「先輩、聞きたいことがあるんですけど……」
冬期休暇が終わってすぐ、俺は麗花先輩にとある相談を持ちかけていた。
いつものオカルト研究会の部室で、昼食を食べ終えた食後の紅茶を飲みながら駄弁ろうとした時、つい先日から奇妙な視線を感じることを思い出したのである。
だから念のため、“この世ならざるものが見える”という麗花先輩にこんな奇妙なことを聞いてみた。
「なんだい藤宮君?」
「俺また変な霊とかついてないですかね?」
「ついてないよ」
麗花先輩は自称“霊が見える人”で、類稀なる霊感の持ち主だ。
だから念のため聞いてみたのだが、俺に霊の類はついていないらしい。
「どうしたんだい急に奇妙なことを聞いて?」
俺の様子を不審に思ったのか、麗花先輩は心配そうに訊ねてくれる。が、瞳には少しだけ好奇の色が浮かんでいた。
「たいした話じゃないんですが、最近妙な視線を感じるんですよ。敵意はなさそうなんですけど、なんというか観察されているような視線で……」
「へぇ、それは随分と奇妙だね」
「人気のないところでも感じることがあるんですよね。なのに振り返ったら誰もいなくて」
俺がそう申告すると、麗花先輩は興味深そうに身を乗り出してくる。
「……いえ、話はこれで終わりです」
「なんだつまらない」
先輩はすぐに興味を失ったようで、ソファーに座り直して紅茶を啜った。彼女はソーサーを持ちながら上品にティーカップを傾けて、一口飲むとテーブルに戻した。
俺もこれ以上相談を持ち掛けても意味がなさそうなので、同じく紅茶を啜る。
「あ、そうだ。先輩ありがとうございます」
「ん?どうしたんだい急に?」
「いえ、大晦日と元旦は遊びに来れないって言ってたじゃないですか。うちに来て食器とか片付けてくれたの麗花先輩ですよね?」
「いや、私はその日は君の家に行ってないよ?」
「え?」
「え?」
お互いに顔を見合わせる。すると麗花先輩の瞳が再び輝き出した。
「たしか大晦日と元旦はバイトだっただろう?それで、他にはどんなことが?」
「洗濯物が洗って乾燥させて畳んであったり……」
「ほうほう。それで?」
「お雑煮が作り置きしてありました」
「随分と奇妙な霊障だね。私が君の家に泊まりに行った日は、霊の類なんて見当たらなかったけど」
麗花先輩によって霊障の類への疑いが否定される。
「ところで視線を感じるようになったのはいつ頃からかな?」
「……たぶん、クリスマスが始まる前、ですかね……」
「うう〜ん。それだと私が霊に気づかないはずがないし、やっぱり人為的なものじゃないかな」
「そうですか。念のため麗花先輩はしばらくうちに来ないでください」
俺は麗花先輩を守るためそう約束させて、この日は解散となった。
◇
考えられる可能性としては、ストーカーの類だ。
俺のようなモブにそんなことをする奴がいるとは思えないが、状況証拠的にもその線が濃厚である。
それから数日後、バイトからの帰宅後のことだった。
玄関から入った瞬間、また違和感を感じた。
普段は掃き掃除もしない玄関が綺麗になっていたのだ。
泥を踏めば散らばっていたのがあら不思議、ピッカピカの泥ひとつない状態に様変わりである。
「……」
そして、俺は感じるはずのない人の気配を家の中に感じたのだ。
–––見つけたらとっつかまえてやる。
激情を燃やしながら、俺は普段とは違う行動に出た。
まず初めに鍵を掛けて、普段は掛けないドアチェーンを掛ける。これで犯人の逃走経路を潰す。
その後、手前のトイレのドアを引いて誰もいないことを確認。次に洗面所のドアを開けて、洗濯機の中にも潜んでいないことを確認すると、浴室まで確認した。
「残るは寝室とリビング、ベランダか」
リビング前のドアを封鎖して、拳を握る。
いつ出てきてもいいように、臨戦態勢をとった。飛び出してきたらぶん殴る用意は万端だ。
「……?なんだこの匂い?」
リビングに入った瞬間、何故か美味しそうな匂いがして驚く。
キッチンへ行くと鍋がひとつコンロの上に出ており、蓋を開けると中からは湯気を立てた味噌汁が出てきた。
「ストーカーって味噌汁作るもんだっけ……?」
普通、ストーカーというのはバレないようにするものだろう。あとをバレないように尾行したり、部屋に盗聴器を仕掛けたり、私生活を盗み見るものだ。
俺のストーカーに対する常識が崩壊した瞬間である。
むしろ存在を自己主張するストーカーの存在に、俺は呆れて頭を抱えた。
「……取り敢えず、ベランダ見るか」
ストーカーに対する常識はさておき。気を取り直して部屋の探索を続行する。
ベランダに通じる窓は当然ロックが掛けられており、外に出てみたところで誰もいなかった。当然カーテンの裏も確認済みだ。
「と、なると寝室か」
一番人の気配がするから最後にとっておいたが、ここが一番怪しい気配がする。俺は意を決して扉を開いた。
すぐに手探りで電気をつける。すると何故かベッドの上に脱ぎ捨てたはずの寝巻きが見当たらなかった。
「……そういや洗濯機の中なんもなかったな」
当然、今日もストーカーは洗濯をしたということなのだろう。親切なストーカーだ。
「……」
それになんだかベッドが綺麗だ。
シーツは新品のように輝き、完璧なベッドメイクが施されている。
おまけにゴミ箱は空だった。
中身はどこにいったのか疑問はあるが、知らない方がいいような気さえする。
「そこか?」
残るはクローゼット。そこを開けてみるが、人の影すら見当たらなかった。
「……おかしいな。いると思ったんだけどな」
もしかしたら自分の気にしすぎかもしれない。俺は皺ひとつないベッドに腰掛けて、自分の勘が外れたことに気を落とす。
味噌汁は作りたてだったし、おそらく逃げ遅れたのではないか。という予想もしていたのだが、どうやらまた逃げられたらしい。
「仕方ない。飯でも–––」
–––プルプルプルプル
食べるか、と立ちあがろうとした瞬間、ベッドの下で何かが振動した。俺はそのままベッドの隣に片膝をつき、ベッドの下を覗き込む。
「「…………」」
するとそこには緋色の瞳を光らせる、人影があった。
「……はっ?」
心臓が跳ねるなんて生温い。停止するかのような衝撃を受けて、心臓が早鐘を打ち始める。バックバクの心臓音が耳に聞こえそうなほど稼働を開始して、ようやく俺は事態を理解した。
「陽菜先輩?」
「……あはは、奇遇っすね〜。こんなところで」
目を精一杯逸らす陽菜先輩が、ベッドの下に横たわったまま手を伸ばしてくる。
「取り敢えず、ここから出してください」
俺は無言でその手を取り、陽菜先輩をベッド下から引き摺り出す。
冬でもホットパンツにニーハイというスタイルの彼女は、埃を払いながら立ち上がった。
立ったおかげか臀部まで隠すセーターが、穿いてない感を演出している。
「なにやってるんですか人の家で。っていうか、どうやって入ったんですか」
「……これはなんというか、まあ……調査の一環で?」
「人の家に侵入するのが調査の一環ですか。随分と無法者なんですね。で、鍵は?」
「麗花が持っていた合鍵を拝借して複製した……みたいな?」
目を逸らしながら答える陽菜先輩は、ベッドの上に正座をする。
「ここ最近感じるストーカーの視線は陽菜先輩ですね?」
「……いえ、そんなつもりなかったんですよ。あたしはただ君のこと知りたかっただけで」
「いつもここまでやるんですか?」
「ち、違いますよ。人の家に勝手に入ったのは君が初めてっす」
「陽菜先輩、こういう人のことなんと呼ぶか知ってますか?」
「…………ストーカーっすね。すみません。でも、君だって悪いんですよ?あたしをこんな気持ちにさせたのはあなたが初めてです」
妖艶に潤んだ瞳が、俺を射抜く。
「……ダメなことだってわかってるんですけど、君のこと考えるともうどうしようもなくて……その上、このまえあたしがあげた写真をえっちな目的で使うし……」
……むしろ使えとばかりに送ってきたのは陽菜先輩である。俺は悪くない。
「君にそういう風に見られていると思うと、あたしもう気持ち抑えられなくて。本当は陰から支えるつもりだったんすけど、ちょっと欲が出ちゃって……」
そしてすっかり発情した様子の陽菜先輩は、落ち込んだように項垂れる。
「………すみません。気持ち悪いですよね。こんなあたし……」
本気で反省しているように見える陽菜先輩。
俺は不思議なことに、ストーカーされても彼女に嫌悪感など抱かなかった。
ストーカーがこんな可愛い先輩ならギリ許せなくもない。
エロ同人とか見ると薄々思っていたが、俺はどうやら可愛いストーカーなら許せるタイプの変態らしい。
「そんなことないですよ」
俺はすっかり彼女に絆されて、優しい言葉を掛けていた。
ベッドに座る陽菜先輩の隣に座り、相手がストーカーだというのをいいことに腰を抱く。
「ストーカーするのは悪いことかもしれませんが、先輩みたいな可愛い女の子にそこまで愛されるの俺は嬉しいですよ」
「直人君……。それじゃあこれから直人君のことストーカーしてもいいんですか?」
「それはちょっと困るかもしれません……」
「–––代わりに、あたしのこといつでもどこでも犯してくれていいっすよ。君が望めばいつでもどこでも駆けつけます。あたしは君の玩具で専属のストーカーです」
調子づいた陽菜先輩は、頰がくっつくほど身を寄せる。
あまりに魅力的な提案に、俺は反射的に頷きそうであった。
「……とりあえず、今日一日お試ししてみないですか?知ってるんすよ。君がストーカーの女の子にお仕置きしたいの。あたしで試してみないっすか?」
突如蠱惑的な囁きが耳朶を擽る。
乗ったら破滅しそうな誘いに、抗う術がなかった。