映画鑑賞を終えて、映画館を出る。
私はまだ、直人君に抱きついたままだった。
気を抜けばグロテスクなあのシーンが脳裏を過り、恐怖で脚が竦み動けなくなるのだ。
今はなんとか直人君に付き添われて歩いているけど、もし一人で見たのなら、夜はトイレにも一人で行けそうにもない。それくらい怖かった。
「……少し喫茶店で時間を潰しましょうか」
「えぇ、ごめんなさい。迷惑を掛けて」
「いえ、元はといえば俺が“ホラー”にしたのが原因ですし。志穂さんの可愛い一面を見れて俺は嬉しいですよ」
そんな私の不調を察して、直人君はショッピングモール内にある某有名カフェチェーン店へと連れて行ってくれる。
席を取るという理由で先に席についた私を置いて、直人君はカウンターで飲み物を注文をして戻ってくる。
「はい。どうぞ」
「ありがとう。お金払うわね」
「いえ、これくらいは奢らせてください」
ブランチを食べた店でも起きたことだけど、直人君は会計を勝手に終えようとする。その時は私が割り勘で押し切ったが、また直人君は金銭を支払おうとしていた。
「直人君、私は対等な関係でいたいのだけど」
ただでさえ一人の母親としての矜持が崩れかかっているのだ。もう手遅れかもしれないけど、甘えてしまってはダメになってしまう気がした。
「なら、今日は俺の彼女として甘えてください」
「もう……」
嬉しい言葉を使って惑わす直人君に、私は言い包められる。今回ばかりは完敗だった。
「今日だけよ?」
「それは志穂さん次第ですね」
私と直人君の関係は一度きり。そうじゃなければ、本当に娘を裏切ることになってしまう。だから、本当に今日だけ、一度だけ直人君に抱かれる。
これだけ守れば私はまた元通りの日常に戻れるなんて、私がそう思っていないことを直人君は見抜いているみたいだ。そんな能天気なことを考えているのは夫くらいだもの。
「映画の感想でも話します?」
「しません」
直人君が買ってくれた珈琲を口にして、苦味にほっと息を吐く。
「それで次はどこに連れて行ってくれるのかしら?」
期待を込めて直人君を見つめると、苦笑した彼は同じく珈琲を口にして喉を潤してから口を開いた。
「次は買い物ですね。服とか、水着とか」
「服はともかく、水着は着る予定がないんだけど」
「うちの新居には小さいけどプールあるんですよ。まぁ、完成は八月上旬なんですけど。それにまた都に誘われるかもしれないじゃないですか」
直人君の言い分は正しくて否定しづらい。娘のことを引き合いに出されればなおさらだ。買うかどうかは別として、私の心は水着に傾きつつあった。
珈琲を飲み干して休憩を終えたあと、私達は再び手を繋いでショッピングモール内を散策した。
複数のアパレル系テナントが競うように店を構えている中、店頭のマネキンを見ながら店の吟味を始める。
「どの店がいいかしら……?」
「そうですね。俺全然服とかわからないんですけど、志穂さんは服の好みとかあります?」
「私は基本的にニットとか、ロングスカートね。夏はサマーニットを着るより薄手のブラウスにカーディガンを羽織ることが多いんだけど、暑いのよねぇ」
「女性は肌の露出対策が大変そうですね」
「ほんとよ。私なんて特に胸元見られるから、おいそれと胸元露出できないわ」
ちらりと直人君の視線が胸元に寄せられる。
抗議のために、私は胸を隠すように腕をおっぱいの上に置いた。
「……エッチ」
「ホテルに行ったら存分に揉みしだきますので覚悟しておいてくださいね」
「〜〜〜っ!?」
思わぬ反撃を受けて、私の頰が熱を帯びる。
逸らした顔を見られないために、私は周囲に視線を巡らせた。
「あ、あれなんてどうかしら?」
手を繋がれたままのため、直人君と連れ立って気になった店に入る。
可愛らしい水色のVネックブラウスを手に取って、自らの体に当てて直人君に見せてみた。
「……そのままだと胸がどんな感じになるかわかりませんね」
「もう、おっぱいのことばっかり」
男の人のそういう視線には辟易とするけど、直人君から向けられるそういう欲望の詰まった視線は嫌いじゃなかった。私はもっと襟元の開いた服を手に取ってみる。
「こっちも涼しそうでいいわね」
「着たところ見てみたいですね」
「ダーメ。……このあと、それより恥ずかしい姿を見るでしょ?」
「それはそれ、これはこれです」
ブラジャーと肩紐両方が見えそうなほどのブラウスを元に戻して、私達は店内をゆっくりと見て回る。その途中、直人君が強く私の腕を引いた。
「あっちに行きましょう」
その先には、露骨にも下着やネグリジェの売り場が見える。
普通男性なら嫌がるものだけど、直人君は嬉々として私をその売り場に連れて行った。
「どれも志穂さんに似合いそうですね」
「そ、そうね……」
大人っぽい赤や黒を始めとして、どこか若々しい淡色の下着が並んでいた。
あろうことか直人君は私に一番似合わなそうなピンクの下着を見ている。自ら手に取らないところを見るに、彼もそういう配慮と分別があるようだった。ただその勇気がないだけかもしれないけど。
「あれなんていいんじゃないですか?」
「直人君、私にあんな若い子が着そうな下着が似合うと思う?」
「似合うと思いますよ。志穂さん大学生くらいにしか見えませんから」
「もう、またそういうお世辞を言って……」
お世辞で言ってないことがわかるから、すごく恥ずかしくて顔を直視できない。
「俺はあれを着た志穂さんとか見たいですけど」
「見せる予定はありません」
今日の下着だって大人っぽさを重点に置いた黒で、直人君が喜んでくれるかなと選んだのだ。次の機会がない以上、直人君に見せることはないと思う。
私はそっと直人君の腕に抱きついて、反対の手で胸元を引っ張った。
「ほら、これじゃダメ?」
「……」
ホルターネックを横合いから引っ張ってできた隙間を見せると、直人君は真顔で硬直した。その顔は赤い。
「–––それはさておき。あれも似合うと思うんですよ」
今度は胸部以外が透けたネグリジェを指して言う。パンツが透けて見えるシースルーが胴体部分を占めており、セットのパンツが間違いなく丸見えだった。
「……本当に似合うと思う?」
彼があまりにも熱烈に口説くものだから、私までその気になってそんなことを口にしてしまう。直人君の前で着るかどうかは別としてだ。
「絶対似合うと思います」
「それじゃあ、買おうかしら……」
直人君の家にお泊まりした時に着るかもしれないし……、なんて私は心の中で言い訳をした。
◇
ショッピングモールで衣服を見ているうちに、時間は過ぎていき夕方になった。
結局、買ったのは下着数枚とネグリジェ三種。水着は去年のがまだ着られるだろうから見送った。
夕食は何を食べたかも覚えていない。
車に乗り込み、私達はショッピングモールを離れた。
市街地より少し離れた場所に、大きなホテルが見えてくる。
私の心臓は、ショッピングモールを離れた時から、ずっとバクバクと鳴りっぱなしだ。ホテルが近づいてくるのを視認すると余計に意識しまって、車を運転している彼を見てしまう。
–––もうすぐ、彼に抱かれる。
その事実が私の心臓を高鳴らせて、期待と不安と興奮に頭の中がぐちゃぐちゃになった。
地下駐車場に車が入る。
月明かりとは違う暗がりに、私は少し動揺した。
「到着しましたよ」
「ひゃい!?」
肩にポンと手を置かれただけで、大きく驚いた私は肩を跳ねさせて間抜けな悲鳴を上げてしまう。
そんな私を見つめる直人君は心配そう……というか、いい玩具を見つけたみたいに笑顔だった。
「ほら、シートベルト外してください」
「あ、うん……」
私がシートベルトを外している間に、直人君は後部座席から大きなバッグを取り出した。その手に三脚を持っているのを見て、本当に撮影するんだという実感が湧いてくる。
車から出ると、鍵を施錠した。
軽々と三脚とバッグを片側に持つと、直人君は私の手を握る。今日何度目かわからない恋人繋ぎ。私はその温かさと感触に安堵して、少しだけ肩の力が抜けた。
「それじゃあ行きましょうか」
直人君に手を引かれて、駐車場からエレベーターに乗る。
一階は高級そうなホテルのラウンジで、そこで降りると直人君は迷うことなくさくさく歩いて行く。
「ねぇ、直人君。こういうとこよく来るの?」
娘と一緒に、という言葉を飲み込む。口にしないでも伝わってしまったようで、気まずそうに彼は苦笑する。
「愛理と何度か。家じゃできないプレイする時は使うんですよね」
「そ、そうなのね……」
そのプレイが何なのか気になったものの、これ以上聞くとどうにかなってしまいそうなので口を噤む。夫なら間違いなく発狂していた。
壁際には大きなタッチパネルがあり、そこに移動すると直人君は操作していく。
「実はここ、米倉系列の“そういう目的”のために作られた高級ホテルなんですよ。清掃はプロがやってるんで、清潔さとセキュリティは折り紙付きですよ」
券売機のようなものから出てきたキーを手に、直人君はまた私の手を握る。まるで逃がさないぞと言うかのように。
駐車場から上がってきたエレベーターではなく、エントランスの隅にある別のエレベーターに乗って、私達は数階上のフロアに移動する。
406号室。
そこが私と直人君が逢瀬を交わす部屋だった。
ベッドはキングサイズが一つ。お風呂はガラス張りでベッドルームから丸見え。薄いオレンジの照明は他にも色があるようで、直人君が一通り試して通常の色へと戻していた。
ベッドの横に荷物を置くと、三脚を設置して、バッグからビデオカメラを取り出す。
「シャワー浴びます?」
「ふぇっ、えっと……直人君はどっちがいいと思う?」
「俺としては、その服を脱がすところから撮りたいんですけど」
何故か並々ならぬ熱意を感じて、私は「シャワーを浴びたい」だなんて言えなくなってしまう。
彼がそれでいいなら……なんて、私は思ってしまったのだ。
「……いいわ。あとでいくらでも入れるし」
今日一日の匂いを嗅がれるのは嫌だけど、条件は相手も同じ。それに待つだなんて私にはもうできそうにもなかった。
「それより手慣れているのね」
「愛理とも撮影は何度かしていますし、昔の友達にこういう撮影に詳しいやつがいて、現場を一度見せて貰ったことがありますから……地獄みたいでしたよ」
好奇心は猫をも殺す、と直人君の顔に書いてあった。いったい何を見たのか。
「それじゃあ準備できましたのでベッドに座ってください」
ビデオカメラが設置された場所。その前に座ると、直人君が微調整をしてカメラの向きを弄った。
「それでは撮影を始めるんで、質問にだけ答えてもらえれば」
そう言って直人君は、ビデオカメラを回した。
私の心臓が、カメラの起動音に合わせて跳ねる。
緊張と興奮が一気に胸を締め付けた。
私はなんとか平静を保ちながら、カメラを見つめる。–––正確には、その僅か下を。
「お名前は?」
「……鹿島志穂です」
「年齢は?」
「……4×歳です」
「職業は何を?」
「会社員です」
「ご家族は?」
「結婚していて、夫と子供が三人います」
この質問の何の意味があるのか。
だけど何故か、一つ答える度に緊張が高まっていく。
「おっぱい大きいですね。何カップあるんですか?」
「…………Gです」
急に恥ずかしい質問をされて、赤面して答える。
直人君の視線が私の体を舐め回すように見た。
特に重点的に胸の辺りを、次にスカートの裾辺りを。太腿の間と奥を蹂躙する。
「経験人数は?」
「夫だけです」
私は夫しか知らない。そして、今日……夫以外の男に抱かれる。その事実を再認識して、胸と下腹部が次第に熱を帯びていく。
「それじゃあ最後にひとつだけ。志穂さんは今日は何をしにここへ来たんですか?」
一番答え難い質問が胸に刺さる。
緊張は最大まで昂まり、体の奥から熱が溢れる。
膝の上の手をぎゅっと握った。
声が震えて、瞳が潤む。
「……持て余したこの体を、娘の夫に慰めてもらうために来ました」
カメラから移動した直人君が、ベッドの上、私の隣に座る。
そのまま私を抱きしめて頰に手を添えた彼は、私の唇を優しく奪う。
「んっ。……直人君」
甘く蕩けるようなキスのあと、長く激しいキスがきて、私はベッドに押し倒された。
※至って健全なインタビューです。