第一話 ビギニング
□???
身動きが取れない。その場に縫い付けられたかのように。
だけど、浮いている。そのままどこかへと飛ばされてしまいそうに。
自分が自分じゃないみたいだ。
分からない。何も分からない。
どうしてこんなことになったのだろう。どうして、自分はこんなにも地の底を這うような存在になってしまったのだろう。
ディバインウィルス、フォーリナー、ディバイナー。
まだ社会に出て間もなかった二十九年前のこと。
そんな存在が現れるなんて微塵も考えたことがなかった時のこと。
情勢の悪化や疫病などに世界が左右され、けれどこれからも人類の未来は明るいものになるのだと信じられていた頃のこと。
────唐突に世界は崩壊した。
黒い翼を生やし真っ赤な瞳で世界を見下ろしたアイツらは、瞬く間に人間を虐殺し、時に自分達の仲間に変えていった。
何も出来なかった。
生きた証なんて何も残せず、存在する理由すら見つけることはできずに、まともな職に就くどころかその日を生きることにさえ苦労するような生活を強いられるようになって。
ただただあの日、流されるままに世界の終わりを見て、上手くいくはずだった自分の人生を夢見ながら今日に至るまでこの棄てられた街で腐っていた。
そして今はこうして自分もあの恐ろしいウィルスに感染している。
「ふざけロ……」
男は感染したら絶対に助からない。だから、もう自分は助からない。それはこの絶望の二十九年間で嫌という程知っている。
そうだ。もし仮に自分が女だったら、助かる可能性はあったのだろうか?
聞けば妊娠さえしていれば、感染しても助かると言うではないか。その子供はディバイナーとかいう人の形をした化け物になってしまうらしいが、それでも自分は助かる。
怪物になるくらいならその程度、そう思ってしまうものなのだろうか。
だとしたら何とも不公平ではないか。どうして男の自分は……。
「は、ハ■、何考エてんだ、俺」
……いや、それこそ不公平だろう。
何が不公平かだなんて理屈っぽいことは、今の霞がかった頭では的確に説明なんてできないけれども。
強いて言えば、そうだな。自分が男だとか女だとかは関係が無い。
自分が生き残ってまで、子供たちに絶望を背負わせるなんて自分には考えられない。自分にはそんなことできない。
たったそれだけの大人としての意地か。
ああ、なんだ。
自分にもまだ、そんな義憤を覚えるような生きた心があったのか。
「ヴ、■■■ッ……」
くそ。考えが纏まらない。
どうなってるんだ。
死ぬのか? 本当に? どうして?
体が熱い。内側から溢れ出しそうで、端から溶け出してしまいそうだ。
嫌だ。
死にたくない。
あんな化け物になんてなりたくない。
「────■カ、殺■■ク■■イ……ッ」
□2079年4月20日
音を殺して廃墟を駆け抜ける。
既にこの廃棄都市の人間は軒並み避難しているようで、この後の戦闘で発生し得る人的被害を考慮しなくても良さそうなのは僥倖であった。
「シブヤ……か」
ガリッ。
何か、そう、とても大切だった何かを踏み潰した音がした。
高度な文明も人々の営みの証も、何もかもが瓦礫と嘆きに埋もれて忘れ去られた。
そこがかつて東京の渋谷と呼ばれるこの日本で最も栄えていた都市であるということを、今年で16歳になる私は伝聞と写真の中でしか知らない。
「っ……!」
最後に
まるで自分がどうなったのかも分からず、ただただ茫然自失と立ち尽くしているかのように。
「トロイからヴェサリウスへ。目標を確認しました」
『こちらヴェサリウス、仔細な報告を求む』
またいつものですか。
慣れたことだが、こうして幾度も機械的に仔細な報告をと求められるのは少しだけ面倒くさい。
とはいえ、先輩の異能力は情報精度が高ければ高いほどにその凶悪さを増す。その力はこれまで何度か協働した中で嫌という程に理解している。
つまり、彼女が頻りに詳細な情報を求めてくるのも当然と言えば当然のことではある。何せそれこそが彼女の存在意義でもあるのだから。
そんな彼女と協働する以上今の私に求められる役割は観測手、スポッターであり、共に作戦に従事する先輩ヴェサリウスが十全に力を発揮できるように支援するのが任務だ。そこに異論はなく、また先輩のことを個人的にどう思うかなども一切関係が無い。
私は忠実に使命を果たすだけだ。
「目標、四足歩行、外見モデルはクジラウシ目シカ科。異能力は確認していませんが、翼は退化しているように思われます。飛行能力を保有している可能性は極めて低いかと。真眼は一つ、翼は一対、よってステージ1に分類します」
ソイツは大きな一つの目玉と無数の目玉を身体中に貼り付けた化け物。飛べそうにもないほど矮小な黒羽を背中から生やした漆黒の鹿。
まるで一昔前のマンガかアニメーションに登場する敵役のような見た目だが、それは言い得て妙かもしれない。
彼らは、そう呼ばれる者たち。
2079年現在における人間にとって有史以来最大最悪の天敵。
「全長は5メートルと30センチ、レギオンクラスと推定」
フォーリナーはクラスとステージによってその大まかな強さが分類され、ステージ1のレギオン、ステージ1のセンチュリオン、そしてステージ1のレクスではその脅威度は文字通り天と地ほどの差がある。それはフォーリナーと戦う私達でなくても周知の事実だ。
『飛行能力が無いということは、仮にここで逃した場合、島に辿り着くまでの予想進行ルートを鑑みるに中規模以上の被害が発生する可能性が考えられる』
「はい。意見は一致していると思います」
『では、処置を開始する』
状況から見るに、アレはここで再誕したばかりだろう。
つい昨日、この付近の上空をフォーリナーが通過したという履歴もある。先ず間違いない。
その際に
結論は出た。
本来なら誘導を得て島に向かうか確認するまでが私の仕事だが、今回のケースは私達が可及的速やかに対処せねばならない。
「トロイより任務内容の変更を申請。より上位の指示に」
『こちらコマンドポスト、申請を受理しました。ヴェサリウスと連携し、対象ステージ1・レギオンを対処してください』
その苦しみの程は分からないが、それでも悼むことはできる。塵のように瞬きの生もまた、それを慈しむことはできる。
いつ終わるとも分からない人生だ。永遠に続くはずもなく、彼、もしくは彼女の生涯のように一夜にして望まぬ形で終わってしまうことだってある。
「プルウィス、エト、ウムブラ、スムス」
……だからこそ、今を生きる私達が終わりを与えねばならない。
塵と影に過ぎない人生を、せめて正しく終わらせてやるために。
抱える89式小銃に不備が無いことを確認し、セーフティをオフに。サブアームの拳銃、シグ・ザウエルP220を腿のホルスターから抜き、スライドを引いていつでも撃てる状態にする。
粒子複合弾の予備マガジンとフラッシュバンの数を再把握。ヤツら相手にフラッシュバンが通用するのは精々が一回程度で、中には通用しない手合いもいるが、有る無しでは安心感が違う。
戦闘活動の開始に支障無し。
「トロイ、オンステーション」
『ヴェサリウス、ミッションを開始する』
額に一つ、真っ赤な真眼がギョロりと動いて私を捉えた。
その目は確かに止まぬ苦痛に染まり、この世への絶望に窶されていた。
◇
「こちらトロイからコマンドポストへ。現時刻を以て第一任務を終了、次の指示まで待機します」
『お疲れ様です、トロイ。後処理を五分後に到着するB班に引き継ぎ、帰投してください』
目の前に転がる
本当ならこれも上官であるヴェサリウスの仕事なのだが、彼女はもう既にこの地区にはいないだろう。
ほとんど原型もとどめないほどに破砕された目の前の遺体は、ヴェサリウスが一度に、そして一瞬の間に引き起こした惨状だ。
私達の組織、ダ・カーポにおける戦闘班の最重要存在が彼女であり、それを彼女自身も自覚しているからこそ、報告などの細々とした作業は私のような木っ端の構成員が担う。それだけでなく、任務中の多少の自由行動すら許されている。
彼女の力があれば、それがまかり通る。
「私も異能力をまともに使えたら……」
異能力。普通の人間とは違う、私達と時にヤツらが保有する力。私達なら誰もがそれを持っていて、息をするのと同じように扱うことが出来る。
私にも勿論異能力があり、しかしそれはヴェサリウスや教官のソレとは比べ物にならないくらいお粗末なものだ。
『────高望みはするな。今あるものだけがお前の手札で、その手札こそがお前の価値だといつも言っているだろう』
「……教官」
よく知る声が無線から聞こえてきて、私は知らず知らずの内に背筋を伸ばしていた。
そう言えば今日は司令室の方に詰めていると聞いていた。
外回りの任務が久しぶりであり、思ったよりも浮かれていたのだろう。完全に記憶の彼方であった。
『大方、久しく見ていなかった外の景色に浮かれていた、といったところか。呑気なヤツめ』
「なんでもお見通しですか」
『そんなところだ』
言い当てるような言い方、そして見事に言い当てられたことに、まるで私の全てが見透かされているような感覚がして少しだけ不快感を抱く。それでも相手は恩人であり、そんな感情はすぐに霧散する。
それに彼女ならばこの程度のことは造作もないに違いない。
感染者の子供、ディバイナー。人間の少女の姿をした超人、または化け物。
その孤児や私のようなワケアリ達の面倒を見て、戦い方だけでなくこの世界での生き方や一般的な教養を与えてくれたのは彼女だ。私の場合は戦闘技能と書類仕事のやり方くらいしか学んでいないが、確かに私は彼女の世話になった。
当然、教え子たちのことはよく知っているだろう。
『そんなお前に朗報がある』
「朗報?」
『ああ、とびっきりのやつだ。感謝しろ? お前のために良いミッションを持ってきてやったんだ』
そうは言われても、そんなに良い予感はしない。
むしろ、こういった感じで善意を押し付けるような物言いをする時は、決まって面倒事だったり面倒事だったり面倒事を押し付けられる時だ。
かれこれ五年の付き合いだ。大体は理解している。
また今回も一筋縄では行かないような難題を課されるんだろう。
辟易としながらも、恩人に必要とされることに多少の歓びを見出して、大人しく次の言葉を待った。
『次の目的地はあの
そして教官の口から出たその単語に、一瞬理解が追いつかずに思考が止まった。
「バカンス? え、というか今、学園島って言いました……?」
『そうだ。馬鹿のお前を留学させてやる、しっかり学んで来い』
「い、いや、ちょっと待ってくださ……あ」
切りやがった。
毎度の事ながら、教官の突拍子もない言動には付いていけない。付いていかなければ置いて行かれるだけだが……。
はぁ。
「……やるしかない、か」
母さんの為にも、先生の為にも。私は戦い続けなければならない。
────腹を括れ、
お前に立ち止まっている暇は無い。
自らを鼓舞するように、もしくは戒めるように心の中で喝を入れて。
まだ何も知らない私は歩き始めるのであった。
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