障る』タイプだ! 除去装置は!?」

「はい! 準備しています!」

「祟りへ転化しているのか……?」

「転化のそれに酷似しています……だけど、赤くない……?」

「どちらにしろ、危険な状態に変わりはないな」

 

 眼前の事態に様々な言葉が飛び交う中、渡は彼女に現れた瘤を見る。

 

 反循環現象。

 向こう側から一方的に来るだけの神力が、逆に向こう側へと行こうとした結果。身体中を駆け巡る神力が導線を逆流し、全身に尋常ではない速度で腫瘍を大量発生させる現象であり、通常「祟り」に障ってしまった人体に見られる物だ。

 神通力操作に関係する適性値がこれに関係していると考えるのは難しい。で、あるならば、今回使った「導入剤」……安全が証明されたとはいえ試作であったこの薬品に原因があると考えたほうが自然である。

 ちらと奥の方でモニターを凝視している部下の駒井を見遣る。顔を真っ青にしている彼女は、見るからに焦っている。

 ……ともかく、この場は除去装置でどうにかなるだろう。渡は大きく息を吐いて、椅子に座り直す。

 後で曜引五花に後遺症の有無があるか検査を行う必要があるが、この程度ならば跡も残らず完治出来る筈。

 

 兎にも角にも今回の試みはこれで失敗だ。

 そう結論付け、次はどう動くべきか考える彼であったが、そのタイミングで耳を疑う台詞が前方から聞こえて来た。

 

「除去装置……効果ありません」

「……はあ!?」

 

 効果がない。

 あり得ない事態であるが、渡はすぐに次の指示を出す。

 

「やむを得ない『破邪』を────」

 

 

「『神降ろしの儀』に似た現象ですね」

 

 その言葉を言い終わる前に、背後の開かれたドアから誰かが入って来た。

 何か違和感を感じた渡は振り返り、その人物……自身の研究所の職員である望月(もちづき) (はるか)の方を見た。

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