一週間を過ぎた頃、ようやく平穏な日常が戻ってきた。
俺を追い駆けていた学生達はすっかり諦めたようで、講義の合間に追われるイベントは発生しなくなった。
おかげで俺は大手を振ってキャンパス内を歩くことができ、久しぶりの自由を満喫していた。
「こういう風にキャンパス内を自由に歩けるって素晴らしいことなんだな」
「なにを言っているんですか?」
奇妙な感謝を覚えつつキャンパスを闊歩していると、不意に背後から声を掛けられる。
冷たく淡々とした口調に覚えがありつつ振り返ると、珍しい人物が無表情で見ていた。しかし、その瞳は不審者を見るような目だ。
「冬海か。珍しいなこんなとこで会うなんて」
「そうですね。普段はオカルト研究会の部室でしかお会いしませんし」
「何気にあそこ以外は初めてだな」
次の講義に向かう途中であるのだろう。お互いにそう認識した俺達は、僅かに歩幅を小さくした。
「……というか、おまえ一人なんだな」
「何故ですか?」
「いや、友達と一緒じゃないんだなと思って」
「それどういう意味ですか?」
「いや、女の子って常に友達と一緒に行動しがちだろ?」
「偏見ですね。それを言ったら倉科先輩はどうなるんですか?」
「あの人は友達少ないんだよ」
この一年で友人を名乗る人間は、陽菜先輩以外に見ていない。ただ漫研にはいたという話を聞いたことがある。仲違いをしてしまったらしいが。
「そうですか。そういう先輩は?」
「俺も純粋に友達は少ないんだよ」
「……」
「一応言っておくけど、ちゃんといるからな。なんだよその顔?」
「……いえ、また女の人ですか?」
その言葉に僅かに棘があり、俺は一瞬怯む。
「なわけないだろ。男だよ」
「どうですかね」
「一応言っておくが、俺は友達は量より質派だ」
ついでにぼっち疑惑も否定しておく。と、冬海はジト目を突き刺してきた。
「……先輩にとってはいやらしいことができる女友達が大切ですもんね」
「そういう意味じゃねぇよ」
軽い冗談も言えるのか、割と本気なのか。できれば前者であって欲しいところだ。
その後もくだらない話をしながらキャンパス内を歩き、同じ棟の中に入るとすぐにお別れはやってきた。
元々受ける講義が違うので当たり前だが、行くべき講義室が違う。三階と四階の狭間で、俺は最上階を目指すべく階段に足を掛ける。
「先輩」
「ん?」
上る直前で冬海に呼び止められた俺は、階段に足を掛けたまま振り返った。
「明日、バイトない日ですよね?」
「そうだけど」
「それなら明日、私とデートしてもらえませんか?」
「……なんで?」
つい反射的に聞き返してしまった俺は自らの失態に気づく。
せっかく冬海とデートするチャンスだったのに、と口に出してから後悔した。
すると案の定、冬海は黙ってしまった。
俺の顔を見上げていた視線がそっと逸らされる。
「……えっと、最近私達の関係を疑う人がいまして。大学近くでデートでもしたら、説得力が生まれるかもしれませんから……」
「わかった。行こうか」
「いいんですか?」
「まあ、暇だしな。それにおまえみたいな美人とデートできるなら今日の講義もやる気が出る」
「それならまた、連絡しますので。先輩のエスコート楽しみにしてますね」
それだけ言い残すと冬海はくるりと反転して歩いて行った。その横顔は少しだけ柔らかかったような気がする。
◇
翌日、アラームの音で目を覚ました。
二度寝しそうな身体を無理やり起こして、顔を洗いに洗面所へと向かった。
顔を洗って、歯を磨いて、準備を整える。
昨日は夜遅くまでデートコースの確認をしていたため、すごく寝不足だった。
朝食代わりにエネルギー飲料を流し込んで小腹を満たし、数パターンにも及ぶデートコースの再確認をしていたら、集合時間まであと一時間もない。
脳内で何パターンにも及ぶデートコースのシミュレーションをしながら、俺は家を出た。
集合場所は駅前の時計台広場。
集合時間は午前十時。約三十分前に到着した。
時計台の周囲を見渡しても冬海の姿は見当たらず、先にたどり着いたことにほっと息を吐く。
俺はもう何度目かわからない確認を行うため、スマホで喫茶店などの開店時間を調べ直す。間違いがないことを確認していると、不意に駅前がざわめき出した。
「ねぇ、あれめっちゃ美人じゃね?」
「声掛けてみねぇ?」
「いや、あれだけ気合い入ってたらデートとかだろう」
誰かが近づいてくる気配に反応して、周囲の人々が色めき立つように騒ぎ始める。
「芸能人かな?」という持て囃す言葉も聞こえて、顔を上げるとゆっくりと話題の人物が近づいてくるところだった。
「先輩、おはようございます」
白のワンピースドレスに身を包んだ冬海は、俺の前までくると小さく頭を下げる。お辞儀ひとつ綺麗な女神の出現に俺は心臓を掴まれたかのように息ができなかった。
「……先輩?」
「おう、すまん。おはよう」
つい見惚れていたことに気づいた俺は、直視できない後輩の存在から目を逸らしつつ答える。
「……それと、すげぇ似合ってる」
「……そうですか」
女性の服装について褒めるべきと俺のバイブルにも書いてあるので実践してみたが、言葉にするのも恥ずかしくてぶっきらぼうな感じになる。
それでも俺の気持ちは伝わったようで、冬海の返答は淡々としながらも少しだけ嬉しそうに柔らかな響きを含んでいた。
「お待たせして申し訳ありません」
「いや、今きたところだから」
本当は冬海が来る十五分前にはついていたのだが、ありきたりな台詞で誤魔化すと彼女は無表情な口角を少しだけ上げた。
「そうですか。では、そういうことにしておきましょう」
自分は全部わかっているとも言いたげな瞳で見逃される。
俺も見逃されるために、彼女の優しさに乗っかった。
「そうだ、朝は食べたか?」
「いいえ。色々と準備があったのでまだです」
「なら、昼食も兼ねてブランチにするか。いい喫茶店があるんだよ」
「それは楽しみですね」
「それじゃあ、行くか」
合流を果たした俺は移動を開始しようとするが、二、三歩歩いたところで冬海がその場を動かないことに気づく。振り返ると彼女は俺に手を伸ばしていた。
「……エスコート、してくれるんですよね?」
白くて、細くて、嫋やかな指先が掌を地面に向けたまま、握ってとばかりに差し出されている。
僅かに緊張を覚えた俺は、一度詰まった息を吐き出してからその手を下から握った。
「それでは僭越ながら、私がエスコートをさせていただきます」
「……ふふっ、似合いませんね」
「うるせえ。笑うなよ。黙って俺について来い」
意趣返しに繋いだ手を恋人繋ぎに直してやる。
すると冬海は、ほんのりと頰を赤くした。
「……なんだかこの繋ぎ方、いやらしいです」
「仮にも恋人だからな。今日は恋人としてエスコートしてやる」
逃れようとした彼女の指を捕まえて、しっかりと離さないように手の甲を押さえ込む。おずおずと応えるように柔らかく握られた指先が、緊張による体温の上昇を伝えていた。
そのまま周囲に見せつけるように恋人繋ぎで街中を歩き、大学近くにある喫茶店へとやってきた。
店前で手を解こうとする冬海を逃がさないようにしながら、ドアベルのつけられた扉を開けるとチリンチリンと音が鳴る。
その音に店員が反応して受付へと足早に歩いてきた。
「何名様ですか?」
「二名です」
「二名様ですね。こちらへどうぞ」
メニュー表やおしぼり等を用意すると店員が先導してくれる。
案内されたのは、店内の窓際の一席。俺と冬海は向かい合うように座る。
「それではご注文が決まりましたら、ベルでお呼びください」
メニュー表とおしぼり、お冷やを置くと店員は去っていく。
その瞬間、テーブルの下で急に脛が痛んだ。
まるで誰かに蹴られた痛みに正面を見ると、首のあたりを真っ赤にして無表情を崩している冬海がいる。大変ご立腹のようだ。
「痛い、いたっ、ちょっ、何度も蹴るなって」
「先輩がバカなことするからですよ。なにも手を繋いで店内に入ることなかったじゃないですか」
ご立腹の理由はそんなことらしい。そんなことって言ったら怒られそうなので言わないが。
「バカップルに見られたらどうするんですか?」
バカップルは嫌らしく、冬海が文句を言う。その頰は赤くだいぶ恥ずかしかったようだ。
「悪かったよ。お詫びにここは俺が出すからさ」
「…………わかりました」
それが償いになったのか定かではないが、冬海は溜飲を下げてくれたらしくおとなしく引き下がった。
機嫌を直してくれた彼女と一緒に、ひとつしかないメニュー表を開く。
「先輩はなに頼みます?」
「俺はマスターのおすすめかな。初めて来た店はだいたいそれでハズレないし」
「それじゃあ私はブレンドコーヒーとサンドイッチで」
注文が決まったので店員を呼び注文をした。
店員が注文を再度確認してから去っていく。
それを見計らってから、冬海は会話を再開する。
「そういえば先輩、今日はどこへ連れて行ってくれるんですか?」
そわそわした様子で今後の予定を尋ねてくる冬海は、なんだかこれからを楽しみにしているようでもあった。
普段の落ち着いた様子とは裏腹に興味津々な様子に、俺はちょっとだけ悪戯心が刺激される。
「映画館だよ」
「映画ですか?」
「冬海は映画とかよく見るタイプ?」
「……そうですね。よく知人(お嬢様)と一緒に」
それを聞いて安心した。俺はほっと胸を撫で下ろす。
「よかった。で、今やっている映画の中に見たいのがあって」
「……どんなのですか?」
「どんなの見ると思う?」
「……」
俺が質問をすると深く考え込むように視線を落とす冬海。それから三十秒ほどフリーズしていたかと思うと、視線を俺へと戻して真っ直ぐに見つめる。
「アクション映画とかですかね」
「まぁ、それも見るんだけどな。俺が好きなのはアニメ映画なんだけど、興味があったらなんでも見るよ」
さすがに初デート相手をアニメ映画に誘う勇気はない。アニメ映画に付き合ってくれるのは、麗花先輩だけで十分である。
「–––先輩、今他の女のこと考えました?」
「気のせいじゃないですかね」
一瞬考えただけなのに、敏感に反応してくる冬海についドキッとしてしまう。
「好きなのはアニメなんだけどさ。俺昔から色々見るんだよね。ドラマも観るし、時代劇も観るし、恋愛ものも観る。どっちかというとジャンル的には恋愛物が好きだな」
「恋愛物ですか……」
「どうした?」
「いえ、友人(お嬢様)と一緒だなと思いまして……」
「音楽もロックよりラブソングだし」
「友人(お嬢様)と一緒ですね」
なんだか微笑ましいものを見るような目を向けられている。
「……俺が恋愛物好きなのおかしいか?」
「いえ、おかしくはありませんよ。意外でしたので。それで見る映画はやっぱり?」
「うん。ホラー」
「!?」
「ほら、排水溝からピエロが顔を出すPV見たら、つい見たくなっちゃって……」
「ホ、ホラー、ですか……?」
ホラーと聞いたあたりから冬海の顔色が青くなっている。おまけに無表情が能面のように固まり、より芸術品のような美しさ(不気味さ)を増していた。
例えるなら、西洋人形のような美しさの中にある不気味さと称したところだろうか。
「どうした冬海?」
「あ、い、いえ、別に……」
「冬海が別の映画がいいならそうするけど。オカルト研究会の活動の一環として麗花先輩と観るかもしれないし」
そう言った瞬間、冬海の視線が俺を再び捉えた。
「……いいです。観ましょう先輩。ホラー映画」
「おまえ苦手じゃない?大丈夫か?」
「大丈夫です。ね、念のため、念のためですよ……先輩、手を繋いでおいてくれませんか?」
揶揄っていただけなのに。何と戦っているのか気丈に振る舞いながらも、ホラー映画を観ることを冬海は選択した。