「うぅ。つ……疲れたぁぁ〜〜〜」
玄関に入ると見事なヘッドスライディングで片桐が倒れ込む。
連日残業の疲れでくたくたになった彼女は、もう一歩も動けないと靴を履いたままだ。
米倉桜が新しい会社を設立して、約一ヶ月。連日会社の経営を軌道に乗せるため東奔西走して、ようやく具体的な形ができたところだった。
元々桜ちゃんの下で働くと決めていた俺と片桐は、新会社設立と同時に転職。そこから馬車馬のように働き、ようやく週末に纏まった休みが取れ、今帰宅したところである。
喜びと共に緊張の糸がぷっつりと切れて、片桐はこんな調子で人の家の玄関に倒れる始末。
最近は帰る時間も惜しみ、会社に近い俺の家に泊まり込んでいた。その結果、今日も転がり込んできたわけだ。
「玄関で寝るなよ。運ぶのが面倒だから」
「うぅ〜、無理〜。抱っこして連れてって〜」
「俺も疲れてるっての」
ここに放置して行くか、と決めたところで俺の中に一匹の悪魔が生まれる。
『抱っこして連れて行くふりして身体に触れるチャンスだぞ』と囁くのは、煩悩塗れの俺の本能だろうか。
それなら仕方ない、と俺は誘惑に負けて、片桐のお腹に腕を回す。
「–––ったく、仕方ねぇな」
持ち上げる時に腕が巨乳に引っ掛かる。これくらいの役得くらい許されるだろうと、俺は顔に出さないようにしながら膝裏にも手を回し、お姫様抱っこして廊下を進む。
「ほら、よ」
少し乱雑にソファーに下ろして、腕に引っ提げていたコンビニ袋をテーブルに置く。
片桐の隣に腰を下ろすと、買ったエナジードリンクのプルタブを開けて一気飲みした。
「あぁ〜〜〜ッ、うめぇぇぇぇぇッ!」
背凭れに身を投げ出し、天井を仰ぐ。
そうして、ふと冷静になって、
「……スーツ脱いどきゃよかった」
小さな後悔が湧いた。再び腰を上げて、スーツを脱いで、ハンガーに掛けて。面倒だなと思った時俺は、適当に脱いでソファーの背凭れに掛けるという冬海が見たら怒るような暴挙に出た。
「もう、そんなの見られたら雪菜ちゃんに怒られるよ?」
「いいんだよ。明日には片付けるし」
そう言ってやらないのが俺だ。あとは明日の俺に任せることにする。
「私もなんか飲も〜。ねぇ、冷蔵庫からビール取ってきて」
「嫌だよ。自分で行けよ。ってか、さっき買った酒があるだろ」
「嫌だ〜、めんどくさーい。冷えてるのがいい〜」
人の家でわがまま放題する片桐に、俺は冷たい視線を向ける。
「こういう時優しくしてくれないとモテないよ?」
「甘やかすのと優しくするのは違うと思うが」
「藤宮君が冷た〜い」
そう文句を言いつつも、立ち上がって自分でビールを取りにキッチンへ行く。冷蔵庫からお目当てのビールを取り出すと、うっきうきで帰ってきた。
「あ、待って、プルタブ開けられない」
「いや、なんでだよ」
「疲れてるのかも。開けて藤宮君」
「へいへい」
プルタブを起こすと、カシュッと音がして缶が開いた。
「あぁ〜〜〜っ、仕事終わりのビール美味しいッ」
勢いよくビールを喉に流し込み、ごくごく喉を鳴らして飲んだ片桐は、脱力と共にテーブルに缶を叩きつける。
「あぁ〜っい」
そして、パタパタと顔を仰ぐ。
「藤宮君スーツ脱がして」
「いや、自分で脱げよ」
よりにもよって女性を脱がすとか。仮にも同僚、仮にも女友達、されど女の彼女にそう言われて動揺しないはずもなく、ちらりと視線が彼女のたわわに向く。相変わらずでっかい。
「……仕方ねぇなぁ」
そう言いつつも片桐のスーツを剥ぎ取るようにして脱がすと、同じくソファーの背凭れに重ねるように掛けておく。片桐もそれでいいのか文句は言わなかった。
「ふぅ〜〜〜っ、すっごく楽になったかも」
そう言って、シャツとスカートだけの彼女が、シャツのボタンを二つ外す。深い谷間が覗き、思わず凝視してしまったのは言うまでもない。
「……藤宮君のえっち」
視線に気づいた片桐が、今し方開いたボタンを掴むように隠す。
「藤宮君って本当おっぱい好きだよね。昔から、私のおっぱいすっごい見てくるし」
「嫌いな男なんているわけないだろ」
言い訳じみた俺の主張に、ニヤッと片桐が小悪魔めいた笑みを浮かべる。
「ふ〜ん。……それじゃあ、藤宮君がお願いしたらおっぱい触らせてあげようか?」
「–––お願いします」
「あれっ!?即答!?」
プライドも何もかも捨て去った俺の返答に、片桐は赤い顔をする。
「……も、もう、仕方ないなぁ〜。ちょっとだけだよ……」
手をパタパタと右往左往させ、最終的な位置を膝の上に固定する。その手をぎゅっと握り、ぷるぷる震える様は緊張しているようだ。
「じゃあ、触るぞ–––」
「ま、待って!」
いざ触ろうとすると、片桐が手を前に出して拒む。赤い顔で俯いた彼女は、か細い声で懇願するように言う。
「……ま、前からは、恥ずかしいから、後ろからなら……」
そう言って、背中を向ける。
「えっと……シャツ、脱いだほうがいいかな……」
「脱がしてもいいなら、脱がすけど」
「……」
肯定か、否定か、片桐は黙ったままだ。
俺は勝手に解釈して、片桐のシャツのボタンを外す。
ひとつ外す度に、淡い色の下着が、お臍が、お腹が露わになる。
今まで何度触れたいと思ったか–––。
それが目の前にある。触れられる位置にある。触れていいと言っている。遠慮などする理由などなかった。
激務で発散する間も無く、連日彼女の艶姿を見せられて、今までよく保った方だ。
「んっ……あ……や……っ」
豊満なおっぱいを揉みしだくと、甘やかな吐息が乱れる。それが何よりも理性の糸をギリギリと噛みちぎろうとする。
「なんか、触り方……やらしっ……」
今まで見たことのない女友達の、同僚の、女の顔。もっと引き出したいと思ってしまう。
がっしりと掴んだ乳房を執拗に揉みしだき、十分以上弄ぶ。柔らかくて、温かくて、だけどそれでは治らない。いや、むしろ欲求はより強くなっていく。
「あっ……そっちは、ダメ……!」
胸だけでは飽き足らず、つい下腹部に伸ばした手。
それを弱々しくも掴む小さな抵抗に、ハッとする。
無意識に求めてしまった、やりすぎてしまったことを自覚して、俺は片桐から手を離した。
「……っと、悪い」
「ぁ……」
上目遣いに見つめてくる片桐の顔が『なんでやめちゃうの?』と物欲しそうにしているように見えた。
「藤宮君……」
後頭部が肩に押し付けられ、蕩けた表情が俺を見上げる。
「ダメ、って言ったけど、ダメじゃなくて……その、そんなところ触られたら自分が保てないというか。あ、藤宮君に触られたくないわけじゃないよ!本当だよ!むしろ、藤宮君なら、触られたいっていうか……ごめん。なに言ってるかわかんないよね」
しどろもどろに言い募る片桐は、徐々に顔を伏せる。
それが何処か怖がっているように見えて、俺の中の狼が牙を引っ込めた。
「……悪かった。俺もちょっとどうかしてたと思うし」
連日彼女が泊まるせいで、溜まっていたのかもしれない。
薄着で無防備な姿を見せられて、むしろ今までよく保ったと自分を褒めたいところだ。
–––これ以上関係を壊したくない。
その思いが、俺に少しだけ理性を引き戻した。
「あ……」
ちょっと離れて冷静になろうと立ち上がったところで腕を引かれる。袖を引っ張られる感触に視線を下ろすと、袖を片桐が掴んでいた。
「ねぇ、待ってよ……。そんなに私って魅力ないかなぁ?」
必死に引き留めようとする片桐の泣き出しそうな声。伏せられた顔は、見えなくて。前髪が顔を覆い隠して、辛うじて見えているのは口元だけ。
そんな状況下で発せられた心から搾り出すような訴えは、胸を締め付けるように絡みついてくる。
「そんなことはねぇよ。さっきもついうっかり手を出しそうになったし」
「そう。ついうっかり。そうでもなきゃ藤宮君は私を女としても見てくれないんだよね」
「それは、違–––」
「違わないよ。いつも藤宮君が見てるのは雪菜ちゃんだけ。私には手も出してくれない」
「……おまえ酔いすぎじゃないか」
いつもは酒に強い片桐も、疲労からか随分と酔っているようだ。
いつもは口に出さない不満を口にして、荒れ狂う心を見せる。
平常ではない彼女の言葉を、忘れてやろう、また明日から普通に接しようと考えて、
「–––酔ってなきゃこんなこと言えないよ!」
–––慟哭が、拒んだ。
「だって怖かったんだもん。藤宮君との関係が壊れるのが。藤宮君とこうして過ごすのは本当に楽しくて、このままでもいいやって思えて、でもそれで満足できない私もいて。それが余計に苦しかった。苦しかったんだよ」
ポロポロと泣き出してしまった片桐は、潤んだ瞳をこちらに向けてきた。
「……ねぇ、一度でいいから抱いてよ。雪菜ちゃんの代わりでもいいから、私に少しだけでも幸せな夢を見させてよ……」
あまりにも甘い誘惑が耳朶を打つ。
それ以上に、今の片桐を見ていられなかった。放置できなかった。
俺は彼女の隣に再び腰を下ろし、抱き締める。
そうして頭を優しく撫でながら、はっきりと告げる。
「……なるわけないだろ。雪菜の代わりになんて」
それを聞いた片桐は、ビクッと硬直した。
「……そう、だよね。なるわけないよね、私なんかが……」
「そうだ。なるわけがない。雪菜の代わりにも、誰の代わりにも。片桐は片桐なんだから」
「え……?」
「代わりになんてしない。俺が片桐を抱きたいから抱く。覚悟しろよ。途中でやめてって言っても途中で止まらないし、一度抱いたら二度目があると思えよ」
我ながらわがままで傲慢な答えだと思う。でも、今の俺は、そうすることしか頭になかった。
「ふじみやく–––っ!?」
半ば強引に唇を奪い、押し倒す。
そうして、彼女に馬乗りになって、
「ま、待って、藤宮君」
「待たない」
「せめて、シャワーだけでも」
「じゃあ、一回ヤってからな」
「いや、やる前に–––」
「今更遅い」
さぁ、やるぞってところで、ようやく観念したのか片桐は顔を押さえたまま、
「……せめて、初めてだから優しくして……?」
「…………は?」
–––予想外の一言を放った。
危ない。片桐さんが完全に闇堕ちするとこだった。
もうちょっとライトな感じにする予定だったんだけどなぁ。
これが負けヒロインの貫禄……。
次回挟んでようやく妹ちゃんのターンになったらいいなと思ってます(願望)