「–––ふむ。特に異常はありませんね」
入念な検査の結果、俺と冬海は極めて健康だという診断結果を言い渡された。
CTRやらMRIやら、普段の私生活ではあまり聞かないような単語が並べられ、様々な機械によって検査した結果、俺達は他の病もなくすこぶる健康だということが証明された。
大袈裟すぎるだろ、と言ったのだがお嬢様はこういう時ばかりは加減を知らない。知人の健康のためならば心を鬼にして病院に軟禁するタイプである。
一時間近い検査の後、解放された頃には夕暮れ時だった。
冬海を受け止めたせいで濡れた服は、お嬢様が用意した代わりの服に替えられて、少しだけお洒落度が上がっている気がする。いったいどれくらいの値段がするのか。知りたくもないし、ブランドもわからない。
中身が変わっていないせいで馬子にも衣装というか、服に着られている感が否めず、落ち着かないのが難点だが服が濡れているという不快さに比べればまだマシだろう。
俺は深く気にしないことにして、問題を頭の片隅に追いやった。
「……本当大袈裟だよな。あそこまでしなくてもいいのに」
お嬢様とメイドのコンビに見送られて、俺と愛理は再び二人きりのデートへ、海沿いの道を歩き出した。
また別の意味で疲れ切った俺がそう言うと、愛理は俺の手を掴みながら先を歩くように速度を上げて前を向きながら口を開く。
「よかったじゃない。なんともなくて」
少しだけ口調に棘があるような、そんな声で。
何がそうさせるのか、愛理は病院を出たあたりからずっと不機嫌だった。
「……なんか怒ってないか?」
「別に。怒ってないけどっ」
そう言って、顔を逸らす。右手の道路側にいる俺に対して、反対側を向いて。
それでも握った彼女の右手は離されることなく、恋人繋ぎにしっかり繋ぎ止められている。それが全ての答えなら、彼女は拗ねてるだけだ。なんとも可愛らしいではないか。
–––現状、俺にとって右手というのは都合が悪いが。
「くくっ、そうか」
「なに笑ってるのよ?」
「いや、可愛いなと思って」
素直に感想を述べると、プイッと顔を背けられる。だが、その手はより強く握り直されていた。
「何が不満なんだよ?お嬢様とメイドが選んだ服に身を包んでいることか?」
「それもそうだけど、そうじゃなくて。……お姫様抱っこ」
小さく呟かれた声が、やけにはっきり聞こえた。
「……私を置いて、元カノお姫様抱っこして連れて行ったことよ」
「……あぁ、そういえばそういうこともあったな」
事態は緊急を要する故、すっかり忘れていた。でもしっかり彼女はついてきていたはずである。置いて行ったことにはならないと思いたい。
「おまえもして欲しいのか?お姫様抱っこ」
「そんなの襲われる時にもう何度もやってるわよ」
「それもそうだな」
我が家ではお姫様抱っこは捕食の合図である。ベッドやソファーという巣に連れ込んだ回数は数え切れない。
「忘れてたでしょ?」
「……ソンナコトハナイヨ」
僅かに声の調子が外れ、ジト目が突き刺さる。
「……まぁ、いいけど」
許しはしてくれたみたいだが、相変わらず不機嫌なままで彼女は前を向いた。
「……でも、しっかり手を繋いでくれてないと、他の人にお持ち帰りされちゃうかもしれないからね」
「それは困るな。首輪でもつけとくか」
「どっちかというとあんたの方が心配よ。誰がどう見ても優良物件だし」
「そうか?」
「顔も悪くないし、背も高いし、一流企業に就職してるし、年収だって悪くないし。おまけに優しくて、いつも気にかけてくれて、体調悪くしてたら看病してくれるし、家事だってできるし」
「それ誰だよ。別人にしか聞こえねぇよ」
「……浮気性なところはあるけど」
「それは否定できないかもしれない」
「今も元カノに未練たらたらだし」
「……痛いところ突くね。クリティカルヒットだよ」
「うちのお母さんのおっぱいばかり見てるし」
「あれは見るなって方が無理じゃない?」
「都にだってえっちな視線向けてるし、スキンシップだって過激だし」
「……返す言葉もございません」
言い訳する言葉も見つからず、素直に認める。
そんな俺に対しても、愛理は変わらない。
「……それでも、私は直人のことが好き」
手を振り払って、信号が点滅し始めた横断歩道を逃げるように走って渡る。
虚を突かれた俺は取り残されたまま、赤信号に変わる歩道の反対側でただ呆然と立ち尽くしていた。
彼女が向こう側で、笑顔を向けている。悪戯が成功して微笑むその顔を近くで見られないのが、俺はなんだかとても悔しかった。
信号がまた変わって愛理が待っている向こう側へ渡ると、今度は彼女の左手を握った。
道路側は変わらず俺の立ち位置で、捕まえた愛理の左手はさっきより少しだけ体温が高いような気がした。
「おまえこそ気をつけろよ。おまえを狙ってるやつなんていくらでもいるからな」
「えー、そんなことないわよ」
「あるんだよ。こんな可愛くて、おっぱいデカくて、グラビアアイドルも顔負けするくらいエロい女狙ってるやつなんてゴロゴロいるぞ。酔わせて持ち帰りたいやつなんて一人や二人じゃねぇよ。同窓会にくる男の大半はおまえ目当てだろ。おまけに献身的で、従順で、毎日お世話してくれるんだぞ。あと料理だって上手いし」
「大丈夫よ。私、直人以外に興味ないし」
「酔わされたりとかあるかもしれないだろ」
「その時は直人が守ってくれるもの。それに今日は直人が私をお持ち帰りするんでしょう?」
先約があるとばかりに愛理は不敵に微笑む。くっつくように肩を並べて、こてんと首を傾けてきた。
絶対的信頼か、挑発的行為か、おっぱいまで腕に押し付けてくる彼女に理性の糸がピンと弾かれる。
「……本当に首輪でもつけとくか」
「いいわよ。チョーカーでも犬の首輪でもつけて同窓会に行ってあげる。当然直人にされたって言いふらすけど」
あまりにも風評被害が過ぎるので、犬の首輪はつけないが。その代用品に俺はポケットの中の小さな箱を手先で器用に開けて、中身だけをこっそり取り出した。
そして、そのまま……握った彼女の左手の薬指に嵌めた。
「もう、なに?そういう子供騙しに騙されない…わ…よ…っ?」
繋いだ手をそのまま彼女の目前へ。そこでようやく手を離すと、彼女は左手の薬指に嵌められた指輪を驚いた表情で見つめる。
目を見開いて驚いた顔で、しばらくの間見つめたあと、ポロリと彼女の瞳からダイヤモンドにも負けない輝きが零れ落ちた。
「そ……な、え……っ?」
言葉はなりきらない言葉の羅列が、唇から溢れる。
その唇を塞ごうと、愛理は右手で口を覆った。
「……ほら、これがあれば悪い虫は寄ってこないだろ」
–––むしろこれに寄ってくるのは、既婚者を標的にする悪い虫で……むしろ悪い虫しか寄り付かないのでは?
本末転倒な事実に気づき、俺は首を傾げた。
「まあいいや、よく聞け?一度しか言わんぞ」
俺は改まって、愛理と向き合う。
改まって……みると、緊張して喉がつかえる。
気恥ずかしくて、体温が上昇する。
手を首の後ろに当てて、なんとか平静を取り繕う。
「……俺はおまえのことが好きだ。誰にも渡したくないくらい大事に思ってる。これから先も一緒にいたいと思ってる。俺は優柔不断でどうしようもない人間だってわかってるけど……それでもいいなら、俺のそばに一生一緒にいてくれ」
頰の熱がわかるくらい、体温が上昇している。
意味もなく首筋を掻き、視線を逸らす。
愛理の反応にまで気を配る余裕はなくて、視線を逸らしたままでいると全然反応が返ってこなくて次第に不安になってきた。
あれか、勝手に指輪嵌めたのはダメだったか?思い当たる節は他にもある。ありすぎて笑えない。
意を決して、おそるおそる視線を戻そうとするとその前に胸の中にドンッと強く愛理が飛び込んできた。
つい反射的に抱き止めてしまった愛理を見下ろす。彼女は胸板に額を押し付けて、そのままぎゅっと腕を背中に回してきた。
「……やっと言ってくれた。好きって」
「……悪かったな。俺には随分と覚悟のいる言葉なんだよ」
頑なに言いたくなかった理由は色々とあるが、その一言でここまで喜んでくれるなら言った甲斐があったというものだ。
「–––それより、返事は?」
「私が断ると思うの?」
思わない。–––だから、彼女の返事を聞くまでもなく唇を奪う。
歩道に歩行者の影はないとはいえ、車は今も道路を走っている。だから自重して軽く唇を合わせる程度で済んだが。気を抜けば彼女を押し倒してしまいそうだ。
「このまま寄り道したいところだけど、遅れるわけにはいかないからな」
「……そうね。続きは帰ってから、ね」
正直、抱き合ったまま離れたくはなかったが、名残惜しくも俺達は離れる。ただ手だけは繋がっていたくて繋いだままだが。
「それじゃあ行くか」
「余韻に浸っていたいけど。そうね。遅れたら遅れたで揶揄われそうだし」
再び歩き出して、彼女は言う。
「これからも末永くよろしくね。旦那様」
夕焼けの中で微笑むその表情は、今まで見た中で一番綺麗だった。
他にもafterとかハーレムルートとか書きたいのは色々ありますが、書いてる途中で思いついた新卒妹ちゃんルートを書こうと思います。