喫茶店を出たあと、駅前の通りを歩いて映画館を目指す。
映画館は近くのショッピングモールに併設されており、規模は中位で一般的な映画館だ。米倉財閥が運営する大型シアターなら設備がもっと充実しているのだが、さすがにそこまでの規模は求めていないので今回は断念する。話題の4DXでホラーを観る冬海の反応を見てみたい気もするが、これ以上すると嫌われそうなのが理由だ。
二人並んでショッピングモールへの道程、約十五分の距離を歩いていると周囲からの視線は凄まじかった。
男達の羨望の視線はさることながら、女性達の視線も多い。特にカップルと思わしき二人組の男性の方は、我に返った相方の女性にどこか抓られているようだった。
時折釣り合わないという声が所々から聞こえると、俺はまったくその通りだなと内心同意してしまう。実際、冬海は俺の恋人というわけではないので正しいのだから。
「やっとついたな」
周囲の好奇の視線に辟易としながらショッピングモールへ踏み込む。
迷いなく映画館を目指していると、隣にいる冬海が突然こんな質問を投げかけてきた。
「随分慣れてますね。よく映画館には来るんですか?」
「まぁ、たまにな」
「……やっぱり倉科先輩と?」
「あぁ、そうだな。一緒に来ることもあるよ。あとは一人でとか」
俺がそう答えると、「そうですか……」と簡素な言葉を吐き出しながらも、僅かに頰を膨らませる。
チケット売り場に足を進めていると、袖が引かれるような感覚がした。チラリと視線を向けると冬海がちょこんと指先で握っていた。
「んじゃあ、適当に席決めるな」
「先輩」
「どうした?」
「できるだけ遠くの席にしてください」
「なんで?」
「……その方がスクリーンを楽に見れますし、首も疲れませんから」
歯切れ悪く冬海はそう言いながら、袖から伝って手を握ってくる。不安そうに親の手を握る子供のような繋ぎ方をしてきたその手を、一度離して恋人繋ぎに直した俺は悪戯に邪悪な笑みを浮かべる。
「怖い、とか?」
「……そんなわけないじゃないですか。子供じゃあるまいし」
「そうか。んじゃあ、今度スプラッタな映画鑑賞会でもするか?」
「……」
「……冗談だよ」
無人券売機でチケットを二人分購入する。カップルシートなら割引が効くらしく、そこを選んだ。
上映開始時間は三十分後。入場開始は十五分後とのことで、まだ時間に余裕はある。
「それじゃあ俺トイレ行ってくるから」
「あ、はい。それじゃあ私も化粧直しに」
「そう。あ、先に出たら売店行くけど、何かいるもんある?」
「それなら私はアイスティーで。あとで金額はお支払いしますから」
「了解」
俺は一旦冬海と別れて、トイレへ。
用を足してから戻ると、彼女の姿がなかったので一人で売店に並んだ。目当ての飲み物とポップコーンを買い終えたところで、ちょうど冬海が戻ってきた。
「すみません。お待たせして」
「おう。それじゃあ行こうか」
飲み物類を載せたトレーを両手に持って歩き出すと、不意に服の背中部分が引っ張られる。手を繋ぐことができない代案か冬海は無言でずっとそうしていた。
今回上映される第四シアターに入場する間も、彼女はカルガモの雛のようについてきた。
「お、ここだ」
「ここですか?なんだか普通の席と違うようですが?」
「そりゃあカップルシートだからな」
「カ、カップルシート……!?」
ホラーとあって意気消沈していた冬海が初めて表情を動かす。まるでツチノコでも見たかのようにまじまじと席を睨み、「い、いえ、私達はカップルですから当然ですね」と呟くと落ち着かない様子で席に座る。
俺は可愛らしい冬海の反応を観察したあと、隣に座ってから飲み物を手渡した。
「ほい、アイスティー」
「ありがとうございます。先輩は何を頼んだんですか?」
「俺もアイスティー」
「お揃いですね」
「だな」
ついでに買ったポップコーンを口に放り込む。
まだ映画は始まっていないが、この待ち時間が嫌で黙々とポップコーンを食べるのはいつものことだ。
映画が始まったら映画に集中したいので、大抵映画が始まる前にはポップコーンはなくなる。
「食う?」
「……では、少しだけ」
ポップコーンを勧めると冬海はその山から一つだけ摘むと、柔らかな唇で啄むようにゆっくりと口に放り込む。小さな咀嚼音と一緒にもぐもぐと口を動かして飲み込むと、さらに一口とリスのようにポップコーンを食べ始めた。
それから二人でポップコーンを黙々と空にすると、ちょうどシアター内が暗くなり始めた。お手拭きを使ってポップコーンの油を拭き取ったところで、映画の予告映像が流れ始める。
「っ!?」
某有名なビデオカメラ頭のスーツ男が出た瞬間、俺の腕に冬海は声にならない悲鳴を上げながら抱きついてくる。
俺は急に始まったラブコメ展開にピンと来ず、一瞬何が起こったのかと瞠目した。
「……おいおい、まだ映画始まってないぞ」
「……私あのキャラクター苦手なんですよ。なんというか不気味ではないですか」
「不気味カッコいいのがいいとこだと思うけどなぁ。名前も含めてカッコよくない?」
「カッコよくないですっ」
必死に抱きつきながら俺の肩に顔を押し付けてスクリーンから必死に目を逸らす姿に、俺は内心ケタケタと笑った。
「なに笑ってるんですか?」
「あれ、なんでバレた?」
「顔がニヤニヤしてますし、肩だって跳ねてるじゃないですか」
「悪い悪い。おまえが可愛くてつい」
「可愛いって言えば、許されると思ってますね!?」
「そんなことはない。あ、ほら、そろそろ始まるぞ」
見慣れたオープニング映像が流れて、ついに映画本編が始まる。そこからはもう酷かった。
「ひっ」
ホラーシーンが始まった瞬間、腕が強く締め付けられる。胸が肘に押し当てられて、柔らかな感触が二の腕を襲った。おまけに手は太腿の間に挟まれる始末。
とんでもない状況に冬海は気づいた様子もなく、指先を太腿で圧迫してくる。ミニスカートならどうなっていたことか。今でもだいぶきわどいが。
「っ!?」
驚く度に太腿を締め付け、ぎゅーっとしてくる冬海の可愛らしい姿に俺は悶々として、太腿を撫で回したい欲求に駆られる。
現在太腿の間では薄いスカート越しに肉感を指先が味わっており、擦れる度に幸福感が指先から駆け上がってきていた。
(近い近い近い……!)
至近距離にある冬海の横顔があまりにも眩しくて、息遣いの音が艶かしく聞こえてしまう。
そうなればもう映画どころではなく、うちの愚息君はスタンディングオベーションだ。ここが映画館で薄暗くなければ、冬海にはゴミを見るような目で見られていたかもしれない。
登場人物の悲鳴が映画館に響き、共鳴するように冬海が小さく悲鳴を上げる。
既に俺はそんな彼女の様子に可愛いとか思う余裕はなく、青少年らしく冬海の女の子らしい感触に妄想が止まらなかった。
気がついたらエンディングロールが流れていて、映画の内容などほとんど脳内には残っていなかった。
「……終わり、ましたね」
「……終わったな」
映画が終わったと同時にボーナスタイムも終了。天国と地獄の狭間のような状況も終わった。生殺しという、天獄が。
「それはいいんだがな」
ここで誤ってはいけないのは状況の把握のタイミングである。
この状況を俺が引き起こしたものとして認識されては、間違いなく俺に変態のレッテルが貼られてしまう。
だからこそ、名残惜しくも冬海の太腿とはおさらばしなくてはならない。
俺はわざとらしく太腿の間で指を動かす。するとようやく冬海が現状に気づいた。
「え、ぬひゃぁっ!?–––せ、先輩なにしてるんですか!?」
慌てて太腿を閉じたせいで再び指先が太腿という牢獄に投獄され、温かくも柔らかい私刑を受ける。
さらに顔を真っ赤にした冬海が、侮蔑の眼差しを向けてきた。
「ちょっ、抜いてください先輩!」
「おい、映画館でヌくとか変なこと言うなよ」
聞いた付近の客が何事かと振り返っている。
俺は名残惜しくも指をずっぽりと引き抜いた。
「ちょっと落ち着け。な?」
「こ、こんな暗がりをいいことに、人のスカートに手を伸ばすなんて最低です!」
「だから誤解だって」
思わぬ役得を黙って享受していたことを棚に上げて、俺は無実を証明しようと彼女を宥める。あと太腿だし。
「な、なにが誤解なんですか!?」
「違うって。あれはおまえが……」
「そんなエッチなことした覚えはありません!」
「……取り敢えずここ出よう、な?」
俺は騒ぐ冬海の腕を引き強引に連れ出す。彼女の名誉のためにも、これ以上はまずいと判断して。
トレーやゴミを片付けて映画館をあとにしてフードコートへ。
お洒落なカフェで感想会を予定していたが、映画の余韻も吹き飛んでしまっては仕方がなかったのだ。
取り敢えず座らせて、珈琲を二人分購入して戻る。
座席には少しだけ冷静になった冬海さんが、凍てつく視線を浴びせながら待っていた。
「…………それで先輩、なにか言い訳は?」
恐ろしいほどの無表情に冷たい眼差しを携えて、俺に弁明を求めてくる。
白雪姫というよりは氷の女王という雰囲気に、俺は賄賂の珈琲を差し入れながら対面に座った。
「それじゃあまずは、おまえ自分で抱きついてきたの覚えてる?」
「そ、それは、まぁ……」
よほど恥ずかしいことだったのか顔を逸らしながら、冬海は肯定する。
「そのままおまえが挟んだんだぞ」
「………………」
冬海さんは沈黙した。
俺はそんな彼女を鑑賞しながら、珈琲を飲む。
それから数秒後、ぼんっと顔を赤くする。
頰まで赤くした彼女は、無表情のまま唇を引き攣らせた。
「……ありえないです。私から誘ったなんてそんなはしたないこと絶対私して……」
確かにあれはとんでもない誘惑だったと内心頷いた。
「そ、それにしたって先輩も未婚の女性にみだりに触れてはいけないんですよ……!」
「婚前交渉は今時珍しくないぞ。高校生だってだいたい卒業してるらしいぞ」
「それどこ情報ですか!?」
「知らん」
高校時代の自分は童貞である。そういう意味ではデマだと言えるが、もしかしたら俺だけだったのかもしれない。
そう考えたら脳内にとある女の顔がチラつき、俺の童貞卒業チャンスを潰してきた恨みが沸々と沸いてきたが、それはもうどうでもいいことである。
……一回でもいいから、あのおっぱいは揉んでおくべきだったか。
「……先輩、また他の女のこと考えてました?」
「いんや、全然」
“あいつ”と比べると冬海のおっぱいは小さい。と、視線を胸元へとやった時だった。
「……今とても失礼なこと考えてますね」
「ソンナコトナイヨ?」
冬海は的確に俺が考えていることを言い当ててきた。
疑い深いのか俺が否定しても、胡乱な視線を向けてくる。
「……倉科先輩と比べておっぱい小さくて悪かったですね」
「いやでもCくらいだろ?」
「……」
「あたっ、いたっ、ちょっ、悪かったって」
その後、一分間ほど脛を蹴られ続けた。
おかしいな。もうちょっと進むはずが映画館で一話になってしまった。