十二月に入ると、世間は一気にクリスマスムードになった。
入社してから、約半年。仕事も、恋も、順調で順風満帆な生活を送っていた私にはある悩みがあった。
クリスマスまであと一週間だというのに、先輩からクリスマスのお誘いがないのだ。
クリスマスとは恋人達にとって特別な日である。付き合いがあるかどうかはさておいて、想い合う男女ならデートしたり、夜のイルミネーションを見たり、色々とあるはずで。
特にクリスマスイブの性夜とも呼ぶべき時間は、心も体も重ね合わせるチャンスである。そして、その日こそが分水嶺とも呼ぶべき大切な日。
それなのにクリスマスまであと一週間。まだあと一週間。もう残り一週間。……先輩からのお誘いがない。
普通なら焦るところではないのだろうけど、私は焦っていた。
先輩には、身体を重ね合わせる関係の女性が他にも二人いて、そのどちらかと先約がある可能性があるのだ。
特に冬海先輩は先輩の元カノで、今も想いを寄せる大本命。クリスマスにデートする約束があってもおかしくないのだ。
当然、そんなこと聞く勇気は私にはない。
もしクリスマスの予定でも聞いて、予定があるなんて匂わせされたら……私はショックで死んでしまうかもしれない。
だから私は先輩からクリスマスのお誘いがあることを期待して、今日も言い出せず笑顔を張り付けて笑っていた。
「何食べる?」
そんなある日、ランチに街へ繰り出した私達は、クリスマス一色に染まる街中を二人で歩いていた。
先輩はいつもと変わらず能天気で、食べることしか頭にない。可愛い後輩が一緒に歩いているというのに視線はだいたい店先の期間限定商品の幟ばかり見ている。
「そうですね〜。あれなんてどうですか?」
「おっ、パスタか。いいな」
私がクリスマスキャンペーンという幟を指せば、脳内にあるのはご飯のことばかり。ランチに来たのは事実だけど、私があれを指した理由についても熟考してほしいところだけど、先輩はクリスマスという単語に無反応!
「……そうですね。そこにしましょうか」
正直、先輩と食べられるならなんでもよかった。
無事に店も決まったところで、私達は今し方決めた店へと入った。
店内は昼時なのに待ち時間がなかったらしく、運良くすぐに店員に席へ案内してもらえた。その運の良さはクリスマスの予定に当てたかった。
「それでは注文がお決まりになりましたら、ベルでお呼びください」
水とおしぼりを置いて、店員がキッチンへと下がる。
そこで私は、もう少し踏み込んでみることにした。
「もうすぐクリスマスですね。先輩」
「ん。そうだな」
「……」
–––え、それだけ?会話二言で終了。
「いやいや、もっとこう何かあるでしょう。クリスマスですよ?」
「そう言われてもな。クリスマスって恋人いなけりゃ、チキン食べてケーキ食って寝るだけのイベントだからな」
「それはそうですけど……」
身も蓋もない言い方に、私の燃え上がる心が一旦沈静化する。
でもこの発言を聞く限り、片桐先輩と冬海先輩とデートする計画はないと見える。
「じゃあ、今年は予定がないってことですか?」
「いや、あるけど」
「えっ……」
その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。
そのあと私は何を食べたかも、どうその日を乗り切ったかも覚えていない。
気がついたら、実家だったから。
◇
クリスマスイブ前日。
結局この日まで、先輩に何か誘われることはなかった。
誰とデートするのかも聞けていない。
最近では体調が悪いと断って、先輩の家にも訪ねることができていなかった。
「ただいま……」
玄関のドアがいつもより重く感じて、疲れた身体にさらなる追い討ちをかける。
靴を脱ぐ労力も今の私にはかなりの重労働で、靴を揃える気力すらもわかず脱ぎ散らかしたまま廊下へ上がる。
リビングの扉を開けると、夕食の準備をしていた姉の姿があった。
「おかえり」
「……ただいま」
覇気のない私の姿に一瞬怪訝な表情を浮かべたものの、姉は無視して夕食の準備を再開した。
今日は母親も遅いらしく食卓には二人きり。一人暮らししている弟と、出張中の父親もいなければ、母親がいない食卓はどこか寂しい雰囲気がする。
ダイニングテーブルには簡単な夕食が並び、私も席に座るとそのまま二人揃って合掌してから、夕食を食べ始めた。
「……それで、どうしたのよそんなこの世の終わりみたいな顔をして」
「……私そんな顔してます?」
「してるわよ。絶望って感じがするもの」
しばらく食べ進めてから、姉がそんなことを言い出したので顔に触れてみても、その違いが全くわからない。取り敢えず、表情筋をほぐすために揉んでおく。
「……別になんでもないですよ」
恋愛経験永遠のゼロの姉に話しても意味がなさそうなので、そう言って誤魔化すと姉は話を変えた。
「–––そういえばあんた、クリスマスの予定は?」
「–––ッ!?」
思わぬ不意打ちに視線を上げると、にんまりと笑う姉の顔が映った。
「ふ〜ん。問題はクリスマスの予定か」
「……なんですか?」
「あんたさぁ、あれだけ泊まったりしてるのにお誘いがないの?」
「うぐっ」
とんでもない言葉のナイフが心臓に刺さる。思ったより痛い。だから、カウンターを放つことにした。
「そういうお姉ちゃんだって、今年も一人ですよね」
「うぐっ。……身体の関係があるのに、デートのお誘いすらないあんたよりはマシよ」
「チャンスすらないお姉ちゃんよりはマシですよ」
「うぐっ」
なんだかよくわからないけど、クリティカルヒット。勝った。
勝敗がついたところで、姉は気を取り直して真面目な顔をする。
「……それより大丈夫なのその人?」
「何がですか?」
「ほら、人となりとか。弄ばれてるだけじゃない?」
姉の懸念はもっともなことで、家族としては私の懸想している相手がまともな人間か気になるのだろう。心配からくる言葉なのはわかるけど、私は姉の物言いに少しだけむっとしてしまった。
「……確かに先輩は真面目な人じゃないかもしれません。ですけど、これは私の横恋慕ですから。恋は戦争、これも必要なんですよ。それに先輩も責任を取らないほど無責任じゃないでしょうし」
そう。元々割り入ったのは私で、これは略奪愛。そう考えるといくらかスッキリした気がする。
「そう」
姉は私の覚悟を聞いて、何もいう気はなくなったのか食事に戻った。スープにスプーンを入れて、大きなじゃがいもを掬い上げる。
「後悔しないようにしなさいよ。擦れ違いなんて一番悔いが残る結果なんだから」
「擦れ違いですか……」
あまりにも姉の物言いが、真に迫っていて胸に沁みる。
私も何か、思い違いをしていないだろうか。
–––先輩は予定があると言っていたけど、いったい誰とだろう……?
今更そんなことが気になってくる。
だから、私は急いで食事を終わらせることにした。
「–––ごちそうさま!」
食器を乱暴に重ねてシンクに起き、適当に水につけておく。あとは姉がやってくれるだろう。
階段を駆け上がって、自分の部屋へ。ベッドに飛び乗り、先輩の電話番号を入力した。
『はい、もしもし』
ワンコールと少し、すぐに先輩は電話に出た。
電話向こうでは『ピィピィ』鳴くピナちゃんの鳴き声が聞こえる。
「先輩、あの……」
『なんだ都?どうした?』
「いや、あの……明日の予定を聞きたくて」
『予定……?あぁ、クリスマスの?』
「予定があるって言いましたよね?……誰となのかなぁって」
その言葉に、一拍間が空いた。
踏み込みすぎた?うわ、嫌われちゃうかも。
そんな不安が胸を締め付ける。
そんな葛藤の中、先輩はある名前を口にした。
『言わなかったっけ?桜ちゃんだけど』
「うえぇっ!?!?」
『どうした?急に奇声上げて』
「いや、桜さんって……え、桜さんにも手を出してたんですか!?」
『人聞きの悪いこと言うな。そんなもんいくつ首あっても足らんわ』
呆れたような声で、先輩が言う。
「いや、でも先輩迫られたらたぶん断れないですよね?」
「……」
沈黙は肯定。私はそう受け取っておく。
「桜さんとデートするんですか?」
『いや、デートっつうかパーティーだな』
「え、お嬢様入れたランパ!?」
『クリパだバカ』
「クリパッてあれですよね……女の子の大事な–––」
『クリスマスパーティーだ。クリスマスパーティー』
先輩の言葉の意味を反芻して、ようやく私は落ち着くことができた。
『毎年、うちでやってるんだよ。イブに泊まりでパーティーするんだよ。おまえも誘っただろ』
「……言いましたっけ?」
『全然聞いてないみたいだったがな』
「そうですか……」
不思議と口角が上がってしまう。
今は、電話でよかった。–––そう思った。
こんな顔、見せられないから。先輩には、特に。
『イブの夜は大変だからな。覚悟しとけよ』
–––その言葉を聞いた瞬間、ふとお腹が疼いたように熱くなった。
このあとクリスマスの予定ができたことを姉に自慢しに行った妹ちゃんがいたとかいなかったとか