その後の話。
明楽という少年の証言から、あの異様な腫瘍のある動物に近付いても、少なくとも腫瘍に触れなければ祟りが感染らない事が分かった。
これは大きかった。
それを聞いた加子母は、それでも危険だから自分1人で行くと言っていたが、ここまで来ておいて原因を確かめずに待っている選択肢は当然無い。
僕がそう言うと、明楽も「こんな所に居ても仕方ねーよ」と付いて行く考えを示し、廻も元気に手を上げた。そうすると木田が1人で待つのは無理だと言うことで、結局全員で行くことになり。
酒見神社を出発した僕等は、停滞した空気が漂う町中を抜け、明楽の案内で林の中を進むことになった。
これはキツかった。
普段運動していない人間が朝からずっと歩いていたのに、その後登山をしろと言われて出来るだろうか? いや無理だ。そうして明楽(食料を渡したら態度が軟化した)と木田に挟まれグチグチ言われながら休憩を挟んでノロノロと進み、そうして
「何あれキモ……」
木田が呟くのも無理はない。
眼下では、酒見平との境界となる川に架かるコンクリート製の大きな橋の上に、無数の動物がひしめきあっていたのだ。あれでは「隠匿」で通ろうにも隙間が無いし、距離も息が続かない。
対して、僕等は林を進み、比較的獣が集まっていない山道の中にいた。
「止まれ」
だが、限界もある。
加子母が僕等を制止したのは、崖で道が狭い場所に獣がいたからだ。
こういう時、どうしても見つからずに通ることは出来ない。
だからその時は、一人ずつ廻の「隠匿」で抜けていく手筈になっていた。
「俺から行くから手貸せ」
誰から行くか相談していると、そう言った明楽が廻の手を掴んで一番手として進み、消える。なんとも度胸がある子供である。というより、淡々としていると言った方が正確だろうか。
年齢で言うとまだ小学生くらいの子供に見えるのだが、年相応なのは変声期の来てない声くらいで、なんというか、かなり物々しい雰囲気を纏っている。神殺しをしようとしたと言っていたが……マトモな生活環境に居なかったのは確かだろう。
3人で暫く待つと、廻が再び目の前に姿を現した。心臓に悪い神通力である。
そして2番手となった僕も、彼女の手を取って助走をつけながら口を塞ぎ、息が続くうちに駆けていく。
一面が薄い緑色で染まり、輪郭が薄くなっているような景色を見せるのは、隠匿の神通力。その使用者と手を触れている対象を隠す「庇護」という能力の使用中の光景だ。
隠匿持ちは希少であり、初体験に正直興奮したが、まあそんな事を言っている状況ではないので大人しく見つからない事に全神経を注ぐ。
そんな事をしながら、やっとの思いで森を抜けると、特徴的な建造物が目の前に現れた。
「逆睹」の神、
「なんというか、普通だなぁ」
「あ? つーか、なんもねー普通の神社だって言っただろ」
何にも考えてなさそうな木田の言葉に喧嘩腰の明楽はドカリと拝殿の床に座り込み、腹に巻いている
そう、赤い光だ。
本人が言うには、元からその色で、更には適性値が足りず何の神通力か分からないらしい。
そんな人間が縁門を付けて行動しているだろうか。
よくよく周りを見ると、加子母は銃にずっと手を付けているし、かなり剣呑な雰囲気である。木田は疲れ果てていてそこまで意識を回す気も無いらしい。明楽の言動に何の反応も示さず僕が渡した食料をモサモサと食べ始めた。
今日はここで一度仮眠を取ることにするようだが……こんな感じでやってられるのであろうか。
廻が僕の荷物を漁っているのを見ながら考えていると、明楽が少し用があると建物を出て行った。
そして暫く経ち。
「あいつ」
木田が目を擦りながら口を開いた。
「なんか集落の方に行ってますよ。内心もずーっと『逆睹の神』への憎悪でいっぱいだし、なんかやらかさないと良いけど」
そう。
木田が「洞見」を持っている事は、明楽には伝わっていない。酒見神社での自己紹介の時に、何故か木田が自分の事を神通力を持てる適性値じゃないと言って隠したからだ。
「そうか……まあ俺達とは今のところ利害が一致していると見て良さそうか」
「情報もくれるし、敵対するつもりは全然無いみたいですね。……それよりいいですか?」
木田は目を瞑りながら続ける。
「そもそも、湖に居るあれって本当に『逆睹の神』なのかな?」
「どういう事だ?」
「見ててもただの祟りっぽい赤い光ですし……」
……。
赤い光に明楽が言っていた触手。そして酒見河原で遭った波のような触手。これらは恐らく同種のものだろう。
僕の予想だとすれば、確かにあれは「逆睹の神」というより「隠匿の祟り」と呼んだ方が適切な気がするが……。
「そもそもおかしくないですか? この世に神が降臨してるなんて普通に与太話ですよ。加子母さんは聞いたことあるんですか?」
「いや、無いなァ。手がかりがあの子の証言しか無い以上、便宜的に仮定はしているが、俺も祟りの部類だと思う。というより実際本物の神だった場合お手上げだ。なんせ本体は認識することすら難しいらしいからな」
そこまで言って、加子母は整備していた銃に目を落とす。
「お前等『みみたぶがり』って知ってるか?」
……いきなり何だというのだろうか。
「文字通り聶獣を狩ることだろう」
「えっと、僕もそう思いますけど」
みみたぶがり。
耳朶狩り。耳朶のような腫瘍を持つ獣「聶獣」を狩ってしまう禁忌の事だ。
「他にも意味があってな。『救助隊』なんてやってると、稀に大きな祟りに直面する事がある。その祟りの根元には、大抵聶獣の死骸があるもんだ。『みみたぶがり』はそれを鎮める捨て身の作戦名でもあるんだ」
「それは初めて聞いたな。業界用語ってやつか。過去にやった事があるのか?」
「ああ、『浮遊の祟り』はそれで収まった」
それは余りにも有名な事例であった。
「あの時もこのくらい規模が大きくて、まあ連鎖が収まる気配が無かったらしい。その時は『破邪』持ちが先頭になって特攻した」
「ちょっと待ってください? 『浮遊』……って誰とも所縁の無い神力ですよね? その時も聶獣が居たんですか?」
「あァ……? あぁ、人と所縁が無くても、聶獣と所縁が無い訳では無いからな。だから『人から発生したパターン』でない限り、発生源としてそこには聶獣の死骸が必ずあるんだよ」
近年分かった「祟り」の基本的構造。知っている人は知っている話だが、木田のような所縁学を修めていない人間ならば知らないのが普通だ。
あと「人から発生したパターン」として、以前の「洞見の祟り」がそれに該当するのだろうが……目の前に張本人が居るので黙っておく。
そんなことよりも、はたして今回の事象が「みみたぶがり」で解決する見込みがあるのか。
「可能なのか? その時は『破邪』が居たのだろう。なんとか近寄れたとして、肝心の死骸の処理はどのようにする?」
「単純だ、発生源になる死骸は……あー書くものあるか?」
加子母はそう言いながら懐からペンを取り出した。
それから持っていたノートを渡してやると、そのページの真ん中に一つ「耳」と書いて丸を描き、その横に「体」と書いて楕円を描く。
「まず、聶獣が死亡していること。死骸なんだから当然だな」
言いながら楕円に✕を描く。
「次に、獣を聶獣たらしめる器官の
加子母はそれからペンをゆらりと迷わせて、耳と書いた円形部分の周りに集中線のようなものを描いた。
「実際何がトリガーで祟りが出るようになるのかは未だ不明だが……まあ、要は『縁門』と同じだ。この通り道を物理的にでも壊してやれば祟りの連鎖は止まり、徐々に終息に向かう。だから今回は俺の『地鳴』でその死骸を滅茶苦茶に破壊してやろうって寸法だ」
随分と罰当たりな鎮め方だな……。
いやしかし、狩りと言うのだ。そのくらい乱暴なものなのだろう。
「まァとにかくだ、ここでしっかり身体を休ませておけ。おい木田」
「はい?」
「お前は休んだ後、酒見湖周辺の状況を定期的に確認してもらう。今の状態だと自殺行為だからな。綾間」
「なんだ」
「頭の上の鼬、あれから何か食わせたのか?」
加子母の目線の先に手をやると、寝ていたのか毛玉がビクリと動いた。
……確かに、あれから半日くらい経っている。水は飲ませているが、そろそろ何か食べさせないと衰弱するだろう。とはいえ、マトモに食糧を持っていたのは僕だけで、そのラインナップを鼬は好まないらしく、口を付けないのだ。
これから草踏神社で長丁場の待機が待っている事を考えると、どうにかしなければならない。
そんな事を考えていると、ドカドカとした足音を立てて明楽が帰ってきた。
……と、同時にツンとした鉄の臭い。
一体何だとそこに目をやると、少年は両手に何か死んだ茶色い鳥のような物を持っていた。
「もしかしてそれ、聶獣か?」
「聶獣じゃねーよ。あー、パンみたいなのばっかじゃ味気ねーからな」
明楽はそう言いながら、血抜きを済ませて来たのか、羽毛が濡れているそこそこ大きい鳥を賽銭箱の上に置き、取り出したナイフで羽を取り始めた。
「いやおい、そこは……いや、別に良いか」
それを見て言い淀む加子母。
まあ、本来賽銭が入る箱の中に羽と液体がバサバサ落ちていくのは、なんとも冒涜的な光景である。廻なんかは急に起きてきて声にならない叫びを上げている。
しかし、鳥か。
どのように獲ってきたのかは今は良いとして、問題はその鳥に腫瘍があったかどうかである。
「だが、ここらの動物は聶獣でなくても腫瘍があるだろう?」
「言わなかったか? まずいのは腫瘍部分だけだ。だからこうして触らず切り取っちまえば問題無いのさ」
そんな問答を続けている内に手早く処理を済ませた明楽は、肉を切り分けて生のまま一口食うと「うん」とか言って一部を僕に渡してきた。
「食わせとけ」
「いや……まあ食えるのなら頂こう。良いのか?」
「あ? 良いも悪いも、俺も貰ったんだから返すのが当たり前だろ」
貰ったというのは僕の持っていた食糧の事だろうか? イマイチ掴みどころの無い子供である。
釈然としない気持ちで頭上に肉を一つ運ぶと、鼬はそれに飛びついてペチャペチャと音を立て始めた。
それを見ていた加子母が口を開く。
「明楽、酒見湖に行くタイミングは俺が決める。だからあまり遠くに行くなよ」
「へーへー」
曖昧な相槌を打ちながら今度は火の準備を始めた明楽を見て、興味を持った廻がそれに着いていき、加子母が面倒臭そうにその手伝いに向かっていった。
……とにかく木田の言う通り、いますぐ危害を加えてくるような人物ではないようだ。
そう思うと、何だかどかりと疲労が襲ってきたので、僕は既に寝ている木田に倣って横になることにしたのだった。