赤島たんぱりんぐ ①
船が港に近づくにつれ、窓の外に看板が増えていく。
建物の屋上。
港沿いの倉庫。
背の高い商業施設の壁面。
護岸の斜面や停泊している船にまで。
『間もなく、
船内に流れた放送を聞き、僕は座席の下に置いていたバッグを持ち上げる。
随分と久しぶりな気がする。
実際には半年も経っていないが、色々ありすぎて少し老けた気分だ。
定期船が速度を落とし、窓の向こうを防波堤がゆっくりと流れていく。甲板へ出ると潮風が正面から吹きつけ、伸びた前髪が目に入った。
「……切ってくれば良かったか」
さして気にもならない後悔を口にしながら下船口へ向かう。
船から降りて六番ゲートを抜ければ、もう市街地である。
乙海岩戸市。
赤島の玄関口。
観光客を呼び込もうと各々好き勝手に目立とうとした結果、街全体が看板に埋め尽くされた場所。
昔から見慣れている僕でも、情報量が多く眼がチカチカする。
また看板の内容は結構な頻度で差し替えられており、ここ数ヶ月の間で随分と様変わりしているようだ。
……それにしても、また増えたな。
その内に陽が当たる地面が無くなるのではないだろうか。
そんな事を思いながらゲートを抜ける。
ところで、実家はここから少し離れた海岸近くにある。
歩いて帰れない距離ではないが、この荷物を抱えて行く気にはなれない。僕は当初の予定通り電車を使うことにして、駅へ続く道を歩き出した。
そうして歩く道中には、土産物屋や飲食店が並んでいる。
干物やよく分からないご当地キャラクターのキーホルダー。
色の悪い
売る気があるのか疑わしい物まで店先に並ぶ光景も、以前と変わっていない。
子供の頃は縁動機械の類いがあると目をキラキラさせながら物色していたな、と。若干げんなりとしながら駅前に近づくと、信号の向こうに見覚えのある男が立っていた。
白い半袖のシャツ。日に焼けた太い腕。
……抱えた、やたらと大きな発泡スチロールの箱。
出来れば気付かれる前に通り過ぎたかったが、向こうが先に僕を見付けてしまった。
「おお、
通行人が振り向くほどの大声だった。
僕は一瞬だけ他人のふりをしようかと考え、諦めて信号を渡る。
「その呼び方をやめろと前から言っているだろう、
「何言ってんですか。旦那さんから見りゃ坊は坊でしょう」
「親父は関係ないな? 僕は今君に言っている」
「ワシから見ても親戚の子供みたいなもんでさぁ。それで今日から帰省で?」
取り付く島もない。
僕が沈黙していると、黄色い歯を見せ笑ったこの男は、昔から実家の板場にいる従業員である。
今では仕入れまで任されているらしく、抱えている箱からは微かに磯の匂いがした。駅前にいるのも、これを運ぶ途中なのだろう。
「帰って来るなら連絡くらいすりゃ良いのに。迎えを出しましたよ」
「要らなかったからな。電車で直ぐだろう」
はぁ、と水場崎は僕の手元に視線を遣る。
「随分でかい荷物じゃないですか。大変でしょうに」
「殆ど『個人的な趣味』の物だ。勝手に触るなよ」
「うわっ触りませんよ、そんな危なそうな物」
言いながら、水場崎は僕のバッグから露骨に距離を取った。
なんだかそれはそれでムカつくんだが……。
「……親父は」
出来るだけ何でもないように言う。
それに水場崎は一度目を丸くした後、何を思ったか口元を緩める。
「なんです?」
「最近、どうしてる」
「気になるなら、本人に電話すりゃいいでしょう?」
「水場崎」
「はいはい。旦那なら相変わらずですよ。昨日も客に余計な口出して、女将さんに怒られてましたなぁ」
「そうか」
「坊が帰って来るって言ったら、喜ぶと思いますけどねえ」
「連絡していないと言っただろう」
そう言うと水場崎が「じゃあ、今から電話しときましょうか?」と言いながら携帯を取り出すしぐさを見せたので、慌ててその手を抑える羽目になった。
……この男とは、昔から話すだけ損なケースが多すぎる。
僕はそれで水場崎と別れ、少し寄り道していくかと逡巡したが、手に持った大きな荷物の事を思い出したので、素直に駅へ向かう事にした。
……あの男の車に、荷物だけでも積んで貰えばよかったか。
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親父とは、入学前に少し揉めた。
少しというのは僕の認識で、母に言わせれば大喧嘩だったらしい。卒業後の進路と、実家の旅館をどうするか。それに加えて僕が学生の内に論文を書こうと所縁学に傾倒していることまで一緒になり、最後にはお互い話を聞かなくなった。
両親は「神力」というものを嫌っている。
父親は真っ向から「しょうもない」「碌なもんじゃねえ」と常々言うし、母親もその主張にやんわりと肯定的だ。
帰ると言わなかったのは、そのせいではないし、別に、顔を合わせづらかった訳でもない。
ただ連絡を忘れていただけだ。……他意は無い。
乙海岩戸の市街地から二駅。
海岸沿いの小さな駅を出て暫く歩くと、周囲の建物より頭一つ高い瓦屋根が見えて来た。
曽祖父の代から続いているらしい、海辺の旅館。
一見風情のある大きな建物だが、少し奥の方の外壁を見ると継ぎ接ぎ部分が見える。玄関だけは立派にと、十数年前にそこだけ無駄に立派にしたからである。
規模だけなら、この辺りでは大きい方だろうか。
などと考えながら敷地に入り、入口まで歩く途中で、裏口に水場崎が置いたらしい発泡スチロールの箱が積まれたのが見えた。
……親父に話が行っていると見るべきか。
まだ客の居ない玄関に入り、自動扉を開けると、目の前から冷房の効いた空気と、絨毯の古めかしい匂い。
帳場にいた従業員がこちらを見て、そのうちの一人が奥へ声を掛けようとした。
「いい。自分で行く」
それを止めて、靴を脱ぐ。
昔から変わっていない廊下を進み、従業員用の出入口から厨房を覗くと、親父は水場崎が運んで来た魚を検めているところだった。
「ただいま」
明け透けに言い放ってやると、親父がこちらを見る。
暫く沈黙。
何か言うことを考えているのかと思ったが、その視線は僕ではなく、床に置いたバッグへ向いていた。
「遅い」
「何がだ」
「帰って来るならもっと早く帰ってこいや、急いで荷物置いてこい」
「帰って早々手伝いか?」
「それが嫌なら事前連絡をしろ……てめぇ。このクソ忙しくなる時間に帰って来たんだから当然だろうがよ」
親父は鼻を鳴らすと、厨房の隅に積まれていた盆を顎で示した。
……むぅ、人使いの荒い親だ。
「なんだ? 実家に帰って来た息子が家業を手伝うのは当然だろが」
「はいはい……すぐに戻る」
「おいてめぇ『やらせていただきます』だろ?」
「あのな……やる気を削ぐようなことを言うな!」
数ヶ月顔を合わせていなかった息子に言うことがそれか?
呆れていると、背後から小さな笑い声が聞こえた。
「おかえりなさい、
「……ただいま」
母は僕と親父を交互に見て、嬉しそうに笑っている。
「帰って来るなら連絡してくれれば良かったのに」
「急に決めたんだ。それに、連絡したところで『これ』だろう」
「そうねえ。でもお父さん、昨日学校が夏休み期間に入ったって……綾間がちゃんと帰って来るか気にしてたわよ」
「おい!! 口が回るなら手動かせ!」
全く嬉しくない親父のエピソードを暴露した母親は、父親の大声に構わずにこりと笑った後、僕の頭に手をおいて軽く撫でる。
「あらあらうふふ、それじゃあまたね綾間。たっぷり絞られといで」
……まあ、この程度なら手伝ってやるか。
そう思った僕は、慌ただしい館内を見遣り、荷物を持ち直して奥の自室の方に行くのであった。
どうやら入学前の喧嘩は、これで終わったことになるらしい。
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布団の準備を手伝い、客の膳を片付け、何故か壊れた廊下の照明まで直させられた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
むっつりと黙る親父と、やたらニコニコしている母親の顔を見ながら、手早く夕食と風呂を済ませて自室に戻る。
机、本棚、その他諸々、少し剥がれた壁紙も以前のまま。
しかし、意外なのが埃臭くない事だった。
3、4ヶ月ならそんなものだろうか。
そう思いながら僕は机の脇にバッグを置き、ファスナーを開く。
着替えに何冊かの資料。
工具の入った細長い箱。
それらを順番に取り出し、一番底に収めていた黒いケースを机の上へ置き、留め具を外す。
中に入っているのは、以前青島で貰った特別製の
いや、正確には「縁門のようなもの」と言うべきか。
適合者の人体を巡る神力を取り出し、人が行使できるように制御の補助を行う通常の縁門の機能に加えて、適性値の上がる謎の現象を引き起こす装置。
「……我ながら、よく持って帰って来たな」
一般人が所有して良い物ではない。
ただ、今回ばかりは仕方がなかった。こんなに魅力的な未知があるのが悪い。
机に資料を広げる。
あの青島の一連の騒動から、細々と未だに報道されている、正体不明の黒い石。
さて、初期報道では事件の原因ということでしか扱われなかったが、最近の研究所発表で確定したことがある。
「青い光」の元凶であるこの石は、どれも「適合者との相性を殆ど無視して」神力の出力を上昇させるというのだ。
これは通常の所縁石では考えにくい性質。
神力は
人間ごとに繋がる神が違う以上、対応する所縁石も、扱える神通力も異なる。それがこれまでの常識だった。
僕は、この石と目の前の縁門に繋がりがあると考え、一度これを分解することにした。
結果、それと同質と思われる黒い石が入っていたのだった。
「問題は、どうやって出力を安定化させているか……」
機構は再び組み立てる前に全て記録した。
黒い石は特定条件で「青い光」を生み出し、そうではない時では適合したそれぞれの所縁石のように「出力」だけを上げる、らしい。
報道ではそういう話であるが……やはり実際は「3番金鉱石」を使用した時と同じく、その「適性値」までもが大幅に上がっているようだ。適性値が200そこらの僕が「回帰」を普通に使えている時点で間違いない。
……だから社会混乱の為に、そこは敢えて報道しなかったのだろう。
それを踏まえて、本当に気になるのは───
「『3
そうなのだ。
偶然と切り捨てるには、少し引っ掛かる。
僕は手に取った縁門を持ってしゃがみ、足首にそれを取り付ける。
直後に緑色の光が湧きだして。
その光を見ていると、昼間に働かされた疲れもあって瞼が重くなった。
廊下の向こうから親父と水場崎の声が聞こえる。
明日の仕入れについて話しているらしいが、親父の声ばかりが大きく、内容まではよく分からない。
騒がしい。
もう少し静かに話せないのかよ。
思考が途切れた僕は、
眠りに落ちるまで、時間は掛からなかった。
mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm
m m m m m m m m m
────知らない女がこちらを見ている。
『我ら
女が呟いた。
(な、んだ? 幻想世界?)
沙村は、幾らか目が覚めた頭を回しながら周囲の状況を確認する。
暗い工場の内部のような建造物。機械的に動く歯車と、ピストンが小さくない音を鳴らしている。
『結局何かを犠牲にする正解しか無いって事よネ』
「何の話だ?」
『今起こってること』
「順序立てて話せ。意味不明だ」
言いながら沙村はもう一度その姿を確認する。
なんらかの神かと考え、それを先程の台詞から「逆睹」だと認識する前に。
(神域の入口に入った覚えもないのに、何故僕は神と相対している?)
推測を否定し、思考を打ち切り、目の前のソレから目を逸らして距離を開けた。
『あらら、ワタシって怖いかナ?』
「……」
『神様だと思った? 大丈夫だヨ。私、ただの幽霊だから』
「幽霊だと?」
反射的に言葉を返す。
すると推定「神」は、困ったように沙村に笑いかけた。
『説明すると長いからサ、これだけ覚えておいて。これから失うモノを諦めない事。そしテ────山珊瑚のあの子の所へ会いに行く事』
「……?」
『最後は神頼みってネ』
それを聞いたのが、最後だった。
〇
目を開ける。
廊下を駆ける子供の足音と、それを叱る聞き覚えのない女の声。
壁の向こう側では、誰かが声を押し殺して泣いている。
……?
僕は布団の中で暫く天井を眺めていた。
昨夜、隣の部屋に客は泊まっていただろうか。いや、そもそも客室ではない筈だが……。
そこまで考えて身体を起こして室内を見回す。
机も、本棚も、部屋の壁紙の状態も変わっていない。
だが……昨夜置いた筈の資料の山が見当たらなかった。
机の上には、代わりに見覚えのない書類が積み重ねられている。何かの氏名、年齢、出身地。そんな項目が印刷された用紙だった。
「……避難者?」
リストのタイトルに指を這わす。
……何か妙な事が起こっている。
僕はひとまず服を着替え、部屋を出る。すると。
見知らぬ子供がこちらを見ていた。
暫く見つめ合っていると、親らしき男性が「すみません」などと言って子供を抱きかかえていく。
その男の行く後を追う。
大広間には昨日、僕が運んだ覚えのない布団が所狭しと並んでいた。
壁際には大小の荷物が積み重ねられ、その隙間を埋めるように人が横になっている。
老人。
子供。
右脚を包帯で固められた男。
椅子に腰掛け、何もない宙を眺め続けている女。
……旅館の浴衣を着ている者は一人もいない。
「お兄ちゃん」
足元から声がした。
見ると、廊下に敷かれた毛布の上で、女児が膝を抱えてこちらを見ていた。どうやら敷いたものを踏んでいたらしい。
「……悪いな」
僅かに空いている場所へ足を置き、人を踏まないよう注意しながら進む。
館内の他の場所も大体同じだった。
昨日まで客室だった部屋は全て開け放たれ、大広間だけでなくロビーまで人で埋まっている。
帳場には宿帳ではなく、名前と出身地らしきものが書かれたファイルが積み上げられていた。
青島。
黄島。
緑島。
名前の横に、見慣れない地名が並ぶ。
「起きたの」
声に顔を上げると、母さんが立っていた。
一晩で酷く痩せたように見えた。
髪もろくに整えておらず、目の下には濃い隈がある。僕を見ているのに、その目は僕よりもずっと遠くへ向けられているようだった。
「この人達は?」
「この人達? ……避難してきた人達のこと?」
「どこから」
僕が尋ねると、母さんは不思議そうにこちらを見た。
その反応で、まるで自分の方が変な質問をしたような気分になる。
「ねぇ綾間」
母さんの声が低くなる。
「朝から、そういう冗談はやめて」
冗談。
疲れ果てた声で言われたそれを聞いて、僕は動けなくなった。それが、あまり聞いたことのない声色だったから。
「ご飯なら、厨房に残ってるから。……起きるのが遅いわよ」
「あ……ああ」
母さんはそれだけ言うと、僕の横を通り過ぎようとした。
「待ってくれ」
その背中を呼び止める。
見たことも無い母の表情に嫌な予感。だけど一つだけ、どうしても聞きたいことがあった。
「親父は?」
母さんの足が止まった。
それだけで、廊下の騒がしさが、急に遠くなったような気がした。
「綾間」
母さんは振り返らない。
「朝から、やめてって言ったでしょう」
「何をだ。親父はどこにいる」
少しの間があった。
母さんは何かを言おうとして、結局そのまま口を閉じる。
代わりに、その視線が帳場の奥へ動いた。
つられて目を向ける。
棚の上に、一枚の写真が置かれていた。
黒い枠には見慣れた顔。
昨日、元気に怒鳴っていた親父が、写真の中で不機嫌そうに正面を向いている。
線香立てには、まだ新しい灰が残っていた。