「翠ちゃん。どうしよう、私金曜日大人の階段登っちゃうかもしれない」
定時に仕事が終わり、親友を捕まえた私は開口一番に告げた。
私の奇妙な報告に、米倉翠は困惑顔だ。
「それはおめでとうございます……?」
どうして他人事のような反応をするのか。
不貞腐れたように、私は頰を膨らませる。
「もう、ちゃんと真剣に聞いてよ〜」
「そんなことを言われましても、あなたのその奇妙な顔を見ればどう反応していいのか判断に困りますわ」
「え、私どういう顔してる?」
「喜びと不安、それから期待を綯交ぜにしたような顔ですわ」
指摘された顔というのを確かめるために、ぐにぐにと頰を揉んでみる。
上がった口角に、緊張して強張った頬に、ピクピクと痙攣する表情筋。なるほどわからなくもない。
「とにかくここでする話ではありませんわ。カフェにでも移動しましょう」
スタスタと歩き出す親友について会社を出る。
移動したのは、駅近くの大手チェーンのカフェ。
そこで空いていた席に座って、アイスカフェラテを二つ注文する。
それから程なくして届いた商品を一口飲んで、喉を潤してから翠ちゃんは口を開いた。
「それで経緯は?」
「お昼のことなんだけど–––」
説明を求められて、私は最初から説明をする。先輩にお弁当を作っていたこと、先輩が出来立ての手料理を食べたいと言ったこと、そしてそれが金曜日に行われること。
要点を掻い摘んで話すとそんな感じで、私が全てを話し終えると彼女はどこからか取り出した扇子を広げて口元を隠す。
「–––チャンスですわね」
私と同じ見解に辿り着いたらしく、にっこりと微笑む翠ちゃん。歯を見せないのが淑女の微笑みだと彼女は言うが、この顔は悪巧みをしている顔だ。誰にも見せないで正解だと思う。
「これを機会にグッと距離を縮める。それ以外に勝機はありませんわ」
「それで相談なんだけど……」
「心得ておりますわ。下着のご相談ですわね。うちの財閥に下着専門の取り扱いがあるお店がありますの。一日で用意できますわ」
それを聞いて私は安心する。これで勝負下着の目処はたった。
「ただ問題は下着の種類についてですが……ご希望はありますの?」
「やっぱり大人っぽい黒とかかな。それにベビードールとか」
「いいですわね。ただはっきり申しますと……」
扇子の下で、言葉を切る。
苦い顔で、彼女は瞳を逸らした。
「最初からドスケベな下着はおすすめしません」
「随分真に迫った言い方ですね」
「……引かれるので」
いったい何があったのか興味はあるが、弟と親友の情事など聞きたくないので忠告だけ受け取って、あとは記憶の片隅にでも押し込めておくことにする。
「でもさぁ、いいの?翠ちゃんは私に協力なんかしちゃって」
アイスカフェラテの横に突っ伏して、親友の顔を覗き見る。扇子に隠れて顔は殆ど見えないが、今はこうしている方が落ち着いた。
「親友の、義姉の頼みですよ。……それも初恋、叶えるための手助けをするのがわたくしの役目ではないですか」
薄い胸を張って、自信満々に言い切る翠ちゃんが頼もしい。胸は薄いのに、信頼は厚い。
「……今、なにか変なこと考えませんでした?」
–––それと、勘も鋭い。
「考えてないですよ〜。そんなことより、私が言いたいのは実の姉と敵対してまで私に協力していいのかなって」
先輩には、妻がいないことも、恋人がいないことも確認済み。だけど先輩を狙う女は私だけじゃない。
片桐先輩と冬海先輩。あの二人が最大の障害なのである。
事前調査の結果では、休日や夜は一緒に過ごすことが多く、親密な関係にあるらしい。
一番厄介なのが冬海先輩で、私の愛する先輩と恋人関係だった時代があるという。その冬海先輩と先輩がくっつくのを推しているのが、翠ちゃんの実姉の桜さんだ。
まだ表立って敵対しているわけではないから、とは言うが桜さんの意思に反しているのは明白で、明確な敵対行為だ。
「つまらないことを聞くんですのね」
パチン、と扇子を閉じる。その音がやけにはっきり聞こえた。
翡翠の瞳が、私を見据える。彼女の自信に満ちた瞳は、迷いのない綺麗な光を放っている。
あの瞳が、私は少しだけ苦手だった。
「悪いのは、これだけの時間がありながら、停滞を破ろうとしなかった姉達ですわ」
おまけに言いたいことをはっきりと言うこの胆力に、私は気圧される。
「あのメイドも、お姉様も、お互いを想うばかりに雁字搦めになって。だからこそこのチャンスを逃せば、泣くのはあなたですのよ?」
「……私翠ちゃんが友達でよかったかも」
「私もあなたが恋敵でなくてよかったですわ。敵であるお姉様達が不憫ですもの」
翠ちゃんなりの激励に、私は決意を固めた。
カフェで少し時間を潰してから帰宅する。
他にもお泊まりに必要なグッズを買い、金曜日に向けて準場を進めていた。
「ただいま〜」
「おかえり。遅かったわね」
キッチンで夕食を作っていた姉と遭遇して、私は袋の中身を隠したくなり、後ろ手に隠した。
「取り敢えず、荷物部屋に置いてくるね。あ、それと、金曜日ご飯いらない」
「あぁ、またどこかで食べてくるのね」
姉は何を勘違いしたのかそう言って納得をする。
「……あと、鍵は閉めておいてくださいね。帰らないかもしれないので」
「…………はっ?」
深掘りしようとする姉から逃げて、私は二階に向かった。
せめてお泊まりは当日に報告するべきだったと思う。