四月一日。新入社員、入社初日。
入社式を終えて、一人の女性が俺のデスク前にいた。
真新しいスーツに身を包み、赤茶色のサイドテールを揺らす、まだスーツに着せられている感のある大卒の新入社員。
凛としながらもあどけない表情が覗くその顔は、誰に似ているのか真紅の瞳がイタズラに輝いていた。
「今日からこの会社で働かせていただきます、鹿島都です。ご指導ご鞭撻のほど、どうかよろしくお願いします」
礼儀正しく腰を曲げて、挨拶をする新入社員。
あまりに綺麗な所作に、垂れるサイドテールからすらも気品を感じて、俺は思わず瞠目する。
「–––っと、俺はおまえの指導係になった藤宮直人だ。よろしくな」
「はい」
「あと、公的な場以外はもっと楽にしてくれていいから」
あまりに堅苦しい挨拶にそう言うと、彼女は破顔して、
「そうですか?いや〜、私もああいう堅っ苦しいのダメなんですよね。先輩がそういうタイプで良かったです」
速攻で態度を崩した。
「……」
あまりにも変わり身が早く、そして順応力の高さに呆れからか言葉が出ない。これが若さか、最近の若者かと、ついそういう感想が生まれてしまう。
「……おまえ、教育係が俺でよかったな」
「ええ、そうですね。私は先輩が教育係でラッキーでした」
悪びれもなく鹿島都はそう言って、ご自慢のサイドテールを指先でくるくると弄る。
「–––ところで、先輩。ひとつだけ質問をよろしいでしょうか?」
「あぁ、質問があるなら積極的にな。俺一応おまえの教育係だし」
「それでしたら、遠慮なく」
彼女は一拍、言葉を置く。
「先輩、どこかで私と会ったことありませんか?」
そうして口に出したのは、どうにも不可思議な問い。
俺も感じた既視感が、不確かなまま形を作ろうとしていた。
「奇遇だな。俺もおまえと会ったことがあるような気がする」
そう応えると、鹿島都は一歩退がった。スーツの上からでもわかる形の良い胸を隠すように抱き、半身を隠すように距離を保つ。
「ええっと、そういうセリフは物語の中だけにしていただけると……」
「なんで俺がナンパしたみたいになってるんだよ」
おまけにさっきまで砕けていた口調が敬語に変わっていて微妙に傷つく。
「いや、だって先輩がいきなり気持ち悪いこと言うからですよ」
「先に言ったのおまえだからな?」
「先輩」
「なんだ?」
「おまえじゃありません。鹿島都です」
「……鹿島」
「鹿島は弟と被るので都でいいですよ」
「いや、弟とか知らんし」
「ここに一時的に入社してるはずですが。翠ちゃんと婚約してるので、将来の幹部候補として修行だとか。そういうわけで鹿島と呼ばれると困っちゃうんですよね」
「翠ちゃん……婚約……なるほど……」
つまり、鹿島都の弟氏は米倉の令嬢、米倉翠と婚約しており、将来財閥の一部を担う人材として教育のために完成された大企業ではなく、米倉桜の作った新会社の方で荒波に揉ませようとした。あの御老人の考えそうなことである。
事実確認はあとで取るとして、混乱を避けるためにも名前で呼ばないといけないと。理解した。
「都」
「はい、これからよろしくお願いしますね。先輩」
◇
「それで顔合わせをしてどうでしたか?」
本格的な指導は明日から、としてその日は色々な書類を片付けて解散。
その夜、俺達四人は再び顔を合わせていた。場所は会社近くに建てた俺の個人宅。そのリビングに集まる形だ。
女性陣が作ってくれた料理を摘みながら、今日の報告会を行う。幹部は顔見知りの四人なのでとてもアットホームな雰囲気だ。事実、集まった場所も俺の個人宅だし。
「なんというか……自信満々というかねぇ」
いつもは一番に酒を飲む片桐も、今日ばかりは微妙な顔で海藻サラダをつついている。
もぐもぐごくん、と咀嚼した海藻サラダを飲み込むと声を僅かばかり高くして、
「『おーほっほ、このわたくしがお姉様の会社をさらに大きくして差し上げますわぁ!』って」
見事な声真似と共に、げんなりとした顔をする。
「能力だけはあるのがタチが悪いですね」
米倉翠のことをそう評価したのは、冬海だ。米倉家のメイドだけあって事情には明るいらしい。その彼女が言うのだから、間違いはないのだろう。
「持ってる資格だってかなりの数だし」
「資格を持つのだって、自分の優秀さを周囲に示すのにはうってつけだからな。あのお嬢様ならそのためだけに資格取りそうなもんだけど」
「そういう藤宮君の担当だって、相当な資格持ちだよ?」
「へぇ〜?」
履歴書を流し見た時、確かに資格がいくつかあったような気がする。詳細は覚えてないが。
そんな俺の杜撰なところを、女性陣三人の視線が咎めるように向いた。
「鹿島都さんは、翠お嬢様に付き合って様々な資格を取っていましたから。将来役に立つかもって」
「それで簡単に取れる資格ばかりじゃないような気がするんだけどなぁ」
簿記を始め、教員免許なんてものもある。介護福祉士とか、いったいどんな職種を狙っていたのやら。
「なんで会社員を選んだんだ?」
「学生企業がカッコ良かったから、桜お嬢様の力になりたいそうですよ」
「よくそれで通ったな。……いや、俺らも似たようなもんか」
普通、面接ではそれっぽい理屈を並べ立てるものだが、知っている仲とあって随分ふわっとした動機である。
家族経営とか身内で経営すると経営が破綻するとは聞くが、桜の場合、仕事には真摯というか真面目なので手を抜けた試しはないのだが。
そう考えると、縁故採用にも見えるが割としっかりと判断するところが桜ちゃんらしいというか。
「ふわっとしてるように見えて、意外に厳しいからなぁ……」
社員の生活を背負っている自覚があるというか、そういうところはしっかり教育されているのである。
そういう意味では、米倉翠という令嬢も勝手なことはできないだろう。権力を笠に着るタイプではないが。
「それで藤宮君の方はどうだったの?」
ちびちびとウーロンハイを飲んでいると、ワインの注がれたグラスを片手に片桐が尋ねてくる。
今度はカプレーゼを酒の肴にしていた。彼女お気に入りの組み合わせだ。
「そうだな……。ん〜、なんというか……メスガキ?」
生意気そうで、でも礼儀正しくて、でもやっぱりメスガキ。そんな感じがする。
「–––あ、鹿島都といえばなんだけど」
思い出したかのように名前を口にして、唇をウーロンハイで潤す。
「そういや弟の方も入社してるとか聞いたんだけど」
「……この男は、また聞いていませんでしたね」
冬海の冷たい視線が突き刺さる。それで安心するあたり俺の性癖も限界かもしれない。
「一ヶ月くらい前にも言ったはずですよ。翠様の婚約者をお嬢様の会社で預かることになると」
「その教育係が私ですね」
「うわぁ、社長自らが?」
「これでも社長ですので。お祖父様にはビシバシ鍛えるようにと」
おそらく「扱き使え」くらいのニュアンスをお嬢様風に解釈したのであろう。結果的に同じなので、口を挟む理由もないのか冬海は静観して訂正もしない。
「桜ちゃん意外に厳しいからなぁ。……死んだかもな」
「大丈夫ですよ。会社設立当初、直人さんと片桐さんに与えたくらいの仕事量しか回しませんから」
「「それ死ぬやつ」」
お嬢様が簡単にこなせる仕事でも、俺達一般人には激務である。そこらへんの加減ができないのが桜ちゃんだ。
「思い出すなぁ。……会社と自宅の往復が辛くて、毎日藤宮君の家に泊まったこと」
遠い目をして、片桐がごくごくとワインを豪快に飲む。
「まぁ、財閥の幹部入りするなら必要か。……可哀想に」
「今度会ったら優しくしてあげようね、藤宮君」
俺と片桐は、米倉の一族入りをするまだ見ぬ婿養子に黙祷を捧げたのだった。