きらきら、ちらちら。
夜空は様々な色の光で埋め尽くされ、里が白く照らされる。
ある年の、そんな
「ふん゛ふん、ふん゛ふん゛」
獣は鼻歌交じりに歩く。
この季節は歩道に居ると、知らない人が沢山近寄ってきて何かくれる時がある。獣的にそれは良いのだが、大体カメラを向けてくるだけなので割に合わない。だから隠れながら行動し、見つかれば「隠匿」で逃げていた。
だが、深夜は別である。
獣は誰も居ない歩道をうろうろ、きょろきょろ、つかの間のフィーバータイムにご機嫌だったのだ。
有人の母親の家で腹を満たし、いつもの様に草むらの中を悠々歩いていた時の事。
鼻歌を歌っていると、道の方から声がした。
「……今、聞こえた?」
口を閉じ、草の間から覗く。
そこには知らない人間が2人。はて、深夜だというのに珍しいな、と。廻は呑気にそう思ったが。
「変なこと言わないでよ」
「本当だって……子供みたいな声が」
それを聞いて、廻はひとまずその場に伏せた。
この後道へ出るつもりでいた。しかしあそこに居られると鉢合わせになる。だから暫く待ってみたのだが、人間達は動かない。
「こっちから聞こえたんだけど……」
「何も居ないじゃん」
電灯の光が草の上を通る。
眩しくて目を細めた廻は「隠匿」を使うことにした。
周りの輪郭がぼやけ、うすらと緑色になる景色の中、道へ出て、反対側の森に飛び込んだ後、身体を振るう。
そうして、やれやれと腹の毛に付いた草の種を落としてから、獣は再び鼻歌を歌い始めたのだった。
その後も同じような事が何度かあった。
何故か、夜になるとあの辺りに人間が集まるようになったのだ。
草むらの前に座り込んでいたり、森に黒い何かを向けたまま、ずっと立っていたり。彼等は椅子を持ち込んで、何かを待っているようだった。
廻はそれを不思議に思ったが、それからは特段気に留めず、普段通りに過ごしていた。
そう、別に姿を見られなければ良いのだ。それならば近くを通る時だけ「隠れ」れば済む。同じ場面に遭遇しているうちに、廻は少し調子に乗ってきて歌を披露してやった。
「今の! 聞いた?」
「風の音じゃないな。まるで怨念のような……」
「これは泣いてるんじゃない?」
しかし、思ったような反応は貰えなかった。
ふてくされた廻は隠れたまま立ち上がり、人間達から少し離れた木の陰へ移って。
今度は分かりやすいように、長めに歌ってやる。
「うわっ」
「ギャーーーっ!!」
「えっ なにっ なにこれ? ねーっなんなのこの声!」
「おい待て、まだ録ってないって!」
「やっぱり実在したんだ……!」
思っていたより騒がしくなったので、廻は怪訝に口を閉じる。
人がどんどん増えてくるようだった。
獣はなんだか怖くなってきたので、人間達が今まで自分が歌っていた所を調べている間に、その横を抜けて道へ戻ることにした。
暫く歩いて振り返っても、まだ同じ所に居る。
……しかし、何が面白くてあんなに集まっているのか。
人間という生物はよく分からない。そんな事を思って廻はやれやれと帰路についた。
「廻ちゃん」
数日後。
小皿をぺろぺろ舐めてた廻は、三鶴に呼ばれて顔を上げた。
目の前には膝をついた三鶴。
その後ろには、腕を組んだ有人が立っていた。
「夜にね? 人の前で歌ってる?」
「うん? 歌っとるが……姿は見せとらんぞ!」
有人が片手で顔を覆った。
「やっぱりお前かよ……」
「けどけど、姿は見せとらんぞ?」
自分が喋れる動物だと、そうバレさえしなければ大丈夫だと漠然と思っていた廻は、ここで不穏な空気を感じ取った。
三鶴の手が伸び、両脇を持たれる。
まだ舐めている途中だったのだが、そのまま膝に乗せられてしまった。
「『酒見河原に怨霊が出た』って、騒ぎになってるのよ」
「知らんぞ、そんな奴」
「お前の事だよ」
有人に言われ、廻は首を傾げた。
「ワシは怨霊じゃないが……?」
「知ってるよ……噂だよ、ウワサ。……湖で昔死んだ子供の声だって言われてんだ。声のする方に行っても誰も居ないってな」
「ちゃんと隠れとったからの」
そこは褒めても良い所ではと思ったが、三鶴の顔を見る限り、どうも違うらしかった。
「人の居る所で声を出しちゃ駄目って言ったでしょう?」
「けど……見られとらんし……」
「廻ちゃん」
「すみませんでした」
頬の両側に指を当てられ、顔を上へ向けられる。
その後は長かった。もう深夜といえども歩道近くで歌わないこと。通行人をからかわないこと。中には怖い大人、悪い大人が居ること。何かあってからでは遅いのだということ。
そんな話の中、小皿に残した汁をチラチラ見ていると、三鶴に身体を軽く揺さぶられ。
「聞いてる?」
「はい」
少し声が低くなったので、反射的に返事をする。
そんな中、微妙な表情をしている有人の後ろ、そこを五花が通った。
廻が顔を上げる、彼女もこちらを見る。
数瞬、そのまま彼女は台所の方へ行ってしまった。
それで、家出をする事にした。
それで、というのは唐突だっただろうか。先ほどの説教を受け、頭では分かったが何だかもやもやした廻は、少しいじけてみたくなったのだ。
遠くへ行くつもりはない。
少し顔を出さずに居て、三鶴達が心配した頃に戻るつもりだった。最悪、腹が減ったら有人の母親の所へ行けば済むのだ。
そう気楽に考えて家を出た廻は、主に森の中をあてもなく徘徊し、その晩を神社の軒下で過ごした。
もやもやは晴れない。
もしかしたら、お説教が原因ではないのだろうか。
そう思い始めた廻であったが、翌日になっても帰る気にはならなかったので、今度はあえて、人の多い奥の方へ歩いてみる事にした。暑くなれば日陰で休み、眠くなれば寝て、そうしてだらだら進む内に、大きな湖の見える所まで来ていた。
目前では、小さな丸角を持つ兎が、沢山辺りで草を食べている。
廻はこの生物が何故だか少し苦手だった。
それもあって普段はあまり足が向かない土地であったのだが、気分転換をしたかったのかもしれない。意を決して踏み込み、恐る恐ると近寄る。
かくして、そんな様子の獣に兎は逃げず、口をもっさもっさと動かしながら、廻を怪訝そうな目で見るだけであった。
正直拍子抜けした。
今まで警戒していたのはなんだったのかと、微妙な気分でその横を抜け、湖周辺の裏路地を歩いていると、ひときわ大きな神社が見えてきた。おおーなどと心の中で感嘆し、小走りでその境内へ入ってから、木陰になった石段に腹を付ける。
ひやりと冷たい。
期待した通りの感触に、気分良く前足を伸ばし、暫くそうしていると、頭の上に影が差した。
「……」
顔を上げた廻は、思わず体を起こした。
それは老人。
深く皺の寄った眉間に、不機嫌そうなへの字を震わせながら、鋭く細い目がじっとこちらを見ている。
まあ物凄く怒っているように見えた。
老人の手にある箒が動く。
追い払われるのかと身構えたが、先端は石段へ。獣の横に置かれただけだった。
「……どいてくれ」
低い声だった。
それに廻はかちこちと大人しく脇へ避け。
老人はそのまま掃除をしながら建物の方へ消えていく。
暫くその場で固まっていると、彼は次に深皿のようなものを持って姿を現した。
深皿には、水が入っていた。
地面に置かれたそれに、廻は老人を見上げる。
鬼の形相であった。
これは飲まないと殺されるのだろうか。そう震えながら恐る恐る口に付け、しかし一口飲めば止まらない。獣は朝からこの暑さの中、水を全く飲んでいなかったのだ。そして。
「───ぷはーっ! うまい!」
しまった。と思った時には遅かった。
皿を回収しようとした老人の手が止まり、廻も止まる。
暫く顔を見合わせた後、老人はゆっくりと獣の横に腰を下ろした。
「そうか」
一言、それだけで。
何か続きの言葉があるのではないかと廻は待ったが、老人は膝に手を置き、境内を見ているばかりである。
「きゅう」
「もう喋らないのか?」
「……驚かんのか?」
誤魔化せそうな雰囲気だったが、しっかり聞こえていたようで、廻は開き直ってそう聞くと、老人は少し考えるようにむっつり耳を触る。
「もうじき迎えも来る。何があっても、おかしくない」
迎えとは、誰が来るのだろうか。
話の流れがおかしいような気がしたが、どうやら怒っていないようなので、それで良かった。
「ワシが喋れること、黙っててくれんか?」
「いいだろう」
心配事が消えたので、廻は再び石段の上で溶けることにした。
そうして2人で居ると、風が通り、少し先に先ほどの兎が現れる。
「ここ、兎が多いのう」
その言葉に老人は頷いた。
「奉納された
「ほうのう?」
「神様に差し上げた、という意味だ」
兎は地面に生えている何かの植物を食べ、物陰から出てきたほかの兎と衝突すると、頭を振って別方向に跳ねていく。
「神様、兎が好きなんか?」
老人は、鬼の形相のまま少しだけ首を傾ける。
「四島の、それぞれ最も偉い神様の社へ納める習わしだ。だから、ここだけではない」
「ふうん……囲っとかんで良いのか? 神様にやったというのに、勝手に跳ね回っているぞ」
「そういうものだ。集めるだけで、別に飼う訳じゃない。糊角兎は独りで居ると直ぐに死んでしまうから、保護をしている面もあるのだろう」
廻は伸ばしている手足を動かして、ごろんと背を地面に付けた。
「ここの神様、そんなに偉いんじゃな」
老人は背後の建物へ目を向ける。
「
「……アキネ……なんじゃ?」
「ウツシノさま。『洞見』の神様だ」
w
w
w
心臓が破裂するかと思った。
道が一面真っ赤に染め上がったあの現象を見て、木田はそう形容する程の動悸をやっと抑える。彼は「洞見」を使い、正体の一部を垣間見てしまったのだ。
とても抱えきれるものではなく、言葉にする。
「全部、何かの触手のようでした」
「……触手?」
言葉を拾った加子母に頷く。
「降りてみて貰えば分かると思いますけど、今、赤いのが通った地面に大量の微細な穴が空いています。土を掘り進んで地表に出てきたみたいに。えと、今、地面グズグズになってるんじゃないかな……」
そこまで言って、狭い足場の中座り込む。
情報の整理が自分でも出来ていなかった。木田はそう自覚したが、頭を抱えて今の現象を再度思い出そうとしても、不快感が思考を途切れさせた。
それを見ていた加子母は、もう一人の方を見る。
「綾間」
「いや、僕も知らないぞ。ただ……」
「ただ?」
「触手というのなら似たような現象を『前の記憶』で見たことがある。……結局、あれがなんだったのか分からず仕舞いだが」
一方そこまで言った沙村には、実を言うとその正体に心当たりがあったのだが、確証が無い部分への言及はやめた。
(はぁ……)
だがしかし、どう考えてもあの人物の関与がある様に思え、人知れず脱力するのであった。
彼女はこちらを見ているのだろうか。
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あれから、特に何もなく。
無事に次の山社に着いた僕たちは、一時休憩をするためにその境内を歩いていた。
石段を上がったのち、森の合間から見えてくる大きな社の手前の広場では、先ほどの埋葉神社とは違い多くの観光客らしき人影がそこらかしこで半透明で眠っている。
酒見村にある4つの山社のうち、手前から数えて2番目に位置する、「稲光」の神……
この神社には少し思い出がある。
と言っても、あまりいい思い出ではない。小学生の頃、所縁学に本格的に触れるにあたり、まず僕が住んでいる赤島の、有名な山社をどうしても一度見に行きたくなったのだが、あの神云々を嫌いな両親に頼む気にもなれず、学校に行くと称して1人でここまで来たことがある。
そして、この神社の境内で追いついて来た父と大喧嘩になり、結局引きずられるように帰って行った記憶だ。
境内はその頃よりあまり変わっていないように見える。
全く、今考えるととんでもない悪ガキだったな。成長した今では……あー、うん。もう少し上手くやれただろう。
そこまで考えて腕組みしていると、木々の間から大きな建物が現れた。どうやら本殿に到着したらしい。
やれやれ、やっと座れると思っていると、先ほどまで辺りを見回していた加子母がため息をついた。
「あの子はやはり居ないか……おい木田、大丈夫か?」
「……え? あー、はい。今視ていて、周辺には見られないんですけど……」
「そうじゃない、凄い汗だぞ。一度『洞見』を使うのをやめろ」
そこまでの会話を聞いて、僕は初めて木田の異変に気が付いた。
ただの疲労ではない。手の先が僅かに震え、目を殆ど閉じ、左右にふらふらと揺れているのだ。
「洞見」を使うと知覚できる範囲が増える。入ってくる情報量も増える。ここまで使いっぱなしで来たのだ、脳や神経を酷使していてもおかしくはない。……後学のために、後で使用感を聞いておこう。
「……そうします、ただ……」
「ただ?」
「酒見平が今見える範囲に入ってきたんですけど、アレがかなり多く辺りを徘徊してるみたいで」
アレ。
先ほどの毒々しい腫瘍を持った生き物たちの事だろう。加子母もそう思ったのか、苦々しい顔で空を仰いだ。
「ここから先、かなり危険って事か……つーか、今も近いのか?」
「いえ、こちらには来ません。さっきの赤いのに怯えているのか……でも、次何が起きるのか……怖くて」
木田がそこまで言った所で、何かの足音がした。
まるで何かのフリかのようなタイミングで鳴ったその音の方を見ると、廻がそこに立っていた。
唐突に。
「……驚かせんなよ。だが、ここで会えたのは助かった」
僕らの声を代弁した加子母。
しかし廻は、その話に応じず、両手で髪を鷲掴むようにした。なんともなオーバーリアクション。その意味は恐らく……というか殆ど間違いなく「しまった」と言いたげで。
「ここから出る方法、知らないのか?」
僕が恐る恐るそう聞くと、こくりと頷いたのだった。