でもまぁ、書いちゃったものはしょうがない。
「–––先輩、今日は本当にありがとうございました」
「いいよ。別に」
焼肉屋の外に出て、今日のお礼を言う。
しかし、先輩は本当になんでもないような態度でそう言った。
これが大人の余裕ってやつか。ふと感じた距離感に、少しだけもやっとした感情が生まれる。
「えっと、ここでお別れですかね?」
名残惜しくも私がそう聞くと、先輩は鋭い目つきをさらに鋭くしながら、私を睨むようにして見る。
「いや、さすがに夜も遅いし送ってくよ。駅までだけど」
「そうですか……」
それが男の義務と言わんばかりに、先輩は強い口調で言う。
女扱いしてくれているのか、ぶっきらぼうだけど心配してくれているのは伝わってくる。
私はお言葉に甘えて、駅まで送ってもらうことにした。
「ふふ、ではお言葉に甘えますね」
二人して、帰路を歩く。夜風が心地よく、アルコールで火照った頬にいい感じで風が撫でつける。
「そういえば先輩って、いつもあんな感じなんですか?」
「何が?」
「お昼です」
「お昼?」
「そう。いつもコンビニで買った弁当とか食べてるじゃないですか」
「あぁ、そうだな。昼はだいたいそうだよ。もうちょっと時間があれば、外で食うんだけどな。さすがにコンビニ弁当は飽きた」
曰く、いろんなコンビニの弁当を食べたらしい。それだけではなく、パスタをはじめとする麺類まで、コンプリートしたそうだ。
「それなら今日のお礼に、私がお弁当を作ってあげましょうか?」
「えー、おまえ弁当作れるのかよ?」
「失礼ですね。私が毎日持ってきてる弁当の半分は、私が作ったものですよ」
「逆にもう半分はなんなんだよ?」
「もう半分は姉ですよ。私達、二日に一回、交代で作っているので」
これでも料理には自信があるのだ。
中学生の時も、高校生の時も、大半は私が食卓の管理を任されていたし。
今だって母親に楽をさせるため、姉と二人で家事を分担している。父も嫁に出しても心配ないと血涙を出して太鼓判を押すくらいだ。
「それじゃあ、お願いしようかな」
「はい、任されました」
「卵焼きを食べた感じ心配はなさそうだが、過度な期待はしないでおく」
「そこは期待しておいてくださいよ」
手始めに先輩の好みを調べるべく、お弁当に入っていたら嬉しい料理を聞いておく。
そんなことをしている間に駅へ到着。先輩とは、ここでお別れだ。
「それじゃあ先輩、明日楽しみにしておいてくださいね」
駅の改札で別れる先輩に、私はそう言って手を振る。
ちょうど来た電車に飛び乗って、閉まるドアの向こうに先輩の影を探す。
完全に閉まったところで、プシューッと音が鳴る。
そうしてようやく、私は気を抜くことができた。
「ふぅ……」
空いた電車の座席に座り、揺れに身を任せる。
カダンゴトン、ガタンゴトン、聞き慣れた音が心臓を落ち着かせてくれる。
「ちょっとアプローチしすぎたかな……」
弁当を作る約束なんて、迷惑ではなかっただろうか。
デートに行きたいがために、ちょっとチャレンジャーなことをしすぎたような気もする。
でも、もう全てあとの祭りだ。振った賽子の目は変わらない。あとは、足していくだけである。
「でもまぁ、結果は上々かなぁ」
憧れの先輩がいる会社に入って、お弁当を作る約束をして、これが成功じゃなければなんだと言うのか。
地元の最寄駅に電車が停車して、私は意気揚々と降車する。
「–––と、そうだ。明日のお弁当の食材買ってかないと」
駅近くにある最寄りのスーパーで買い物をして、私は自分の家へと帰宅した。両親と、姉と、一緒に住んでいる家へと。
「ただいま」
「おかえりなさい、都」
リビングからは明かりが漏れており、そこにいたのは私の尊敬する姉だった。
風呂上がりなのか仄かにシャンプーの香りを漂わせており、上気した頬が少し赤くなっている。
その姉は、ちまちまとカップアイスを食べていた。それもちょっとお高いやつ。
「遅かったじゃない」
「昼に連絡したでしょ。外で食べてくるって」
「ふ〜ん。誰と?」
「先輩が奢ってくれるって言うから、指導係をしてくれていた上司の人と」
私の返答に、姉は黙々とカップアイスを食べるのをやめない。
その間、私も買った食材を冷蔵庫へ突っ込む作業に興じていた。
「そう。男の人には気をつけなさいよ」
「……私まだ何も言ってないんだけど」
「え、男の人なの?」
失言に気付いたのは、この時だった。
姉は別に確信があって言ったわけではないのだ。
ただの忠告、世間話の一環。
罠に掛ける気は、姉にはなく。本当にただの私の失言である。
思ったより自分が浮かれていることを自覚してしまう。
「本当に気をつけなさいよ。相手が何考えてるかわからないんだから」
「大丈夫だよ。そういう人じゃないし」
「私と同じ歳って言ってなかった?」
姉の怪訝な表情は、私の身を案じてのものだろう。
それが嬉しいような、歯痒いような気持ちになる。
だけど、間違いなく私が先輩を気に掛けていることは気づいていない様子だ。
「私お風呂入って寝るね。明日お弁当作る当番だし」
お弁当の当番を理由に、私は自室へ逃げた。
◇
翌朝、五時に起床する。
まだ太陽も顔を出さない、暗い部屋で身を起こした。
アラームの五分前に起きて、アラームを消す。
一階に降りて、顔を洗い、歯を磨いて、シャツに着替え、身支度を軽く整える。
エプロンをして、私はキッチンに立った。
「先輩はだし巻き卵も甘い卵焼きも好き。でも、強いて言うならほうれん草入りのやつ。よし」
昨日聞き出した情報を元に、冷蔵庫から食材を取り出す。
昨日寝る前にセットしておいた炊飯器はちゃんとご飯が炊けている。
「きんぴらと卵焼き、あとは鯖の味噌煮にウィンナー。あとはほうれん草のお浸しもつけて、と」
昨日聞いた好みから、献立は考えておいた。
次々と冷蔵庫から食材を取り出し、調理していく。
一番時間の掛かる味噌煮と、きんぴら、ほうれん草のお浸しから手をつける。
「よし、できた。あとは盛り付けるだけ」
それから一時間たっぷり掛けて、お弁当の具材が完成した。
あとは冷まして盛り付けるだけ、というところで階段が軋む音が聞こえてきた。
「ふぁ〜あ、おはよう都」
「あ、お姉ちゃんおはよう」
お弁当箱を四人分取り出して並べる。
そこに姉がやってきた。
「……あれ、弁当箱一つ多くない?」
我が家で作るお弁当は、母と姉、私の三人分。父は出張中のためなし。意地悪しているわけではない。
「ほら、先輩にはお世話になったし、お礼にね」
「……」
姉の怪訝な視線が向く。何かを思案するように沈黙して、それからたっぷり数十秒フリーズしたあと。
「……まぁ、あんたが本気ならいいんじゃない?」
と、興味なさそうに言った。本当は真剣に考えたくせに、興味なさそうなふりをして。
「別にそういうのじゃないですよ。ちょっと気になってるってだけで。先輩って揶揄うと楽しいし、揶揄い甲斐があるっていうか、面白い人なんですよね」
「だとしても、お弁当作るなんて好きじゃないとしないでしょ」
姉にしては珍しく正論をぶつけてくる。
私は閉口して、お弁当箱に料理を詰め始めた。
「私は応援してるわよ。……いつか紹介しなさいね。私が品定めしてあげるから」
「初恋拗らせてるお姉ちゃんに言われてもなぁ」
「……」
苦い顔をする姉を尻目に、私は出来上がったお弁当の出来に満足するのだった。
「先輩、喜んでくれるかな?」
–––きっと喜んでくれると、そう信じて。
絶望の足音がするってこういうことですね