三月。都がこの会社に来てもうすぐ一年になる。
今年度の新卒採用の人員も決まり、もうあと数日後には四月の入社式を控えている。
会社の理念とかそういった類の説明を長々とするのも無駄なため、今年も社長の挨拶くらいがメインイベントだろうか。
前日に軽い打ち合わせで流れを確認して、会場の設営もして……とは言うが、そこまで大きい会社ではないのでそれほど苦労はない。
大変そうといえば、新入社員歓迎のため少しだけ慌しい空気が社内にはあり、もうすぐ二年目になる社員達は先輩になるということで少しだけ浮き足立った空気を感じることくらいだろうか。
そんなある日、珍しく都が時間内に出社しなかった。
いつもは始業三十分前には出社するのに、姿を現さなかったのである。
代わりにスマホには『体調が悪いので休みます』という、簡素なメッセージが届いていた。
「都休みだって」
「それじゃあ都ちゃんの分のお仕事は、藤宮君に全振りしよっか」
「いや、なんで俺だけ!?」
「なんとなく。藤宮君の仕事スピードなら余裕でしょ」
「……あいつ新人の中でも、飛び抜けて優秀だから仕事量エグいんだけど」
有力な社員が抜けたとあって、その穴埋めは大変だ。
ただ都の性格上、急ぎの仕事は早く終わらせているので問題になることはない。一日出社しなくても、影響はない。そんな風にシステムが出来上がっている。
……ただ、優秀だからいないとすごくキツイけど。
そんな風に注釈が付くのが、都だ。
桜曰く、将来の出世候補筆頭だとか。
「取り敢えず、新人の指導やらでちょっと忙しくなる前でよかったというべきですね……」
入社三年目の先輩の仕事だから、都にその役職が回ってくることはないがそのことばかりは桜もほっとした様子だ。
「明後日は四月一日、入社式だろ。さーて、今度はどんな新人が来るかな」
「私達に新人教育が回ってこなかったのがいいよね」
「それな」
「藤宮君的には新しくたらし込む女の子がいなくて残念そうだけど」
「……これ以上増やす気はないんだが」
「でも、あっちから寄ってくるじゃん。まぁ、そうならないように私達がガードしてるんだけど。ほら、藤宮君ってちょろいから」
簡単に絆されてしまう俺としては、反論することもできなかった。目を逸らすのが精一杯である。
「取り敢えず明後日だな。それまでに都の体調が戻ってるといいんだけど」
「そうですね。心配ですし……」
「お見舞い行く?」
「あぁ、そうだな。連絡してみるか」
その場でスマホでメッセージを送る。
『会社終わったら見舞い行こうか?』
『来ないでください。たいしたことないので』
文面から、拒絶という言葉が見えた。
普段の都らしくない、冷静さを欠いた文章。
「……来るなってさ」
「藤宮君、喧嘩でもした?」
「してねぇよ。昨日は実家の方に帰ったし、一昨日はいつも通り一緒に寝たし」
「でも、何かしたんじゃない?」
「心当たりがないんだよなぁ」
片桐の追い討ちが胸に刺さり、俺まで言いようのない不安を覚えた。
◇
四月一日。入社式。
さらに一日休んで、都が出社してきた。
朝から入社式の最終確認で忙しく、彼女とは話せていない。
気がつけば入社式の始まる時間だった。
ようやく一区切りついたのは、入社式を終えてから。あとは新卒指導の三年目以上の社員に任せて、俺達は通常業務に戻る。
その前に都を捕まえようと思ったものの、姿が見当たらない。仕方なくスマホで連絡を入れておいた。
『あとで話がある』
『私もです。先輩』
『じゃあ、副社長室で待ってる』
すぐに返信が来て、俺は先に副社長室へ向かった。
クーラーガンガンに掛けすぎて、仕事するには向かない部屋だが密会にはもってこいだ。
当然、何かをしようってわけじゃない。
ただオフィスよりは、話がしやすいと思ったのだ。
おまけに今日は、ピナは水族館に預けている。悠々と泳いでもらうため、今日はリフレッシュ期間にしたのだ。
そのこともあって、副社長室は珍しく適温だった。
「ついでに言えば、ちょっと寂しいかな」
いつも出迎えてくれるピナがいない副社長室は、静かで寂しく感じる。エアコンの小さな音だけがやけに大きく聞こえた。
「……何が寂しいんですか?」
「おっと、いつの間に」
背中から声が掛かり、驚いて振り向くと二日ぶりに都の顔を見た。ただ少しだけやつれているように見える。
「取り敢えず、中に入りましょう。立ち話もなんですので」
「おう」
対外的には一応俺の部屋なのだが、都に促されるまま部屋に入って扉を閉める。
すると都はすたすた歩いてソファーに座った。俺も対面に座る。
「それで先輩、話とは?」
「いや、たいしたことじゃないんだけど。体調大丈夫かな、とか」
「なんだそれだけですか……」
「それだけってなんだよ」
こっちはだいぶ心配したのだ。珍しく体調崩すし、会えないと電話してくるのにそれもないし。簡素なメッセージのやり取りだけ。そんなのは初めてだったから。
言いたいことは山とある。でも、言わないのは重荷にはなりたくなかったから、なんてくだらない言い訳を自分にしてしまう。
蓋を開けてみれば、すぐにこの感情の理由に気づくのに……。
「それじゃあ私の話をいいですか?」
「あ、あぁ……」
都はどこか掴めない表情をする。
意を決したかと思えば、不安そうに顔を俯かせたり。
口を開けて、それから閉じて……。
珍しく彼女は、言葉が出ないようだった。
注視してみれば、肩は震えてるし、揃えた膝の上に置いた両手も震えている。
それから彼女はぎこちない笑みを浮かべた。
「先輩、良い話と悪い話があります。どちらから聞きたいですか?」
「何その切り口。それどっちも悪い話ってパターンじゃない?」
「……そうですね。先輩の捉え方によっては、どっちも悪い話だと思います」
「……聞くの怖くなってきた」
都が改まってする話というのも新鮮で、余計に恐怖が増す。
でも、その話を切り出そうとする都を見ていると、不思議と落ち着いた気持ちになれた。
「じゃあ、まず悪い方から」
面倒そうな方からさっさと聞いてしまおう。そう思ったら、都は鎮痛な面持ちでこう言った。
「出張から帰ってきた私の父が先輩に会わせろって」
「……本当に悪い話だった」
「それで予定を聞いてこいって」
「確定事項だ……」
今までの自分の行いを振り返れば、原因にも思い至るというもの。
自らが指導する新卒社員に手を出し、好き勝手してきたバチが当たったのだろうか。
年齢差を知れば、余計怒りそうではある。
ただ色々お世話になっている身としては、やはりご挨拶しないとダメだろうか。気が進まないけど。
「……わかった。週末ならいつでも空いてるって伝えてくれ」
処刑なら早い方がいい。そう思って、俺は腹を括る。
「それでいい話は?」
「それは……その……」
都が顔を伏せる。こっちの報告こそ怖がっているように見えた。
そのまま数十秒沈黙したかと思うと、彼女はお腹に手を当てる。
「…………できちゃいました」
その言葉の意味するところを俺はすぐに理解した。が、上手く受け入れられず頭が真っ白に。
「……できたって何が?」
「……ですから、先輩との赤ちゃんです」
打ち明けられた『いい報告』に俺は、たっぷり数十秒固まったままだった。