「……もう良い」
「良いの?」
僕が手を下ろすと、木田は少し離れた所から頭の上を覗き込んだ。
その顔へ尻尾が振られる。彼は嫌そうに顔を引き、僕は乱れた前髪を直すのを諦めた。
「剥がそうとしなければ、そこまで痛くはないからな」
「ふーん。じゃあ、そのまま帰る?」
「そのまま進む」
「……あぁ、そう」
木田はそう気の抜けた声で返し、ため息を吐いた。
僕も似たような気分だ。ここまで何度も引き剥がそうとして、腕と肩が疲れた。頭皮も痛い。対してこの聶獣は一向に離れる気がないらしく、僕の頭の上で尾をゆらゆらとぶら下げている。
その時。
顔の横に垂れた尻尾が、白く光った。
「……あ?」
呟き顔を青くした木田が一歩下がる。
僕の額にも白い光が落ちて来ていた。光源は、頭の上。毛の間から湧くように、細い光が幾筋も流れ出している。
「おい、これは!」
「これやばい? やっぱり無理矢理にでも剥がさないと」
「そういう話ではない!」
白い光を持つ尾袋鼬。
────なんということだ!
聶獣が神を示す「白」を出す?……非常に興味深い。酒見村を確認したら直ぐ持ち帰って色々調べたい所だ。いや、調べるのは人類としての義務。
先ずは神力のサンプリングと映像記録を……いや、聶獣を実験に使うのは法令でアウトだったか? まあ傷付けず記録を残すだけなら良いだろう。良いよな?
ともかく、このまま痛みもなく頭に張り付いてくれるのならば此方としても満更ではない。
僕は荷物を探ろうとしたが、あまり獣が食べられそうな物を持っていない事に気が付いた。
「君、餌になるような物を持っていないか」
「餌? ……この状況で? 持ってないけどどうすんの?」
「決まってるだろう。懐かせて用事が終わったら持ち帰るんだ」
「お前おかしいよ」
木田がなにやら言っているが、僕はバッグを背負い直して地面に落ちた葉を肩から払った。
「餌が無ければ直ぐ何処かに行ってしまうかもしれない。歩きながら木の実を探そう。」
「あのさ、ナチュラルに先行こうとするのやめてくれない?」
無視して歩こうとすると、前に進まなくなった。どうやら木田にカバンを掴まれているらしい。
「おい、離せ!」
「待てって……つーかそれ、色々食わせて頭の上で何かしたらどうすんの」
「何かとは」
「フンとか、ゲロとか」
……。
……いや、しかし。
ゲロは我慢も出来るが、後ろからの排泄物は少し抵抗感が……ない!
「うんこはつまんで落とせばいい」
「ホントやべーなお前」
m
その時。
仕方ないだろう。と、言い返そうとして目線を動かすと、頭上の白い光が瞬いて。
僕の視界が────2つに重なった。
光景が見える「この後僕がどうするべきか」の光景が。
一瞬立ち眩みかと思うが、それとは明らかに感覚が違っていて……そう、「どうする」と問いかけられているようで。
旧道の奥へ目を向ける。
茂みに覆われ、先が見えない獣道。数尺進んだところの枝葉が垂れた、その先ですら今の位置からでは見えなくて、全容がわからない。しかし……そうして進めば僕は「その先に居る人物と遭遇する」。
……。
その光景をなぞったらその通りになるのか。
僕は確かめることにした。
足を動かして数歩。
そこからしゃがんで、一息で枝の下を潜り抜ける。
「この先だ」
「おいおい! 冗談じゃない、ぞ!」
白い光はまだ視界の端にある。思考に干渉が入っているような感覚。
進める場所と、そうではない場所。それら「選択」の先。それを提示してくるだけの「神力」。
「『
呟くように、頭の上へ聞いてみる。
期待していなかったが、当然返事はなく。ただ爪が少し動き、僕は小さく息を吐く。
獣道はまだまだ続いている。
「おいっ、待てって! 分かったから、せめて少しゆっくり歩け!」
背後から、木田の声。
振り返ると彼は枝を避けるのに手間取っていた。僕が通った場所を同じように通れば良いのに、と思ったが、そんな事を言えばまた喧しく怒鳴るだろう。
僕は少しだけ速度を落とした。
m
道は、地図の通り途中で途切れていた。
歩く人間がいなくなって草に埋もれた、という訳ではない。
山沿いに続いていた平らな部分がなくなり、先は明らかに斜面になっている。
「……」
「これで満足? だから言っただろ……はぁ、もう。帰りもここ歩くんだからな?」
ようやく追い付いた木田が、背後で息を吐く。
僕はそれに答えず、斜め上の緩やかな勾配になっている岩肌を見た。
ここからまだ、先に行ける。
……何の根拠もない。こんな感覚で歩いている自分に、今更ながら不安になって来た。頭の聶獣は白い光を出したまま、毛づくろいでもしているのか細かく動いている。既に、頭に獣の毛が大量に落ちていそうだ。
「……あれ?」
木田が声を上げた。
その目線を追うと、岩肌の上から、誰かがひょっこりと顔をだした。
少女。
それも見覚えのある。
「……曜引?」
少女の肩が僅かに動く。
目を凝らしてみても、間違いなくその顔はクラスメイトの顔だった。
「そこで何をしている」
僕が近づくと、彼女は岩肌からよじよじと降りた。
やがて僕らと同じところまで来ると、黙ったまま鼻をスンスンと動かした。なんだ?
「知り合い?」
「ああ、同じ『青特生』だ。……酒見村はどうなった? 他の人達は? 僕は今朝から妙な事になっていて……何か言ったらどうなんだ?」
普段の制服ではなく、白いパーカーを着た曜引は眉を下げた。
そして、首を横に振る。
「お前とは話したくないってさ」
「黙れ」
また首を振った。
彼女は自分の胸へ指を向け、それから両手を交差させる。
……?
「……あのさ、もしかして喋れないんじゃない?」
横から木田が言った。
すると曜引はそちらを見て、大きく頷く。その表情は、いつか見た彼女の不愛想で、何を見ているか今一つ分からない目の温度とは明確に違っていて。
「君は……誰だ?」
彼女は口を開けた。
何か言おうとして、閉じる。
困った顔で自分の喉へ触れた後、僕の頭を指した。
「これか?」
僕が尾袋鼬に手を触れると、少女は頷く。それから急に木田の方に行って奴の胸元に指を当てた。
「え、え、何?」
指は胸元で動き、何かの文字を示す。
ま、わ、り。
繋げて言うと、彼女は再び頷き、無邪気に笑った。
……確信した。絶対に別人だ。
木田が横で「はぁ……えぇ……」と妙に艶やかな声を漏らす。気色悪い。
「マワリちゃん……って呼ぶのね。僕は
「おい! 話が脱線するから黙れ!」
少女は両手を頭上に挙げて、ラジオ体操のように左右に下した後、自分を指さして、歩くようなポーズを取った。
そうして片足を上げたポーズそのままで僕を見る。……何を伝えたいのかさっぱり分からない。
その後、なぜか視線が上の方に行って何やら僕の頭上の尾袋鼬とにらみ合いの構図になった。
唸る一人と一匹。
「ゥゥ……」
「シァー……」
「なにこれ?」
「僕が分かると思うか?」
そう言ったのと、殆ど同時。
不意に背中が冷えた。
「木田」
「何?」
今居る場所から離れなければ。
その為にどう動けばいいか、どこに向かえばいいか「提示」される。
「逃げるぞ。君も!」
マワリへ手を伸ばしながら、僕は振り返った。
その道の横の茂みが、大きく動き。
黒い鼻先が現れ、続いて、太い前脚が静かに外にでる。
「……熊?」
木田が、掠れた声で言った。
聶獣ではない、普通の熊。その大きな身体が木々の間から出て来て、こちらを見た。
「早く!」
少女が僕の手を取る。
木田は先に岩肌の斜面を登り始めていて、僕もそこに続く。
あと少し、あと数歩。
熊の低い鳴き声が聞こえ、ゆったりとした足音が枝葉を砕く。
徐々にその音が大きくなった所で。
「伏せろ!!」
待っていた声が聞こえた!
僕はマワリの頭を掴み、一緒に岩肌へ身を伏せた。
そうして、目の前を「黄の光」が一筋通った。
……死ぬかと思った。
態勢を崩し後ろを見ると、目の前に居た熊が、斜めに落ちる所であった。
踏み出していた前脚が折れるように曲がり、巨体が斜面を転がり落ちる。そうして何度か跳ね、近くの細い木に引っかかって止まる。
死んだのか?
「そのまま、まだ起きるなよ」
それを言ったのは先ほどより小さく落ち着いた足音の方。
そこに目を向けると、
「……加子母、助かった」
「助かった、じゃねぇよ。手配しておいてやった帰りの便に乗ってないっつーから……案の定こんなところまで来やがって……はぁ」
彼は倒れた熊を見たまま、僕へ疲れた声を出した。
「こりゃ、どういう状況だ」
〇
「脳を揺らした。暫く起きねえが、近づくなよ」
加子母は熊の様子を確かめて戻って来ると、まずそう言った。
「
簡単に言うと、振動を起こす神通力。……今やったように生物の制圧、倒壊したガレキの破壊。救助活動において、その用途は多岐に渡り、かなり重宝される分類の神通力。
そして加子母の手に持っている猟銃は、おそらくその「地鳴」の効果を離れた場所で起こす縁動機械。
……実物を見たのは初めてだ。
どうにかして触れないかと考えていると、横にいた木田が、僕の頭で光っている尾袋鼬を指差した。
「加子母さん、でしたっけ? これ大丈夫なんですか?」
「……分からん。というか俺がそれを聞こうと思ってたんだが……沙村、なんなんだよこれは」
「僕にも分からんが……恐らく今、この尾袋鼬は『
「
「待て。今言った『妙な力』に興味が無いのか?」
「この期に及んで何言ってんだよ!」
「シンプルにあぶねぇだろうが。下手したら脳みそやられるぞ……ほら大人しくしろ」
まずい! 剥がされる!
危険を感じた僕は岩肌の上をよじ登る。
「『逆睹』が使えるんだ! だからさっき道の先に人が居るのが分かったし、熊からも逃げられた!」
「いや、熊は俺が撃ったんだが……」
「それを織り込んで距離を稼いだんだ!」
「じゃあさ、それが本当だとしても、もう必要ないよね? 僕らはこれで帰る訳だし、剥がして森に逃がしてあげなよ」
「嫌だ! 持ち帰る!」
……とにかく、今ここを降りたら強制的に尾袋鼬をリリースされる事はよく分かった。僕は説得する為の、次の一手を「逆睹」頼りに考えようとして、顔面を何かにぶつけた。
「僕は止めに来たんですよ? だけどアレがずっと聞かなくて」
「そうか。大変だったな、こいつに付き合わされて」
「信じてくれますか! いや、本当に……」
後ろからなにやら聞こえるが、僕はそれどころではなかった。
……恐る恐る、左手を伸ばす。
ぴたり。
手の平が付いた。……勘違いじゃない。
「それでこの子は?」
「『マワリ』って言うみたいですね。どうも喋れないみたいで、丁度この辺に一人で居たんです」
「こんな所にか?」
僕は後ろを向き、下で会話している方に大声で怒鳴った!
「おい加子母! こっちに来てくれ!!」
「どうした!」
「いいから早く!」
そう。
そうだ。
形容するならば「見えない壁」だ。
何もない宙に、手のひらが付き、その先に進めない。
消えたハズの「酒見村」の跡地に。何かある。
そんなことがあるのか? そういうものなのか?
僕は後ろに来た加子母に目線で誘導し、彼に確かめさせる。
「……なんだこりゃ……知らねーぞこんなモン」
次回の「廻と不思議の村」より週1、2回更新の不定期に戻ります。
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