「じゃあ、行ってくる」
とある日のお昼前、お兄さんが一人出掛けた。
それもいつものラフな格好ではなく、少しだけおしゃれな格好で。
「……」
デートの時にしかしないようなおしゃれな格好。
それを見て、私はピーン!ときた。
お兄さん曰く、「ホワイトデーのお返しの買い物に行く」らしいが、まず間違いなく一人ではない。
そのお相手は間違いなくお兄さんが異性として意識している女性となると……。
「……メイドさんか?」
お兄さんの元カノという女性。冬海雪菜さんである。
私はこうしてはいられない、と箪笥の中をひっくり返すように服を探した。
デニムのショートパンツとTシャツ、パーカー。ラフな格好に着替えた私は財布とスマホを持って家を飛び出す。
「あれ、あんたもどこか行くの?」
「ちょっと用事ができまして」
「ふ〜ん」
「そういうお姉ちゃんこそよそ行きの格好ですが」
「私は普段通りだけど」
絶対嘘だ。女の匂いを嗅ぎ取ってお兄さんをつけ回すつもりだったに違いない。私がやるんだ、姉がやらないわけがない。
「……一応言っておきますけど、邪魔したらダメですよ」
「……なんのことかしら」
あからさまにしらばっくれる姉を見て、私は確信した。
「やっぱりつけ回すつもりでしたね」
「うっ……」
これはもう私がお姉ちゃんの手綱を握っておくしかないと。
「それより早く行かないと、どこに行くかわからなくなっちゃいますよ」
「さて、私も出掛けようかしら」
白々しくそう言ってハンドバッグに財布とスマホを詰め込み、ソファーから立ち上がったお姉ちゃんはリビングから出ていく。私も一緒に家を出て鍵を閉めた。
階段を駆け下りて、マンションから出たところで左右を見渡すと見慣れた背中が見えた。
私と姉はバレないように一定の距離を保ちながら追跡を開始する。
「?」
「!?」
随分離れているというのに、お兄さんが不意に立ち止まって振り返った。
ニュータイプか何なのか気配察知が鋭過ぎて、慌てて角に隠れて様子を窺うと数秒してからまた歩き始めた。
「ふぅ。危ない危ない……こういう時にダンボールがあればなぁ」
「ダンボールなんて何に使うのよ……っていうか、通ってきた道に置いてあったら不自然でしょう」
確かに。あと持ち歩くのも面倒臭い。某蛇さんは組み立てからやっているのだろうか。
「そんなことより見失いますよ」
「少なくともまだ大丈夫でしょう。駅に向かうみたいだし」
それは確かにお兄さんがいつも駅に向かうルートだった。
追跡を続けると、駅前で誰かを探すように辺りを見回す–––必要もなく、お兄さんは駅前で揉めている男女三人のところへ歩いていった。
女性を守るように間に入ると、不機嫌そうな顔で睨みつける。普段より怖い顔に女性をナンパしていた男二人は逃げるように去っていった。
「あの女性は……もしかして、雪菜さん?」
「みたいですねぇ」
やっぱり、と私は思う。
待ち合わせ場所には普段よりおめかしした私服姿のメイドさんがいた。
「そういえばお嬢様のホワイトデーのお返しが難しいってぼやいてたわね」
「まぁ、その気持ちはわからなくもないですけど」
だから、私は誕生日プレゼントに翠ちゃんには最初ネタ物を渡すことにしている。本命のプレゼントとは別に。
なにしろ最後はいいところを京介が全部持っていくので、何を渡したところで印象が薄れてしまうのだ。さもありなん。
「あっ……!」
しばらく観察していると、二人が手を繋いだ。しかも恋人繋ぎで!
これはギルティ–––有罪ですよお兄さん!
見てください隣のお姉ちゃんを。膨れっ面でブサイクになってます。
「おっと、移動するみたいですね」
突撃しないようにこっちも手を繋いで抑止しておく。
そうしてまた追跡を始めた。
「ここは喫茶店ですね。なんていうか少しだけおしゃれな感じの」
三十分ほど歩いて、たどり着いたのは駅より少し離れたところにある喫茶店だった。個人経営らしく少し古い感じのする店だった。そこに二人が入っていく。
私とお姉ちゃんは店の前に張り付いているわけにも、中に入るわけにも行かず困った顔をする。
「どうしましょうか?」
「仕方ないわ。私達も時間を潰しましょう」
近くのコンビニか、はたまたファストフード店か。見渡せば二、三店ほど店がある。目の前にはハンバーガーチェーン店が店を構えていて、私達はそこで昼食を摂ることにした。
ワンセットずつ食べ物を頼み、よく見張れる席を探す。どうやら二階建てらしく私達はそこから見下ろす形で監視を続行することにした。
「おや……?」
喫茶店が見える席を探していると、その窓際にピンク色のポニーテールを見つける。テーブルの上には帽子とサングラス、マスクが置いてありなんというか変装用という文字が脳内に浮かんだ。
「お隣いいですか?」
「はい。……あれ?」
もしかしなくても、その女性は桜お姉さんであった。翠ちゃんの姉。そして……あのメイドさんの雇い主の。
「奇遇ですね」
「ふふ、奇遇ですか……。これはどちらかといえば、運命じゃないでしょうか。お互いに目的は同じのようですし」
「やっぱり桜お姉さんもですか?」
「ええ、つい雪菜さんが心配になり、ついてきちゃいました」
そう言って彼女は、イヤホンを片方差し出す。
「聞きます?」
「音楽でも聴いてるんですか?」
「いえ、二人の会話を離れたところから聞けるように、私服のメイドに頼んで潜入してもらっています」
思ったより手段を選ばない人で、私は吃驚した。
それ盗聴ってやつじゃ……。
「でも、三人じゃ聴けませんし、スピーカーにしましょうか」
桜さんがスマホをテーブルに置き、ボタンを押すとそこから聞き慣れた声が響いた。
『ここにくるのも久しぶりだな–––』
おおっと、まずい。
お兄さんとメイドさんが旧知の仲かのような会話をしている。
お姉ちゃんに、二人の関係がバレてしまう。……いや、別に私には関係ないからいいのだが。
少なくともお姉ちゃんに教えないのは、必要性がないからであり、メイドさんの意向によるものだろう。
思わずこれはいいのかと雇い主の方を見れば、微笑みを浮かべて聞き入っている。
私の視線に気づいてこちらを見たが、気にするなとばかりに笑みを絶やさない。
「大丈夫ですよ。時間の問題でしたし、いい機会ではないでしょうか」
そして、バレてはいけない姉の方を見れば、金魚のように口をぱくぱくと開閉して驚いた顔をしている。
「まぁ、それはそれで面白いからいっか」
お兄さんに強く言えない姉が、どんな対応をするのか。
お兄さんは修羅場をどう潜り抜けるのか。
今から楽しみで仕方ないと思うあたり、私もこの状況を楽しんでいた。
「ね、ねぇ、あの二人って……付き合ってたの?」
何度も、何度も、親しげな会話が聞こえてくる。
過去を懐かしみ、お互いを想い合う、気の置けない会話の内容が。
決定的なのは、付き合っていた頃は–––大学時代は–––なんて語り始めてしまったことだろうか。
「問題さえなければ結婚してましたね〜」
ポテトを摘みながら、桜さんが言う。
「……えっと、それはどういう……」
「同棲してた時期がありますから」
「え゛っっっ」
「なんでも知ってるんですね」
「はい。私にとって雪菜さんは姉同然ですから。当時、よく語って聞かせてくれたんです。所謂惚気話というやつですね」
瞳を閉じて、耳を傾ける桜さん。その顔は、二人が今もこうやって一緒に過ごしていることを喜んでいるようだ。
「それじゃあなんで別れたんですか?」
「……家の都合です。雪菜さんにうちの一族の方が目をつけまして。縁談が持ち上がったんです」
「それで別れてしまったんですか?でも、それでお兄さんが諦めるわけが–––」
「そうですね。たぶん知っていたら諦めなかったと思います。たとえ何があったとしても」
含みのある言い方に、私は疑問を持った。
その考えを肯定するかのように、桜さんは続ける。
「雪菜さんのお父様は、一族から持ち掛けられた縁談を“雪菜のため”と言いながら出世に利用しようとしました。それを嫌がった雪菜さんはもちろん拒否しましたが、卑劣なことにこう脅迫したのです。“彼の就職の邪魔をする”と」
おそらく雪菜さんの父親は、それだけの立場にあったのだろう。そして、それを聞いた雪菜さんのとった行動はなんとなくわかる。
「……だから、別れたんですね」
「はい」
「それもきっとお兄さんに相談しないまま」
もしお兄さんが知っていたら、絶対に別れる選択はしなかったはずだ。その先を理解していたから雪菜さんは自分から別れを切り出した。お兄さんを巻き込まないために……。
「まぁ、その縁談は私が破談にしたんですが、雪菜さんは自分から別れると言った手前、よりを戻したいだなんて言えなかったようで……」
桜さんはそう言って、幸せそうな二人の様子の観察に戻ってしまった。