季節は過ぎて、冬になった。
私は結局進学する道を選び、大学受験することにした。
大学受験当日の朝、余裕を持って家を出る。
雪も降ってないし、天気もいい。
冬の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、吐き出す。
そうして一歩、踏み締めながら歩く。
「はぁ……。さむっ」
手袋を貫通して凍える指を擦り合わせて温めながら、駅への道を、私はただ黙々と進む。
「ん。よし、時間通り」
時間通りに駅へ到着した。
券売機で切符を買い、改札を通る。
そして、駅のホームで電車を待つ。
ベンチに座って、スマホで時間を確認。
次の電車は十分後。
『–––×××』
その数分後、駅のホームにアナウンスが入る。
それは電車の通過等を報せるものではなく、不吉な予感を思わせるものであった。
何処かの路線で、人身事故が起きたというもので–––。
私が大学受験に向かう路線の、遅延を報せるもの。
「……え?」
私は驚いて、立ち上がった。でも、すぐに思い直して座り直す。焦ったところでどうにもなるわけでもない。
慌てて電話で何処かに連絡を取る人々。それを見て、かえって冷静になってしまった。
ただ問題があるとすれば、私の場合は連絡を取れる人間がいないことだろうか。
父親は出張で不在。母親は朝早くに家を出た。姉も仕事。
あぁ、本当に、こういう時の運の悪さを呪いたくなる。
自転車で向かうにしても、間に合うかわからない。いや、おそらく間に合わないだろう。少なくとも四十分は掛かる。
「……どうしよう」
口に出してみても、何かが変わるわけじゃない。でも、口に出さなければ、不安でどうにかなりそうだった。
取り敢えず、私は駅のホームを出た。
外には、呼んだ迎えの車に乗る数人の学生たちがいて、すぐに駅を離れていく。
私はその様子を眺めながら、何処か他人事のように感じていた。
「……」
その場に突っ立ったままというのも嫌で、私は駅を離れていく。
もしかしたら、電車の運行が再開するのが早いかもしれないが、駅員のところへ押し掛ける人々の様子を見ても、すぐに運行が再開する様子ではなかった。
「あ……」
そこで通り掛かったコンビニに、私は吸い寄せられるように立ち寄る。
せめて温かいものでも飲んで、落ち着こうと思って。
たぶん、私は半分諦めていたのだ。
それほど進学したかったわけでもないし、行きたい大学だったわけでもない、翠ちゃんが行くからという理由で決めただけだ。他にも滑り止めがあるし、他に選択肢がある。
両親の期待を裏切ることにはなるけど、それだって仕方ないって、思うしかなくて。
そんなことを考えて上の空だったからだろうか。
温かい飲み物コーナーのカフェオレ缶を求めて、伸ばした手が誰かの手と触れ合った。
同じ商品を求めた誰かと–––。
「っ!?–––ごめんなさい!」
弾かれるように手を引っ込めた私は、隣の人を見上げる。
そこには目つきの悪い、ペンギンのような男の人が立っていた。–––あの日、パーティーにいた人だ。
「ん。こっちこそすまん。–––って、おまえどっかで会ったか?」
いつにも増して目つきの悪い–––目の下にクマを作ったその人が、さらに目を細めたせいで人相が悪くなる。
「あの、えっと、桜さんが起業した時のパーティーで……」
「……あ、ドレスの。–––っていうか、高校生だったのか!?」
どうやら私が高校生だと気づいていなかったようで、目を見開いて驚く彼。
「……そうか。高校生か。……ん?」
ふと何かに気づいたように、ぼーっと虚空を見つめる。
「おまえたぶん翠ちゃんと同い歳だよな。確か今日は、大学受験の日じゃなかったっけ?確か友達と受けるって言ってたような……」
「……その友達、きっと私です」
「なんでこんなとこにいるんだよ?」
「人身事故で電車が来なくて待ちぼうけですよ」
私はあっけらかんと笑う。……笑えているだろうか。ちょっと泣きそうになってるかもしれない。
「親は?」
「父は出張、母は仕事で家にいないです」
「何時からだっけ?」
「九時です」
「だったら十分間に合うな」
彼はスマホを取り出して、時間を確認しながら言う。
「あの……?でも、私には移動手段が……」
「送ってやるから乗ってけ。こんな不審なおっさんの車に乗るの嫌かもしれないけど」
温かいカフェオレ缶を手に、レジへ向かう。
そこで手早く会計を済ませ、彼はコンビニ袋を片手に私の手を掴む。
私は流されるまま、彼の車に乗り込んだ。
「……あの、こんな不審な女子高生乗せてよかったんですか?」
コンビニを出て道路を走り始めたところで、私はやっと口を開くことができた。
運転席に座る彼は、まっすぐに前を睨んだままだ。
私の手には半ば強引に押し付けられたカフェオレ缶が、カイロ代わりに握られている。
「……ちょっと、さっき買ったやつからエナドリ取って、開けて」
「あ、はい」
答えの代わりに、そう言われて私は素直に従ってコンビニ袋からエナドリを取り出して、プルタブを開けて彼に差し出した。
「ありがと」
お礼を言って、すぐに口をつける。
ごくごくと美味しそうに飲み一気飲みした。
そして、空き缶はドリンクホルダーに突っ込む。
彼の顔には、僅かに生気が戻ったような気がする。
「あ〜、悪い。で、なんで乗せたかだっけ?」
改めて、彼は私の質問を反芻する。
それから懐かしそうに、私の方を見た。
「理由の一つは、その制服着てたことかな」
「この制服ですか?」
意外な答えが返ってきて、私は自分が着ている制服を見下ろした。
「俺おまえと同じ高校に通ってたんだよ」
「じゃあ、先輩?」
「そうなるな。で、もうひとつの理由が見知った女の子見捨てると寝覚めが悪いから」
「……自分本位ですね」
「だろう。でも、マジで気になって眠れなくなるから」
そう言ってケラケラと笑うのは、私を気遣っているように見えて、悪い気はしなかった。
「そういえばお兄さん、会社はいいんですか?」
「会社?あぁ、今日は休み。帰って寝るところだったんだ」
「え、朝まで会社にいたんですか……?」
「ん、あぁ、まぁな」
でも、本当に自分本位なのは私だ。今の今まで、この人のことを何も考えてなかったのだから。
「……本当にすみません」
「いいよ。本当に俺が勝手にやってるだけだから。それに可愛い女の子と話せて楽しいし」
欠伸を噛み殺しながら眠そうに運転をする彼に、本当に申し訳なくなって、私は助手席で縮こまってしまう。
「……その迷惑ついでに、聞いてもいいですか?」
「ん?」
「お兄さんはどうして今の会社を選んだんですか?」
「また難しい質問をするな」
時折こちらを気にする視線と重なり合い、その視線が前を向く。
「俺は別に適当に生きてるだけだよ。適当な学校進学して、適当な会社入って」
「適当……?」
「そう。もうほとんど流されるように生きてるだけだよ。俺は」
だけど、と続ける。
「桜ちゃんについてくって決めたのは自分の意思だ。だから、それは流された自分の責任ってやつ」
信号で車が止まろうか、というところで細い道に逸れる。さっきから信号に捕まらない。
急いでくれているようで、その気遣いに胸が熱くなる。
冬なのに、身体が火照ったように熱くて、今この時だけは車についている暖房機能が恨めしかった。
「何に悩んでるか知らないけど、人生なんてそんなもんだよ。夢がなくても人は生きていけるし、だいたいどうにかなっちまうんだよ」
それはアドバイスというにはあまりにも楽観的で、参考にならないような内容だ。それでも私にとっては今一番しっくりくる言葉のような気がした。
「だから背負ってるもん一回全部捨てちまえよ。楽になるぞ」
あまりにも無責任な一言が、私の胸を突く。
私が口を開こうとした瞬間、畳み掛けるように彼は続けて、
「親からの期待とか、優等生の仮面とか、自分を縛り付けてるもん全部。捨てちまえよ」
私の核心を突いて、本当に無責任に言い放つのだ。
動揺して彼を見ると、前方を見たままで一瞥もくれない。
運転してるからか、視線が合わなくて。
今のみっともない自分を見られなくて、少しだけホッとした。
「……わかったような口を利かないでくださいよ。あなたが私の何を知ってるんですか」
「さぁな、優等生ぶる奴の考えてることなんて知らないっての。俺には全然理解できねぇ」
また無責任な言葉が、私を突き放す。
「でも、おまえみたいに自分取り繕って生きてる奴には心当たりがある。誰にも本心を見せないで、愛想笑いして、他人の評価ばかり気にしてるやつの生き方には覚えがある。自分の本当にやりたいことも見つけられず、燻ってるやつの生き方は……正直、つまらないんじゃないか」
そして、突き放した心に刃を差し入れて、ぐちゃぐちゃにミキサーみたいにかき混ぜて。
あぁ、もう、本当に嫌になる。全部見透かされているみたいで、心を丸裸にされているみたいで。私にそこまで言った人は初めてだ。両親にも、家族にも、親友にも、言ったことも、見せたこともないのに。この人は私の心をまるで見透かしているみたいだ。
「人の心に土足で踏み込んで何がしたいんですか?お兄さんは」
「別に。何も。でも、家族だからこそ、親しいからこそ言えないこととかあるだろう。だからこそ、無責任に言えることだってあるんだよ」
車が左折して、その動きに引っ張られて身体が右に動く。彼に近づいた分、心が近づいて見透かされるようで私は慌てて踏ん張った。
「お兄さんって喧嘩売るの得意です?」
「買うのは得意だな。いつも相手から殴りかかってくる」
「それ絶対お兄さんから煽ってますよね」
だから人の心抉るのが上手いのか。–––納得したけど、釈然としない。
「……お兄さんって本当に無責任ですよね」
「だって他人の人生だしな。無責任にもなるだろ」
「意地悪です」
「性根が悪いってよく言われる」
「だから、モテないんですよ」
「急に刺してきたな!?」
……おかしいな。好き勝手に言葉のナイフで傷つけられたはずなのに、何処か心が軽い。
この人と話していると不思議と心が軽くなるような気がする。言わなくてもわかってくれてるようで、安心する。
「–––と、ついたぞ」
いつの間にやら大学の試験会場前に車が停車していた。
試験開始まであと十分以上余裕がある。
人の心を滅多刺しにしてくる人なのに、私は何故かこの人から離れ難かった。
「……お兄さん、責任取ってくれますか?」
「いや、なんで?」
「私が受験に失敗したら、養ってもらおうと思いまして」
「何のために送り届けたんだよ。受かれ」
「優等生なんてやめろって言ったのはお兄さんじゃないですか。それで家族に捨てられたら、それはお兄さんの所為です」
「知らん」
この人との言葉の掛け合いが楽しい。もっとしたい、と思ってしまう。
「……そういえば、お礼もまだでしたね」
「礼ならさっさと試験受けに行って、受かってくれ。……帰って寝たい」
欠伸交じりに私を追い出そうとする彼に、私は少しだけ不満を持つ。散々人のこと好き勝手言ってくれた癖に。だから揶揄ってやろうと思った。
「お兄さん、下見て」
「ん?–––ちょっ、おまっ!?」
少しだけスカートを捲って見せると、彼はガッツリ私の太腿あたりを凝視していた。
「お兄さんのすけべ」
「自分からスカート捲った痴女に言われたくねぇ」
「やだなぁ、ただのお礼ですよ。助けてくれたお兄さんが帰り道居眠り運転で事故って死んだら寝覚め悪いですし」
「縁起でもねぇこと言うなよ」
眉間に皺を寄せて指で揉む彼は、本当に疲れた様子だった。
「–––この続きは、また今度。またね、お兄さん」
「あーはいはい。またな」
車から降りると、お兄さんはすぐに車を走らせて離れていく。
私は離れていく車を見送った。交差点の何処かで曲がる、その時まで……。
「さて、さくっと受かって、さくっと卒業して、就職活動でもしますか」
温くなったカフェオレ缶を御守り代わりに鞄に入れて、大学の試験会場へと進む。その前には見慣れた桃色縦ロールがあって、私を見つけると鬼の形相で走ってきた。
「遅いですわよ都!もう来ないものと思いましたわ!」
「ごめんごめん、ちょっと道に迷っちゃって。でも、もう大丈夫だから。就職したいところ見つけたし」
「あら、どこの企業ですの?」
「桜さんの会社」
「……お姉様、コネ入社はさせてくれませんわよ。まぁ、あなたなら大丈夫でしょうけど」
「やだなぁ、やる気になった私は無敵ですよ?」
「……そのようですわね」
絶対に桜さんの会社に就職して、あの人と一緒に働いてやる。
私の新しい戦いが始まった瞬間だった。