「それで、なんであんたがここにいるのよ?」
不機嫌そうに愛理が半目で実の妹を睨みながら言う。
帰宅したら紹介した覚えのない身内が、何故か俺とお茶を飲んでいたのだ。
困惑していたのも束の間、出会い頭に姉妹喧嘩を始めた二人を宥めてようやく席につかせたところだ。
新しく三人分の紅茶を淹れ直して、仲良くティータイムしているように見えるが、愛理の方が警戒心剥き出しで毛を逆立てる猫のように威嚇しているので、冷戦中と言った方が正しいであろう。
俺はその渦中にいた。
「雨で濡れて雨宿りしてたら、お兄さんにナンパされたの」
「おいおい、嘘を言うなよ」
都の方は警戒心剥き出しの姉を面白そうな目をして見返し、そんな根も葉もない嘘を言い出す。
ちなみに半裸でいたせいで“事後”だなんて余計な疑いがかけられて、誤解を解くのに三十分ほど必要としてしまった。
その混乱の諸悪の根源は姉の服を借りて袖を通し、優雅にカップを傾けている。
「ふーん、私というものがありながら中学生をナンパしたんだ」
「だから誤解だって」
無言は肯定というが、逆に言い訳を並べ立てても必死に見えて疑わしいので、常に冷静を装って対処する。その疑いをかけてきた愛理さんは俺の腕に抱きつき、所有権を主張するように隣に座っている。
「……じゃあ、なんでこの子がここにいるのよ?」
「そう言われても、偶然としか……」
もはや説明も面倒なのでそういうことにしておいた方が都合がいいような気がしてきた。姉を尾行して住所を特定した、なんて説明すると話が長くなりそうな気がしたのだ。それにはぐらかそうとしているところを見るに、本当のことを説明するのは嫌なのだろう。
「そうそう。偶然ですよ〜。帰り道に雨に降られちゃって」
「今日一日中雨降ってるし、あんたの家は電車に乗って数駅隣だけど」
「あははー⭐︎」
都も便乗してはぐらかそうとするが、設定がガバガバすぎて最終的には笑って誤魔化そうとしていた。
「でも、お姉ちゃんこそこんなところでなにしてるんですかねぇ?」
「え、や、それは……」
すかさず今の状況を引き合いに出して、攻守が交代する。
「い、言ったでしょ。友達の家に泊まってるって」
「友達……それも、男の人の家に?」
「そ、そうよ。悪い?」
「ふーん」
妹からのジト目に愛理が目を逸らす。
どうやら後ろめたいことがあるようで、視線を妹と決して合わせようとしなかった。
なんと説明したのやら。いや、今のでだいたいわかったが。
「朝帰り」
–––ビクッ。
「男友達」
–––ビクッ。
「……一つ屋根の下。何も起こらないはずがなく」
「べ、別に何もしてないわよ」
真っ赤な嘘を吐いて、これまた真っ赤な顔で否定する。
どうやらその手の嘘は、苦手らしかった。
「むしろ何も起こらないって方がおかしいと思うんだけど」
「わかったわよ。なんでここにいるかはもう聞かないから」
さすがにそういうことを詮索されるのは恥ずかしいらしく、結局は愛理の方が折れてしまった。
「わかったから。もう帰りなさい」
「えー、こんな真っ暗な夜道を女子中学生一人歩かせるの?」
時刻は既に午後八時を過ぎており、確かに女子中学生を一人帰すのは心配であった。雨だって降っているし、親御さんだって心配しているだろう。姉と一緒だと言えばそれで納得するかもしれないが。
「どうせ服はお姉ちゃんの借りればいいし、泊めてくれると嬉しいんだけど」
「ダメよ。ベッドはひとつしかないもの」
「……え?お姉ちゃんたちいつもどうやって寝てるの?」
「うっ、それは……」
残念ながらこの家にはベッドがひとつしかない。
寝具も毛布が余分に置いてあるだけで、誰かを泊める前提の布団類はない。
普段から一緒に寝ているから、ベッドは一つで事足りるのである。
「さすがに泊めるのはまずくないか?」
「そ、そうよ。送ってあげるから帰りなさい」
「そう言って私を帰して、お姉ちゃんたちイチャイチャするつもりなんでしょ」
「べ、別にそれとこれとは関係ないでしょ!」
彼女の妹、というのであれば面目は立つのだが。
あくまで俺と愛理はまだ“恋人関係”ではない。
そんな状況で、一体親御さんにどう説明すればいいのか皆目見当もつかない。それどころか現状だって殴られたっておかしくないのだ。イチャイチャしたいからという理由で、愛理が渋っているわけじゃない。
……と、そんなことをしている間にも時間は過ぎていく。
このままでは飲食店も閉まってしまうだろう。
明日も仕事があることだし、送るなら早い方がいい。
「また話が脱線してるぞ」
「あっ……」
終始妹のペースに持っていかれる愛理が、思い出したように声をこぼす。
二人に会話させていると話が進まなさそうなので、今度は愛理に代わって俺が都に話しかける。
「鹿島妹」
「都です」
「……鹿島妹」
「都です。お兄さん、女の子の名前呼ぶの恥ずかしいんですか?」
「……都ちゃん」
「ちゃん付けはやめてください」
「都」
「はい」
揶揄うような催促に、俺は屈した。
すると僅かに愛理の方の機嫌が悪くなる。
腕を締め付ける感触が、僅かばかり強くなった。
具体的にはそれだけだが、些細な変化を見逃す俺ではなかった。
気づかないふりはさせてもらうが。
「今からご飯食べに行くけど、おまえも来るか?」
「え。いいんですか?」
「何が食べたい?」
「じゃあ、お寿司がいいです!」
「それじゃあ、それ食ったら送ってやるから帰れよ」
「ありがとうお兄さん大好き!」
◇
「はぁ……。疲れた」
玄関の扉がパタンと閉まった瞬間、気が抜けたように愛理は零した。
夕食を終えて、都を送り届けて帰宅後、揃え方が微妙にずれているのを見るに相当だろう。
残業の疲れか、妹に振り回された疲れか。
愛理はくるりと振り返ると、そのまま両手を広げた。
「ねぇ、ソファーまで連れてって」
「はいよ」
玄関先だというのに戯れてもたれかかってくる愛理を横抱きに抱えようとすると、「きゃっ」と小さく悲鳴を上げながら満足そうに首に腕を回してしがみついてきた。
そのままリビングに移動して、彼女を横抱きにしたままソファーに腰を下ろす。
するとさっそくおねだりの声が。
「ねぇ、おかえりのキスがまだなんだけど」
愛理の最近のマイブームがいくつかある。
“おはようのキス”
“おやすみのキス”
“いってらっしゃいのキス”
“ただいまのキス”
妹がいたことでそれができなかったのが不満らしく、唇を尖らせてねだるように見つめてきた。
そんな愛理の唇に吸い寄せられるように口付けを落とすと、頰が薔薇色に染まり恍惚としたような表情に変わる。
「……もう一回……」
また、おねだりが始まる。
朝は時間がないからねだらないが、夜になるとその限りではなくなる。
今度は愛理の方から回した腕を絡みつくように回し、そのまま二度目の口付けを交わす。
唇だけでなく、舌まで絡み合い夢中で貪り合う。いやらしい音が頭蓋に直接響くような、情熱的なキスを繰り返して。
お互いに満足した頃には、ソファーに押し倒して馬乗りになっているような状況だった。
彼女が着ているシャツも乱れて、ボタンが数個ほど外れて胸元が露わになっていた。
「今日は随分と積極的だな」
「色々とあって疲れたのよ。少しくらい甘えてもいいでしょ」
「じゃあ、お風呂入るの手伝ってやろう。全身くまなく洗ってやる」
「綺麗にするふりして汚してくるくせに」
頬を膨らませて抗議してくる愛理が可愛らしく、ならばと抱き寄せてよしよしと頭を撫でる。次第に髪を梳くような動きに変えると、彼女は気持ちよさそうに目を細めていた。
「あとそうだ、ご褒美をあげないとな」
名残惜しくも、愛理と離れてキッチンへ向かう。
紅茶用のお湯を沸かしながら、冷蔵庫からケーキの箱を取り出した。
それを持ってソファーで待っている彼女の元へ。
ケーキの箱を目の前で広げて見せると、可愛らしい花が咲いたような笑みを浮かべて喜んでくれた。
「ケーキ!?どれも美味しそう」
愛理は普段、節約のためか贅沢をしない。
ケーキのような嗜好品どころか、お酒の一つも飲まない。
回転寿司の会計時も、俺に姉妹の分まで払わせるのを申し訳なく思って一悶着あったくらいだ。
お互いに一歩も引かないため、仕方なく俺は耳元でこう囁いた。「じゃあ、その分は体で払ってもらおうかな」と。
あまりの恥ずかしさに愛理がフリーズした隙に会計したことで店を出たが、そのせいか家に帰ってくるまで口を利いてくれず、二人きりになった瞬間これである。
「チョコレートに、フルーツタルトに、ショートケーキ。どれも迷うわね……」
「二つ食べてもいいぞ」
元々一人二つ分買ってきたつもりだったが、都に一つあげて三つになってしまった。
どれか一つ選ぼうとしていた愛理は、それを聞いて耳聡く反応を示していたが、複雑な表情になってしまう。
「二つ!?……でも、この時間にそんなに食べたら太っちゃうし……」
「その分運動したらいいだろ」
「……直人のえっち」
悩める女性に名案とばかりにぽろっと思いつきをこぼせば、僅かに頬を赤らめながら気恥ずかしさを含んだような睨む視線を頂いてしまう。濡れ衣もいいところだ。
「どういう意味かは言ってないだろ」
「どうせこのあと美味しくいただくんでしょう」
「なんのことやら」
「まったくもう……」
清々しいくらいにしらばっくれてみせれば、愛理は呆れたようにケーキ選びに戻った。
「……どれも捨て難いわね」
「生ものだからな、今日中に食べた方がいい。おっとこんなところにもなまものが」
ケーキ選びに夢中になっている愛理の背後から腕を回して、重たそうなそれを持ち上げてみる。相変わらず手にくる重量感が心地よく、この包装を剥ぎ取ってしまいたい衝動に駆られたが、そろそろお湯の方を見に行かないといけない。
「ばか」
「これこそ極上のスイーツだな」
「もう、ほんとバカ」
「それよりどれにするか決まったか?」
二人分の紅茶をカップに注ぎながら問いかけると、まだ迷っている様子だ。
「なら、二人で全部分けるか?」
「いいわねそれ!それなら全部食べられるし、食べさせあうのもできるし」
「あー、そうきたか」
二つのカップを持っていくと入れ替わるように愛理がキッチンへと入り、フォークとお皿を一つずつ持って戻ってきた。そのお皿にケーキを一つ載せてソファーに座ると、ポンポンと隣を叩く。
「ほら、早く」
言われるがまま隣に座ると、フォークで切り分けたケーキが目の前に迫っていた。
愛理の大好きなフルーツタルトである。
「はい、あーん」
されるがままケーキを口に運ばれ、咀嚼する。
気恥ずかしさからか、元々このケーキが甘かったからなのか、いつも以上に甘い気がした。
「はい、次は私の番」
「ほら、口を開けろ」
フォークを手渡されてケーキを切り分ける。
一口大に切り分けたケーキをフォークに載せて、口に運んでやると愛理は嬉しそうにパクリとフォークに食らいついた。
正直、気分はカップルというより雛に餌をやる親鳥だったが、無粋なことは言わない。
「う〜ん、美味しい」
当人が幸せそうなのは何よりだ。
俺は自分でケーキを切り分けて、パクリと食べた。
「あ〜、私がやろうとしたのに!」
「お互いにやってたら日付が変わるわ」
文句を言ってくるので、さっさとケーキを切り分けて口に運んでやると嬉しそうに口にした。……ちょろい。
「ほら、最後の一口。–––あっ」
「きゃっ!」
愛理の大好きなフルーツタルトだけあって最後の一口はくれてやろうかと口に運ぶ。その途中、事件が起きた。土台であったタルトの生地が崩壊して、載っていた葡萄の実が一粒ころんと落ちてしまったのだ。
フォークからスカイダイブした葡萄は羨ましいことに愛理の胸の谷間に着地し、すっぽりと綺麗に挟まってしまった。見事なホールインワンである。
「もう、なにしてるのよ」
「まぁ、落とすよりマシだろ」
「そうね……」
床に落とした葡萄を拾い上げ、床を拭く労力を思えば。
愛理は自らの胸元に手を伸ばして、ふとその指先が葡萄に触れるか触れないかのところで手を止めた。何を思ったかその手を下ろして、下から乳を強調するように持ち上げる。
「ほら、どうぞ」
突然発生したご褒美。
俺はそっと胸元に口付けするように顔を落とす。
胸の谷間に挟まった葡萄の実は確保できそうだが、それだけでは面白くない。実を回収した後で、ちゅっと口付けを落とした。
悪戯ついでにシャツのボタンを全部外してやる。ゆっくりと丁寧に。時間を掛けて。
抵抗することはいつでも出来たはずだが、彼女は最後まで抵抗することなく身を委ねていた。
「……先にシャワー浴びたいんだけど」
熱を帯びた視線が俺を射抜く。
そうしてまた、二人して夜更かしをした。
※このあとスタッフ(二人)が(ケーキ)を美味しくいただきました。