午前十時頃、家を出発して向かった先は最寄りの駅。
「そういえば今日はどこに連れて行ってくれるの?」
一緒に歩けるだけで幸せ、と流れに任せて歩いていた愛理が不意に思い出したかのように疑問を口にする。
これまで何度もデートをしてきた。当然、遊園地や水族館、映画館などのメジャーな施設でのデートは何度も行っている。
やり尽くした感はある。それでもなお選んだのは……。
「–––水族館、かなぁ」
十代の少年少女が選ぶような、健全なデートスポットだった。
本当なら高級なレストランとか、夜景とか、色々とあるのだろう。それらを選ばなかった理由はやっぱりそういう見栄を張るのが苦手なのもあるが、十代に満足のいく恋愛をしてこなかったからだろうか。
「前にも行ったわよね。確か最初の頃に」
「あぁ、そうだな」
「なんで?」
なぜ今更水族館。俺にもよくわからない。
「ん〜、その近くに美味しい海の幸の飯屋があるから?」
「水族館で魚見て食欲湧くのは言っておくけど、あんただけだからね」
「嫌だな。さすがの俺も水槽の魚を見て美味しそうだな、とは思わねえよ」
「どうだか」
駅の券売機で水族館の最寄り駅までの切符を買い、駅の改札を通る。
水族館と聞いて、「まぁ、いいけど」と楽しそうに腕に抱きついてくる愛理は不満のかけらもなさそうだった。
「いいのかよ。前にも行った場所だぞ」
「いいわよ。どこでも。あんたと一緒なら」
しばらくすると目的の電車が駅のホームへと停車した。
乗り込んだ電車は、平日とあってかなり空いていた。座席に並んで座れるので適当な場所に席を取る。
ほどなくして電車が発車して、俺達はガタンゴトンと揺れる車内で肩を寄せ合い、ぶつけ合いながら流れる車窓の景色を楽しんだ。
「なんていうかあっという間だったわね」
一時間も掛からずに目的の駅へと到着する。
電車を降りて、改札を出た俺と愛理は再び手を繋いだ。
彼女の右手には、ルビーの宝石が嵌め込まれたブレスレットが輝いている。
「ほとんど話してばっかだからな」
車内での会話の内容はもっぱら同窓会についてである。
懐かしい級友達の顔や、懐かしい話を思い出しながら、誰々に会いたいと二人で話し合った。
俺にとって友人など片手で数えるほどしかいなかったものの、愛理はそれなりに親しい相手はいたらしいのだ。大人になってからもこまめに連絡を取っているのは幼馴染の黒川だけだが。
駅から出て、数分歩くとすぐそこが目的地だ。
『アクアリウム12』
言わずと知れた、米倉源十郎氏が作った桜シリーズの水族館である。
「何度見てもすごいわよね」
「国内最大級だからな」
その大きさは、孫娘への愛故に。
言わずと知れた孫馬鹿の愛の暴走である。
目玉はシャチやイルカのショー。
アザラシやペンギンなど、子供が大好きな動物も多数飼育されている。
開館当初から今まで、客足が途絶えたこともなく、学生の間ではメジャーなデートスポットとされている。
「ほら、早く行こうぜ」
チケット売り場で大人二人分の入場券を買い、水族館への入場を果たす。
一度足を踏み入れれば、薄暗い館内の両側に小さな水槽が嵌め込まれていた。
「ここら辺は知ってる魚ばかりね」
「こいつら全部食えるやつだっけ?」
「もう、そういうことばかり言うんだから」
スーパーで見たことのあるような名前がプレートに書かれている。
「今日の昼は何食うかな。……アジフライもいいな」
「言っておくけど、これは食品サンプルじゃないわよ」
「食品サンプルが泳ぐわけないだろ」
「わかってるわよそんなこと。水槽を見る直人の目が捕食者の目をしてるのよ」
さすがの俺も水族館の水槽で魚を見て食欲が湧くなどあるはずがない。
「マグロとか泳いでないかな」
「やっぱり食欲でしょ!ねえ!」
鋭いツッコミを入れてくる愛理を無視して、他の水槽を見る。
「お、タコだ」
「ミズダコね」
「あ、こっちはヒョウモンダコ」
「あ、可愛い。見てみて、メンダコよ」
「……たこ焼きにするならやっぱり普通のタコかなぁ」
「一応言っておくけど、ヒョウモンダコは毒があるわよ」
「あんな見た目やばそうなのさすがに食わんわ」
小さな水槽が多数置いてある通路を抜ければ、大きなホールに出た。
ジンベイザメや、トビエイ、他にも多数の魚が泳ぐ大きい水槽があった。この水族館のメイン水槽の一つだ。ジンベエザメが泳ぐ圧巻の光景を見ることができるのである。
「ジンベエザメっておとなしいらしいな」
「サメっていうから、もっと獰猛に聞こえるのにね」
「そういやホオジロザメが水族館にいない理由知ってる?」
「いたら危ないでしょうが」
「神経質で飼育できないんだと」
「……本当かしら?」
「さぁ?」
どこで聞き齧ったかわからない雑学を口にしつつ、次の通路へと向かう。
そこは水槽に囲まれたトンネルだった。周りを魚達が泳いでいくのを、観ながら移動することができるのである。
さながら海中散歩。ウミガメが悠々と上を泳いでいったおかげで、そのお腹が丸見えである。
「あ、ラッコ!」
そんな時、通路の先の筒形水槽でスーッと上へ泳いでいった影を見て、愛理が叫んだ。
『呼んだ?』とラッコが逆さまに戻ってくる。
「きゃーっ、可愛い〜」
その場でくるくる回ってみせるラッコにメロメロのようで、愛理は興奮気味に水槽にへばりついていた。
「ばいばい」
ひとしきり騒いで満足したあと、愛理が手を振って別れを告げるとラッコも小さく手を振る。そのままスイーッと上へと戻っていった。
「……あれ、人間入ってねぇよな?」
まるで人の言葉を理解しているようであった。
まさか、そんなはずが……と、目を逸らす。
「あ、チンアナゴ」
円形の水槽の一つに見知ったものを見つけて駆け寄る。
砂ににょきにょきと生える、細長い生き物。
その形状を見て、小学生男子から高校生に至るまで大興奮間違いなしだろう。名前も含めて。
「男って本当そういうの好きよね」
「おやおや、これを見て何を想像したのかな。ん〜?何を想像したのかな〜?」
「そ、それは……」
頬を薄く赤らめた愛理が視線を下に逸らす。本当に何を想像したのか、バッと慌てて顔を逸らす。
「ところでどっちが大きいと思う?」
「な、なに変なこと聞いてるのよっ!?」
「……いや、こっちのチンアナゴとあっちのチンアナゴ」
「え……?」
いったい何を比較したのか愛理の顔はみるみるうちに真っ赤になる。薄暗い館内でもはっきりとわかるくらい赤くすると、俺の肩を強くバシバシと叩いてきた。
「ねぇ、絶対わざと言ったでしょ!ねぇ!」
「あー、はいはい。夜ちゃんと見比べてみような。ここじゃまずいから」
「見比べなくてもはっきりわかるわよ!」
「それよりもう少し静かにな。他のお客さんもいるし」
そう言うとようやく他の客達の存在を思い出したのか、愛理は「もう!」と怒ってから顔を隠すように抱きついてきた。
会話を最初から聞いてなかった客からすれば、初々しいカップルくらいにしか映るはずもなく、生温かい視線が突き刺さる。さすがに俺も居心地が悪いため、愛理を連れてさらに奥のエリアへと足を踏み入れた。
「お、カクレクマノミだ」
水槽の一つを見ると、イソギンチャクと一緒にカクレクマノミが展示されていた。
あまり魚について知らない人もこの魚については知っている人も多いだろう。この可愛らしい色合いとサイズ感が人気で子供の頃、お嬢様もよく見にきていたらしい。
「本当、可愛い〜」
可愛らしい魚を見て機嫌が直った愛理は、イソギンチャクに隠れるカクレクマノミに夢中になる。
大変可愛らしい姿をしているが、俺は少し苦手だった。
「おまえそういう可愛い魚好きだよな」
「いいじゃない。可愛いんだし」
「俺はあんまり好きじゃないかな……」
「あら、どうして?」
「だってその魚性転換するらしいし……」
性転換はいけない。他人の趣味をどうこう言う気はないが、俺の性癖にはそんなものないのである。
何度その手の性転換絵に性癖を壊されかけたことか。
性転換とは違うが、一目見て気に入った女性キャラが“男性”だったこともある。あの衝撃は今でも忘れない。一時期『このキャラ男じゃねぇよな?』と何度も疑ったことがあるが、おかげで男の娘キャラの良さをだいぶ理解した。解せぬ。
「……なんで遠い目をしてるのよ」
「いや、ちょっと色々あって……」
遠くを見ていると、大きい水槽にいるシャチと目があった。
「あ、シャチだ」
水族館で一番の目的であったシャチを見つけて、カクレクマノミの水槽を離れる。
それからほどなくして水槽の前にたどり着いた俺を見ると、シャチは興味深そうに見返してきた。
「シャチ好きなの?」
「海洋生物の中では、一番かな」
シャチは海のギャングとも呼ばれているのである。その黒と白のフォルムは男の子なら誰だって好きじゃなかろうか。
「私はイルカかなぁ。だって可愛いし」
「発情期危険らしいけどな」
「またそういうことばかり言う」
水槽の中で俺を見つめるシャチが、その場でクルンと回ってみせる。サービス精神旺盛だった。
「前にお嬢様と一緒にこの水族館でペンギンの餌やりとかやったことあるんだよ。その時にシャチにもやったことあるんだよな。覚えてんのかな?」
残念ながらこっちは個体の見分けすらつかないが。お嬢様は二十羽近いペンギンの名前を覚えた上で、しっかり見分けていた。
「そういや昼からシャチショーとペンギンショーあったっけ」
「いいわね。時間あるなら見ていきましょうよ」
「その前に昼飯だな。お、マグロの解体ショーとアンコウの吊るし切りやってるみたいだぞ」
「ここ水族館よね……?」
午後の海洋生物のショーに備えて、俺達はフードコートへと移動するのだった。