「また『嚙まれた』って?」
高須名、青網引南警察署。
節約の為と、クーラーの運用が先延ばしとなっている温い部屋の中、何処かから掛かって来ていた受話器を持ったまま、こちらの方を向いた自身の後輩に、
「はい。ですけど……今回は少し違うようで」
「あん?」
その言葉に小茂呂は作業を中断し、怪訝そうに後輩の持っている受話器を受け取り耳に当て。
「はい、小茂呂です」
『お疲れ様です。例によってまた「噛まれ」が出たんですけど……まあ、とにかく直ぐ現場に来てくれませんか? すこーし物騒な事になって来たんですよ』
「それは直ぐ行くが、物騒?」
その歯切れの悪い言葉に眉を寄せ、続きを促す。しかし続けて飛び出してきた情報に、小茂呂は驚愕することになった。
『簡単に言うと、全身噛まれての失血死になってます』
「そりゃあ……妙だな。本当にいつものやつか? 祟りの『先触れ』じゃないだろうな……場所は?」
『
「いやいい、直ぐ行く。続きはそっちで聞くから……おい、行くぞ」
『はい』
小茂呂は短い返事が返って来た受話器を下ろし、既に準備を終えている後輩の姿を確認して足早に部屋を出た。
何かが動き出した。と、彼は予感する。
いつもの痛みだけではない。「失血死」になるまで噛まれたという事は確実に噛み跡もある訳で、間違いなくこの何年にも渡り続いていた「噛まれ」も進展があるだろう。
何せ歯形が分かるのだ。こんな不可解な現象を起こすのは間違いなく神力が関わっていて、必然下手人は聶獣だ。それが種まで分かってしまえば、もしかしたらそれらと何かしら関係のある「適合者」も炙り出せるかもしれない。
とうとう尻尾を出したな。と彼は漸く見つけた犯人の影を決して見逃さないように気合を入れ直した。
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青特の演習場。そのD室。
本日は特別課外授業があるらしく、この前のチーム分けの通り僕たちは並んでその場所に集まっていた。
「それでは、先程言ったように今回はとうとう実践的な事を行います。皆さんは私の指示に従って、決して勝手な事をしないように。お願いしますよ?」
これから僕達は「神力の変質」についての訓練を行うことになっていて、これは特殊業高等学校に通う生徒が卒業までに最低限身に付けなければならない技能である。
年々増えていく
これからの時代、それらの犯罪が適合者の人口に比例して増加した時、少しでも自衛を出来る人間を養成するのが近年の目標なのだというこの学校。
その為に必要な1つが神力の「変質」だ。
分かりやすく言えば神通力。
「神通力」は自身の
しかし、制御力と言い換えてもいい適性値が少ない適合者でも「神通力」こそ使えなくても「神力の変質」自体はコツを掴めば誰でも出来るようになる。
要は、
最も最初から集中していないと強烈な「祟り」なんかは防げないが、これが出来るのと出来ないのとであれば、死亡率が全然違うらしい。特殊業学校からしか行けない多くの就職先では、不安要素のある神力を扱う事から、前提として自衛出来る事が求められるのだ。
「皆さん
先生の言葉に、生徒が各自
ふと曜引の方を見れば、相変わらず真っ赤な色の神力を出していて、その事について周囲と少し何か話しているようだった。
「沙村」
「ああ」
その声の方を振り向き応じて、右から回って来た箱を受け取って中から一つ取り出し、左に回す。
取り出したのは大きな木のスプーンのような棒の形をした「
「まずは『変質』の前段階。その縁匙に自分の神力を溜める事を目指します。腕に縁門を付ける
……しまった。コツを聞きそびれた。
しかしまだ慌てる段階ではない。先生の言葉に、生徒は皆各々匙や説明書きと睨めっこを始めているので僕もとりあえずとそれを見る。
「ねぇ」
「ん……うぉっ」
最初の数行を読んだ段階で、声を掛けられた方を見ると曜引がそこに居た。向こうから声を掛けてくるのが相当珍しいので、思わず声が出てしまった。
「うぉって何? 失礼ね」
「いや君にだけは言われたくないが……なんだ?」
「沙村ってさ、『サカサビト』って聞いたこと無い?」
サカサビト。
「逆さの……人と書いて逆さ人か?」
「いや、書き方は知らないけどさ。前にえっと……知り合いがそう呼ばれてて? 気になったんだよね」
あからさまにはぐらかしてそう言った曜引の台詞は置いておいて、考える。
「正直聞いたことが無い単語だな。ただ……昔から『逆さま』っていうのは死後の世界……正直、信憑性もないからこの手の話はあまりしたくないんだが、現世から鏡写しのように存在する
「死後の世界って事?」
「そうだ。だから逆さ人っていうのはシンプルに『死者』って事だと僕は思うがな。罵倒か何かじゃないか?」
「罵倒……罵倒かぁ……そうか『死者』ね。なるほど、ありがとう」
そう言って曜引は釈然としない顔で元居た場所に戻って行った。
……態度からして絶対本人が言われた言葉であるが、えらい回りくどい罵倒もあったものである。いや、本当に罵倒なのかは定かではないが。
気を取り直して説明の通り匙を持ち、縁門から神力を持っていこうとする。
「……?」
するが……うんともすんとも言わない。これは難しいぞと何度も試すも無理そうなので、既に成功している生徒の方に行ってコツを聞くことにしたが、それでも分からずに、他の数人の分からない組の生徒と共に演習場内をウロウロする羽目になった。
そうして僕は、授業終了ギリギリで漸く匙に自分の「緑色」を溜める事に成功するのだった。
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7月に差し掛かった青特の寮内。
まだまだ夏序盤の癖に、熱帯夜のように気温が高く、しかも窓を開けても無風で湿度も高い。なんとも寝苦しい夜。
私は照明の落ちた部屋のベッドの上で、この不快な感覚に耐えながら何度か寝返りを打ち、最後には仰向けになってうすぼんやりとした天井を眺め「あ゛ー」と呟く。
とにかく何が言いたいかというと暑いのだ。
「ねぇねぇ、はる子風起こしてくれない?」
「校則違反で~す」
向こうの方から返事が返ってくる。やはりはる子も寝付けていないようだ。
「中学の頃から隠れて使いまくってるくせに」
「はる子、そんな事してないよ~。……扇風機借りに行く?」
その言葉に、私は思わず上体を起こした。
「あれ、もう借りれるの?」
「さぁ? けどこんなに暑いんだから、持って行っても何も言われないと思うなぁ」
「確かにそうかも……。よし、借りに行こう」
正直、このまま寝たら干からびてしまいそうである。そんな提案を聞いてしまった以上、借りず我慢するという選択肢は最早ない。
なので私達は深夜にこっそりと部屋を出て、別棟にある備品倉庫に向かうことにした。
階段をこそこそ降りて、通路を少し歩き、食堂を通過して内装が古くなった区画に出てすぐ右手の扉に入る。
そこには既に何人か先客が居た。
こんな茹で上がるような夜である。同じ考えに至っている人もやはり多いのだろう。そんな事を思いながらその集団に近づくと、中に居た生徒が一人、こちらに気づいて声を掛けてきた。三年生の先輩で、我らが女子寮の監督生の
「やぁやぁ少女たち。扇風機取りに来たの?」
「はーい」
「寝れなくて……借りられますか?」
「勿論。ちょっとこの暑さは異常だね……だから今、3年で集まって各部屋に扇風機を配ろうかと画策している所なんだけど……ごめん、少し手伝ってもらって良いかな? 食堂で冷たい麦茶も出すよ」
「やります」
「凄い前のめりだねごばちゃん」
だって冷たい麦茶なのだ。
駄目だ、喉が渇いていたのを今の今まで忘れていたのに今そんな事を言われたらたまらない。
「良い返事だね。じゃあこれから私達は上の階から配っていくから、君たちは下の階からお願いね……よーし、お前ら! やるぞ!」
そうして網浜さんの一言で小さく掛け声を上げた3年生たちが各々扇風機を持って上の階に上がっていったのを横目に、私達も階下の近い部屋から扇風機を置いていく。
そうして冷たい麦茶を飲んで上機嫌で部屋に戻った私達であったが、直ぐに寝入ったはる子とは対照的に私だけ目が冴えて暫く寝付けなかったのだった。