「……何だ、これは」
そう言ったのだろうか。
自分の声が上手く聞き取れなかった。
なんとか視界のピントを合わせると、母さんの顔から表情が消えている。
「お父さんが死んだの、忘れたの?」
その言葉を聞いた途端、知らない記憶が頭の中に浮かんだ。
春の時点で父の訃報を聞き、すぐに実家に戻ったこと。
母さんと二人で写真を選んだこと。
その後、青島・黄島・緑島が大震災に遭ったこと。
みんな頑張って旅館を維持し続けていたこと。
この旅館を閉めるかどうか、従業員を集めて話し合ったこと。
結局、避難してきた人達を追い出すことなど出来ず、そのまま客室を開放したこと。
……確かに僕の記憶だ。
だけど。
だけど。
昨日、親父と話したんだぞ?
あんまりな事を言われて、帰って早々に働かされて、僕は横暴だと文句を言って、そこそこ賑わってる実家を走り回って、家族揃って夕飯をとって……。
その声も。
不機嫌そうにこちらを見る姿も。
全部、覚えているのに。
「……何だ、これは」
足元が不意に頼りなくなった。
昨夜までの記憶とは別に、この旅館が避難所になった事を「こうなった経緯」を覚えている。
どちらも僕の記憶だ。
油断すると、どちらが正しいのか分からなくなる程に混ざり合っている。
『これから失う物を諦めない事』
────いや。
分からなくはならない。
「出かけてもいいか?」
「どこへ行くの」
「未定だ。ちゃんとは戻る」
それだけ言い、僕は踵を返した。
「綾間?」
後ろから聞こえる母親の声に、一言返した僕はまず自室へ戻る。
そして必要そうな物をバッグへ押し込み、背負う。
「さて……」
兎にも角にも。
記憶の確認を行うため、現在の状況を誰かに聞く必要があった。
「今の記憶」では白島と赤島以外は人が住める状態ではない。そして「今の僕」は春の早々に実家に帰っている。よって、青島で出会った人達へ電話をして、繋がるか確かめたくもないし、繋がったとて不審がられて答えてくれないかもしれない。
勢いのまま旅館の敷地を出てから、思い付いて携帯の連絡先を見ると、覚えがあるようで覚えの無い番号が並んでいる。……少し目眩がしてきた。
どこから「変わって」いる?産まれる前からか?
そうやってスクロールを続けていき、指が止まった。
「救助隊……
それは中学生の頃、僕が興味本位で「地鳴」の話を聞きに行った男の番号だった。
「今の僕」は、最終的に番号を交換していたらしい。
◯
海岸沿いの小さな駅は、人で溢れていた。
改札の前には簡易柵が設置され、その向こうで駅員と救助隊員が何人も対応に追われている。
その構内にはいくつかの貼り紙。
『災害救助活動のため一般利用を制限』
『乙海岩戸方面への移動は係員の指示に従ってください』
加子母は電話に出なかった。
呼び出し音がしなかったのは電源を落としているのか、圏外に居るのか……それとも……。
何れにしても、悠長に待っている暇は無い。だから僕は詰所のある乙海岩戸に向かおうとしていた。
しかし、改札へ近づくと腕章を付けた男に止められる。
「悪いけど。今一般の人は乗車できないよ」
「乙海岩戸へ行きたい」
「えっと関係者……じゃないね、通行許可証は?」
通行許可証。
現在被災者で溢れている赤島は、大規模な災害対応の為、避難物資を運ぶのに電車を使っている、らしい。
よって一般利用者が乗れるのは限られた僅かなスペース……だが、何かあったのだろうか? そんな物が要るとは知らなかった。
「……持っていないが、急用なんだ」
「皆同じだよ。ここだけの話……乙海岩戸で支援物資の大規模な受け入れが始まったらしい。今は車両も人員もそっちへ回しているから……。徒歩で移動するか、行政の輸送車両が来るまで待って欲しい」
聞いてみると、後者はいつ来るか分からないらしい。
僕は改札の向こうを見る。
ホームには二両編成の電車が停まっていた。
窓から見えるのは、橙色の制服を着た救助隊員。座席だけでなく通路にも資材が積み込まれている。
歩けば時間が掛かるが……ここで待つよりはマシか。
そう思い、諦めて駅を出ようとした時、停車中の車内に白い頭が見えた。
「加子母!」
柵につかまり声を張り上げる。
随分と都合の良いタイミングだ!
ホームにいた何人かが振り返ったが、そんなものは知らん。
肝心の加子母は自分が呼ばれたと思わなかったのか、資材の確認を続けている。
「加子母! 僕だ!」
二度目で、ようやくこちらを見た。
僕の顔を確認した加子母は、一瞬だけ眉を寄せる。
そしてすぐに思い出したらしく、周りに何か言って改札まで歩いて来た。
「綾間じゃねえか。どうした、こんな所で」
「乙海岩戸へ行きたい。乗せてくれ」
「乗せてくれってなア……今は一般人を乗せられねえんだよ」
「頼む。聞きたいこともあるんだ」
加子母は僕の顔を眺め、それから手元のバッグへ目を遣った。
「まさか、また俺の『神通力』の事か?」
「違う。今起きている事についてだ」
「……それだけじゃ、乗せる理由にならねえぞ」
そこまで言って加子母は僕の足元を見た。
……ズボンの膨らみから、中に縁門を隠しているのがバレたらしい。この非常時でも無許可の縁門の装着は目くじらを立てられるだろう。だが。
「お前、神通力使えんのか。前話してたのと違うじゃねぇか」
「『回帰』を使える」
咎められることなく「探るように」そう言われたので即答する。
────加子母の雰囲気が変わった。
なるほど。
間違いなく「回帰」について、僕の知らない機密がある。
「救助隊の手伝いでも、何でもするから」
「……安全なボランティア希望ならまア、行けるか」
取ってつけた理由を見つけて加子母は頭を掻いた。
そうして彼は改札を塞いでいる救助隊員へ顔を向ける。
「そいつを配給のボランティアとして連れてく。乗せてやってくれ」
「ええっと……まあそういう事なら。身分証は?」
「学生証あんだろ?」
「ある。ほら」
救助隊員は納得していない様子だったが、加子母の方が立場は上らしい。簡易柵の一部を退け、僕を通す。
「助かる」
「早く乗れ。出るぞ」
加子母に続いて車両内へ入る。
扉が閉まる。
電車は短い警笛を鳴らし、乙海岩戸へ向かって動き始めた。
△
「浄化の祟り」という。
周囲を消し去ってしまうその凶悪さに加え、人々から被害を忘れさせる非常に厄介な性質を持つ特殊災害がある。
物理的なだけじゃない、そこに「在った」痕跡……その人の作った歴史が消えるからだ。
一体何度起きたのか誰にも分からない。
ただ「回帰の神通力」を持つ人間だけが何が消えたのかを覚えていて、国に彼らの報告が届いて初めて記録が残る。
だから、本当に起こった事なのかも分からない。
男はその都市伝説染みた話を知っていた。
男───
周囲には物資の入った箱が敷き詰められ、隙間に救助隊員が座り、各地から送られてくる情報を確認している。
加子母は端末に表示された報告へ目を通した後、近くにいた隊員へ指示を出した。
「あれは
「12の半分を11……手前の
「医薬品は詰所へ。一旦こっちで数を確認する」
そこまで言って加子母は横に座る学生に顔を向ける。
以前、「地鳴」についてしつこく質問してきた地元の中学生。
適性値や発動条件だけでなく、揺れの伝わり方。地中の何処まで知覚できるのかまで聞いてきた時は応じた事に後悔した。
変わった学生だったから顔は覚えている。
だが、それだけで乗せた訳じゃない。
「回帰」を持っているからだ。
……しかし、神通力を使えるほどの適性値は持っていないと以前本人が言っていたが、一体どういう事なのか。加子母はそう疑問に思うが、どうにもこの学生が意味のない嘘をつく人間には見えなかった。
だとしたら一体何が消されたのか──もしかしたら。
「加子母」
「後にしろ」
少年の声が思考を遮り、加子母は反射的にそう言った。
「だが」
「悪いがお前の言うそれは緊急じゃない。いいか? 綾間。「終わった」事だ。乙海岩戸に着いて、こっちの用事が済んだら全部話してやるし、お前も話せ。こっちは遊びで電車に乗ってる訳じゃねえんだ」
「終わった……?」
沙村はそう呟き、それ以上言わずに黙った。
加子母はそれに、少し言い過ぎたかと後悔しながら彼に見せていた資料を摘まみ取る。
【青島-
崩落、死傷者数いまだ不明。加えて大規模な山火事。
現在も周囲の地盤沈下継続。
【緑島-
火山性噴気および地滑り。
島内通信の大部分が途絶。
【黄島-南部全域】
崩落に伴い浸水。
生存者確認困難。
三ヶ月前。
五島の各地で、同じ日に原因不明の大規模災害が発生した。
現在、陸地として安定して残っているのは赤島と白島だけ。
白島は人工島である。
災害の影響を受けながらも、沈下そのものは免れた。
だが、何故赤島が残っているのかは分かっていない。
専門家は地質や海流、地下構造の違いを挙げていたが、決定的な理由は未だに見つかっていなかった。
加子母には、そんなことを考える余裕はない。
走り回って物資を運ぶ毎日。
避難してきた者へ、食料と寝床を用意するだけの毎日。
その忙しさが彼の救いになっていた。
「加子母さん」
部下に呼ばれ、顔を上げる。
「緑島の捜索隊、今日も出すそうです」
「そうか」
加子母は端末の画面を伏せた。
三ヶ月前、妻と二人の子供は旅行で緑島にいて。
加子母だけが仕事で赤島に残っていた。
災害発生直後、一度だけ妻から連絡が届いた。
『避難所に居るからこっちは大丈夫。しっかりね』
それっきり。
どの避難所に居たのかは分からない。
収容された負傷者にも、確認された遺体にも含まれていない。
「行方不明」と書類上は、今もそうなっている。
そうして三ヶ月が経過した。
加子母自身も含め、もう、生きていると考える者はいない。
「……終わった事、か」
彼は自分で口にした言葉を繰り返す。
死んだ者は、失ったものは戻らない。
生きている以上、前に進まなければ助かる命も助からない。
車窓の向こうに、看板で埋め尽くされた乙海岩戸の街並みが見え始めていた。
□
「青島と黄島と緑島が」
資料を読み終えた後は、そう確認することしか出来なかった。
「今の僕」の記憶通り、食い違いは無い。
「ああ」
加子母は短く答えた。
「正直言って絶望的だ。国土も、人も、何もかも……。今後、国としてやっていけるのかも分からん」
「赤島は何故残った」
「知らねえ」
強い口調だった。
加子母はそれに若干バツが悪そうに補足する。
「専門家が調べてるらしいが、理由はまだ分かってねえ。運が良かったのかもな」
「運で済む規模ではないだろう」
「まあ、もしかしたらいずれここも……かもな」
現在僕達は、乙海岩戸駅の2番線ホームに居た。
電車には港から届いた物資がどんどんと積み込まれ、加子母はここからまた次の駅に行くらしい。
『山珊瑚のあの子に会いに行く事』
「酒見村は」
僕は考えるより前に口にする。そうだ、山珊瑚。
───
加子母が怪訝そうにこちらを見た。
「何だ、それ」
「酒見村だ。赤島にある。遠岳神社と酒見湖の」
「……知らねえな」
「知らない?」
「この島の地理は全て頭に入っているつもりだが、全く聞き覚えがねぇ」